第13話
十一月の初め、亜紀のいる病棟にゴダリアで負傷したという患者が搬送されてきた。脳出血で開頭手術を行ったが、二週間近く昏睡状態にあるらしい。患者の姿を見たとき、亜紀は少し驚いた。
——両足が無い。
両膝下の切断手術が行われたらしく、切断部には包帯が巻かれていた。この患者の場合、食事、排泄介助以外に切断部の手当てもしなければならなかった。
医師の話によると、ゴダリアからマリオンの病院に搬送された後、昏睡状態のまま日本に帰国することになったらしい。地理に
ゴダリアのテロでは数百人の死傷者、行方不明者が出たとニュースで聞いた。その中には日本人も何十人かいたという話だ。当時は大きなニュースになっていたが、亜紀には遠い国の話のように思われ、それ程関心を持っていなかった。この患者が入院した日も特にマスコミが来るようなことは無かった。ただ、防衛省に務めているという父親と母親が訪れただけで、なぜもっとニュースにならないのかと亜紀は不思議に思った。
「早瀬さん、お食事の時間ですよ」
そう言って亜紀は患者の鼻につながれた栄養チューブから食事を与えた。だが、反応は無い。患者は亜紀の息子とちょうど同じぐらいの年齢である。自分の息子がこのような姿になったらどれだけショックだろうか、と彼の両親の心情を想像し、亜紀は胸が痛くなった。
入院二日目には、母親と一緒に彼の恋人が面会に来た。彼女達が面会している間、亜紀は離れた場所にいたが、静かな病棟には恋人の泣き叫ぶ声が聞こえた。整った顔立ちの女性であったが、帰り際に挨拶したときには化粧がすっかり崩れていた。夕方には大学の教授や学生もやってきた。患者は大学に努めているらしい。医師から聞いた話によると、大学からゴダリアに行った人間は二人おり、もう一人は未だ行方不明ということだった。彼らが帰った後、患者のベッド傍には教授や学生が書いたと思われる寄せ書きが置かれていた。その後、自衛隊員が一人で面会に来た。学生時代の友人だそうだ。
入院三日目になると面会に来る人間はほとんどいなくなった。ただ、母親だけは毎日やってきた。彼女はよく患者である息子の手を握っていた。
「手を握っていると、温かくて、息子が生きていると実感できるんです。朝握ったときに冷たくなっていたらどうしよう、なんて考えちゃうんですよ」
「手を握ると脳にも刺激が伝わるんですよ。お母さんの気持ちも伝わっていると思います」
涙を浮かべて話す母親に亜紀はそう答えた。
入院五日目の朝。大きな叫び声が病棟に響いた。
「目が! 目が開かない! ここは……ここは何処? 森田さん? これは何……シーツ?」
亜紀が病室に行ったとき、患者は錯乱状態にあるように思われた。
「早瀬さん、大丈夫です、大丈夫ですよ。ここは病院です」
「病院!? あなたは日本人ですね。でも、誰ですか? あなたが……あなたが俺には見えません」
「私は看護師の富永と言います」
どうやら彼は視力に障害が生じているらしい。亜紀は医師に連絡をした。
医師が来るまでの間、亜紀は彼の質問に一つ一つ答えていった。彼も徐々に落ち着きを取り戻したかのように思えたが、両膝下が無くなっていることを伝えると、ひどくショックを受け、
医師が診察を行っている間に彼の両親もやって来た。親子が対面を果たした後、医師が画像診断の結果を示しながら、両親に症状の説明を行った。
「視力は回復しないのでしょうか」
「外傷があるわけではないので、可能性はあると思います。ただ、現時点では何とも言えません」
希望を持たせる回答だったが、入院中に彼の視力が回復することは無かった。彼は数週間リハビリを続け、一人で食事を行い、膝でベッドの上を歩けるぐらいまで回復した。
そして、退院の日。彼の母親は深々と頭を下げて亜紀に感謝を伝えた。
「本当にお世話になりました。一時はどうなることかと……こんなに早く回復して退院できるとは思えませんでした。あなたのおかげです」
「いやあ、お母さんの気持ちが通じたんですよ。言ったでしょう?」
患者さんが回復して退院するのを見送るのはいつも幸せな気分になれた。今回の患者も大変だったがよい経験になった、と亜紀は感じていた。ただ、一つ疑問に残っていることがあった。
CTスキャンに映っていたモノ……あれが何だったのか、最後まで亜紀にはわからなかった。
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