第9話
ジェイドは国際先端医療センターから車で数分のところにあった。レンガ積みの建物の上には、ジェイド——
「ここはビュッフェ・スタイルよ。あそこのテーブルから好きなものを取っていけばいいわ。遅い時間だから、無くなっているものもあるでしょうけど」
森田に言われた通りにトレーと皿を持ってテーブルの前に行ったものの、凌介には並んでいるものがどんな料理かさっぱりわからなかった。パンと蒸した野菜を取った後、何を取ろうか悩んでいると、後ろから声をかけられた。
「ラムシャンクはどうかしら? じっくり煮込んであるから、とっても柔らかくて美味しいわよ」
振り向くと、マチルダよりもさらに大柄な女性が立っていた。店員のようだが、笑顔が無い。ギョロっとした目と意思の強そうな口元からは、威圧されるような感覚を覚えた。
「それに、にんにく入りマッシュポテトを合わせるのがオススメなのよ」
言われるがままに料理を皿に取り、凌介はそそくさと森田達のいるテーブルに向かった。先程の女性も付いてきているようだった。
「姉さん、ゆっくり選ばせてあげてよ。彼ったら、怯えているじゃないの」
隣のテーブルに座っていたマチルダが後ろの女性に向かって言った。
「何を言ってるのよ、お困りの様子だったから、オススメ料理の紹介をしただけじゃないの」
どうやら後ろの女性がこの店のオーナーであるマチルダの姉らしかった。
「紹介するわ、姉のメイサよ」
「どうも、はじめまして。日本から来たんですってね」
「そうです。早瀬といいます」
凌介は簡単に挨拶を済ませると、トレーを持って森田の横に座った。向かいの席では、小林社長とイルハンが楽しそうに会話をしている。どうやら凌介以外は皆が顔なじみのようだった。凌介は早速、薦められたラムシャンクの骨を手に取って一口食べてみた。肉がスルッと外れ、スパイスの効いた濃厚な味が口の中に広がった。
「……美味しい」
凌介が思わずそう呟いてメイサを見ると、メイサも満足した様子でようやく笑顔を返してくれた。そして、ふとメイサの後方に目をやると、幼い少女が裸足で歩いて来るのが見えた。
——家族連れの客がいただろうか?
凌介が店内を見回していると、マチルダが少女に声をかけた。
「あら、メリッサ! お店に出てきちゃダメじゃない」
「だって、今日はお姉ちゃんいないし、お店ももう終わりの時間でしょう?」
そう言って少女はメリッサのエプロンの裾をつかみながら、メリッサの後ろに隠れた。凌介は店の入り口のプレートにランチタイムが午後二時までと書かれていたことを思い出した。メイサの娘のようだが、
「ごめんなさいね、ゆっくりしてもらって結構ですから」
そう言うとメイサはメリッサを連れて、店の奥の方へ消えていった。
「お姉さんも客足が減って大変だな。これもあの馬鹿げた集団のせいだが」
イルハンが少し険しい顔でマチルダに言った。
「そうですね……観光客は来なくなりましたし、最近では、この辺りの人もあまり外を出歩かなくなりましたから」
ため息混じりでマチルダが答えた。凌介は先程車の中で小林から聞いたNESの話を思い出した。
「ここも危ないんですか?」
凌介が小林の方を見ながらそう言うと、マチルダが言った。
「この辺りではまだ姿を見た人はいないわ。ただ、少し離れた鉱山近くの村では、先週、襲撃があったそうよ」
「らしいですな。私も聞きました。ですから、今日は鉱山病院にご案内するのは止めようと思っておったんです」
小林がマチルダに続けて言った。
「村は壊滅状態だったそうです」
「村人が殺された、ということですか?」
「殺された、というだけでは済まんような酷い状態です。あいつらは、村の少年を誘拐し、娘を犯し、大人は殺すか手足を切断するんです」
「手足を切断? なぜそんな……」
凌介は義手の研究を進める中で手足を失った人間に接する機会も多かったが、ほとんどは不慮の事故によるものであった。他人に手足を奪われたという話は、日本では聞いたことが無い。
「手足を切断された人間は仕事ができんようになります。家族や周りの人間に恐怖と介護の負担を与えるのが目的なんですわ。あいつらは……狂っとります!」
小林が声を荒げた。
「科学的に分析すれば、麻薬と群集心理による所業と思えるがね。直観的かつ非科学的な言い方をすれば、悪魔に取りつかれた連中と言うべきかな」
婉曲的な言い方でイルハンも同調した。
「誘拐された少年はどうなるのでしょうか?」
そろそろこの話題は止めた方がいいかもしれないと思いながらも、小林の話が気になった凌介は質問を続けた。
「NESの一員にされるんですわ。麻薬の力でね。ナイフで付けた傷から麻薬を擦り込まれると、恐怖心が無くなり、恐ろしい事を平気でやるようになるらしいんですわ」
小林がそこまで話したとき、誰かがマチルダの足をトントンと優しく叩いた。
「あらっ、メリッサ、戻ってきたのね!」
「どうぞ」
そう言うとメリッサはバナナの束をテーブルに置いた。
「NESの話ですっかり飯がまずくなってしまったが……ほう、これは美味しそうなバナナだな。いただこうじゃないか」
食事を終えていたイルハンがバナナの皮を剥いて食べ始めた。それを見たメリッサが嬉しそうに笑顔を見せた。そして店の奥へ走って行くと、椅子に上ったり、テーブルの下に潜ったり、一人で無邪気に遊び始めた。
「あの子は天使ね」
森田が呟いた。
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