第7話

 ナヘル国際空港はマリオンの山岳地帯にあった。マリオンはゴダリアよりも標高が高く、砂漠が広がるゴダリアとは気候が異なっており、飛行機の窓からは森林や畑が広がる景色が見えた。手続きを済ませ、空港の到着ロビーから外に出ると、白髪の日本人が声をかけてきた。

 「お久しぶりです、森田先生」

 「小林社長、お休みのところ、すみません。本当、助かりますわ」

 森田は握手しながら小林に感謝を述べた。

 「いえいえ、休みは暇なもんですから。えーっと、こちらのお兄さんは学生さんでしたっけ?」

 「初めまして。助手の早瀬と申します」

 「それは失礼しました。いやぁ、随分お若く見えたもので。小林です。よろしくお願いします」

 凌介も握手を交わした。小林の力強い握手からは好意と熱意が感じられた。

 「車はあそこに停めています。ボロの社用車ですが、一応、日本車なんですよ」

 停まっていたのは日本でもよく見かける四輪駆動のワゴンであった。飛行機からの景色でもわかったが、マリオンには未舗装の道路が多かった。この車であれば泥道のような荒地でも問題なく進めるので、もう何年も乗り続けていると小林は話した。

 「最初は国際先端医療センターですね?」

 「ええ、まずはそこまでお願いします」

 「了解です。ここからだと十五分ぐらいですかね。そういえば、テックの会場にはもういらしたんでしょう? いかがでした?」

 「去年のドイツの会場よりは、ちょっと小規模になった気がしますわ。アフリカになって参加を見送った企業もあるって聞きますし。小林社長のところも参加されるんでしょう?」

 「はい。せっかく近くでやるんなら参加しようと思いましてね。うちの若手が今日も準備しとりますわ。私は明日の午後から参加する予定です。午前中は商談があって、会場にはおらんのですが、よろしければうちのブースにもお越しください。一階の奥の方でやっとりますから」

 「もちろん、伺いますわ」

 「明日のオープニング・キーノートはサミュエルさんが話すらしいですな」

 サミュエルはゴダリアで最大の医療機器メーカーであるバイオラ社のCEOで、最近、欧州の大手メーカーに迫る業績を上げていることで世界的にも有名な人物であった。近年、体内で生成されるブドウ糖や体温を利用した生体発電の技術が発達してきており、バイオラ社はその分野では多数の特許と技術者を保有しているトップメーカーであった。

 「ゴダリア開催となると、妥当な人選じゃないかしら」

 「あの人は商売上手、おしゃべり上手ですからな。私も予定が入らなきゃ聞きに行こうと思っていたんですけどねぇ」

 小林の予想通り、凌介達を乗せた車は十五分程度で国際先端医療センターに到着した。森田と凌介を正面玄関で降ろし、小林は一人で駐車場で待つことになった。

 「じゃ、終わったら連絡ください。私はちょっとやりかけの仕事があるもんで」

 「本当にすみません。一時間ぐらいかかると思いますが、後程ご連絡します」

 森田は深々と頭を下げた。

 国際先端医療センターに入ると、森田は受付で面会相手の医師を呼び出した。しばらくすると、ふくよかな体型の黒人の女性看護師がニコニコしながら現れ、英語で挨拶をした。

 「森田先生、お久しぶりです。よく来てくださったわ」

 「マチルダ! 会えて嬉しいわ。イルハン博士はまだいらっしゃる?」

 「ええ、今日は診察の予定は無かったんですけれど、森田先生が来るからって、ずっと待っていらしたのよ」

 「そうだったの。それは申し訳なかったわ」

 「どうぞこちらへ」

 マチルダに案内され、凌介達が案内された部屋に入ると、頭頂部の禿げた年配の医師が椅子から立ち上がり、笑みを浮かべながら森田の方に近付いた。

 「やあ、シンイチ。こうして会うのは久しぶりだね」

 シンイチというのは森田のファーストネームだが、凌介はこの呼び方をする人間を他に知らなかった。イルハンは脳神経外科学を専門とする、世界的にも有名な医師で、森田とは十年来の付き合いと聞いている。凌介も日本から電話会議の形式で少し話をしたことはあったが、会うのは初めてであった。

 「イルハン博士、お待たせしてすみませんでした。こうしてお会いするのは半年ぶりぐらいかしら? 今日は早瀬君も一緒なんですよ」

 「おお、リョースケ! よく来てくれたね」

 「初めまして。お会いできて光栄です」

 凌介はイルハンが自分の名前を覚えていたことに驚いた。

 「こちらこそ。私の神経信号理論を義手に応用したのは君の功績と聞いているよ」

 そう言ってイルハンと凌介は握手を交わした。

 「君の作った神経信号の増幅装置だが、義手との接続方法は、なかなか画期的なアイデアだと思うよ。あそこは他にも使い道があると思わないかい? 私にもいろいろと応用のアイデアがあってねぇ、例えば……」

 また長い話が始まりそうだ、と凌介が思ったところで、森田が話をさえぎった。

 「イルハン博士、あなたのアイデアをじっくりお聞きしたいところだけれど、今日はあまり時間がないの」

 「おっと、そうだったね。では、それはまたの機会にしよう。例の患者さんの話をしようか。今、画像を出すから、ちょっと待ってくれ」

 そう言ってイルハンはパソコンの前に座り、CTで撮影したと思われる、脳の断面画像を出して説明を始めた。脳に障害のある患者が、特殊な装置で神経信号の増幅を繰り返すことによって、いかに脳の動きが改善したかを、イルハンは一気に説明した。動物実験では脳にダイレクトに接続する方法で効果を確認したが、人間には超音波を使った方法を試しているということであった。

 説明の後、凌介達は患者のいる病室に案内された。病棟には脳神経外科、神経内科の患者が何人も入院しているとのことだが、通路は暗い静寂に包まれており、人のいる気配がしなかった。目的の患者は、ゴダリアで会社役員を務めていたという四十代の男性であった。脳梗塞のうこうそくで倒れ、最初はゴダリアの病院に入院していたが、一向に意識が回復せず、こちらに転院してきたのだという。剃毛された頭には、複数のコードにつながれたヘッドギアのような装置が取り付けられていた。先程の説明にあった超音波を送る装置らしい。マチルダが男性の名前を呼ぶと、装置のモニターに信号の波形が現れた。

 「最初は全く反応が無かったのだが、マチルダが話しかけると、反応を示すようになってきたんだよ。私が話しかけても何も反応しないのにね」

 「私は毎日お声をかけてお世話していますからね」

 「この装置を取り付けてからどれだけ改善したのかを説明しよう。モニターの画像を見てくれ」

 そう言ってイルハンはグラフの説明を始めた。森田も時々質問を挟みながら、モニターと患者を真剣な眼差しで眺めていた。説明が終わったところで予定の一時間を過ぎていたが、他の病室にも特殊な症例の患者がいるので見ていかないかとイルハンは言ってきた。

 「どうしましょう……小林社長には一時間って言ってしまったのよね」

 悩んでいる森田に凌介が言った。

 「俺、小林社長のところに戻ろうと思います。せっかく時間を取っていただいたのに、ずっと一人でお待たせするのは悪いですから」

 「そうね、それじゃ、悪いけれど、お願いしようかしら……ランチをご一緒する予定だったんだけど、ずい分遅くなっちゃうわね」

 「ランチは私達もご一緒しようと思っていてね」

 イルハンがマチルダに目配せをした。

 「いつもの姉の店でよければ、ですけどね。姉には店を閉めないよう連絡しておきますわ」

 どうやらマチルダの姉が経営する店で皆で食事をする計画になっているらしい。凌介は森田達と別れ、一人で地下の駐車場に向かった。

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