第2話

 深川研究室には、グラウンドから戻ってきた凌介達の他、深川教授を始めとする深川研究室のメンバーと、「考える足」プロジェクトに参加している機械工学科の学生が集まっていた。

 「考える足」プロジェクトは、凌介が両膝下を失った直後、深川教授がアポロン社に働きかけて生まれたプロジェクトである。それまでにも、アポロン社が開発している義手には深川研究室の研究結果が取り込まれてきたが、産学官連携プロジェクトとなったことによって、より多くの人と資金が集まった。プロジェクトの目標は通常の人間の足を超える義足を作ることである。カメラやマイクロプロセッサを使い、これまでに数々の実験的な試みがなされてきた。

 このプロジェクトでは、隔週で進捗会議が行われており、本日の会議では冒頭に午前中に中村によって撮影された動画が紹介された。動画の再生が終わり、五秒九五という数字が発表された際には、拍手と歓声が起きた。今はアイが走行中のデータに対する解析結果の説明を行っている。

 プロジェクトリーダーである凌介は、アイの隣で説明を聞いていた。彼には自分の走りがどのように映っているのか、走行中のデータがどのようなグラフを描いているのかを直接知ることはできない。

 ——研究者として自分ができることは限られている。

 四年前に研究を再開する覚悟を決めたときから、周りの人間がいなければ、まともに実験の一つもできないことを思い知らされてきた。アイとは二年、永井とは三年の付き合いになるが、彼らは凌介にどのように説明すればよいか、どのように聞けばよいかをよく心得ており、凌介が研究を続けていられるのも彼らによるところが大きかった。

 「最後の転倒ですが、制御プログラムの問題ということは考えられませんか」

 学生の一人がアイに質問した。

 「もう少し分析してみないとわかりません。たしかにそれも要因としては考えられますが……」

 アイがやや言葉に詰まったところで、凌介が助け船を出した。

 「その要因の一つには俺の油断もあるかなぁ……ただ、今の足首の部分はまだ柔軟性が不足していると思うんです。正確な角度でないと転倒してしまうんですよね。今後の取り組みとして、スプリングの強化と制御プログラムの修正を予定しています。そうだよね、アイちゃん?」

 「はっ……はい、その予定です」

 機械工学科の助手、内村が割って入った。

 「そのスプリングの強化に関してですが、先週ご説明した通り、素材の変更から検討していますので、もう少し時間がかかります。かかと部分は機構上の詳細を詰めないといけないところがあるんですが……、早瀬さん、どうします? この場で議論しますか?」

 「その件は細かい話だから全員いなくてもいいかな。ウッチーと中村さんで後で個別に相談してもらえますか」

 「了解です」

 内村の返事に続いて、中村が口を開いた。

 「私の方も承知いたしました。ところで、私からも深川先生にご相談があるのですが……」

 中村が緊張混じりのやや引きつった笑顔を深川に向けた。

 「何でしょうか?」

 「今日の動画なんですが……公開させて頂けませんでしょうか」

 普段の大声とは異なる、かすれるような声で中村が尋ねた。

 「それはまだ早いんじゃないですかねぇ。たしかにインパクトはありますが、着地の失敗も映ってますし、どういう形で発表するかはおかみとの相談も必要ですよ」

 顎鬚あごひげを触りながら、ゆっくりと諭すように深川が答えた。

 「では、うちの上役と開発部門にだけ公開させて頂けませんか。あれを見れば彼らのモチベーションも上がると思うんです」

 「それは問題ありませんよ。どうぞ展開ください」

 「ありがとうございます。これで社内で事業化に向けた話も進みそうです」

 「事業化はもう少し時間がかかりそうですねぇ。コスト面でも技術面でもまだまだ課題がありますし」

 「ええ、そうなんです。コストを抑えると言ってもなかなか難しいですし、保険が適用されるようになってようやく市場が広がる気がします。技術面では大きいのは電力消費ですかねぇ。まだ電池が一日持ちませんから」

 その後も電池や悪天候への対応など、重要課題とされている点に対する討議が続き、二時間経過したところで会議は終了となった。

 「早瀬さん、行きましょう」

 会議の参加者が退出する中、永井が凌介に声をかけた。東都工科大学では、ビーコンと呼ばれる無線機器によって場所を検知することができるようになっており、場所を検知したイヤフォンから案内される音声に従えば、目の見えない凌介でも一人で移動することができるようになっている。しかし、定例の会議の後では、永井が凌介を誘導し、二人で凌介の部屋に行くことが習慣となっていた。

 「ああ。じゃ、悪いけど、手引き頼むよ」

 永井が凌介の手を取って自分の右肘のあたりに持っていくと、凌介は永井の服を軽くつまんだ。そうして凌介を先導する形でゆっくり歩きながら、永井が話しかけた。

 「早瀬さん、ワイ・ビーの脆弱性ぜいじゃくせい問題って知ってます?」

 ワイ・ビーと呼ばれる通信方式には、脆弱性ぜいじゃくせい——セキュリティ上の欠陥があるということが最近発表されていた。

 「暗号を解読される危険性があるとかいう話だったかな」

 「そう、それです。うちも昔は通信方式としてワイ・ビーを使ってましたよね。問題になりませんか?」

 「森田さんがいた頃に作った義手には使っていたから、提供先のお客さんからは問い合わせが来るかもしれないなぁ。うちが使っていた通信の内容は、解読されても大きな問題にならないと思うけど、気にする人は気にするかもしれないね」

 「森田さんって、ワイ・ビー標準化団体の中心メンバーだったんでしょう?」

 「ああ。通信分野にも詳しかったからね。医療機器だけじゃなくて、通信インフラの構築なんかにも関わっておられたよ。ちょうど、森田さんが行方不明になった頃ぐらいから、ワイ・ビーも日本じゃ流行らなくなったんだよね。うちも詳しい人間は森田さんしかいなかったから、簡単な通信方式に変えちゃったし」

 二人はちょうど森田の部屋の前に差し掛かった。森田が四年前に行方不明になってからも、部屋はそのまま残されていた。

 「俺、森田さんの部屋にある資料からワイ・ビーのことを少し調べてみようと思っているんです。構いませんよね?」

 「調査しておいてもらえると、助かるよ。森田さんのパソコンの中にはデータが残っていると思うけれど、パソコンが使えるような状態になっているのかな……よく何かが運び込まれてくる音がするんだよね。どうせ物置にされているんだろう?」

 「よくわかりますね。かろうじて扉を開くスペースがあるぐらいです」

 「想定通りだな……危険なものじゃなければ、少しぐらい荷物を俺の部屋に持ってきてもいいよ」

 「アザッス。では、後で少し持っていかせてもらいます」

 二人は森田の部屋の前で別れた。永井は森田のパソコンの前に積まれた段ボールを見上げ、ため息をついた後、片付けを始めた。

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