two Cats  誕生の音色

「ひゃほーい」

 弾んだ声をあげながら、チャコは軽快に滑り台を滑っていく。

「うぅー、まって……。姉ちゃんまって……」

 後方からハイの声が聞こえる。振り向くと、ハイがネコミミを用心深げに逸らし、ゆっくりと降りてくるところだった。

「ハイ、いい加減なれなよ!」

「うぅー!!」

 ネコミミを悔しげにブンブンと揺らし、ハイが滑るスピードをあげる。

「その調子、その調子!!」

 チャコは声を弾ませ、滑り台を颯爽とおりていく。そんなチャコのネコミミに、たくさんの足音が聞こえてきた。

 チャコは顔をあげ、足音のする滑り台の外側に眼をやった。

 滑り台を取り囲む螺旋階段を、たくさんの子供たちが駆け下りている。茶トラと鯖トラのネコミミをひょこひょこ動かしながら、子供たちはチャコに手を振ってくる。

 チャコも笑顔を浮かべ、年下の兄弟たちに手を振った。

 子供たちは、チャコと同じくこの塔で生活をするアメリカンショートヘアー種のチェンジリングたちだ。

 階段の下には、この建物の中心部である大聖堂へと続く回廊がある。

 回廊は、猫を象ったステンドグラスが左右対称に嵌め込まれている。そのステンドグラスの明かりを浴びながら、子供たちは元気よく回廊を走る。

 チャコとハイが滑る滑り台は、回廊の真上を通っている。滑り台を滑るチャコの眼前に、大聖堂の扉が迫って来た。

 扉には、茶トラの猫と、鯖トラの猫の姿が象嵌によって施されている。

 扉の上には天窓が設けられ、その窓の中央にあたるケルト十字が勢いよく横へとスライドした。

「うおーい!!」

 チャコは叫び声をあげながら、開け放たれた天窓の中央部分へと飛び込んでいく。

「うぅー!!」

 ハイもチャコに続き天窓を潜る。チャコの眼前には、大聖堂が広がっていた。

 円形の聖堂には巨大は12の柱がそびえ立ち、その壁には羽を生やした11匹の猫たちのステンドグラスが嵌め込まれている。

 チェンジリングたちの始祖たる、13人の子供たちを象った猫たちだ。

 そして、聖堂の最奥には薔薇窓が咲き誇る。その下に巨大なステンドグラスが設置されていた。

 ステンドグラスには灰色の耳を持つ少年と、その少年を後方から抱きしめる白ネコミミを持つ少女が描かれていた。

 少年の蒼い眼は悲しげに伏せられている。少年を抱きしめる少女の赤い眼も、切なげに笑みを浮かべていた。

 少女の背中には、小さな一対の翼が生えていた。

 ステンドグラスに描かれているのは、人類の救世主たる灰猫と、その恋人であったとされる白猫だ。

 このステンドグラスに描かれている2人を見るたびに、チャコは悲しい思いに取り憑かれる。

 ずっと昔に、この2人に会ったことがある気がしてしまう。

 気が遠くなるほど、遠い昔に――

 滑り台が途切れる。チャコは大きく跳躍し、着地地点である場所へと跳んでいく。

 美しい硝子で出来た、パイプオルガンのもとへと。

 パイプオルガンの中は水で満たされており、桜色の朝陽を受けて輝いていた。

 ベルベットが施されたオルガンの椅子にチャコはすとんと腰掛ける。後を追ってきたハイも、器用にチャコの横へと腰掛けた。

 硝子のオルガン。誕生の音色と呼ばれるそれを奏でることが、チャコとハイの仕事なのだ。

「姉ちゃん……」

 ハイは眠たげな眼をチャコに向けてくる。チャコはニッコリと微笑み、硝子の鍵盤に指を乗せた。

 チャコとハイの連弾が、聖堂に響き渡る。硝子のパイプがオルガンに入った水を吸い上げ、涼やかな水音を奏で始めた。

 その水音に反応し、12の塔からいっせいに鐘音が聴こえてくる。誕生の音色は、カリヨンにもなっているのだ。チャコとハイが鍵盤を弾くたびに、塔に設置された鈴が、指定された音を奏でる。

 2人が奏でるのは祝福の曲。今日この日に産まれてくる、新たな命に捧げる曲だ。 その曲を合図に、大聖堂の壁に設置された11の扉がいっせいに開かれた。

 シスターたちを先頭に、11の扉からはチェンジリングの子供たちが入ってくる。 子供たちはシスターの歌声に続き、高らかな歌をパイプオルガンの音に載せて紡いでいく。

 その歌に導かれるように、12番目の扉が開かれた。

 真鍮で出来た扉は、厳かな音ととともに開かれる。

 黒いヴェールに身を包んだシスターの1団が、歌を奏でながら粛々と入場してきた。その後に続き、深緑のローブに身を包んだ1人の女性が現れた。

 思わず、チャコはその女性に眼をやっていた。

 彼女は、漆黒のネコミミをヴェールで覆っている。口元は布で隠され、素顔を窺うことはできない。

 ヴェールの隙間から見える彼女の眼にチャコは眼を奪われた。

 吸い込まれそうなほど色の深い緑の眼。その眼は、どこか悲しげな光を帯びているのだ。

 とくりとチャコの心臓が音を奏でる。女性の悲しげな眼を見つめていると、こちらまで切ない気持ちになってしまうのだ。

 女性は、女教皇だった。

 彼女は灰猫を崇拝する教会の頂点に君臨する存在にして、統治機構マブの最高権力者でもある。

 マブの全てを、委ねられた聖母。それが、女教皇なのだ。

 彼女は本島での任務を終え、数ヶ月前にマブの本拠地がある常若島に戻ってきたという。

 施設で育ったチャコも、彼女を眼にするのは初めてだ。祝福の音楽を奏でるチャコやハイのように、彼女にも大切な役割がある。

 新たに産まれてくる命を祝福するという、大切な役割が――

 すっと、女教皇の眼が細められる。彼女は、ケルト十字の形をした銀の杖で大理石の床を叩いた。

 かぁん。かぁん

 厳かな音が、聖堂に響き渡る。その音を合図に、子供たちの歌声がやむ。

 チャコたちも演奏を取りやめた。

 女教皇が、ヴェールを翻し歩む。彼女の美しい黒髪がヴェールから零れ、深緑の輝きを放っていた。その輝きを、チャコは眼で追う。聖堂の中央にやって来た女教皇は厳かに杖を振り上げ、床を思いっきり叩いた。

 ぐぉおおおおおおお

 唸り声が、聖堂に響き渡る。ビリビリとその唸りは聖堂の壁を震わせ、チャコたちの奏でていたパイプオルガンの水を小刻みに揺らした。

 そのときだ。パイプオルガンが水を吸い上げ、独りでに音楽を奏で始めた。

 チャコは、聖堂の中央へと視線を走らせる。

 重く、冷たいオルガンの音が聖堂に響き渡る。その音に合わせ、聖堂の中央に置かれた石棺がゆっくりと開いていく。

 石棺から湿り気を帯びた風が吐き出され、轟々と濁流の音が床下から聞こえてきた。

「産まれる……。兄弟たちが、産まれる……」

 ぽつりと、ハイが呟く。

 この聖堂の下には、ドゥンの泉と呼ばれる場所があるという。その泉に安置された人工子宮から、チャコたちチェンジリングは生みだされる。

 今日は、そのチェンジリングを人工子宮が産み落とす日なのだ。

 石棺が開かれると同時に、女教皇とともに聖堂に入ってきたシスターたちの唇から美しい旋律が漏れる。

 その旋律を伴奏に、高いソプラノを奏でる女性がいた。チャコは、眼を輝かせその人物を見つめる。円形に並ぶシスターたちの中に、リズがいた。

 彼女は美しいレースのヴェールを頭から被り、光の弱い眼を石棺に向けている。彼女が高い旋律を奏でるたび、石棺の蓋は開かれ、その中にシスターたちは静々と入っていくのだ。

 かぁん。

 甲高い音が響く。

 女教皇が杖で床を叩いたのだ。その音を合図に、石棺に消えていったシスターたちが、聖堂へと戻ってきた。

 リズの声がひときわ高くなる。

 その声に合わせ、赤ん坊の泣き声が聴こえてくる。喜びのあまり、チャコは椅子から身を乗り出し、石棺から出てくるシスターたちを凝視した。

 シスターたちの腕には、産着に包まれた赤ん坊が抱かれている。赤ん坊の濡れたネコミミが、朝陽に眩しく煌めいていた。

 箱庭地区で出身の子供たちは、母体にいる時点でワクチンを摂取させられる。人工子宮で育てられる、チャコたちチェンジリングも同様だ。

 そうでなければ子供たちはウイルスに対して免疫を持つことができないだろう。

 ワクチンを摂取した証として、子供たちの頭部にはネコミミが生えているのだ。

 赤ん坊を抱いたシスターたちは、楚々とした足取りで女教皇のもとへと向かっていく。彼女はシスターたちから赤ん坊を受け取ると、小さな声で何かを口ずさんでいた。

 彼女が微笑んでいることにチャコは気がつく。悲しげだった彼女の眼には、優しげな光が差し込んでいた。

 その眼を見て、チャコは胸が温かくなるのを感じていた。

 彼女は、祝福の言葉を子供たちに贈っているのだ。

 女教皇は、母性を象徴する存在だ。

 統治機構マブの名前は、ケルト神話の母神マブから来ている。

 女教皇はそのマブの化身でもあり、チャコたちチェンジリングの母とされる存在でもあるという。

「ママって、あんな感じなのかな……」

 ぽつりと、となりに座るハイが呟く。チャコはハイを見た。ハイは、食い入るように女教皇に抱かれた赤ん坊を見つめている。

 そんなハイを見て、チャコは少しだけ悲しくなった。

 チャコとハイは、母親を知らない。

 人工子宮から産まれるチェンジリングたちは、貰い手となる養父母が見つかるまでシスターたちの手で育てられるのだ。

 そのシスターたちも、養い親が見つからず施設で成長したチェンジリングはほとんどだ。

 お母さんがどんな存在が聞いても、シスターたちは曖昧に笑って、分からないと言葉を返してくる。

 歌をうたうリズだってそうだ。

 チャコは顔を曇らせ、リズの左ネコミミについた鈴を見つめていた。リズの歌声に合わせ、鈴は可憐な音を放っている。

 ネコミミについた鈴は、リズがチェンジリングであることを示すものだ。その証のせいで、リズは養父母に恵まれることなく施設で成長した。

「姉ちゃん……」

 ハイに声をかけられ、チャコは我に返る。ハイは眉間に皺を寄せ、怪訝そうにチャコを見つめていた。

「また……ボクたちのこと考えてた……。可哀想とか、思ってたでしょ……?」

「ハイ……」

 眠たげな三白眼がじっとチャコに向けられる。見透かされているようなその眼から、チャコは眼が離せなかった。

 そう、ハイだって――

 どさりと何かが倒れる音がする。周囲がざわめきに包まれ、チャコはそちらへと顔を向けていた。

 リズの歌声が聞こえない。嫌な予感がして、チャコはリズへと視線を走らせる。 床に仰向けに倒れこむリズの姿が、チャコの眼に写りこんだ。

 乱れたヴェールから、苦しげに息を吐くリズの顔が見える。

「リズ姉!」

 チャコは椅子から飛び降り、リズのもとへと駆け寄っていた。


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