one Cat 塔の朝

 3月は、春風が吹き始める季節の変わり目だ。首都湾に浮かぶ常若島にも、優しい春風はやってくる。

 キャットイヤーウイルスにより文明が崩壊して半世紀あまり。かつてウイルス感染者を隔離するために作られたこの人工島は、箱庭の統治機構である研究組織マブの一大拠点になっている。

 猫丘により緩やかな斜面を形成する島の入江には、真白な12の塔が円形にそびえ立ち、朝陽を受けて桜色に輝いていた。

 塔はチェンジリング――キャットイヤーウイルスにより、不足した人口を補うために生み出されているクローンの子供たち――が暮らすマブの養育施設だ。通称『マブの館』と呼ばれるこの場所で、チェンジリングの子供たちは育てられている。

 それぞれの塔には、13種類のチェンジリングたちが生活をしている。チェンジリングたちのオリジナルは、島で治療を受けていた13人の子供たちだ。

 だから、チェンジリングの種類は全部で13種類。1種類につき、1つの塔が割り当てられている。

 だが、6番目と7番目のチェンジリングたちは事情が少しばかり違う。この2種類のチェンジリングは、1つの塔で寝起きを共にしているのだ。

 オリジナルが双子であった彼らは、マブの研究者たちの間でアメリカンショートヘアー種と呼ばれている。ネコミミ――キャットイヤーウイルスにより頭部に生じる猫の耳に似た器官――に生じる縞模様がアメリカンショートヘヤーにそっくりだからだ。

 他のチェンジリングとは違い、彼らは常にペアの状態で人工子宮から生まれてくる。そのため、養育施設でも彼らは一緒に育てられるのだ。

 春風は、そんな双子たちが暮らす塔に吹いていく。

 リィンと軽やかな鈴の音が、双子の塔からした。




  Oan Cat 塔の朝




「うぅん……」

 もみもみとお腹を揉まれている感触が気になって、チャコは目を覚ましていた。 

りぃん。りぃん。

 鈴音がネコミミに響いて、チャコは頭上へと顔を向る。

 円錐形に狭くなっていく天井には、螺旋状に細長い鈴が取つけられていた。天井が狭くなるたびに、鈴の大きさは小さくなっている。

 りぃん。りぃん。

 天井に吊るされた鈴が、外の風を受けてゆれていた。鈴が吊るされた天井は、ほんのりと桜色に染まっている。

「朝……?」

 ぼんやりとチャコは呟く。

「朝っ!?」

 チャコは眼を見開き、がばりと毛布を剥いでいた。またお腹をもまれて、チャコは腹部を見つめる。

「寒い……。うぅ、寒い……」

 弟のハイが、寒そうに鯖トラ柄のネコミミを震わせていた。彼は、チャコのお腹に小さな両手をあて、もみもみともんでいる。

「ハイ、朝だよ。起きなきゃっ」

「うぅ……寝る。もっと、寝る……」

 チャコのお腹にピトッと顔をくっつけ、ハイはぐずる。はぁっとため息をついて、チャコは口を開いていた。

「寝すぎると、ちっちゃくなるって知ってた、ハイ?」

「おぅ!」

 チャコの言葉に、ハイはがばりと顔をあげる。眠たげな三白眼が動揺に震えていた。

「うぅー!!」

 ハイは起き上がり、横たわっていた大きなバスケットからぽよんと飛び出す。

 チャコは上半身を起こし、弟を目で追った。ハイは正面にある漆喰の壁へとちょこまかと走っていく。壁には、ナイフで目盛のような傷が刻まれていた。

 ハイはその目盛のついた部分に、ぴったりと体をくっつける。目盛の傷は、ちょうどハイの身長と同じぐらいの位置で止まっていた。

「身長……縮んで、ない……。でも、おっきくもなってない……。うぅーー!!」

 ハイは唸り、ネコミミで目盛の刻まれた壁をバンバンと叩く。

「また、おっきくなれなかったんだ……」

 チャコはそんな弟を見て、乾いた笑いを零していた。壁の傷は、身長が伸びるたびにハイが自分でつけたものだ。島にいる同い年の子供たちのなかで、ハイは一番背が低い。

 そのためなのか、ちっちゃいことをハイは何よりも気にしている。

 ハイに言うことをきかせることは簡単だ。身長のことをネタにすればいい。

 そうすれば、嫌いなスキンミルクだって我慢して飲む。寝起きの悪い朝だって、ハイはちゃんと起きられるのだ。

 でも、それは長年ハイと付き合ってチャコが気づいたことじゃない。

「あら、そんなにネコミミを壁で叩いたら、ちっちゃくなっちゃうよ。ハイくん」

 鈴の音を想わせる声がした。ピタッとハイがネコミミをとめる。チャコは、声のした部屋の扉へと視線をやった。

 桜を象ったスタンドグラスの扉を開け、1人のシスターが部屋に入ってきた。

 コンっとシスターが持っている杖が、桜の木で出来た床を叩く。彼女は前方を何度も杖で叩きながら、部屋へと入ってきた。

 濃紺のヴェールに覆われた頭部からは、チャコと同じ茶トラのネコミミが生えている。その毛先がカールした髪をゆらしなら、シスターはハイに顔を向ける。

 チャコたちの面倒を見てくれる、シスターのリズだ。

 小さなサングラス越しに、リズは微笑んでみせた。リズを見つめながら、チャコは顔を曇らせる。

 リズの眼は光彩を放っていない。生まれつき視力の弱い彼女は、眼がほとんど見えていないのだ。

 それでもリズは、迷うことなくハイのもとへと歩んでいく。

 リズが歩くたびに、彼女の杖がコンコンと床を鳴らし、左ネコミミについた鈴が軽やかな音をたてた。

「うぅ……。ネコミミで壁……叩かない……。ちっちゃく……なりたくない……」

 両手で顔を覆い、ハイはネコミミを左右に振る。

「大丈夫、ちゃんとハイくんは大きくなるよ」

 そんなハイを安心させるように、リズはハイのネコミミをよしよしと撫でた。

「うぅ……ボク、大きくなれる……?」

「うん、私の弟だって、すっごくおっきいもん」

「町長さん……、おっきい……。うぅー!!」

 ネコミミをピンとたて、ハイは嬉しそうに声を上げる。そんな弟を見て、チャコは苦笑していた。

 リズの弟はここ、常若町の町長でもある。そんな彼は、身長が低いアメリカンショート種の中でも、スラリとした長身を誇っている人物なのだ。

「うー、おっきくなる……。おっきくなる!!」

 ハイは声を弾ませる。そんなハイを元気づけるかのように、美しい歌声が微かに聞こえてきた。

「またっ、あの歌……」

 ピンとチャコは歌にネコミミをたてる。

 バスケットから起き上がり、チャコは部屋の窓へと駆け寄っていた。

 桜のステンドグラスが施された窓を大きく開け放つ。少女の透き通る歌声が、春風に乗って部屋の中に心地よく響き渡っていく。

「サクラ・コノハの歌だっ!」

 チャコは、窓から身を乗り出していた。歌声にネコミミを傾けると、それに応えるように歌声が一際大きくなる。

 サクラ・コノハはこの島で活躍していた歌手の名前だ。聞こえてくる歌声は、チャコがファンだった彼女の声とそっくりなのだ。

 誰かが、ラジオを大音量で流しているのだろうか。そう思ったこともあるが、違う。

 サクラ・コノハと似た歌声の誰かが、歌を奏でている。

 涼やかなもう1つの歌声が、部屋の中に響き渡る。

 チャコは、歌声を発するリズへと顔を向けていた。

 胸に手をあて、リズは凛とした歌声を唇から発している。その歌声に合わせ、リズのネコミミについた鈴が軽やかに音を奏でていく。

 うっとりと、チャコはリズの歌声にネコミミを傾けていた。

 ケットシー。

 キャットイヤーウイルスに感染したものの中には、まれに特殊な能力を持つ人物たちが現れることがある。

 リズのネコミミについた鈴は、彼女がケットシーであることを現していた。

 リズの能力は絶対音感。その音感を駆使して、彼女は美しい歌をうたうことができるのだ。

 例えば、一度聴いた音楽を美しい歌声で諳んじることだって、リズには可能だ。少女の歌声を追いかけ、歌声の歌詞を繰り返してみせる。

 少女の声が小さくなれば、それを追いかけるリズの声も小さくなり、少女が大きな声を発すれば、それを追いかけるリズの声を大きくなる。

 2つの歌声は輪唱となって、塔の中に響き渡る。塔の鈴が、軽やかに鳴り響き、歌声を飾り付けていく。

 そんな2つの歌声に、チャコは心音を弾ませていた。

 トクンとチャコの心音が軽やかな音をたてる。その音がしたとたん、少女の歌声が途切れてしまった。

「あれ……?」

「また、聴こえなくなっちゃたね」

 しゅんとネコミミをたらすチャコに、リズが声をかける。顔をあげると、リズが背後に立ち、名残惜しそうに外を眺めていた。

 チャコはリズが見つめる方向へと、視線を向けた。

 窓外には、常若島の中心部である猫丘がそびえ立っている。丘の頂にはいくつもの桜の木が植えられ、風に梢を揺らしていた。

 丘の上には、灰猫を称えるために造園された円卓公園がある。

 この島にはキャットイヤーウイルスに感染した13人の子供たちが収容され、マブによる人体実験を受けていたという。

 その中の1人である灰猫のウイルスからワクチンと特効薬が作られ、人類は滅亡を免れたのだ。

 この部屋から円卓公園を眺めるたびに、チャコは悲しい気持ちになる。灰猫を除く12人の子供たちは、実験のすえ、命を落としたという。

 そして、その子供たちの遺伝子をベースにチャコたちチェンジリングは造られているのだ。

 円卓公園の桜が満開になれば、鎮魂祭が開かれる。

 鎮魂祭は、キャットイヤーウイルスで死んだ人々の魂を鎮魂するために、年に一度開かれる音楽祭だ。

 その始まりは、チャコたちチェンジリングの始祖である、13人の子供たちを慰霊するために開かれたものだったという。

 自分たちの起源である子供たちは、どんな思いを抱きながらその音楽を聴いていたのだろうか。

 とくんと、チャコの心音が悲しげに音を奏でる。

 その心音を慰めるように、再び円卓公園から少女の歌声が聞こえてきた。

「あっ……」

 チャコは、顔をあげる。少女の歌声は、優しくチャコのネコミミに響き渡っていく。

 

 泣かないで。泣かないで。

 あなたの大切な人は、あなたの涙を望まない。

 あなたの笑顔を望んでいる。


 歌声は、そんな歌詞をうたっていた。

 そんなチャコのネコミミに優しく触れる手があった。チャコは、顔をあげる。小さなサングラス越しに、リズが微笑みかけてくる。

「元気出さなきゃ。あなたはアメリカンショート種の中で、1番の姉さんなんだから。それに今日は、新しい兄弟たちが産まれる日なのよ」

「リズ姉っ」

 ぱっと顔を輝かせ、チャコはリズに微笑みかける。リズは笑みを深め、チャコの背中をぽんっと叩いた。

「ハイ!」

 後方へと振り向き、チャコはハイに声をかける。

「うぅー!!」

 ハイは大きな声を上げ、ぽよんとネコミミを立ち上げた。

 ハイは部屋の中央まで跳んでいき、床を大きく蹴る。部屋の中央がぱぁんと開き、塔の下まで続く螺旋状の滑り台が現れた。

「うぅー!!」

 天井から現れた鮮やかな紐をハイが引っ張る。天井に吊るされた鐘が軽やかな音を起てた。その音に合わせ、階下から慌ただしい足音が聞こえてくる。

「うぅー!!」

 ハイは叫びながら部屋の隅にある階段へと駆け上っていく。階段の先には四角い穴が穿たれており、たくさんの服が壁にかけられていた。

 チャコとハイの衣装部屋だ。

 衣装部屋の奥には窓が設けられ、その窓の横に左右対称に洗面台と壁に埋め込まれた姿見が設置されている。壁の右側にはハイの服、左側にはチャコの服がそれぞれ掛けられているのだ。

「ほら、チャコちゃんも。ハイくんとあなたには大切な役割があるんだから」

「うんっ」

 背中をぽんっと押され、チャコは大きく頷く。チャコは急いで階段を駆け上がり、ハイを追って衣装部屋へと乗り込んでいく。

「うぅ……姉ちゃん遅い……」

 ハイは、すでに若草色の制服に身を包んでいた。

「もー、分かってるって」

 着ていたネグリジェを側のバスケットに放り込み、チャコは壁にかかった制服に手をかける。奥にある自分の洗面台で顔を洗うと、チャコは手早く髪に水をつけ、茶トラ柄のコップに刺さっていた櫛で髪をとかし始めた。

 制服に袖を通し、チャコはハイを呼ぶ。

「ハイ、おいで!」

「うぅー」

 チャコの呼びかけに、ハイが駆け寄ってくる。ハイの手には、毛先の細かいネコミミ専用ブラシが握られている。髪をツインテールに手早く結わえ、チャコはハイからネコミミ用ブラシを受け取った。

「ていうか、ハイ。また顔洗ってないでしょ?」

「うぅ、水嫌い。お風呂嫌い……」

「洗面台は、お風呂じゃないから……」

 チャコの言葉に、ハイは眉間に皺を寄せる。彼は嫌そうな目つきで洗面台に顔を向けた。

 チャコがさきほどまで使っていた洗面台には、たっぷりと水が張ってある。

「うぅ、水がたっぷり張ってある。その時点でお風呂……。ボク、お風呂嫌い……。だから、入らない。顔洗わ……」

 チャコは容赦なく、ハイの頭を洗面台に突っ込んだ。

「ぶぐぅ! うぶぅ!」

 暴れるハイを押さえつけ、チャコは櫛とブラシを使って乱れたハイのネコミミと髪を整えていく。

「うぅ、うぅ……」

「はい、洗顔終了! いくよ、ハイ!!」

 今にも泣きそうなハイにタオルを投げつけ、チャコは彼の手を引っ張る。

「鬼……。姉ちゃんはイエネコじゃなくて、冷徹な雌ヒョウなんだ……」

「ハイのチビネコ。お風呂がその年で嫌いなんてさ、本当に私と同い年? ちっちゃいし、チビだし! チビハイだし!!」

「うぅー!!」

 怒り狂ったハイが、ネコミミを振り回しチャコに襲いかかる。

「ほーら、チビネコー。ここまでおいてー!!」

 チャコはハイの攻撃を巧みに躱し、階段へと走っていった。

「うぅー!!」

「きゃははは! ぜんぜん届かないし、ハイなんか怖くないもんねー!」

 ぶんぶんとネコミミを振り回しながら、ハイはチャコを追う。チャコは笑いながら階段を駆け下り、部屋の中央に空いた穴へと飛び込んでいった。

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