Seven Cats 時計≒心音

Seven Cats 時計≒心音





 硝子のポットにお湯を淹れると、紅茶の葉が踊りだす。ソウタは困惑した面持ちで、茶葉が舞うポットを眺めていた。

 水の流れる音がネコミミに届き、ソウタはネコミミを忙しなく動かしていた。

 水音は、ハルがシャワーを浴びている音だ。

 カウンターキッチンに立つソウタは、背後を見つめた。視線の先には、バスムームへと続くドアがある。

シャワーの流れる音は、ドアの向こうから聞こえてきていた。

 バルスームで、今まさに、ハルがシャワーを浴びているところなのだ。

 心臓が騒がしい。ハルを抱きしめた感触を、思い出してしまう。

 柔らかく、桜の香りを漂わせていたハルの体。瑞々しい彼女の肌は、ほんのりと桜色に染まり、花開いたように可憐だった。

 どうしてハルを、家に誘ってしまったのだろう。今更ながらに後悔して、ソウタはバスルームに続くドアから、視線を離すことができなかった。

 ドアが開く。

 ソウタは、ぶわりとネコミミの毛を逆立てていた。ドアが静かに閉じられ、ハルの足音がネコミミに響く。

 ふんわりと石鹸の香りが鼻腔に広がり、ソウタはやって来たハルを見つめた。

 ハルは、白いワンピースを纏っていた。

 控えめなレースが愛らしい、姫袖のワンピースだ。薄紅色のリボンが胸元を飾り、白いハルの体によく映えている。

 ハルが歩くたびに、レースで飾られたスカートが優雅に翻る。裾から覗く華奢な足に、瞳がいってしまう。

 ハルが微笑む。頬を桜色に染めて、彼女はスカートの裾をつかみ、頭をさげてきた。ぺこりと、ハルのネコミミも一緒になってたれさがる。

 ソウタの心臓が、高鳴る。

 ミミコのお古であるワンピース。ハルに似合うと思っていたが、想像以上だ。

「どうしたの、ソウタくん?」

 ハルが、ネコミミを困ったようにさげてくる。呼びかけられ、ソウタは我に返った。

「いや、なんでもない……」

 ハルに見惚れていた。その事実を悟られまいと、ソウタは彼女から視線を放す。

 片耳だけネコミミをあげて、ちらりとハルを盗み見る。

 ワンピースが気に入ったのだろう。彼女はぴょこぴょことネコミミを動かしながら、ワンピースの裾を弄んでいた。

 彼女は顔をあげ、カウンターを見つめてくる。

 ハルは、卓上に置かれたポットに顔を向けた。ポットを見て、ハルは瞳を輝かせる。

 ハルがカウンターへと駆け寄ってきた。ポットを覗き込み、彼女はそこから漂う香りにうっとりと瞳を細める。

「これ、さっき飲んだフレーバーティー?」

「そうだよ」

 ハルに微笑えみ、ソウタは答えてみせる。

 ソウタは、視線をポットに戻す。ポットの中では、茶葉がゆっくりと浮き沈みを始めていた。ハルは瞳を丸くして、動く茶葉を見つめる。

「何だろう、葉っぱが動いてる?」

「ジャンピングって言うんだ。熱いお湯を入れると紅茶の葉が開いて、ポットの中で動くんだよ」

「へぇ」

 ハルは感心したようにネコミミを動かす。ふんわりと、ハルの髪から香りが漂ってくる。紅茶と同じ、桜の香り。

 心臓がまた、大きな音をたててしまう。

 案の定、ハルがネコミミをソウタの方へと向けてくる。びくりと、ソウタは緊張にネコミミを震わせた。

「時計の音?」

 ひょいっと、ハルのネコミミが前方へと向けられる。助かったと、ソウタは安堵にネコミミをたらしていた。

 店内には、ゆったりとした時計の音が鳴り響いている。

 時計の音にネコミミを傾け、ソウタは店のすみにある柱時計に視線をやった。時計は振り子をゆらしながら、単調な音を店に響かせている。

 ソウタが毎朝、ゼンマイを廻している柱時計だ。

 この時計はユウタが子供の頃には、すでにあったという。どのくらい前につくられたのか、わからないくらい古いものらしい。

「心臓の音……」

 ハルの視線が時計へと注がれる。彼女はうっとりと呟いた。

 時計の音に誘われるように、ハルはカウンターをでていく。

「ハルっ」

 声をかけると、ハルは立ちとまった。くるりと舞うように体を動かし、彼女はソウタに振り返る。

 ハルの唇に、微笑が刻まれる。ソウタは思わず、心臓を高鳴らせていた。

 彼女はワンピースの裾を両手でつかむ。頭をさげ、恭しくハルはソウタにお辞儀をした。

 明り取りの窓から夕陽が差し込み、ハルを照らす。

 夕陽に照らされ、ハルの纏うワンピースは淡いオレンジ色に輝いていた。

 ハルの唇が、歌を紡ぐ。

 夕陽に照らされ歌うハル。その姿は、さながら舞台にいる歌姫のようだ。窓から差し込む夕陽は、スポットライトのようにハルの姿を、淡く照らす。

 時計の音に合わせて、柔らかな歌声が店内に響く。

 ハルは目を瞑る。気持ちよさげに振り子の音に合わせ、ハルは首を小さく振った。

 ハルのネコミミも、上がったり下がったりを繰り返す。彼女の動作に合わせ、歌声も高低を繰り返した。

 春の陽光を題材に、彼女は歌う。

 柔らかな日差しの心地よさ。微睡みの気持ちよさを、ハルは穏やかな声で歌う。

 一定のリズムで刻まれる歌声。

 聴いていると、気持ちよくて眠たくなってくる。

 ソウタは椅子に座り、カウンターに頬を押しつけていた。

 頬に広がる木の感触が気持ちよく、ネコミミを伏せてしまう。くるくると、ソウタの喉が鳴る。

 閉じかけた視界に、ポットをとらえる。お湯はすっかり薄紅色の水色になり、茶葉がポットの中で舞っている。

 刹那、歌声が高くなった。

 ソウタはネコミミを反らし、がばりと体を起こしていた。

 ポットの茶葉が激しく動く。それに合わせ、歌声は高低を繰り返す。

 歌うハルに、目をやる。

 彼女は得意げに微笑んでみせる。綻んだハルの瞳は、カウンターのポットに向けられていた。ソウタは急いで、ポットへと視線を戻した。浮沈を繰り返す茶葉を一瞥し、ハルのネコミミへ視線を向ける。

 ハルのネコミミは、ジャンピングの浮沈に合わせてゆれていた。

 茶葉が開いていくかすかな音を、ハルは聴いているのだ。時計の振り子と、茶葉が開く音に合わせ、ハルは歌を奏でている。

 ハルの声が高くなる。ポットの茶葉がいっせいに舞う。

 ソウタは、ポットを覗き込む。

 茶葉はまるで桜吹雪のように、ポットの中を舞っていた。

ポット越しにハルを見つめると、桜吹雪の中で、ハルが歌っているようにみえる。

 鎮魂祭でも、ハルは桜吹雪の中で歌を奏でるのだろうか。そう思い、ソウタは瞳を綻ばせていた。

 歌に合わせ、ソウタの心臓が弾んだ音を発てる。その音を受けて、歌のテンポが早くなる。ソウタの心音がいっそう、高くなる。

 刹那、時計の音がとまった。

 見計らうように、ポットのジャンピングも収まっていく。歌が、やんでしまう。

 ソウタは、ハルへと視線をやった。彼女は瞳を大きく開け、ネコミミを反らしている。

「ハル?」

 ソウタが声をかけても、ハルは答えない。

 時計の音を確かめるように、ハルはなんどもネコミミを違う角度に動かしている。

 時計が完全にとまっていることに気がついたのだろう。彼女は弱々しくネコミミを伏せた。

 ハルが悲しげに瞳をゆがめる。とまった柱時計へと顔を向け、彼女はうつむいた。

 ハルに元気がない。先ほどまで、あんなに楽しげに歌をうたっていたのに。

 ソウタはカウンターを跳び越え、ハルのもとへと駆けよった。

「ごめん、ハル。俺、時計のゼンマイ巻忘れちゃって」

 うつむいたままのハルに、声をかける。

 今日は、朝寝坊をして時計のゼンマイを巻忘れてしまったのだ。もうしわけなくなって、ソウタは彼女に謝っていた。

 ハルは、なにも答えない。

「ハル」

 不安になったソウタは、彼女の顔を覗き込もうとした。

 瞬間、ハルがソウタの胸に飛び込んできた。衝撃に、ソウタは小さく声をもらす。

 ハルがぎゅっと、両腕を背中に回してくる。彼女のぬくもりが、体いっぱいに広がった。

「ハル……」

 桜の香りが、ハルの髪から漂ってくる。その香りに、ソウタの心臓は大きく高鳴っていた。ネコミミの毛が、ぶわりと膨らむ。緊張のあまり、ソウタの体は固まっていた。

 ハルのぬくもりに、体中が熱くなる。

「ごめん……しばらくこうさせて」

 ハルが胸元に顔を埋めてくる。彼女に抱きよせられ、ソウタはネコミミを大きく反らしていた。

 ハルの心音が聞こえる。彼女の音はか細く、とても弱々しかった。

 心音と呼応するように、ハルのネコミミは震えていた。彼女の鈴も怯えたように鳴っている。

 ハルは、なにかを恐がっているようだ。

 ソウタは彼女の背中に手を回していた。

 鈴の音がおさまる。ハルが驚いたように顔をあげ、ソウタを見あげてきた。

「大丈夫、大丈夫だよ……」

 ハルに微笑んでみせる。彼女を安心させようと、ソウタは優しくハルに声をかけた。

 ハルの瞳が煌く。瞳を綻ばせ、彼女はソウタの胸元にネコミミをおしつけた。

 ハルを安心させるように、ソウタの心臓は優しく音を奏でている。ハルは気持ちよさげに瞳を細め、言葉を紡いだ。

「聴こえる、ソウタくんの心臓の音……」

「うん」

「どうしてかな? ソウタくんの音を聴くと、そわそわするのに安心するの」

 ハルの言葉に、心音が高鳴る。

 ハルがさっと頬を薄紅色に染め、ソウタの胸元からネコミミを放した。

 だが、彼女はソウタから離れようとしなかった。

 ハルは潤んだ瞳で、じっと、ソウタの顔を覗き込んでいる。

 肌を通じてやってくるハルの心音も、早くなっている。

 お互いの心音を確かめ合いながら、ソウタとハルは顔を見合わせる。

「ただいまー!!」

 大声とともに、勢いよく玄関のドアが開け放たれた。

 ドアベルの音が店内に響く。ソウタとハルは、とっさに体を放していた。

「義姉さん……」

 心臓が激しい音をたてている。ソウタは玄関に立つミミコを睨みつけた。

「あれ、お邪魔だった?」

 ニンマリとミミコの顔に、邪悪な微笑みが広がる。

 買い物にいっていたミミコは、品物が入った紙袋を両手に持っていた。その紙袋を抱え直し、ミミコは店内へと足を踏み入れる。

 ソウタはミミコを睨んだ。ミミコは挑発するようにネコミミをゆらし、楽しげにソウタを見つめる。

 わざとだ。自分とハルの様子を観察し、お邪魔虫になる瞬間を狙っていたに違いない。

 怒りのこもった視線をソウタは義姉に送る。ソウタを気にすることなく、ミミコはのんきに鼻歌を歌いながらカウンターへと歩んでいった。

「ミミコさん?」

「まぁ、いつも話してる通りでしょ……」

ハルがミミコを目で追っている。ソウタは小声でハルに話しかけた。

 ハルにはいつもミミコの愚痴を聴いてもらっている。話している通りで、びっくりしているに違いない。

「ミミコさんっ」

「ハルっ」

 ハルは嬉しそうにネコミミをゆらし、ミミコのもとへと駆けていく。ソウタは思わず、ハルに声をかけていた。

 ハルは立ちとまり、ソウタに振り向く。ソウタは、とっさにネコミミを手招きするように動かしていた。

 ハルはムッと頬を膨らませ、不機嫌そうにソウタから顔を背けた。ソウタの無視して、ハルはミミコのもとへと走り寄っていく。

「あの、ミミコさんですか?」

 ミミコがカウンターに紙袋を置く。そんなミミコに、ハルがおずおずと声をかけた。

 ミミコは不思議そうにネコミミをゆらして、背後にいるハルへと振り向く。ハルは、びくりとネコミミを伏せた。

 不安げにネコミミをゆらし、ハルはじっとミミコを見つめる。そんなハルを見て、ミミコの顔に笑顔が咲き誇った。

「あなた、ハルちゃんでしょ?」

 ミミコが弾んだ声を発する。

 嬉しそうなミミコの言葉を聞いて、ハルは大きく瞳を見開いた。ハルの顔に笑顔が浮かぶ。ハルは嬉しそうに言葉を続けた。

「はい、ハルです。ハル・コノハ。いつも、ソウタくんにお世話になってます」

「私も、ハルちゃんに会えるの楽しみにしてたのよ。まさか、家に来るなんて……」

「ソウタ君が、私の話を……」

「ハルちゃんの話、すっごい楽しそうに話すのよ、あの子」

「私も、よくミミコさんの話をソウタ君から聴かせてもらってます。すごく、面白い義姉さんだって」

「へー、面白い、義姉ちゃんかぁー」

 ミミコがソウタに振り向く。ミミコは、優しい微笑みをソウタに浮かべていた。びくりと、ソウタはネコミミを反らす。

 この流れていくと、ミミコへの愚痴を、ハルが笑顔で報告しかねない。

 ミミコが笑みを深める。ソウタはとっさにミミコから視線を逸していた。

「まぁ、もういい時間だしオヤツにしよっか。美味しいお菓子買ってきたんだぁ。常若島銘菓、猫耳ケーキ。私の何がどう面白いのか聴かせてね、ハルちゃん」

「はい」

 ハルの嬉しげな声が、ネコミミに突き刺さる。たえ切れず、ソウタはネコミミを伏せていた。これ以上、2人の会話を聴きたくない。

 ミミコは満面の笑みを浮かべ、紙袋へと手を入れた。

 瞬間、ミミコが瞳を見開いた。ネコミミを反らし、ミミコは胸に手をあてる。

 ミミコは、くずおれるようにカウンターに手をついた。紙袋が倒れ、中に入っていたケーキが床に落ちてしまう。

 ミミコは荒い呼吸を繰り返しながら、床に座り込んでしまった。

「義姉さん!」

 ソウタは叫んでいた。

 発作が起こったのだ。キャットイヤーウイルスによって体を蝕まれているミミコは、突発的な発作に襲われることがある。

 ミミコが顔をあげ、弱々しい微笑みを浮かべてみせた。大丈夫だと、ソウタに言おうとしているように。ソウタはネコミミの毛を逆立てていた。

 ミミコの笑顔が苛立たしい。具合が悪いのに、ミミコはそれすらも隠そうとしている。

 ソウタはミミコに駆け寄る。ミミコを睨みつけると、ミミコはネコミミをたらし、苦笑を浮かべた。

 ソウタはミミコの背中に手を回した。ミミコを支えようとするが、彼女の体はバランスを崩し、床に倒れ込んでしまう。

「義姉さんっ」

 ソウタはミミコの体を抱き寄せる。体にまったく力が入っておらず、重みがそのままソウタへとのしかかってくる。

 ミミコの顔を、覗き込む。

 息が荒い。肌は青白くなり、頬には汗が浮かんでいた。ミミコの額に手を充てる。あまりの熱さに、ソウタは手を放してしまった。

「ハル、施設に――!」

 ソウタはハルに顔を向け、叫ぶ。

 ミミコを救うため、施設に連絡をとって欲しいと伝えようとしたのだ。

 だが、ハルを目にしたソウタは言葉を失った。

 瞳を見開き、ハルが倒れたミミコを凝視していたからだ。彼女は顔を引きつらせ、怯えた眼差しをミミコに送っていた。

「ハル?」

「いや……」

 ハルに声をかける。彼女は上擦った声をあげ、首を左右に振った。

 ハルはゆっくりと後退りする。まるで、何かに怯えるように。

「ハルっ」

「嫌っ!」

 ハルが叫ぶ。唖然と、ソウタは瞳を見開いた。

「嫌だ! 聴きたくない!! こんな音、聴きたくない!!」

彼女は、両手でネコミミを塞いでしまう。音を聴くことを、拒むかのように。

「ハル……」

 ハルを呼ぶ。その呼びかけに、ハルは苦しげに顔を歪めた。

 瞳に涙を浮かべ、ハルはじっとソウタを見つめる。ぎゅっと瞳を瞑り、ハルはソウタを振り切るように駆け出した。

「ハルっ!」

 ハルに叫ぶ。

 だが、ハルは立ちとまらなかった。彼女は夢中になって玄関のドアを開け、駆け去っていく。

「ハル……」

 ドアベルの音が、ソウタのネコミミに虚しく響く。

 ミミコが苦しげに声をあげる。ソウタは急いで、ミミコの顔を覗き込んだ。

 ミミコが、瞳を薄く開ける。

 彼女は弱々しく笑みを浮かべてみせた。まるで、ソウタを励まそうとするかのように。

 震えるミミコの手が、ソウタの頬にあてられる。

「義姉さん……」

 声が上擦ってしまう。ソウタは頬に寄せられた手を、しっかりとにぎりしめていた。

 ミミコの体から、弱々しい心音がかすかに聴こえてく。

その音は儚く小さい。

 ミミコの手を握りしめ、ソウタは嗚咽にたえることしかできなかった。


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