Six Cats 雨音
Six Cats 雨音
「喉、痛い……」
「大丈夫」
ハルはネコミミを伏せ、ぐったりとシートに座り込んでいた。そんな彼女を労わるように、ソウタは声をかける。
子供たちと、歌いすぎたせいだ。
みんなネコミミピアノが気に入ったのだろう。子供たちは、何度もピアノになって歌ってくれた。
「うん、平気」
「そうみたいだね」
ハルが顔をあげ、瞳を綻ばせる。ハルの笑顔を見て、ソウタも微笑んでいた。
「お茶、飲む?」
「うんっ」
ソウタの言葉に、ハルは弾んだ声をあげた。ソウタは笑みを深め、側に置いた魔法瓶を手にとった。
ソーサーからカップをとり、魔法瓶に入った紅茶をカップに注いでいく。
カップから湯気がたちのぼる。漂ってくる桜の香りに、ハルが気持ちよさげにネコミミを伏せた。
桜の花に思いを馳せているのだろうか。ハルは瞳を綻ばせ、灰猫の桜を仰ぎ見る。枝についた蕾を眺めながら、ハルは瞳を輝かせた。
「ハル」
ハルを呼ぶ。彼女は、はっと、ソウタに視線を戻した。ソウタは軽く笑い、ハルにカップをさしだす。ハルは両手で包み込むように、カップを受けとった。
薄紅色の水色を眺めながら、彼女は静かに続ける。
「楽しかったな、ネコミミピアノ。みんなで歌うのが、こんなに楽しいなんて思わなかった」
「俺、楽譜役は嫌だな。何か仲間はずれにされた気がして、ちょっと寂しくなるっていうか」
「でも、ソウタくんの心音が1番、演奏しやすいの」
「え、そうなの……」
「そうなのっ」
ハルの言葉に驚いたソウタは、ネコミミをぴっくと動かしていた。ハルが自分に好意を持っているような物言いが、妙に気になってしまう。
ソウタの言葉が気に入らなかったのか、ハルは不機嫌そうにネコミミを逆立てる。
ハルを怒らせてしまった。ソウタはしゅんとネコミミをたらした。そんなソウタを見て、ハルは苦笑する。ハルは優しい声で、ソウタに言った。
「どうしてかな、ソウタくんじゃないと、駄目なんだ。でも、たくさん心臓の音が聞こえたのに、ちゃんと歌えた。みんなの音、優しかったな」
みんなの心音を、思い出しているのだろう。ハルは瞳を閉じ、気持ちよさそうにネコミミをゆらしていた。
そんなハルを見て、ソウタはみんなの笑顔を思いだす。
子供たちは、ケットシーである自分たちに、優しく接してくれた。
ケットシーであることについて、普段どんな生活をしているのか質問攻めにされたぐらいだ。
「みんな、優しかったよね。」
「チャコちゃんが、言ってくれたんだ。ケットシーであることを気にしていたら、クローンの私たちはどうなっちゃうのって。別に違っても、誰にも迷惑かけてないよねって。なんだか、嬉しかったな。そんなこと言われたの、初めてだもん」
「うん、俺もハイに突っ込まれた。うらやましいぐらい大きいのに、小さいことしか見てないって」
「何か悩んでたの、バカバカしい……。私たちもっと、自由にならなくちゃ」
「でも、みんな、受け入れてくれるとは限らないよ……」
ソウタはネコミミをたらし、声のトーンをさげた。瞳を輝かせるハルを見て、暗い気持ちを抱いてしまう。
今まで受けてきた数々の差別が、ソウタの脳裏を横切っていく。
真っ赤になったポストに、ミミコを罵ったクラスメイトの言葉。鎮魂祭に出るなと脅され、怯えていたハルの姿が脳裏に浮かんでは消えていくのだ。
チャコやハイのように、自分たちを受けいれてくれる人はいる。だが、ケットシーが差別される存在であることに変わりはない。
ハルが瞳を曇らせる。彼女は困ったように、手に持ったカップへと視線を落とした。
「ねえ、ソウタくん。この紅茶、桜の香りがする。すごく、いい香り」
突然、ハルが言葉をかけてきた。驚いてソウタは彼女を見る。ハルは瞳を綻ばせ、カップの紅茶を眺めていた。
薄紅色の水色をした紅茶からは、桜の香りが漂ってくる。
彼女はソウタに顔を向け、笑みを浮かべてくれる。桜が咲いたかのような笑みに、ソウタは心臓を高鳴らせていた。 ネコミミを伏せ、ソウタはハルに笑ってみせる。
沈んでいるソウタを見て、ハルは話題を変えてくれたのだ。彼女なりの慰め方なのだろう。ハルの控えめな好意が嬉しかった。
「この紅茶、みんなで飲んだらもっと美味しかっただろうね。チャコちゃんなんて、すごく大はしゃぎしそう」
ハルの言葉をきいたとたん、ソウタは瞳を見開いていた。
とくりと、心臓が鳴る。
無性に悲しい気持ちになって、ソウタはネコミミを伏せていた。
みんなに囲まれて、ハルは楽しそうに歌を奏でていた。それを遠くで見つめていた自分には、気づきもしないで。
これからは、チャコやハイも一緒になって、ハルと歌うのだろう。
ハルが、それを望むだろうから。
ハルの側にいたのは自分だ。ハルはそのことに気づきもしないで、自分から離れていこうとしている。
「どうしたの?」
声をかけられ、ソウタは我に返る。
ハルを見ると、彼女は心配そうに瞳をゆらしていた。そっと、ソウタの頬に手をあて、ハルは顔を覗き込んでくる。
罪悪感に、心臓が不穏な音をたてはじめる。
なぜ、ハルに友達ができたことを自分は喜べないのだろう。
ハルは、独りでいい。側には自分だけがいればいいのだ。そう、思ってしまったことが恥ずかしい。
話を逸らしたい一心で、ソウタは口を開いていた。
「いや、俺もチェンジリングだから、みんなと気があったのかなって……」
「うそ、ソウタくんもチェンジリング?」
「もしかして、ハルも?」
ハルが瞳を煌めかせる。ソウタは唖然として、そんな彼女を見つめていた。
ハルは嬉しそうに声を弾ませ、会話を続ける。
「うんっ。私って、ネコミミじゃなくて変形した頭蓋骨で、普通の人がわからない音も拾ってるんだって。お義母さん、もそうだったの。血の繋がりがないのに不思議だって、研究者の方が言ってた」
ハルが嬉しそうに瞳を綻ばせ、持っていたカップをソーサに置いた。彼女は、あいた両手を、首の後ろへと持っていく。
「見て。番号、あるでしょ?」
ハルが髪を掻きあげ、首後ろを指さす。12―02と、首後ろには刺青が施されていた。
刺青は、チェンジリング全員に施されているものだ。
13人の子供達のうち誰の遺伝子をもとに造られたのか、ハイフン前の1から13までの番号でわかるようになっている。ハイフン後の数字は、どのような遺伝子操作が施されたのかを判別するためのものだ。
「白猫と、同じ番号……」
ソウタは、じっとハルの刺青を見つめていた。
義母のサツキが教えてくれたことがある。
刺青の前方にある番号は、子供たちが島にやって来た順番に対応しているらしい。
灰猫の恋人である白猫は、12番目に島にやってきた子供だ。そして、ハルの刺青の番号も白猫が常若島に来た順番と同じ12番。
初めてハルと出会ったとき、ソウタは彼女を白猫のようだと思った。
思い込みではなかったのだ。ハルは、白猫から造られたクローンだったのだから。
心臓が、とくりと鳴る。
ソウタはハルの刺青に手をのばした。
ためらって、一瞬だけ手をとめる。それでもソウタは意を決し、指を刺青へとのばした。震える指先が、12の数字にふれる。くすぐったそうに、ハルがネコミミをゆらした。
瞳を歪め、ソウタは刺青を見つめる。
島に12番目にやって来て、最後に逝ってしまった白猫。彼女たちを追悼するために円卓公園は作られ、12本の桜が植えられた。
灰猫の桜は最後に植えられたもので、他の桜より1回り小さい。
仲間が亡くなったあとも、灰猫は独りで生きなければならなかった。彼はどんな気持ちで、この公園の桜を見あげていたのだろうか。
ソウタの心臓が高鳴る。悲しい気持ちがこみあげてくる。
ソウタは、灰猫がどんな少年であったのか知らない。それなのに、彼のことを考えると辛い気持ちになる。自分が灰猫の気持ちを知っているようで、気味が悪くなるのだ。
「ソウタくんの、番号は?」
ハルが、楽しげに声をかけてくれる。
ソウタは顔をあげた。ハルが嬉しそうに瞳を向けてくる。
「ごめん、あんまり見せたくないんだ……」
暗い声で、ソウタは答える。
ソウタは首後ろの刺青に手を充てていた。悲しげに瞳をゆらし、ハルを見つめる。
ハルは困ったように瞳を曇らせ、ソウタから視線を逸らした。
彼女は、そっと前を向く。会話が途切れてしまう。
ハルを見つめるが、彼女は前を向いたままだ。気まずくなって、ソウタはネコミミをたらしていた。
ソウタの首後ろには、13の刺青が施されている。
灰猫はこの島に13番目にやって来た子供だ。13という数字は、ソウタが彼のクローンであることを示している。
―――お前が初恋の人と似てるから、引きとったんだ。
サツキが、そう語ってくれたことがある。その人が灰猫に似て、孤独だったということも。
サツキは灰猫の話をするとき、たまに初恋の人のことを、懐かしげに話した。
その話を思いだすたび、ソウタはサツキを疑ってしまう。サツキは、その人の身代わりとして、自分を引きとったのではないのかと。
「私ね、お義姉さんがいたんだって」
不意に、ハルが口を開いた。
「でも、生まれてすぐに死んじゃった。その代わりが、私」
ハルが顔を向けてくれる。ハルの瞳を見て、ソウタはネコミミの毛を膨らませていた。
初めて会ったころと同じ、悲しげな瞳をハルはしていた。その瞳をソウタに向けながら、彼女は続ける。
「私、お義母さんに認められたくて歌いたいのかもしれない。変だよね。お義母さんはもう、どこにもいないのに……。 お義姉さんじゃなく、私を見て欲しいだなんて……」
心臓が高鳴る。
ソウタを慰めるように、ハルは瞳を綻ばせてくれる。悲しげな瞳を見て、ソウタの心臓は大きな音を奏でていた。
唇が震えてしまう。それでも声を振りしぼり、ソウタは言葉を発していた。
「ハルは、代わりなんかじゃない……」
「ソウタ、くん?」
「ハルのお義母さんにとっては、そうかもしれないけど、俺にとってハルは――」
自分にとって、ハルはなんだろう。それがわからくて、ソウタは黙ってしまう。
自分と同じケットシーである、ハル。大切な母親を亡くしている、ハル。
ハルと自分は、同じ存在だと思っていた。
同じ境遇で、同じ悲しみを共有している、存在。
だから、彼女が気になるのだと思っていた。
けれど、何かが違う。ハルの笑顔を見ていて、心臓が熱くなるのはなぜだろう。わからなくなって、ソウタはハルを見つめる。
「ソウタ、くん?」
ハルは困ったようにネコミミを伏せ、自分を見てくる。
彼女の瞳に、魅入ってしまう。
ハルに見つめられると、ソウタはいつも落ち着かなくなるのだ。
ソウタは、ハルを見つめることしかできない。視線を逸らすことなく、ハルはソウタを見つめ返してくれる。
ハルと、見つめ合っている。
ソウタの心臓は熱を持ち、いっそう激しい音をたてていた。
ハルがネコミミをソウタに向けた。ソウタの心臓が、緊張に高鳴る。
ハルがネコミミの鈴を鳴らす。彼女はネコミミを、ひゅっとたて、空を仰いだ。
輝く瞳を空に向け、ハルは立ちあがる。彼女の思わぬ行動に、ソウタは声をあげていた。
「ハル?」
「雨の音が、する……」
静かに彼女は答える。ハルは瞳を綻ばせ、ソウタを見つめた。
ソウタは上空へと視線を移す。
夕陽に染まり始めた空。こちらへと流れてくる細い雲が、縁を薄紅色に染めている。
空を見あげるソウタの鼻腔に、水の香りが広がった。
雲が、頭上を覆う。湿り気が、肌を包む。
瞬間、雨音が地上に落ちてきた。
「命の音……」
うっとりと、ハルが呟く。
ハルは雨を夢中になって見つめていた。雨の中へと、彼女は駆けていく。
「ハルっ」
ハルに叫ぶ。ソウタはとっさにハルを追いかけていた。
前方のハルが、ネコミミを動かす。ネコミミに弾かれた雨が、銀の雫となって宙に舞う。ハルが、ソウタに振り向く。
彼女はすっと唇に笑みを浮かべ、ソウタを見つめる。
とくりと、ソウタの心臓が高鳴った。
ハルが瞳を細める。
前方を向いて、彼女は空を仰いだ。唇を開き、ハルは歌を紡ぐ。
雨音と、足音と。
肌を弾く、水音と。
灰猫の桜をクルクルと走り回る彼女は、雨を祝福する歌を奏でる。
ハルの足は早く、追いかけるソウタの心音は激しくなっていった。
ハルがソウタをふりかえり、瞳を綻ばせる。
歌はソウタの心音に合わせ、だんだんとテンポを早めていく。
気がつくと、ソウタは笑っていた。
ソウタはネコミミをたて、ハルの歌に聴き入る。笑い声が、自然と口から漏れてくる。
ハルの背中が遠くなる。走るスピードを上げたのだ。
「あっ」
ソウタは声をあげていた。
小さくなっていくハルの背中に、見覚えがあった。
こうやって、ハルを追いかけたことがあるような気がする。
ずっと昔、どこかで――
ソウタは彼女の背中に手をのばしていた。ハルの銀髪に手がとどきそうになるが、手は、宙をつかむ。
自分と同じ、想いを共有する少女。
けれど、彼女が遠くに行ってしまう気がして、恐くなることがある。
目を離せば、ハルはどこかに行ってしまう。
そう思ったとたん、ソウタはハルに追いつていた。勢いに任せ、ソウタは彼女を抱きしめる。
「きゃっ」
ハルが悲鳴をあげる。そのまま、2人は横向きに倒れこんだ。
ソウタはハルを胸元に抱き寄せる。ハルをしっかりと抱きとめ、転倒の衝撃から守った。
体が仰向けに地面に倒れ、背中に激痛が走る。
視界が、夕空をとらえた。ソウタは視界のすみに、雨雲があることに気がつく。
雨雲は、本島のある西方へと過ぎ去っていくところだった。
「雨、やんじゃったね」
腕の中のハルが、呟いた。
抱きしめている彼女の体は柔らかい。肌はしっとりと濡れて、あたたかかった。
肌を通じて、彼女の心音が伝わってくる。ハルの、生きている音が。
とくとくと心地よくネコミミに響く音に、ソウタは聴き入っていた。
ハルの銀髪から桜の香りが漂ってきて、ソウタは心臓を高鳴らせる。彼女の香りに、酔ってしまいそうだ。
「びしょびしょだね、私たち」
ハルが、弾んだ声で言った。その言葉にぞわりと、心臓が騒めく。
「ごめんっ!」
急いで体を起こし、ソウタは彼女を抱き起こした。
自分は、ハルになんてことをしてしまったのだろう。急に抱きつくだなんて、どうかしている。
くすりとハルが微笑む。
濡れて透けた服越しに、ハルの白い肌が見えた。
雪のように柔らかく、雨で光を帯びた肌が、濡れた布の向こう側にある。
心臓が高鳴る。
ソウタは、ハルの顔から視線を逸していた。
ハルの銀髪が視界を掠め、髪先についた雫に瞳が目に入る。雫はハルの首筋を流れ、すっきりとした鎖骨へと溜まっていく。
「寒い」
ハルが自身を抱きしめ、体を震わせる。さぁと彼女の肌が桜色に染まった。
ざわりと、心臓が音をたてる。
体中の血が熱くたぎって、ソウタはハルを見ることができなかった。熱くなった血は、ソウタの頬を紅潮させる。
だが、寒がっているハルを、このままにはしておけない。ソウタはやっとの思いで、上擦った言葉を発していた。
「よかったら、家来る? 着替え、あるから……」
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