sixteen Cats 想い、友達、姉弟
桜の香りがして、チャコはふわりと顔をあげる。自分の目の前になるティーカップから甘い桜の香りがする。
真っ白なレースに包まれたテーブルの向こう側には、たくさんの時計が床に散らばっている。まるでお伽噺に出てきそうな天蓋ベッドの支柱にも、無数の懐中時計が括りつけられていた。
「気持ち悪いでしょ……。私の部屋……」
可憐な声が聞こえて、椅子に座るチャコは後方にいるハルへと顔を向けていた。ハルはチャコに背を向け窓の外を見つめるばかりだ。
「そんなこと、ないよっ」
立ち上がり、チャコは思わず声をあげていた。ハルが驚いたようにチャコに顔を向ける。彼女のネコミミについた鈴がりんと可憐な音をたてた。
「ごめんね。急に、押しかけちゃって……」
「私こそ、こんな部屋に通しちゃってごめん……」
スカートを靡かせ、ハルがチャコへと向き直る。ハルは悲しげに眼を煌めかせ、チャコを見つめてきた。
「でも、チャコちゃんには私の弱さを見てもらいたかったの……」
笑うハルの胸には色紙が握り締められている。数日前、ソウタとハルが公園にやってこないことを心配してみんなで書いたものだ。ハイと一緒に、ハルに渡そうと思って。
でも結局、独りきりで私に来る事になってしまった。
「チャコちゃんが来てくれたから」
笑みを深め、ハルは可憐な声で言葉を続ける。彼女を見ていることが出来なくて、チャコはハルから顔を逸らしていた。
「ごめん。謝んなきゃないけないの、私のほうだ……」
すっと目頭が熱くなる。込み上げてくるものをたえながら、チャコはハルに向き直った。じんわりと視界が揺れて、目の前のハルがゆがんで見える。
「私……独りになりたくなくてここに来たの……。寂しくて、ハルちゃんだったら一緒にいてくれると思ってここに来ただけなの……。ハルちゃんのことなんて、本当はどうでもいいの……」
「チャコ……ちゃん」
「ハイにね、言われたの。ボクを苦しめないで、チャコなんてもういらないって……」
頬が涙を伝っていく。ぎゅっと自分自身の体を抱きしめ、チャコは涙に濡れた声で言葉を続けていた。
「ずっと、ずっと一緒だったに……いらないって急に言ったの……。私の何が悪かったのかな? なんで……ハイは、なんにも言ってくれないのかな……」
「チャコちゃん……」
ハルの悲しげな声がする。涙を堪えられなくなって、チャコは顔を俯かせていた。
不意に温かな感触が自分を包み込んで、チャコは顔をあげていた。自分よりも少し背の高いハルのネコミミが目の前にある。そのネコミミが悲しげにしおたれている。
「ハルちゃん……」
「私と……同じなんだと思う……ハイくん」
伏せられたハルの眼が、悲しげに桜色の光彩を帯びる。そっとチャコの顔を覗き込み、ハルは言葉を続けていた。
「言いたくても、言えないの……。私もソウタくんに自分の気持ち、ずっと話せなかったから……。ソウタくんから逃げてばっかりだったから。だから、ハイくんは恐いんだと思う。チャコちゃんに本当の気持ちを知られるのが……恐くて、仕方ないの……」
ハルの目尻に光が宿る。それが涙だとわかり、チャコはネコミミを立ち上げていた。それでもハルは眼を細めチャコに笑ってみせる。
「でもね、私は恐いけどチャコちゃんのお陰で、また歌ってみようって思えたんだ。ソウタくんのために……」
微笑む彼女の眼には強い光が宿っている。ただチャコはその眼を見つめることしかできない。
自分よりも強いハルの決意を、その眼の中に見た気がしたから。
「私、もう逃げちゃいけないんだ……。だから、ソウタくんのために歌うの」
ハルの言葉がネコミミに突き刺さる。
「ハルちゃんは……強いね。私と違う……。ちゃんと前に進める子なんだ」
「チャコちゃん?」
「学園に一緒に行こうって会ったとき言ったけど、あれ嘘なんだ」
「えっ?」
「私をね、引き取ってくれる人が出来たの。その人に付いてって、私はこの箱庭から出て行くの。2度と戻ってこないと思う」
自分をいらないといったハイの泣き顔を思い出す。泣き続けるハイに背を向け、チャコはその場から走り去っていった。
ハイから、逃げ出した。
「だから、ハイともお別れ。もう、会えないよ……」
自分をいらないといったハイの気持ちが今ならよくわかる。だって、自分は気持ちをハイに伝えず、その場を逃げ出したのだ。
そんな姉弟なんて、ハイはいらないに決まっている。
あぁ、だから私はハイに捨てられたんだとチャコは自嘲を顔に浮かべていた。
「チャコちゃんはそれでいいの?」
「えっ?」
凛としたハルの声にチャコは声をあげる。じっとハルが真摯な眼をチャコに向けていた。
「チャコちゃんがそれで楽になるなら、私は何も言わない。でも――」
りんと彼女のネコミミについた鈴が苛立った音をたてる。
「それで1番傷つくのは、チャコちゃんだよ」
カラカラと海風に鳴る墓標がうるさい。
「うぅ……」
不機嫌な気持ちが収まらず、ハイは唸っていた。鯖トラ柄のネコミミを逆立てたハイは、じいっと三白眼で周囲の墓標を眺めている。
さきほどまで、ハイはここでソウタと会話を交わしていた。ソウタとハルが円卓公園にやってこないことを、ハイは気にしていたのだ。
雨の中、2人を探していたチャコの姿を思い出してしまう。
「うぅ!」
胸の中のもやっとした気持ちがまた大きくなって、ハイは目の前にあった小石を蹴っていた。蹴飛ばされた小石は、ハイの前にある墓標にこつりとあたる。
「あっ……」
我に返って、ハイはしゅんとネコミミをたらしていた。
――ボクにはソウタが死んだママに甘えて、そこに逃げているようにしかみえない……。
自分がソウタにかけた言葉を思い出し、ハイはしゅんとネコミミをたらす。
この墓標は、死んだソウタの母親のものだという。ソウタはまるで生きている人間に語りかけるように、この墓標に向かって言葉をかけていたのだ。
自分の弱音を吐露する言葉を。
ソウタとハルの間になにかあったらしいことを、ハイはその言葉から知ることができた。だが、同時に死者に甘えているとしか思えないソウタの態度に酷い苛立ちを覚えたのだ。
どうして彼は死んだ者ではなく、生きたハルと会話を交わさないのだろう。
どうして、ハルと向き合わないのだろう。
でも、それは――
「ソウタは、ボクだったんだ……」
ぽつりと、ハイは心の内を呟いていた。
ハイはソウタに自分自身を重ねていたのだ。
チャコと向き合うことなく、彼女から逃げ続ける自分を――
「でも、ボクは姉ちゃんと向き合っちゃいけないの……。姉ちゃんを傷つけるから……」
胸に抱いていた灰猫のぬいぐるみを抱きしめ、ハイは俯く。酷い海鳴りがネコミミに鳴り響き、ハイは後方へと体を向けていた。
崖の果てには海が広がり、黒々とした壁がそびえ立っている。その壁が異様に大きく見えて、ハイはびくりとネコミミを震わせていた。
「あの壁があるから、ボクは逃げちゃいけないの……」
眼を伏せ、ハイはぬいぐるみを抱きしめる。か細い呟きは、壁が放つ海鳴りにかき消されていく。
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