fifteen Cats 葬儀≒決別

 円卓公園の桜は、相変わらず蕾のままだった。

 雨に濡れた桜の梢を見上げながら、チャコはふぅっと息を吐く。寒くなった公園に、白いチャコの息が舞った。

「桜、咲かないな……」

 ふっと眼を伏せ、チャコは呟く。悲しげなチャコの声は、冷たい空気に溶けていく。

 ハルの歌声が聞こえなくなってから、どのくらいの日数が経っただろうか。ハルに何があったのか、チャコは知らない。

 ただ、出会った翌日からハルの歌声がぴたりと止んでしまった。

 ソウタもハルも、円卓公園に来る気配さえない。

 1度、猫妖精の森にソウタを尋ねに行ったが、そっとしておいて欲しいと彼の義姉に言われそれきりだ。

「約束……したのに」

 チャコの呟きは、傘を弾く雨音にかき消されていく。

 ぴかっと空が光って、チャコはネコミミを立ち上げていた。空を仰ぐと、曇り空を照らす白い閃光が明滅している。

 ウィルオーウィルプスだ。最近、妙に多い。

 吉兆の証なのに、チャコにはその美しい光が禍々しく思えた。

 リズの容態が、急激に悪化しているのだ。

 ウィルオーウィルプスを目撃する頻度が多くなるほどに、彼女の具合は悪くなっている気がする。

 ただの自然現象にそんな力はない。

 でも――

 ――ごめんね。でも、教えちゃいけないの。それが、あなたたちを守るためだから……

 本当のことを話せないと語ったリズの姿が頭から離れない。

 微笑リズは、今にも消えてしまいそうで、悲しげで。

 チャコは何も訊くことができなかった。

「何が、起こってるの?」

 輝く空を眼に映し、チャコは呟く。呟きはかき消されて、ただ雨音だけがチャコのネコミミに轟くのだ。

 

 ぴぃんぴぃん。


 まるで不安なチャコを慰めるように、雨音は優しくネコミミに響き渡る。

「姉ちゃん!」

 そのときだ。ネコミミをつんざくような叫び声があがったのは。びっくりして、チャコは声のした公園の入口へと体を向けていた。

 対になった猫の像の中心に、ハイが立っている。傘を差さない彼はずぶ濡れで、荒い息を吐きながらチャコを見つめている。

「ハイっ、どうしたの?」

「姉ちゃんっ!」

 驚きのあまり、チャコは叫んでいた。泣きじゃくった声をあげながら、ハイがチャコへと駆け寄ってくる。

 そのまま彼は、唖然とするチャコの胸に飛び込んできた。ぼんっとチャコは押し倒され、その反動で傘を取り落としてしまう。

「痛っ!」

 尻餅をついて、チャコは思わず顔を歪めていた。そんな自分の胸にハイは顔をうずめてくる。

「嫌だ……。嫌だよぉ……。姉ちゃん……姉ちゃん……」

 チャコのネコミミにハイの泣き声が木霊する。チャコはぎょっと眼を見開いて、ハイを見下ろしていた。

「どうしての、ハイっ!」

「リズ姉が……ボクのせいで、リズ姉が……」

 顔をあげ、涙に濡れた眼をハイはチャコに向けてくる。鼻を啜りながらハイは、言葉を続けた。

「リズ姉が死んじゃった……」

「えっ……」

 チャコのネコミミに、ハイの言葉が虚しく響く。轟音がして、チャコは空を仰いでいた。

 雨を落としてくる暗い空が、眩く輝いている。

 雨音が妙にうるさくて、チャコはネコミミを塞いでいた。


 



 上を見つめると、黒い暗幕が丸天井を覆っていた。

 ネコミミに聴こえるのは、悲しい鎮魂歌だけだ。そっとチャコは眼を伏せ、周囲を見つめる。

 暗幕が貼られ一面黒に覆われた大聖堂が、チャコの視界に飛び込んできた。聖堂の中央にある石棺の横には、柩が置かれている。

 その柩の周りを黒衣を身に纏ったシスターたちが巡っていた。黒百合の花を持ったシスターたちが歩むたび、ヴェールに包まれた彼女たちの横顔がチャコの視界を通り過ぎていく。

 眼を伏せた彼女たちは、ただ一心に手に持った黒百合だけを見つめていた。ふっと開いたシスターたちの唇からは、悲しい旋律が零れ続けている。

 その旋律に合わせ、粛々とチャコの弟妹が柩の前へと向かっていく。手を繋ぎ、妹弟たちは行儀よく列を作っている。弟妹たちは手にした黒百合を柩の上に置き、そっと列を去っていくのだ。

 チャコはその列の最後尾に並んでいる。その隣にハイはいない。

 リズが死んだ夜から、ハイは体調を崩して治療院に隔離されている状態だ。

 誰にも会いたくないと、ハイはチャコにも姿を見せてくれない。

 次々と弟妹たちが花を備え、チャコは列の先頭へと移動していく。列の先頭に近づくたび、チャコは大きく心音を高鳴らせていた。

 柩の中に横たわる、リズの姿が嫌でも眼に入ってくる。黒百合に覆われた柩の中で、リズは真っ白なネグリジェを纏い横たわっていた。

 茶トラのネコミミは白いヴェールで飾られ、たくさんの百合で飾り立てられている。閉じられたリズの眼にはうっすらと笑みが浮かんでいた。

 あぁ、いつも見ているリズ姉の笑顔だ。死んでいるなんて、嘘みたいだ。

 そっとチャコはリズの頬に手を伸ばしていた。リズの頬に触れた指先から、冷たい感触がせりあがってくる。

 びくりと指を震わせ、チャコはリズの頬から手を引いていた。体が震えてしまう。指先にまとわりついた冷たい感触が、消えてくれない。

「リズ姉……」

 震える手を握り締め、チャコは恐る恐るリズへと顔を向けていた。呼びかけても真っ白な顔にリズは笑顔を貼り付けたままだ。

「リズ姉……」

 それでも、名前を呼んでしまう。リズが、眼を開けてくれるような気がして――

「触るなっ」

 当然、チャコに怒声がかけられる。リズに伸ばしていた手が払いのけられ、チャコは顔をあげていた。

「ハインツお兄ちゃん……?」

 チャコの視界に、ハインツの姿が映り込む。彼は眼を鋭く細め、チャコを睨みつけていた。

 どうして、ハインツがそんな顔をするのかチャコにはわからない。

「触るなっ」

「どうして……」

 冷たいハインツの言葉に、声が震えてしまう。涙で視界がゆれる。そんなチャコから眼を逸らし、ハインツは小さく告げた。

「お前が、お前たちが、姉さんを殺したからだ……」



 


 ――お前が、お前たちが、姉さんを殺したからだ……。

 私が、リズ姉を殺した。それはいったい、何を意味しているのだろう。

 空が白い閃光を放つ。チャコは回想から引き戻されて、空を仰いでいた。


 ぽつり。ぽつり。


 灰色の雲に覆われた空からは、小さな雨粒が降ってきている。その空を、ウィルオーウィルプスが白く照らしていくのだ。

「何しに来たの……。姉ちゃん……」

 呼ばれて、チャコは前方へと向き直る。喪服を着たハイが視界に映る。ハイの前には、真新しいケルト十字の墓標があった。

 リズの墓だ。

 葬儀のあと、リズの遺体は大人たちの手によってドゥンの泉へと持ち去られた。

 墓標は葬儀が執り行われている最中に設置される。それを知っていたチャコは、葬儀を抜け出し島の東側に広がる墓所へとやってきたのだ。

 ハイが、ここにやって来ていると思ったから。

「ハイ、大丈夫なの?」

「久しぶりだね……こうやってお話するの……」

 そっとハイがこちらに振り向く。ちりんと鈴の音がハイの側からして、チャコは思わず眼を見開いていた。

ハイの右ネコミミに鈴のピアスがついていたからだ。銀色に輝くそれは、ケットシーたちがつけるもののはずだ。それをどうして、ハイはつけているのだろうか。

「ハイ……それ……」

 チャコは思わずハイの右ネコミミを指差してしまう。ハイは驚いたように眼を見開いて、苦笑を顔に浮かべてみせた。

「うん……ボク、ケットシーのままだよ……。ずっと、ケットシーのまま……」

「だって、ハイ薬だって飲んでないし……治ったって……みんな……」

「一時的に……カルマ先生の催眠療法で……能力を押さえ込んでるだけ……」

「じゃあ、ハイも……」

 リズの笑顔が脳裏を過る。いつも、寂しげに微笑んでいたリズの笑顔が。

 喉が震えて、言葉を発することができない。溢れる涙を抑えながら、チャコはハイをじっと見つめることしかできなかった。

「死ぬよ、リズ姉みたいに……。ボクはもうすぐ……キャットイヤーウイルスに殺されるんだ……」

 ぽつりとハイの柔らかな頬に水滴があたる。その頬に笑窪を浮かべ、ハイは微笑んでみせた。

「嘘だ! そんなの、嘘だ!」

 信じられない。チャコは叫んでいた。だって、ハイは治ったはずなのだ。薬だって飲んでいないし、発作で倒れることもない。

 なのに、どうしてハイは自分に嘘をつくのだろうか。

「チャコ……」

「だって、みんな治ったってっ!」

「チャコっ!」

 ハイの叫び声が、チャコの声を遮った。ハイが駆けてくる。ぎゅっとチャコを抱きしめて、彼はチャコの胸に顔を埋めてきた。

「ごめんなさい……姉ちゃん……」

 ハイの鈴が悲しげに鳴る。

「ハイ……」

「ボク、姉ちゃんと一緒にロンドンに行けない……だから、お別れだよ……。お別れなんだよ、チャコ……」

「何、言ってるの……? ハイ」

 震えるハイの言葉に、チャコは眼を見開いてしまう。ハイはそっと顔を上げ、涙に濡れた眼をチャコに向けてきた。

「ボクは……ここにいなきゃいけない……。みんなを守るために……離れちゃいけないんだ……。だから、ロンドンには行けない……。ごめん……チャコ……」

「守るって……何?」

「ごめんなさい……」

 震えるチャコの問いに、ハイはネコミミをたらして俯くだけだ。

「何でなにも言ってくれないの? 黙ってちゃ――」

「何も知らないチャコに、何がわかるんだよっ!!」

 怒号がチャコの声を遮る。びくりとチャコは体を震わせ、ハイを見つめた。濡れた眼を鋭く細め、ハイはチャコを睨みつけている。

「お願いだから……もう、ボクの側にいないで……ボクを、苦しめないでっ!」

 ハイが叫ぶ。

ネコミミの鈴が激しい音を奏で、灰色の空が眩しく輝く。その空から、いっせいに雨音が降ってくる。

「もう、チャコなんていらないっ!!」

 雨音が、ハイの残酷な言葉をかき消していく。雨に打たれながら、チャコは泣き続けるハイを見つめることしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る