eleven Cats ウィルオーウィルプス≒大人たちの秘密

 



 施設に戻る頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。そっとチャコは桜の意匠が施されたステンドグラスの扉を開ける。塔の頂上にあるチャコたちの部屋は、すっかり暗闇に閉ざされていた。

 扉の脇に置かれているランタンを灯し、チャコは部屋を一瞥する。

 ぼんやりと白い光に照らされた部屋の中央には、チャコとハイが眠っている大きなバスケットがある。そのバスケットの中でもぞもぞと動くものがあった。

 ぱっと顔を輝かせ、チャコはバスケットに駆け寄る。そっと中を覗くと、体を丸めたハイが毛布に包まって眠っていた。

 ランタンでチャコはハイの顔を照らす。ハイは、明かりに顔を歪めながらも気持ちよさそうに寝息をたてていた。

 ほっとチャコは安堵にネコミミをたらす。いつもハイはカルマ先生の治療が終わると、どこか怯えたような顔をして帰ってくる。ぎゅっとチャコに抱きついて、離れなくなるのだ。

 ――姉ちゃんは、どこにもいかないよね?

 ネコミミを震わせながらそう尋ねるハイを、チャコはいつも抱きしめ返すことしかできない。

「ハイ……」

 静かに寝息をたてるハイに、チャコはそっと手を伸ばす。

「うわぁあああああぁ!」

 そのとき、突然ハイが悲鳴をあげた。

「ハイっ」

「いやぁ! やだぁ! やだぁ! 観たくない! 観たくない!! やだぁ!!」

 頭を抱えながら、ハイは両足をばたつかせ悲鳴をあげ続ける。

「ハイ!!」

 チャコは、とっさに弟を抱きしめていた。それでもハイは手足を振り回し、暴れ続ける。

「嫌だ! ごめんなさい!! ごめんなさい! 殺したくない!! もう、殺したくない!!」

「ハイっ!!」

 ハイの顔を覗き込み、チャコは名前を叫んでいた。大きく見開かれていたハイの眼がゆっくりともとの大きさに戻っていく。

「姉ちゃん?」

 涙に濡れた眼でじっとチャコを見つめ、ハイは小さな息とともに言葉を吐き出した。

「大丈夫だよ。大丈夫……」

 チャコはぎゅっとハイを抱き寄せ、優しく頭を撫でる。ハイの体の震えが、腕を通して伝わってきた。

「ねえ……ちゃん……」

 ハイの手が静かにチャコの背中に回される。ハイの小さな嗚咽が、チャコのネコミミに響き渡った。

「また、恐い夢見たの?」

「うん……」

「もう、大丈夫?」

「うん……。姉ちゃんいるから、平気……」

 チャコに抱かれ落ち着きを取り戻したのか、ハイは小さな声で答える。ハイはチャコの顔を覗きこんでくる。

「姉ちゃん遅い……。どこ行ってたの……?」

「お使い、ハインツお兄ちゃんに頼まれちゃって。ごめんね。そうだ、お兄ちゃんからもらって猫耳ケーキがあるの、食べる……?」

「いらない……うぅ」

 ぷくっと頬を膨らませ、ハイはぎゅっとチャコを抱き寄せてくる。すりすりとハイはチャコの胸元に頭を擦りつけてきた。

「ボク……不安だった。姉ちゃんいなくて……不安だった」

「変なハイ。私は、どこにも行かないよ」

「ほんと……?」

 顔を上げ、ハイは涙に濡れた眼をチャコに向けてくる。そっとチャコはそんなハイのネコミミを撫でていた。

「うぅ……」

「だって、生まれたときからずっと一緒なんだよ。これからも一緒に決まってるじゃない……」

 チャコはハイに苦笑を向けてみせる。ハイは大きく眼を見開き、チャコから顔を逸らした。

「ハイ」

「ボクも、一緒がいい。でも――」

 暗い部屋を閃光が満たし、ハイの言葉を遮る。チャコは驚いて正面にある窓へと顔を向けていた。透明な硝子と桜のステンドグラスが市松模様を描く窓から、次から次へと瞬く閃光が入り込んでくる。

 チャコは立ち上がり、窓へと駆け寄っていた。窓を開け、空を仰ぐ。闇色の夜空に白い光線がいくつも生じては、消えていく。

 小さな轟音を伴うそれをみて、チャコは眼を輝かせていた。

「ウィルオーウィルプスだ!」

 ウィルオーウィルプスの語源は、悪行を働いた罰により、地獄にも天国にもいけずこの世を彷徨っている男の伝承がもとになっていうという。その言葉は、自然による発火現象を指す言葉として使用されている。

 チャコの眼の前で展開される光のイリュージョンは、箱庭の外で起こっている自然による発火現象らしい。文明が崩壊してから、外の世界ではなぜか空を覆う大規模な自然発火現象が頻発するようになったのだ。

 箱庭地区の外の世界で起こるそれを大人たちはウィルオーウィルプスと呼び、歓声をあげながらよく眺めている。

 ウィルオーウィルプスは吉兆の前触れだそうだ。チャコも、ウィルオーウィルプスを見た翌日には、必ずと言っていいほどいいことがあるのだ。

「見て、ハイ。すっごく綺麗だよ!」

 チャコは弾んだ声をあげ、ハイへと振り返っていた。視界に映るハイは、震える眼で光る空を凝視している。

「あ……あぁ」

 がちがちと歯を鳴らしながら、ハイは体を震わせていた。

「ハイっ……」

「嫌だっ! 見たくない!!」

「ハイっ」

「こんなの、見たくない!!」

 びくりと肩を震わせ、チャコはとっさに窓を閉めていた。ハイの泣き声が、ウィルオーウィルプスの小さな轟音とともに部屋に木霊する。

 その音の中心でハイは両手で顔を覆い、静かに泣いている。

 ハイに近づこうと、チャコは前足を出す。

「来ないでっ!」

 ハイの怒声に驚き、チャコは足を引っ込めていた。そっとハイは顔をあげ、チャコを見つめる。

「お願い姉ちゃん……独りにさせて……」

「ハイっ」

「出て行けっ!」

 ハイの怒声が、部屋に轟く。

「こんなボクを見ないで、チャコ……」

 顔を俯かせ、ハイが小さく告げる。ハイの泣き声が静かにチャコのネコミミに木霊する。

 チャコは、扉へと駆け出し部屋を出ていった。




 




 開いた窓から、きらきらと輝くウィルオーウィルプスが見える。椅子に座るちゃこは、暗闇を照らす光のイリュージョンをじっと見つめていた。

――こんなボクを見ないで、チャコ……

泣いていたハイの言葉をネコミミで反芻する。チャコは椅子の上で膝を抱え、輝く空から顔を逸らしていた。

「こんなに空が綺麗なのに、チャコちゃんはお空を眺めないの?」

 後方からリズの声がする。チャコは答えることなく、ひゅっと片ネコミミをあげてみせた。

「嫌なのね……」

 ちりんと鈴の音がする。リズが小さくネコミミを動かし、鈴のピアスが鳴ったのだ。そっとチャコは顔上げ、リズに顔を向けていた。

「ハイが出て行けって言った……」

 ベッドに腰かけるリズに、チャコは静かに告げる。

「また、ハイくんが?」

 光のない眼をチャコに向け、リズは尋ねる。以前ウィルオーウィルプスが空に現れたときも、ハイは何かに怯えるように泣きじゃくっていた。

「どうしてかな? こんなに綺麗なのに……」

 空へと視線を戻し、チャコは小さく言う。白い光が、まるでカメラのフラッシュのように何度も夜空で明滅している。ときおり小さな瞬きがその中に混じって、轟音があたりに響き渡るのだ。

 ウィルオーウィルプスの光は、凪いだ漆黒の海を明るく照らしていく。その明かりに、海の果てにある巨大な壁が浮かび上がる。

 壁の向こう側で起こる不思議な現象。生まれてから箱庭を出たことがないチャコにとって、外の世界は興味の塊そのものだ。

 叶わないと分かっていても、あの壁を越えていつか外へ行ってみたいと思うことがある。壁に囲まれていない海に映るウィルーウィルプスは、もっと素敵だろうから。

「あのね、チャコちゃん……」

 空を仰ぐチャコに、ぽつりとリズが話しかけてきた。チャコは、ゆっくりとリズへと振

り返る。リズは眼を笑の形に細め、言葉を続けた。

「私は視力がないからほとんど見えないけど、ウィルーウィルプスの弱い光だったら感じら

れる。でもね、不思議な音も一緒に聴こえてくるの」

「不思議な音?」

「人の悲鳴……。ハイくんにも、それが聞こえるんじゃないかな?」

 悲しげに、リズは窓外を見つめてみせる。チャコは、慌てて空をへと視線を戻した。

 相変わらず、瞬く光が夜空のあちらこちらで輝いている。じっと耳を澄ませていると、

轟音が爆音や銃声に聴こえるのは気のせいだろうか。

「リズ姉……」

 唖然とネコミミを伏せ、チャコは椅子から立ち上がっていた。

 大人は常に子供を欺くもの。そう言っていたハイの言葉が、脳裏を過る。

そっとリズに体を向け、チャコは口を開いていた。

「大人たちは、何を隠してるの?」

 リズはチャコから顔を逸らす。顔を俯かせ、彼女は静かに言葉を紡いだ。

「どうして箱庭地区にはあんな壁があるのか、チャコちゃんは考えたことがある?」

 リズの問いに、チャコは静かに首を振る。物心着いたときから、チャコが見ていた海の果てには壁があった。

日常にあるあたり前の風景を、リズは疑えという。チャコを見つめながら、リズは静かに口を開く。

「壁はね、大切なものを守る役割も果たすけど、隠すためにも必要なのよ……。それはとても大切なことだから、子供たちには教えられないの……。私たちにとってあなたたちは大切なものだから……」

 ベッドから立ち上がり、リズはゆっくりとチャコに近づいていく。困惑にネコミミをゆらすチャコを、リズは優しく抱きしめた。

「ごめんね。でも、教えちゃいけないの。それが、あなたたちを守るためだから……」

「ずるいよ。そんなの……」

「ごめんね。チャコちゃん……」

 リズの声が震えている。チャコはそれ以上、何も訊くことができなかった。

 きっとハイは、大人たちが隠している何かを知っているのだ。そして、その何かから自分を遠ざけようとしている。

 ケットシーであるリズが、弟のハインツを突き放したように。

 チャコは輝く空を見つめる。

 綺麗だと思っていた光が、漆黒の闇の中で不気味に躍動していた。



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