nine Cats 島猫と灰猫

 


 チャコは手に持った手書きの地図と睨めっこをしながら、曲がりくねった坂道を歩いていた。ハインツはお世辞にも絵が上手いとはいえない。そんな彼の描いた地図は、チャコにとってちょっとした暗号のようなものだった。

「駄目だ……わかんない」

 はぁっと息を吐いて、チャコは歩みをとめる。

お使いの目的地にはついていてもいいはずなのだが、いそれらしき建物は見当たらない。

 屋根の上をずっと見てろ。そうすれば、灰猫がそこにいる。

 ハインツに言われた言葉を思い出し、チャコは頭上を仰ぐ。狭い道の脇に所狭しと並んだ常若町の建物は、白い漆喰で覆われたものが多い。

 その白亜の壁が、真珠色の色彩を常若島全体に与えているのだ。海沖からこの島を見つめると、地中海に浮かんでいる島々の景観を彷彿とさせるという。

  

 にぁー。

 んぁー。


 漆喰に覆われた平屋根の上を、小さな猫たちが行ったり来たりしている。かつて隔離地区として機能していたこの島には、実験動物として使用されていた猫たちの子孫が野生化して住み着いているのだ。

 外部との接触が少ないせいか、猫たちの体は小さく、柄も極端に少ない。ハイによると、13人の子供たちのネコミミの毛色と同じ、13色の毛色しかこの島の猫たちは確認されていないという。

 よく見かけるのはチャコやハイと同じ茶トラと鯖トラの柄の猫たちだ。この猫たちはチャコたちのように、茶トラと鯖トラがペアになって行動していることが多いという。

 そして、1番少ないのが灰色の毛色を持つ猫だ。昔はそれなりに数がいたらしいが、チャコは生まれてから灰色の猫というものを見たことがなかった。

「灰色の猫探せって言われても、どこにもいないし……」

 歩きながら軒並み続いている平屋の上を眺めるが、それらしき猫はいない。

茶トラの猫が小柄な鯖トラの毛づくろいをしている光景が眼に留まり、チャコは足をとめていた。

「ハイは、私のことなんていらないのかな……」

 地面を見つめると、小さな石が眼の前に転がっている。チャコはその石をコツンと靴先で蹴っていた。

平屋根にいる茶トラと鯖トラが、不思議そうにこちらをみてくる。2匹は仲の良さを見せつけるように、ぴったりと体を寄り添わせていた。

そんな猫たちを見ていたくなくて、チャコは駆け出していた。

「ハイの、馬鹿……」

 涙を流すハイを思い出しながら、チャコは呟く。じんわりと目元が熱くなって、チャコはまた立ち止まる。

 顔をあげると、建物の隙間から桜色に染まった空と海を見つめることができた。

「お使いなんて、するんじゃなかった……」

 もうすぐ日が沈んでしまうというのに、チャコは目的地につくことさえ出来ていない。

 

 キィ……キィ。


 金属が擦れる、寂しげな音があたりに響き渡る。顔をあげると、黒猫の看板が海風に弄ばれていた。

「私みたい……」

 チャコは、ぼんやりと呟いていた。

 独りぼっちで外に吊るされている看板は、迷子になっているチャコみたいだ。じんわりと涙がこみ上げてきて、チャコはそっと眼を擦っていた。

「何が……悲しいの?」

 高い少年の声がする。びっくりして、チャコは顔をあげていた。目の前に広がる光景を見て、チャコはあんぐりと口を開ける。

 猫の看板の上に、1人の少年が立っていた。彼は、まるで曲芸師のように薄い看板の上に爪先立ちで留まっている。少年は背が高くすらりとした体にブカブカのワイシャツを纏っていた。彼は蒼い眼で心配そうにチャコを見下ろしている。

 何よりチャコが驚いたのは、少年の頭部に生えたネコミミだ。

灰色の彼のネコミミは、夕陽に照らされうっすらと薄紅色の輝きを纏っている。

ミックスにはいるのかもしれないが、灰色のネコミミを持つ人間をチャコは初めて見た。

そして、少年の眼も空を想わせる鮮やかな蒼色をしている。

まるで、聖堂に飾られたステンドグラスの灰猫が飛び出てきたようだ。

「あなた……灰猫なの?」

 チャコは思わず少年に尋ねていた。

灰猫はとっくの昔に亡くなっている。けれど、チャコには目の前の少年が灰猫に思えてならない。

「そう……見えるの?」

 震える少年の言葉に、チャコは静かに頷く。少年は驚いたように眼を見開き、高く跳んだ。

 

 ちりん……。


 鈴の音が、チャコのネコミミに響き渡る。空を舞う彼の片ネコミミに鈴がついていることを、チャコは見逃さなかった。

 少年は空中で体を捻り、建物の屋根へと着地する。彼はチャコに背を向けたまま、大きく跳んだ。


 ちりん……。


 また、鈴の音がする。少年が、屋根の向こう側へと飛び去っていく。

 その様子を、チャコは黙って見つめることしかできなかった。

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