five Cats 黒き鯖トラ


「あれは……ボクが牛乳入手作戦の折に編成した……偵察部隊の面々。まさか……これほどまでに、成長するなんて……」

 屋上の弟たちを見つめながら、ハイが感嘆とネコミミをあげる。

「牛乳入手作戦て何?」

「うぅ!」

 そんなハイに、チャコはつかさずツッコミを入れていた。ブレザーに収まった赤ちゃんも、不満そうに声をあげる。

「牛乳入手作戦とは……成長のため……カロリーの低いスキンミルクではなく……栄養価の高い、甘くて美味しい牛乳……特ににいちご牛乳と……抹茶ミルクと……フルーツ牛乳と……。あ……あと、コーヒー牛乳とカフェオレなどを……厨房から密かに入手するために計画された作戦である……。計画は2月某日、0時に決行された……。指揮官たるボクは鯖トラチビ偵察部隊及び……茶トラチビ実行部隊を編成する……。計画は成功に終わり……ボクらは、数週間におよぶ牛乳のストックを手に入れることができた……。なおこの牛乳は……ボクらの計画の協力者であるカルマ・イエイツ先生の自宅に備蓄されており……学園の帰りに……ボクらは……定期的に牛乳を摂取するため……先生の家に通っている……。そう、作戦は成功した……。ボクらは……大人の階段を、1つ上ったのだ……」

 きりっと眉毛を引き締め、ハイは感慨深げに言葉を締めくくる。

「リズ姉とシスターたちが、ごっそり牛乳が厨房からなくなってたって騒いでたけど、ハイのせいだったの!? 1月の定期検診の時だって、こっそり身体測定計弄りまわして、自分の身長水増ししようとしてたし。1週間前のお夕飯どきには、鯖カレーが食べれるって、カルマ先生の家にチビたちと突撃してたし。なんでいつもチビたちにそうやって悪ささせるの!? ていうか、変なイタズラばっかりしないの!」

「悪さではない……。大人は常に、子供を欺くもの……。僕はチビたちに、大人たちに対抗する知恵を授けているに過ぎない……。それは……兄たるボクの……指名なのだ!」

 ばっと両手をあげ、ハイは天井を仰ぎ見る。陽光が窓から入り込み、ハイを神々しく照らす。誇らしげに輝く弟のネコミミを、チャコは容赦なく叩いていた。

「みゃうっ」

「みゃうじゃない! あとでシスターたちにお仕置きしてもらうからねっ! 当分、ハイは、牛乳飲めないよっ!」

「牛乳が……飲めない……?」

 チャコの言葉に、ハイは眼を見開く。彼のネコミミは、怯えるように震えていた。

「そ、大きくなれないから!」

「うぅーー!! 牛乳!!」

 チャコの言葉を聞いたとたん、ハイはガクリと床に両手をつく。彼は絶望にネコミミをたらし、悲痛な叫びを喉からあげた。

「お兄ちゃーん」

「ハイお兄ちゃんの声だー!」

「合図の通りにこっちにきたら、お兄ちゃんの声がした!!」

 ハイの叫び声を合図に、少女たちの声が近づいてくる。チャコははっとネコミミを反らし、ハイに駆け寄っていた。

「立って、ハイ! 逃げなきゃ、逃げなきゃチビたちに殺されちゃう!!」

 ハイの肩をゆすり、チャコは必死になって弟に呼びかける。

「いいよ……大きくなれないなら……牛乳が飲めないなら……ここで……ここで、ボクは……」

 しゅんとネコミミをたらし、ハイは悲しげに上擦った声をあげる。

「うぅ!」

 チャコのブレザーから赤ちゃんの悲痛な声が聞こえる。チャコは、ブレザーの懐に収まった赤ちゃんを見た。大きな鯖トラのネコミミを震わせ、赤ちゃんは縋るようにチャコを見上げてくる。

 ここにいては、彼は無邪気な妹たちの犠牲になってしまう。

「ハイ、立って! 逃げなきゃ、私たち、殺されちゃうよ!!」

 チャコは懸命になって、ハイの肩をゆらす。しかしハイは、悲しげにネコミミをゆらすばかりだ。

「ここから……逃げることが出来たら……ボク、牛乳飲めるかな……?」

「飲める。飲めるから、頑張って!!」

「じゃあ……姉ちゃんも……カルマ先生の家に牛乳を飲みに行こうね……」

 がしっとチャコの肩を掴み、ハイはチャコに三白眼を向けてくる。じぃっと迫力のある三白眼に見つめられ、チャコはごくりと唾を飲み込んでいた。

 固まるチャコの目の前で、ハイはブレザーの懐に手を突っ込み何かを取り出す。それは、迷子ヒモだった。この迷子ヒモは、シスターたちが悪戯をした子供たちを捕まえるために常備しているものだ。

 なぜかそれを、ハイが持っている。

 さっとハイはチャコの腰に迷子ヒモを装着し、ロープの端を窓の取っ手にくくりつける。

「行こう……チビハイ……」

「うぅ!!」

 チャコのブレザーから赤ちゃんを取り出し、ハイは彼をしっかりと抱きしめる。赤ちゃんも、上機嫌でハイに返事をした。

「ハイっ!?」

「じゃ……あと、よろしく……」

「うぅ!!」

「えっ!?」

 びしっと、ハイと赤ちゃんは敬礼をする。驚くチャコを残し、ハイは颯爽と体を翻して走り去っていった。

「ちょ、ハイ!!」

 慌ててチャコは立ち上がる。そのときだ。チャコのネコミミに恐ろしい少女たちの笑い声が轟き渡ったのは。

「チャコお姉ちゃーん!!」

「姉ちゃーん!!」

「チャコ姉―!!」

 びくりとネコミミを震わせ、チャコは後方へと振り返る。無数の茶トラネコミミが不気味に蠢きながら、こちらへと突進してくる様が見てとれた。

「ひぃ!!」

 とっさにチャコは逃げようとする。だが、窓の取っ手に付けられた迷子ヒモは、ぴんっと伸びてチャコを離してくれない。

「このっ!!」

 チャコは、必死になって迷子ヒモを外そとする。

「チャコお姉ちゃーん!!」

「お姉ちゃーん!!」

 その間にも、無邪気な少女たちの声はチャコのネコミミに響き渡る。蠢く無数の茶トラネコミミは、容赦なくチャコに突進してくるのだ。

「遊ばーー!!」

「お姉ちゃーん!」

「にゃー!!」

「ちょ、まっ、まって!!」

 チャコの静止も虚しく、妹たちは嬉しそうにネコミミを揺らしながらこちらに向かってくる。

「いや……来ないで……」

『にゃはははははははは!!』

「嫌ーー!!」

 ネコミミをピコピコと動かして、妹たちがチャコへと襲いかかる。チャコの悲鳴は、無邪気な笑い声にかき消されていった。




 薄暗い厨房に、業務用冷蔵庫の低い電子音が響き渡る。その冷蔵庫の前に、ハイが立っていた。マントの変わりだろうか。黒いシーツをすっぽりと被ったハイは、無感動な三白眼であたりを見回す。

 厨房には、無数のネコミミが不気味に蠢いていた。ハイの弟たちだ。ハイと同じサバトラ柄のネコミミを業務用冷蔵庫に向け、彼らは愛らしい眼で兄を凝視していた。

 ばっとハイが両手を広げ、被ったシーツを翻らせる。ハイのただならぬ様子に、弟たちはどよめいた。

「親愛なる、ちっちゃい同盟の弟たちよ……。ボクはここに……第2次牛乳入手作戦の成功を宣言する!」

『うぅー!!』

 堂々としたハイの言葉に、弟たちは歓喜をあげる。ハイはきらんと三白眼を輝かせ、厳かに言葉を継いだ。

「そして……ここに……新たなる……ちっちゃい同盟の同志を紹介しよう……。その名も……チビハイだ!!」

 びしりと、ハイは業務用冷蔵庫の前に置かれた作業台を指し示す。作業台の上には、ハイのように黒いバスタオルをすっぽりと被った赤ちゃんが鎮座していた。

「うぅ!!」

 己の存在を誇示するかのように、赤ちゃんはピンとネコミミをたて声をあげてみせる。

『うぅ!!』

 その声に応えるように、弟たちはびしっとネコミミをたちあげた。

「かの有名なアルセーヌ・ド・ルパンは……幼少時……病弱な母のために……マリー・アントワネットの首飾りを……住み込みの屋敷から盗み出したという……。そのとき彼は……首飾りが見つからないよう……鞄に入れて……学校に持っていったのだ……。そしてこれから……ボクらは……新たなる……ルパンとなる!!」

『うぅぅ!!』

「協力してくれた妹たちにも……存分にカルマ先生の家で牛乳を振舞おう……」

『うぅぅぅうぅぅ!!!!』

 ハイの言葉に、弟たちは興奮した様子でネコミミを上下させる。

 そう、全ては厨房にある牛乳を盗むためハイが仕組んだ計略だったのだ。ハイがこの作戦を思いついた背景には、チビハイとの出会いがあった。

 ハイは作業台にちょこんと座るチビハイを省みる。キランと三白眼を光らせ、チビハイは誇らしげにハイを見つめた。

 今でも、克明に思い出すことができる。

 シスターたちの手伝いをしていた妹たちが、嫌がるチビハイを無理やりお風呂に入れようとしている光景を。ネコミミを必死になって動かし抵抗するチビハイを、ハイは夢中になって助けていた。

 嫌がるチビハイの姿が、洗面台に顔を突っ込まれた自分と重なって見えたのだ そのときだ。ハイの脳裏に、1つの考えが浮かんだ。

 それは、尽きかけていた牛乳のストックを増やすためでもあり、自分を嫌な目に合わせたチャコへの復讐でもあった。

 大きくなるための牛乳を入手し、チャコを苦しめるためハイはこの一連の騒ぎを起こしたのだ。

 まずは、妹たちを買収した。盗んだいちご牛乳を好きなだけ飲ませてあげると言ったら、彼女たちはあっさりと協力してくれたのだ。

 あとは簡単だ。

 ハイが考案したネコミミ暗号を駆使して、弟たちが妹たちを誘導。チビハイと妹たちを利用してチャコを誘い出し、騒ぎを起こす。その騒ぎで厨房のシスターたちがいなくなった隙を窺い、弟たちとともに冷蔵庫の牛乳をごっそりと盗み出す。

 盗んだ牛乳は、ルパンがマリー・アントワネットの首飾りを隠したように各自鞄に入れて学園に持っていく手筈になっている。下校途中、協力者であるカルマ先生の家に寄り、盗んだ牛乳を預かってもらう予定だ。

「さぁ、弟たちよ……。作戦のため……犠牲になった姉ちゃんに……祈りを捧げよう……」

 さっと両手を広げ、ハイは頭上を仰ぐ。弟たちは指を組み、厳かにネコミミをたらしてチャコに祈りを捧げる。そんな弟たちを見つめながら、ハイは業務用冷蔵庫の取っ手に手をかけた。

 ハイは知っている。この冷蔵庫の中には、自分たちマブの子供たちが食べることを許されないご馳走がどっさりと入っていることを。そのご馳走を工面するために、施設の大人たちが自分たちに栄養価が高く安価なまずい食事を与えていることも。

 日々、事務室に忍び込んで帳簿を見ているハイには、大人の欺瞞が手に取るように分かるのだ。

 だから、ハイはそんな大人たちに反旗を翻す。

 例えそれが、実の姉であるチャコの犠牲を伴うものだとしても。

 ゆっくりと、ハイは大きな冷蔵庫の扉を開いていく。冷蔵庫の中から白い冷気が立ち上り、小さなハイの体を包み込んだ。

 ぶるりとネコミミを震わせながら、ハイは冷蔵庫の中を見つめる。

 この冷気の先に、目指すべき牛乳がある。

「やほー! ハイ!」

 白い冷気の向こう側に、チャコがいた。

 妹たちに引っ張られたのか綺麗に結えられていたツインテールは見事に左右非対称になり、纏っているブレザーは気崩れている。

 もちろん、微笑んでいる彼女の眼は笑っていない。

 姉をしばらく見つめたあと、ハイは静かに冷蔵庫の扉を閉め始めた。

「黒ネコさんが、お手紙食べた……」

「黒ネコさんは、お手紙食べないからっ!」

 ハイが閉めようとした冷蔵庫の扉を、チャコが両手でガシリと押さえつける。

「うぅうぅ!!」

「ふんっ!!」

 ハイが力ずくで閉めようとした扉を、チャコは無理やりこじ開けてみせた。その反動で、ハイは尻餅をついてしまう。

「あうぅ!!」

『うぅ!!』

 ハイの異変に弟たちが声をあげる。そのときだ。薄暗かった厨房が、光で満たされた。

『ううぅー!!』

「何だっ!?」

 弟たちの悲鳴を聞きつけ、ハイは後方へと振り返る。締め切られていたカーテンが開け放たれ、明るくなった室内に次々とシスターたちがなだれ込んできていた。

 彼女たちは逃げ惑う弟たちのネコミミを掴み、迷子ヒモを次々とその腰に装着していく。

「うぅ!!」

「チビハイっ」

 チビハイの悲鳴が聞こえ、ハイは作業台へと顔を向けた。

「はーい、お風呂に入りましょうねぇ」

「うぅうー!!」

 にこやかに微笑むシスターに優しく抱かれ、チビハイはお風呂へと連行されようとしている。

「うぅー!!」

 助けを求め、チビハイの手がハイに伸ばされる。

「チビハイ」

 ハイはチビハイを救おうと立ち上がっていた。そんなハイの肩を、がしっと掴む人物がいる。

 びくりと、ハイはネコミミを震わせた。その震えに応えるように、肩の手に力が入る。

「どこに行くのかな? ハイ?」

 にこやかなチャコの声が、ネコミミに響き渡る。恐る恐る、ハイは背後にる姉へと顔を向けていた。

「ちょっと……牛乳を……飲みに……」

「牛乳よりも美味しいスキンミルクが、ここにあるよ。すっごく薄くて、味のしないスキンミルクだけど……。ぬるま湯で薄めた、粉の味しかしないスキンミルクだけど」

 にこやかに微笑むチャコの手には、小さな哺乳瓶が握られている。その哺乳瓶の中には、ハイの大嫌いなスキンミルクがたっぷりと入っているではないか。

「うぅうー!!」

 身の危険を感じ、ハイは悲鳴をあげる。そんなハイを力ずくで抱き寄せ、チャコは笑みを深めてみせた。

「まっずいスキンミルクいっぱい飲んで、大きくなろうね、ハイ」

 冷徹なチャコの眼差しが、ハイに向けらける。

「うぅー!!」

「少しは反省しなさーい!!」

 チャコの怒号とともに、ハイの口に哺乳瓶が突っ込まれた。

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