four cats 鯖トラpanic
チャコたちチェンジリングが暮らす養護施設は、渡り廊下によって他の施設と行き来できるようになっている。白亜色のマブの施設は、硝子の渡り廊下で繋がっているのだ。
上空からその様子をみたら、養護施設を中心にクモの巣のように硝子の廊下が建物を繋いでいる光景を見ることができるだろう。
そのクモの巣のかたすみに、チェンジリングたちを引き取りに来る『養い親』たちの宿泊施設がある。箱庭の各地から集まった人々はここに滞在し、養子候補のチェンジリングたちと交流するのだ。
その交流を通じて、彼らは養子にしたい子供たちを選ぶのだ。
養子になれた子供たちは喜んで親たちと施設を後にするだろう。そうであることが幸福だと、施設の大人たちからくり返し言い聞かされるのだから。
でも、中にはそう考えることができない子供もいる。チャコもまた、そんな疑問を抱く子供の1人だった。
「チャコちゃん見て、素敵でしょ!?」
甲高い女性の声に呼ばれ、チャコはびくりとネコミミをゆらしていた。愛想笑いを浮かべて、チャコはサンドイッチから手を離す。
チャコはテーブルにに用意された朝食を一瞥した。
ツナサンドに、シャケサンドに、そぼろサンド。エノゴログサノのサラダの上には、バターで炒めたエノゴログサノの実とササミが上品に振りかけられている。
それらがボーンチャイナの白い器に上品に盛られているのだ。チャコの目の前には、食べやすいように冷まされた鰹節スープも置かれている。
朝食でよく出される固形栄養食品とは大違いだ。小さな粒の固形食品は固い上に、味も同じで飽きてくる。何より自然食品を使った、こんな豪勢な食事をチャコはあまり見たことがない。
出されている飲み物だって、よく冷めた牛乳だ。牛乳はお腹を壊しやすいからと、施設では滅多に出されない。代わりに出されるのは、味の薄いスキンミルクばかりだ。
「チャコちゃん!」
「すみません。お義母さんっ」
ツインテールをゆらし、チャコは声を発する女性を見つめた。淡いミケ柄のネコミミをピコピコと動かし、女性はチャコにあるものを見せてくる。
チャコは、ぎょっと眼を見開いていた。
女性が持っているのは、深緑のドレスだった。ドレスには愛らしい姫袖がついている。光沢のあるフリルが螺旋階段のようにスカートを覆い、裾には上品なレースがとりつけられている。
「チャコちゃんに似合うと思って、作ってもらっちゃった」
「あ……ありがとうございます」
「もう、なんでそんなに他人行儀なの。私とチャコちゃんは親子になるんだからねっ」
目尻にシワの寄った眼を細め、チャコの養母候補であるキャリコは笑ってみせる。
チャコたちチェンジリングと違い、彼女はミックスと呼ばれる自然分娩で生まれたネコミミの1人だ。
クローンであるチャコたちと違い、遺伝子の多様性があるミックスは特定の病気などにかかりにくい。そのため、チェンジリングを厭い、自然な形での出産を推奨する人々がいる。
グット・ピープルと名乗る彼らは、自然の分娩による出産を好んでいる。
キャリコも、そんなグット・ピープルの1人だ。そんなキャリコが、顔を曇らせチャコを見つめる。
「本当におばさんね、チャコちゃんたちのことは、幸せにしたいって思ってるの。だって、お母さんのお腹から生まれることも許されず、こんな施設で育てられているのよ。信じられないわ」
キャリコの言葉に、チャコはびっとネコミミを立ち上げていた。ぎゅっと瞳孔が押し開くことを感じながら、チャコは彼女を見つめる。
「本当に、可哀想そう……」
ぎゅっとドレスを抱き寄せ、彼女は憐れむように眼を細めてみせる。
「そうなのかも、知れませんね……」
声が震えてしまう。それでも平静を装いたくて、チャコは笑顔を浮かべてみせた。
「本当はね、私もちゃんと赤ちゃんを産みたかったの。でも、なかなか生まれなくてね。仕方がないから、可哀想なチャコちゃんたちをもらうことにしたのよ……。チャコちゃんを見たとき思ったわ。この子だって。この子は私の子供になるべき子だって。そして思った。チャコちゃんはマブの子たちの中でも、凄く可哀想な子だと思うわ。その……」
言いよどみ、キャリコはチャコをじっと見つめる。
「ハイくんが、もう少し普通の子だったらね……」
「ハイは、もうケットシーなんかじゃありません!」
キャリコの言葉に、チャコは思わず声を荒らげていた。
チャコはテーブルを叩き、立ち上がる。ネコミミの毛を膨らませ、チャコは低く唸り声をあげていた。
「ちょ、そんなに怒らなくてもいいでしょう? 事実なんだから。それにケットシーといってもあの子は――」
「ハイは、どこもおかしくなんかない!!」
困惑するキャリコの言葉を、チャコは怒声で遮る。ぎっと鋭利な犬歯をキャリコに向け、チャコは眼を鋭く細めた。
びくりと、キャリコが怯えるようにネコミミを伏せる。そのときだ。キャリコの後ろにある窓にハイの姿が移りこんだ。
「えっ?」
チャコは思わず声をあげていた。
窓の正面にある別棟には、等間隔に硝子窓が並んでいる。
その窓に走り回るハイの姿がときおり通るのだ。ハイの姿が見えなくなると、たくさんの茶トラネコミミが窓を通り過ぎていく。
ハイは言っていた。生まれたばかりの赤ちゃんを、小さな兄弟たちがイタズラしないように様子を見てくると。
どうもハイは、その小さな兄弟たちに追われているらしい。
「チャコちゃん?」
震えるキャリコの声が聞こえる。
「すみません。ちょっと、失礼しますっ!」
彼女を一瞥することなく、チャコはドアへと駆け寄っていた。
「うぅぅぅぅうーーー」
唸り声をあげながら、ハイは廊下を疾走していた。ぐるぐると首を左右に振り、必死になってかけるハイは、両手に何かを捧げ持っている。
「まって、お兄ちゃん!!」
「ハイ、お兄ちゃん!!」
「赤ちゃん、さわらせてーー」
そのあとを、茶トラ柄のネコミミを持った少女たちが追いかける。
彼女たちは嬉々とした様子でネコミミを上下に動かし、楽しそうにハイを追いかけていた。
ハイと茶トラ少女たちの1団は、同じ廊下を行ったり来たりしている。その様子を、チャコは唖然とした様子で突き当たりの廊下から眺めていた。
「うぅうぅぅーー」
首を左右にふるハイが、チャコの脇を通り過ぎる。さきほどから何度もハイはチャコの前を通り過ぎているが、チャコに気がつく素振りさえ見せない。
「うぅぅううぅーーー」
また、ハイがチャコの前を通り過ぎる。チャコはすかさずハイのネコミミを鷲巣かみにし、自分の立つ廊下へと引きずり込んだ。
「うぅうう!! 痛い、痛い!! やだ……こいつは、渡さない! 命に替えても……ボクが守る……」
「ハイ、私だってば。ハイっ」
パニックになっているハイに、チャコは大きく声をかける。ぐるぐると回していた首をぴたっと止め、ハイはチャコを見つめてきた。
「姉ちゃん……?」
「どうしたの? なんで、チビたちに追いかけられてるの、ハイ?」
「う……姉ちゃんっ!」
両手に捧げ持っていたものを胸に抱き寄せ、ネコミミを震わせながらハイはチャコを見つめる。眠たげな三白眼には、涙が浮かんでいた。
「こいつを……。ボクは、こいつを子猫たちの手から守らなくちゃいけないんだ……。こいつは……ボク、そのものなんだ……」
胸に抱きしめていたものを、ハイはチャコに見せてくる。それを見て、チャコはぎょっと眼を見開いていた。
「うぅ……」
ハイが抱きしめていたのは、鯖トラ柄のネコミミを持つ赤ちゃんだった。
その赤ちゃんが、とてつもなく見覚えのある三白眼でチャコを見つめてくるのだ。
「こ、この子っ!」
「あ、姉ちゃん……」
思わず、チャコはハイから赤ちゃんを奪い取っていた。
「ううぅ!!」
呻く赤ちゃんの首後ろを、チャコは見つめる。首後ろには、6-666と刺青でナンバリングが施されていた。
「うぅ……」
「あ、ごめんっ」
赤ちゃんが唸る。チャコは赤ちゃんに謝り、顔を覗き込んだ。不機嫌そうに寄せられた眉間の皺を見て、チャコは思わず叫んでしまう。
「やっぱ、ハイだ! この子、ハイと同じ型番の子だ!!」
チェンジリングたちの遺伝子は、13人の子供たちの遺伝情報をベースにしているが、個体によって小さな差異がある。
この差異は遺伝子に多様性を持たせるた人為的に作られたものだ。
チェンジリングたちの差異を作り出す遺伝操作には、何千通りというパターンが存在するらしい。
ナンバリングの刺青は、チェンジリングたち全員に施されているものだ。前方の1から13までの数字でどの子供たちの遺伝子がベースになっているかを確認できる。ハイフン後の数字は、どのようなパターンの遺伝子操作をその個体に持たせたのかを識別するためのものだ。
赤ちゃんのナンバリングと同じく、ハイのナンバリングも6-666だ。
2人はまったく同じ遺伝子操作を施された存在ということになる。
事実、ハイの眠たげな三白眼は他の鯖トラたちには見当たらない特徴である。どちらかというと、鯖トラの兄弟たちは、チャコのようにぱっちりとした眼を持っていることが多い。
「うぅ……」
赤ちゃんが不機嫌そうに唸り声をあげる。
「姉ちゃん……返して……」
「あ、うんっ」
ハイに両手を差し伸べられ、チャコは思わず赤ちゃんをハイに返していた。ハイは、ぎゅっと赤ちゃんを胸元に抱き寄せる。
「うぅ!」
赤ちゃんが嬉しそうに声を上げる。ハイはそんな赤ちゃんをじっと見つめた。
「ボクと……まるっきり同じ遺伝子を持った兄弟なんて……初めてだ……」
「うん、珍しいよね」
愛おしむように赤ちゃんを見つめるハイに、チャコは笑顔を向けていた。
「うぅ……」
赤ちゃんは、そんなチャコに眉間にシワの寄った顔を向けてくる。眠たげな三白眼が不機嫌そうにチャコを映し込んでいた。
「もしかして、この三白眼面白がって、チビたち、この子を新生児室から連れ出したのかな?」
「そうなの……かな?」
ハイは赤ちゃんのように眉間に皺を寄せる。ハイの三白眼には、姉であるチャコにもよくわからない、不思議な迫力がある。
その独特な眼を、小さなアメリカンショートヘアー種の兄弟たちはとても気に入っているらしい。本人たち曰く、ハイお兄ちゃんらしくて面白いとのこと。
「ボクは……こいつが生まれた赤ちゃんの中で……1番小さいから……ほっとけなかった……」
「うぅ……」
ハイの言葉に反応したのか、不服そうに赤ちゃんが唸る。
「凄いっ。気にしてることまで一緒だ」
「ちっちゃいは……悪だよね……?」
「うぅ!!」
「おっきく……ならなくちゃね……」
「ううぅ!!」
赤ちゃんの体を自分に向け、ハイは声をかける。その通りだと、赤ちゃんは力強く声をあげる。
「ハイお兄ちゃんメッケー!!」
「チャコ姉もいる!!」
「赤ちゃんーー!!」
「赤ちゃん!!」
そのときだ。赤ちゃんの力強い声に気がついたのか、茶トラのチビたちがいっせいに廊下へとなだれ込んできた。
「ハイ、こっち!!」
「おうぅ!?」
チャコはとっさにハイの手を引き、廊下の突き当たりにある窓へとかけていた。窓を開け放ち、身を乗り出す。窓下に階下の窓の庇がることを確かめ、チャコは叫んだ。
「こっから出るよ、ハイ!!」
「うぅ!!」
ネコミミをぴーんとたてるハイを無視して、チャコは窓から身を乗り出す。
「赤ちゃんパス!!」
「うぅ……」
間髪入れず両手を差し伸べてくるチャコに、ハイは戸惑いの表情を向ける。ハイの胸に抱かれた赤ちゃんも、不服そうにチャコを見つめていた。
「ハイお兄ちゃん!!」
「お兄ちゃーん!!」
「兄ちゃん!!」
背後からは、迫り来る茶トラの大群たちが嬉々とした声をあげている。その声に、びくぅとハイと赤ちゃんはネコミミを震わせた。
「はい……」
「うぅ!」
チャコに赤ちゃんを手早く渡し、ハイは窓枠に足をかける。チャコはそれを見届けると、道のように並ぶ庇の上を走り出した。
「うぅぅぅぅ!!!」
興奮しているのか、赤ちゃんが大声をあげる。チャコは胸にしがみつく赤ちゃんをしっかりと抱き寄せ、庇の上を駆け抜ける。
「まって……」
そのあとを、ちょこちょことハイが追う。ただでさえ歩幅の小さな弟は、自分よりも足が遅い。
「早くっ! 追いつかれ!!」
「お姉ちゃーん!!
「姉ちゃん!!」
「ねー!!」
「チャコ姉ちゃん!!」
そのときだ。チャコの前方から天真爛漫な声がした。
チャコは、驚愕にネコミミの毛を逆立てる。庇を駆けながら、大量の茶トラネコミミの少女たちがこちらへとやって来ていた。
「姉ちゃーん!!」
ハイの悲鳴が後方から聞こえる。とっさに背後へと振り向くと、迫り来る茶トラのネコミミ大群が自分たちに追いつこうとしていた。
囲まれた。このままでは、自分たちは妹たちの餌食になってしまう。
「ごめん、赤ちゃん!! ブレザーの襟元しっかり握ってて」
「うぅ!」
チャコは、とっさに赤ちゃんを制服のブレザーの中へと押し込めていた。ブレザーにすっぽりと収まった赤ちゃんは、びしっと右手を頭の正面で構え、チャコに向かって敬礼をする。
「姉ちゃん!」
「今度は、こっち!!」
チャコは、壁に設置されていた雨樋に捕まり、さらに階下の庇を目指して降りていく。落まいと、ブレザーに収まった赤ちゃんは、服の襟首をしっかりと握り締めていた。
「まって……」
よたよたとハイがその後に続く。その姿を見届けると、チャコは目の前にある窓を思いっきり開け放った。中に続く廊下へと飛び込み、再び走り出す。ぽよんとネコミミがゆれる音がして、ハイが後方をついてきていることが分かった。
「どうしてチビたちに……ボクたちの動きが……」
荒い息を吐きながら、ハイが上擦った声をあげる。チャコは、後方にいる弟に顔を向けた。刹那、チャコの視界に隣の棟の屋上が映り込む。
「えっ!?」
屋上を見て、チャコは驚愕のあまり立ち止まっていた。
「うぅ?」
ブレザーの赤ちゃんが不思議そうに声をあげる。
「どうしたの……姉ちゃん?」
追いついたハイが、チャコに声をかけてきた。チャコは無言でハイのネコミミを引っ張る。
「い、痛い……」
「ハイ、チビたちに何教えたの?」
「え……」
「いいから答えて!」
叫びながら、チャコはびしっと屋上を指さした。屋上では愛らしい鯖トラ柄のネコミミが、たくさん動き回っていた。
チャコの弟たちは忙しそうに屋上を行ったり来たりしている。
そのうちの数人が望遠鏡でこちらを覗きながら、ぽよぽよとネコミミをいろんな角度に動かしていた。
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