第30話
「お前、どうしたんだよ。初花らしくないぞ。何で家出なんてしたんだ?」
啓の言葉に初花がおにぎりを食べる手を止めて顔を見据えた。
「帰ったら、あの女がいたんだ」
「あの女? ……ああ、あやめさん、だっけ?」
「うん……っていうかなんで啓が知ってる?!」
「電話あったんだ」
「電話?」
「あやめさん、心配してたぞ。だから、俺、探しに来たんだ」
「なんだ、あの女に言われて来たのか」
初花はそっぽを向いた。
その仕種にムッとして啓は、
「違います!」
と大声で言った。
そして、自分の大声に驚いて、言い直した。
「お、俺は、初花が心配だったから来たんだ! だって、俺たち……友達、だろ」
勢いよく言い始めたが、語尾はフェードアウトした。ちょっとだけ顔が赤かった。
「……ありがと……嬉しいよ」
初花は力なく微笑んだ。
その様子を見て、いつもなら興奮して喜ぶはずなのに、と啓は少し気落ちした。
「で、どうして?」
「いや、お父様が、結婚するって……久し振りに、やっと、会えたと思ったら……あんなこと……おまけに、女連れで……」
しどろもどろに初花は言葉を呟いてゆく。
「結婚か……」
啓は相槌を打った。
「お母様が、死んでから……だって、お父様が……ひっくひっく」
初花は、しゃくり上げた。
語尾は涙に濡れて言葉にならなかった。
啓は困って、初花の頭を数回ポンポンと叩いてから、優しく撫でた。
「……いきなり、け、けけ結婚、だなんて……お母様を忘れたのかって……でも、でも、……お母様と同じ顔の人が来たんだ…………かあさまと、そっくりで……それで、それで……」
堰を切ったように溢れ出す涙。
初花は、わんわんと子供のように泣き出した。
「あー。よしよし。初花は悪くないよ」
啓は女の子に目の前で泣かれたのは、幼馴染みの小春が転んで怪我をした保育園時代以来で、物凄く対処に困って、その時の自分の様子を脳の記憶の抽斗から引き出した。
そういえば、あの時は、駆け寄って、頭を撫でて、それでも、泣き止まなかったので、抱きしめたら、小春が何故か泣き止んだ、という事件を思い出した。
そして、ぎこちなく、手を伸ばす。
触っても、とりあえず怒られたり、撥ね除けられたり、嫌がられなかったのを確認して、距離を詰める。
そして、おずおずと、啓は初花を抱き締めた。
更に、初花を落ち着かせるように頭を撫でる。
「初花の父さんも、初花と同じで寂しかったんだろう。初花の母さんが亡くなって、もう何年か経っているんだろうし」
啓が宥める。
しかし、初花は気に食わない。
「お、お母様が死んだんだぞ! 時間なんて関係ない! お母様はお母様だ! 一人しか居ないんだ!」
啓は初花の言葉を聞いて、自分の発言が藪蛇だったか、と思った。しかし、説得しなければ、と思い、他の言葉を探した。
「じゃあ、あれだ。初花の母さんが二人も出来て、お得! っていうのは、ダメか?」
「ダメだ!」
さっきの倍の声量で初花に言い返された。
「うーんと、うーんと……」
啓は初花の説得に梃摺っていた。
それもそのはず、こういったことに慣れていない普通の少年だからだ。
途方に暮れる啓を知ってか知らずか、
「ふえっ、ふぇっ」
と、初花は啓の腕の中で泣き続けている。
泣きじゃくる初花を見て、おろおろした啓は、とにかく言葉を探していた。
この事態を、収められる、魔法の言葉を。
頭で必死に検索している時に、ふと啓は思い至った。
そういえば、面倒ごとが嫌いで、他人と自分で心に線を引いて、壁を作って、それ以上自分に入られないようにしていた自分が、傍観者を気取ってた自分が、初めて、自分から殻を破って、他人を自分の中に入れている――と。
その初の相手が、初花だと。
つまり、初花は、自分にとって……。
そう考えて、啓は真っ赤に成った。
でも、自分なりの魔法の言葉を見付けた気がした。
そして、
「あれだ、初花! お前の居場所はここにある!」
閃いたまま、啓は言葉に出した。
「秘密基地みたいに、居場所は自分で創るものだろ! 初花も、もう大きくなったんだし、独り立ちってって言うか――俺とお前で新しい居場所を創ればいいだろう! それは、きっと、初花の母さんや父さんがやってきた事と同じ事だよ!」
「……ひっく、……ふ、ふぇ、ど、どういう、こと……だ?」
「だから、初花の居場所は、ここにあるってこと! だいぶ父さんを独り占めしたんだし、そろそろ離してあげても、いいんじゃないかな? 初花の自慢の父さんが選んだ人なんだろ、あやめさんって……だったら、きっと良い人だよ! 大丈夫だって! 顔も似てたんだろ? 母さんに。ひょっとしたら、それも、初花の為、かもよ?」
「……初花の、ため?」
初花が、一瞬涙を止めて、啓を見上げた。
上目遣いが反則的に可愛いので、啓は不謹慎にもグラッと来たが、耐えた。
「ああ。だって、これから、色々と女の人の手が必要な場面も出るかも知れないし、初花の為の結婚でもあるのかも……しれないぜ」
「……」
初花が腕の中で身動ぎして、もう一度、じっと啓を見詰めた。
涙の跡が見える頬。
濡れて、赤い瞳。
(あー! もうっ!)啓は心を決めた。
そして口を開いた。
「だいたい、初花には俺も居るだろう! 俺が初花の父ちゃんの代わりになってやるし、っていうか、俺が初花の居場所だあああああああああ!」
啓は叫んで、はた、と気付いた。
(わあああ! 俺、どさくさに紛れてとんでもないことをぉおおお!)
啓は心の中でも叫んでいた。
「ぷっ」
と、腕の中の初花が吹き出した。
「啓じゃ初花のお父様になれるわけないだろう」
そう言って、くすくす笑った。
「いや、っていうか、それは比喩で、あの、えっと、そのですね、あのですね……なんていうかこ、こっ! いや、そのここここくは……ではなくて」
慌てて言い訳じみた事を続ける啓を見ながら、初花が続けた。
「……いいよ。わかった。啓が私の居場所なんだな」
初花は確認する様に言葉にした後、「そっかー、啓が私の居場所か」と、また自分に言い聞かせるように独り言を言って、そして、笑った。
「あーうん。男に二言はないっ!」
「そうか。じゃあ今日から啓が私の居場所だ。この秘密基地は、二人の家だな」
「ん。そういうことだ」
啓は何だかズレている初花の感性を少し恨めしくもあったが、少しホッしていた。元気を出してくれたのかな、と感じて。
「夜、ここに来るのは初めてだな」
初花が天井を見た。
釣られて啓も天井を見て、耳を澄ました。
――雨音が、聞こえない。
「あれ。雨音が聞こえないな」
その呟きに意外そうな初花が言葉を返した。
「え、雨降ってたのか?」
「ああ、さっき来るとき、降ってたんだ。てか、俺びしょ濡れだったのに気付かなかったのか?」
「うん」
「……。まあいい。ひょっとしたら、星が見えるかもな。出てみるか?」
「うむ!」
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