第11話

 相変わらず、スキップでもしそうなくらい軽い足取りの初花。その横を啓は歩く。

「この道まっすぐ?」

 啓が問う。二人が歩いている道は楼閣の門前のメインストリートだ。

「いや、あそこの角で曲がるんだ」

「あそこ?」

「ここから数えて三つ目の角だ」

「ふーん、三つ目、ね」

 てくてくと二人は歩いている。

 そして、曲がり角に到着。先導する初花が曲がったので、その後を啓も歩いた。

 土塀と石畳の路地が続いている。

「こっちの方までは来たことないや」

「まあ、こっちは、生活している人か、物好きしか来ないかもな。特に観光地というわけでもないし」

「まあ基本的に主君の居所から近いほど身分の高い人物が住み、遠くなるほどに身分の低い人物が住んでいたみたいだし……実際、学校近くの方が観光地って感じで、二、三箇所、旧なんとか邸とかいうのがあるもんなあ」

「うむ。実際その方がこちらまで人が来なくて助かっている。ここらの人は別に観光の為の一般公開はしていないから」

「お、ここ、道路脇に小川が流れてる」

 啓が驚くと、初花は笑った。

「なんだ、知らなかったのか。情緒があっていいだろう」

 と、少し自慢そうに言って、水路を指差した。

「結構流れが速いんだ。これが、神帰川に灌いでいる。ちなみにこれは、小川ではなく用水だよ。もともとは町造りのための資材の運搬用に使われていたとか」

「ああ。なるほど。でも、石造りの水路なんて恰好いいな」

 啓は鞄からカメラを取り出し、すかさず写真を撮った。

「さすが写真同好会の部長になるだけはあるな。もう写真を撮っているのか……」

 感心したように初花が呟くと、啓は照れたような困ったような顔で言った。

「……まあね、最早、クセ、っていうか……亡くなった祖父にも叩き込まれたし……あ、実家は写真館ね。と、いっても営業は――殆どしてないけど」

 それを聞いて初花は「今度連れてってくれ!」と身を乗り出して頼んだ。

 明らかにキラキラとした眼で頼まれたので、啓に断るなんていう選択肢は、なかった。

「いいよ。じゃあ今度はこっちに遊びに来たら? 川の向こうの商店街が俺んち」

「おお! 川向こうの! 行ったことが無いから楽しみだ! 是非案内してくれ!」

「いいよーじゃあ明日は商店街を案内するよ。結構楽しいところなんだぜ!」

 啓はどこを案内しようかと、少し脳内で考えて、明日がとても楽しみに思えた。

 また二人は歩くのを再開した。少し歩いて、急に初花が足を止めた。そして、道の先を指差して言った。

「あ、そうだ。この先が寺町になる」

 その言葉に、啓も立ち止まって初花の指の先を見た。

「寺町って? あの、寺が軒を連ねている?」

「そうだ」

「……ふーん、またそのうち写真を撮りがてら探検でもするか……」

 と、啓は考えたが、思ったことが口から漏れており、耳聡く初花に聴かれていた為、その探検に初花はついていくと行って譲らなかった。

 押し問答になり、困り果てた啓は、

「わかった。また今度一緒に探検しよう」

 と、折れてそう言った。対する、初花は飛び跳ねて喜んだ。

「……それで、ここで立ち止まった理由は?」

 二人が立っている場所は、水路の上を小さな橋が通してあるところの目の前である。

「うちに着いたからだ」

 しれっと初花は言って、スタスタ橋を歩いて、木で出来た門を鍵で開けた。

 すると、眼前には日本庭園が広がっていた。

「え、お庭?」

 啓はびっくりした。てっきり、玄関でもあるのかと思っていたからだ。

「ああ、日本庭園だ。他に茶室もあるぞ」

 門を閉めながら初花が答えた。

「ええ! 茶室まで!」

「ああ」

 何が不思議なんだとでも言わんばかりの目で初花は啓を見ている。

「ていうか、初花のうちってこんなでっかいの!」

 啓は驚きで、つい大きな声が出た。

 初花が自分のうちだと言った家は、大層、立派な武家屋敷、だったのだ。

「そうだぞ」

「ひえーお嬢様だー……御武家様だ……」

「何を言っている……確かにうちは武家の家系だがそれがどうした」

 呆れたように初花は行って、「ついてこい」と、硬直していた啓を促した。

 石橋を渡り、燈籠を数個抜けると、入り口に着いた。入ると大きな飛び石が印象的な玄関が現れた。

 玄関の先には本来の入り口である立派な門構えが見えた。

「あれ、本来の玄関ってこっちじゃ?」

「ああ、そうだ。ただ、こちらから入ると少し遠回りになるので、あそこから入っている」

「ふ~ん」

「まあ、いいから上がれ。茶でも出そう」

 そう言われて、啓は一先ず彼女の家へ入る事にした。

 いかにも武家屋敷といった大きな玄関を入ると、欅の式台と框が目に飛び込んでくる。

「うわぁ。式台がある……完全に武家屋敷……」

 と、漏らして啓は立ち止まった。

「ん? うちは武家屋敷だがどうかしたのか?」

「いやほんと、由緒正しいお家柄なんですね……」

 啓は思わず敬語になった。

「それがどうした? そんなことはいいから、入れ」

 廊下に立つ初花を見ながら、啓は玄関を上がった。

 初花が襖を開けると、その部屋は床の間と棚があり、雪見障子のガラスから、庭が見えた。

「ん、あれ、ちょっとまて、これ、ギヤマン?」

庭が濡れて見えるように歪んで見えるガラスに気泡が混じっているところから、啓は判断した。

「ああ、よくわかったな。いかにも、江戸時代のガラスだよ」

「うわ~……初花のうちはどこまでもすごいな……」

 この時代にこんなものが作れるとは、余程の人物だったのだろうと、啓は初花のご先祖様に思いを馳せた。

「まあ、気に入ってくれたみたいだし、そこで待っててくれ。茶を淹れてくるから」

「わかった。お言葉に甘えて待っているよ」

 啓の返事を聞いて初花は奥へ消えた。

 啓は、庭を眺めたり、床の間を眺めたり、釘隠しを眺めたりと、忙しく辺りを見回していたが、次第に冷静になり、ひんやりとした木造建築の体温の心地よさに、落ち着いた心持になった。

 座布団に座って、庭を眺めながら、

「いいうちだなーあとで、写真撮らせてもらおう」

 と呟いた。

「いつでも、構わんぞ」

 お茶を盆に淹れて持ってきた初花がそう言った。

「わぁっ!」

 急に現れて、声を掛けられたのと、独り言を聞かれて驚いた啓は思わず叫び声を上げた。

「なんだ、そんなに驚いて」

 きょとんとしながら初花は湯飲みを啓の目の前に一つと、その真正面に一つ置き、座布団の上に座った。

 机を挟んで正面の初花をチラッと見てから、啓は自分の目の前に出された湯飲みを手に取り、「いただきます」と飲み始めた。同じように初花も飲み始めた。

「ん、これ美味しいな~」

 啓が口元を緩めた。

「そうか。口に合って良かった。母がお茶が好きでな。その好みのまま買っているのだ」

 初花は照れたように、はにかんだ。ほんの少しの翳りと共に。

「初花のお母さんは、舌が肥えているんだな。ちなみに今は? 仕事?」

 啓は悪気無く疑問を口にした。

 初花は少しだけ言葉に詰まって、そして、ぽつりと口を開いた。

「母は、私が小学生の時に、亡くなったんだ」

 啓の顔色は、さっと変わった。「しまった」と顔に書いてある。

 ――その時は考えに至らなかったが、初花が言った「昔、出来なかった」という意味を帰宅してから思い返して、啓は更に頭を抱える事になるのだった。

 啓の表情を見て取って、初花が、困ったように笑った。

「いや、気にしないでくれ。もう、済んだ話だから」

「……なんか、ほんと、ごめん」

「うん、だから、いいんだ」

 しゅんとした啓と、眉がハの字の、少しだけ泣きそうな初花。

また、沈黙が流れた。

 前回とも雰囲気の違う、微妙な間。

 重い空気に堪えかねて、初花が口火を切った。

「さっき言い忘れてたが、うちはちょっと臍曲がりな先祖だったらしいから、やや城――というか下館から離れているが、位は高かったらしいぞ」

「そっか。すごいな」

 啓は初花と目を合わせないで発言した。合わせる顔がないと思って、自然、目線が沈んだ。

「うちは、――でも、父が生きているから、母が居ないのは寂しいが、寂しくないぞ」

 初花は、また違う話を始めた。

 啓は顔を上げた。

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