第9話
「まあ、彼女はまだ独特のあの匂いの洗礼を受けていないから、今後が楽しみだな」
と上機嫌の鳴雷は言った。
啓は口には出さなかったが、あの、狭くて密閉された感じ、そして、薄暗くて酸っぱい匂いというのが、やはりノスタルジックなのだろうか、と思った。
「まあ、我が写真部は、ただ道具任せで記録するような写真は撮らないのが伝統でね。しっかり光を読み、表現として捉えることを知るというのが大切だと考えているのだよ。だから、面倒くさがらずに写真における化学プロセスも講義するんだが――ま、それは今後開催しよう」
「……はい」
鳴雷の提案に、啓は仕方無く同意した。
正直、啓自身は、祖父からもその辺りを叩き込まれていたので、必要を感じなかったが、初花の為にはなるのではないかと思ったのだ。
基本的に初花は、今の様子から察するに、『知ること』が好きで、楽しめるタイプではないか、と確信したからだ。
「写真に於ける化学の集中講座、か。うむ、なかなか良いタイトルだな」
鳴雷は自画自賛していた。
啓は面倒くさそうに、その様子を見てから、再度、質問した。
「先生、写真部って、撮影旅行とか、ありますか?」
そういえば昔、父親からそんな話を聞いた覚えがある、と思い出したのだ。
「ああ。あるよ。基本的には保護者が居て、届け出さえすれば長期休暇の際に行って構わない。なんだ? 建午さんと山岳写真でも撮るのか?」
「いえ、まだそこまでは考えていませんが、一応」
「いやー、わたしたちの時もね、何度も行ったんだけど、一度、建午先輩が連れて行ってくれた山岳写真の旅は特に思い出深かったよ」
「そうなんですか?」
啓が驚いたように聞き返した。
それを受けて、鳴雷は物凄く渋い顔で答えた。
「ああ。そりゃあもう……言葉では言い尽くせないほどに…………………………………………………………しんどかったんだ」
啓は深く了承した。
「…………ああ、それは……、先生、さぞかし大変だった事でしょう」
「お、分かってくれるのか? いや、あれは、本当に、……………………死ぬ思いをした」
「そうでしょうとも……」
たったそれだけの会話で、鳴雷と啓は、なんだか教師と生徒という垣根を超えて、とても根本的な部分で分かり合えた気がした。
そうして、彼らに妙な感情が芽生え始めているころ、初花が一頻り騒いで疲れたのか、二人の所へ戻って来た。
「先生も啓も、なんだか、とても……」
その絶妙な表現の言葉に現実に戻された鳴雷と啓であった。
啓が、思い出したかのように尋ねた。
「先生、最後に一つ」
「ん、何だい?」
にこやかに鳴雷が対応する。
「父の、『事件』ってやつを教えてくれる約束でしたよね」
ニッコリ、と啓が笑った。
非の打ち所のない営業用スマイルであった。
対する鳴雷は非常に微妙な顔をした。
「ああ、あの話か……その話は、本当に、とても、大変、すっごく下らないんだが、いいのかな?」
「構いません」
キラキラした目で啓が言った。
啓にとっても、父親のそういった話は十分に興味があるものだったからだ。
「えーでは、こほん。じゃあ、話そう。約束だったから、な」
そう前置きして、鳴雷は話し始めた。
「遡ること、うん十年。ここ写真部には名物部長が居た。
その名を、清和建午。
――そう、清和君のお父さんだ。
彼は、写真部だけでなく、校内でも有名人だった。
その理由はコンクールに出す作品全てが入賞するような、才気走った生徒だったというのも、もちろんだったが、――彼は、特に、校内の男子生徒の圧倒的支持を得ていたのだった。
それは何故かって?
答えは…………女生徒の写真を売りさばいていたからだよ。
当時は、今ほど写真が簡単に撮れる時代では無かった。けれど、写真は今と同じ、否、それ以上に需要があった。高校生の頭の中は、恋愛や……それに伴う不埒ことで満たされている。そこを、彼――建午先輩は満たしたんだよ。
生徒から依頼を受けて、女生徒の写真を隠し撮りして、現像、販売していたんだ。
ただ彼の賢いところは、その利益を独り占めせず、部に還元していたところだ。だから、部内では暗黙の了解になっていた。実際、撮影旅行費は、そこから出ていたからね。
しかし、あるとき、それが大問題に成ってね。惜しまれつつも、その裏の活動は、幕を閉じたんだよ。
……とまあ、色々はしょったが、こんな感じでね。
だから、君のお父さんは、とても優秀な人物を撮るカメラマンでもある。……見たことあるかな?」
急に質問されて、啓は言葉に詰まった。
「……うーん、あんまりない、ですね」
「じゃあ、今度色々見せて貰うと良い。せっかく優秀な師匠が居るのだから」
鳴雷はそう言って締めた。
鳴雷は知らないが、ポートレイトというと、啓の中では祖父の事が真っ先に浮かぶのだった。
啓は、写真のことは基本的に祖父から学んだし、祖父は仕事として、街の人みんなの人生の節目を写真に写し撮っていたからだ。
だから、人物メインというと、祖父のことしか連想できなかった。
初花は大人しく話を聞いていたが、凄く疑問な事が一つだけ存在したので、あとで啓に聞こうと思った。
(……不埒な事ってなんだ?)という至極当然の疑問だった。
啓は初花の様子を見て、今日はここで部活関係の物事は終わらせようと思った。
「先生、では、今日の活動はこれで終わりで構いませんか?」
「ああ。あとは生徒会室に寄ってくれれば完璧だが」
鳴雷の言葉を聞いて啓は生徒会室に寄ってから帰ることに決めた。
「わかりました。生徒会室で申請してから帰ります。それでは、先生、また明日」
「ああ、また明日。気をつけて帰るんだぞ」
二人のやりとりをみて、初花も言った。
「先生、さようなら」
「ああ、さようなら」
そして、二人は、その場を後にし、生徒会室に向かった。
「生徒会室って初めて行くな」
啓がボソッと呟いた。
「うむ」
聞き逃さなかった初花が相槌を打つ。
またも、啓はオリエンテーション中に渡された地図を見て、生徒会室に向かった。
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