第8話

「あ、そうだ! 初花の願いを叶えるんだから、こっちの願いも叶えて貰おうか?」

 交換条件のような言いぐさに、初花の顔色が変わる。

 不審者を見るような目で睨まれた。

「……むっ! な、なんだ?」

 啓は、気後れしつつも、(ええい! ままよ)と清水の舞台から飛び降りた。

 女の子を自分から誘うなんて。初めてのことだったからだ。

「初花、一緒に写真部――あ、今は写真同好会なんだけど――に入ってくれないか?」

 初花は少しだけ不審そうな表情から、普通の顔に戻ったが、あまり気乗りしないのか、「むむぅ」と微妙な表現で唸っている。

 啓は畳み掛けた。

「ほら、この通り! 一生のお願い! 初花様! どうか!」

 と、拝み倒している。

「う~ん」

「お願い! 人助けだと思って! ね、ね!」

 ついに土下座してまで啓は頼み込む。

 それを見兼ねて、初花が溜め息と共に言った。

「……そこまで言うなら仕方ないな。入ってやろう」

 啓の顔が明るくなる。

「おお! ありがとうございます! さすが初花様」

「初花様は止めろ。初花で良い」

「ありがとう! 初花!」

「うむ」

 と深く頷いた初花が、ふと問う。

「ところで、なんでそんなに写真部に思い入れがあるんだ?」

 啓は、照れ隠しで頬を搔きながら言った。

「うちの父親、ここの卒業生なんだよね。その『秘密基地製作術』の写真担当、あれ、おやじでさ。今朝会った化学教師も、同じ写真部で、おやじの後輩だったんだって。で、その先生が言う訳よ……おやじがいかに凄かったか、って。――だから、対抗心、っての?」

 啓の言葉に、初花は納得した。

「なるほど。そういうことか」

「うん。で、おまけに、写真部、廃部寸前なんだって。だから、盛り返してやりたいし」

「そうか、良い夢だな」

「それで、同好会には格下げされるけど、部員が初花と俺の二人なら、ちゃんと写真部、存続されるからさ。二人で始めて、どんどん大きくしようぜ」

「うむ! そうしよう。大きいのはいいことだ!」

 初花の意見に啓は少しだけツッコミを入れたくなったが、我慢した。

「それで……急なんだけど、一緒に化学準備室に行かないか?」

「ん? 何故だ?」

「ええと、化学教師がそこにいるらしくて、で、手続きはそこでって言われたんだ」

「おお。そういうことなら構わん」

「ありがとう。じゃあ、行こうか」

 二人は体育館裏から校舎に戻ると、化学準備室に向かう。

 オリエンテーション中に渡された地図を見て、化学準備室に辿り着いた。

 扉をノックすると、中から声がした。

「はーい」

 啓と初花は顔を見合わせた。

 啓が、ごくんと唾を飲み込んでから、

「あ、あの、清和です」

 と言った。

 それを聞いた鳴雷が中から、

「入れ」

 やや大きな声で返した。

 ドアを開けて部屋に入ると、化学準備室は、少し広めの部屋に、実験器具や実験に使う薬品の名前の書いてある段ボールやボンベ、何かが入った小物入れなどが乱雑に置かれていた。

 そんなごみごみした部屋の中心に、例の化学教師、鳴雷が居た。

 相変わらず白衣を着ている。

 彼の座る椅子の目の前には大きな机があり、その上にはラップトップ・パソコンが置いてあった。

「早いな」

 鳴雷が椅子に座ったまま、器用に椅子を回転させ、振り返った。

「はい」

 啓が答える。

「ちゃんと部員が二人か、良かった。これで、同好会には格下げにはなるが、少なくとも写真部は廃部から逃れられた」

「それで、入部するにはどうすればいいですか?」

「ああ」

 というと鳴雷は自身の机の抽斗を開けた。

 緑色のファイルを取り出す。

 ファイルの中には入部届と書いた用紙が入っていた。

「はい。先ずは・・・・・・これに名前とクラスを記入してくれ」

「わかりました」

 啓は受け取る。

 そして、鞄から筆記用具を出した。

「ここで書いていくか?」

「はい」

 啓の答えに鳴雷は自分の机の左隣を指差した。

「あそこの机が開いているから、そこで書くと良い」

「わかりました」

 啓が移動しようと動き始めた時に、今まで黙っていた初花が口を開いた。

「私も一緒に行って書けば良いのか?」

「うん。そうだよ初花」

「わかった」

 二人は机に移動して、先ず啓が書き込み、次に初花にペンを渡した。

 そして、初花もササッと入部届に自分の名前とクラスを書き込んだ。

「書けたぞ」

 初花は啓にペンと入部届を渡した。

「ありがとう」

 啓は受け取り、ペンを鞄に仕舞うと、入部届だけ、鳴雷に手渡した。

「入部届に顧問の印鑑を押して・・・・・・」

 そう言いながら鳴雷は、抽斗から印鑑を出し、判を押した。

 そして、もう一度、入部届を啓に渡して言った。

「これを部長が生徒会室に届けて来れば事務作業は全て終わる。生徒会室に行けば、あとは彼らがやってくれるからな」

 鳴雷は啓と初花の方に大袈裟に向き直ると、わざとらしく微笑んだ。

「さて、これで君達は写真部――あっと、失礼、写真同好会の一員だ。これから、部活に格上げできるように、頑張ってくれたまえ」

 さらっと他力本願な事を言う顧問である、と、啓も初花も共通して個人的な感想を持ったが、それを余り顔に出さずに啓が質問した。

「先生、部活に格上げって何人必要ですか?」

「――そうだな……確か、五人だったと記憶しているが……」

「五人……わかりました」

 啓が神妙な顔をしている横で初花が、

「あと、三人か」

 と意味ありげに呟いていた。

「あ、そうそう。一応部長も決めておく必要があるのだが、清和君でいいな?」

 鳴雷が啓を見て言った。

 啓は小声で初花に「俺で良いか?」と聞いた。

 それに対して、初花が頷いたので、

「はい、構いません」

 と、鳴雷に対して言った。

「よし、じゃあ、それを生徒会室で言うように」

 啓には、まだまだ質問する事が残っていた。

「それから、先生、写真部って具体的にはどんな活動をするんですか?」

「ああ、それはな、色々あるが……、そうだな、先ず、君に関係しそうなことと言えば、コンクールについてかな?」

 特に質問も受けなかったので、鳴雷は続ける。

「コンクールは、各自で応募したいものがあれば、顧問である私に申請する。というか、部として、学校として厳密に必要な手続きはそんなに無いので、基本は、私に一言伝えればオーケーだ」

 啓は頷いた。

 だが、ふと思った。

 (各種コンクールは出したければ自分でどうぞ。先生は、部や学校として手伝いはするけど、基本は自分でって、高校生にそれじゃ、その放任っぷりが、今日(こんにち)の廃部寸前の事態を呼び込んだんじゃないのか? 普通、高校生って、一部を除いてあんまり自発的じゃないと思うぞ)と、啓は心の中で疑惑を深めた。

 しかし、それは得てして核心を突いていたのだった。

 そんな啓の考えを露知らない鳴雷は二人を見回して、また話し出した。

「それから、これは学校の写真部としての義務に近い話だが、各種学校行事の撮影、という活動がある。これは、例えば、分かりやすい例は、体育祭だろう。そういった学校行事の際に、写真部がその活動を写真に撮り、記録する。

そして――、また、具体例を出すと、その活動を収めた写真を新聞部からの要請があれば――まあ、これは必ずあるので、そもそも、要請されなくても渡しに行けば良いし、忘れていたら、あちらから催促されるから、まあ……大丈夫だろう。そして、写真を渡すと――それが記事になり、学校新聞が発行される。といった感じの仕組みになっている。これは我が校の伝統だ。わたしたちの時代でも、そうだった」

 鳴雷はまた、遠い目をした。

 啓は、少々失礼にも、この先生は良く過去回想に入るなあ、と、白髪の交じった化学教師を見守った。

「……ああ、わたしとしたことが、つい回想に入ってしまった……そうそう、ええと、それで、続きだ」

 鳴雷は「こほん」と咳払いを入れた。

「あとは、ミーティングだな。これについては、君達で好きな回数行えば良い。

参考までにわたしたちの時代は必ず一週間に二回は行っていた、と教えよう。それから、月一回の顧問への活動報告、だな。これは欠かさないでくれよ。これについては、わたしのいる、この化学準備室に来て、適宜報告してくれれば良い。この辺は月末辺りに一回どうするか、わたしたちで話し合おう。それまで、色々考えておいてくれたまえ」

「わかりました」

 啓が頷いたところで、初花が口を挟んだ。

「ええと、先生、一つ質問しても宜しいでしょうか?」

「無論だ」

 鳴雷は初花に向き直った。

「写真部、って一応部活なんですよね?」

「そうだ。というか、一応は余計だ、一応は。それと、訂正。今は、写真同好会、な」

「はい、ええと、その写真同好会ですが、部室というか……ええと、同好会室? は、ありますか?」

「おお! とても良い質問だね」

 鳴雷は嬉しそうに答えた。質問されて嬉しいというのは教師の性分のようだ。

「写真部時代の部室は、今もあるよ」

 そう言いながら、急に鳴雷は席を立った。

 初花と啓は、いきなり席を立った鳴雷に驚いたが、二人のそんな様子には全く気付かない彼は化学準備室のドアまで歩いた。

 そして、くるりと振り返ると、

「君達もおいで」

 と手招きした。

 慌てて二人が駆け寄った。

「部室はね、実は凄く近くにあるんだよ。まあ、だいたいの生徒は、この化学準備室が校舎の一番端の部屋だと思い込んでいるがね、実は」

 と言って、理科準備室の隣のドアを開けた。

 まるで、理科準備室の続きのような、物置のような外観だったので、ここが部屋になっているなんて啓も初花も想像が付かなかった。

「ここ、この写真部の部室が、この校舎の一番奥の部屋なんだ。鰻の寝床みたいだろ?」

得意げに鳴雷が案内する。

「ああ。ほんと、そうですね」

「ほんとだな」

 啓と初花が口々に同意した。

 それもそのはず、先程の化学準備室の三分の一ほどの横幅の部屋だった。

 しかし、奥行きは何故か化学準備室より長かった。口には出さなかったが、啓も初花も(変な構造の校舎)だと思っていた。

「ほら、今はもう珍しくなった暗室もあるんだぞ~」

 鳴雷は自慢したが、正直、何にも珍しくも無い啓が、

「うちにもありますけど」

 つい口を滑らせた。

「あー。そういえば、……そうだな。でも、普通はそうじゃないんだぞ……」

 鳴雷は苦笑した。

 初花は、そんな二人のやり取りには目もくれず、

「おお~!」

と、キョロキョロ辺りを見回しては、はしゃいでいる。

 初花は暗室を見るのも始めてなら、引き伸ばし機などを見るのも初めてで、とても楽しかったのだ。

「おおっ! なんか薬品があるぞ!」

 などと色々観察している。それを見て鳴雷が、

「ほら、あれが普通の反応だ」

 我が意を得たり、と啓に囁いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る