第6話


 廊下を歩いている啓は、不意に、呼び止められた。

 否、正確には、妙な声掛けをされたのだった。

「あれ? 建午けんご先輩?」

 啓は振り返る。

 建午、とは、彼の父の名前だったからだ。

「……ええと、建午は父の名ですが……そちらさまは?」

 啓は訝しげな視線で問うた。

 声を掛けてきたのは、いかにも教師といった風情で白衣を着た四十代くらいの男性だった。

「うっわー。そっくりだな……」

 教師らしきその人は、そう言ったっきり驚きのあまり声が出ない様子だった。

「――ということは、父の知り合い、ということで宜しいでしょうか?」

 啓が畳み掛けた。

「……あ、ああ。そうだ。わたしは、この高校で化学の教師をしている鳴雷なるかみという者だ。建午先輩――いや、君のお父さんは僕の部活の先輩でね」

「ああ。そうでしたか」

「あまりに君が、その……君のお父さんに似ているので、年甲斐もなく驚いてしまったよ。いや、すまなかった」

「いいえ。お気になさらず」

「そうか、君もこの学校に入学したのか――ということは、写真部に入るんだね?」

「まだ考え中ですが、多分……」

「そうか。しかし、随分間の悪い、というか、大変な時に来たものだね」

「え?」

「実は、現在写真部は廃部寸前の部活なんだ。昔――それこそ、君のお父さんの時代は栄光の写真部と呼ばれて誉れ高かったのだが、現在は気軽に携帯で写真を撮れる時代になってしまったからか、生徒に人気が無くてね」

 鳴雷は顔を曇らせた。この意見は啓にとって非常に意外なものだった。逆に、写真が気軽に撮れる時代だからこそ、写真部の需要はあると思っていたからだ。

「残念ながら、去年卒業した生徒達が最後の部員だったんだ。……あ、言い忘れていたが、わたしが顧問だ」

「そうでしたか」

 啓は苦笑いした。

 そんな啓の様子を見て、鳴雷は言葉を続ける。

「ただ、今年、二人部活に入れば――同好会に格下げされてはしまうが、一応の部の存続は出来る……良かったら、君と、あともう一人連れてきてくれないかな?」

「まだ、なんとも言えませんが、善処してみます。僕も写真部に興味がありますし」

「そうか。頼まれてくれるか……ありがとう」

 鳴雷はそう言って、遠くを見詰める様な目をした。

 彼の顔は廊下の、窓の外を向いているが、しかし、啓には、昔を懐かしんでいるように思えた。

 彼の頭の中では、きっと、数十年前の、この校舎にタイムスリップしているのだろう、と。

「ここの写真部は、本当に凄かったんだ。いくつも賞を獲っていたし……特に、君のお父さんは、凄まじかった。あらゆる賞を総なめにする勢いだったよ。何を撮っても、素晴らしかったんだ。特に人物を撮るのが、上手くて、本当に、あれは――、神懸かり、まさしく、そういった表現でしか当てはまらない作品だったよ」

 しみじみ言われて、啓は少し意外だった。

 確かに、父は啓が産まれてからも賞をいくつか獲っていたが、どうにも山岳写真ばかりだったからだ。

「父が、人物の写真で有名だったなんて、初めて知りました」

「え。そうなのかい?」

「はい」

「ああ、そうか、……あの事件のせいか……、確かに最近は山岳写真で有名だものな」

「ええ。それで、事件って?」

「ああ。たいしたことじゃないんだ」

 そういって鳴雷は誤魔化した。

「なんですか? 気になります」

 啓が追求すると、

「そうだなぁ……じゃあ、君が写真部に入ったら教えてあげよう」

 はぐらかすようにそう言ってから、露骨に話題を変えようと鳴雷は矢継ぎ早に話題を出した。それが、ますます啓の疑惑を深めた。

「そういうわけだから、君には是非お父様の跡を継いで、写真部の部長になって欲しいと切に願うよ」

「……まあ、善処しておきます」

 啓は同じ言葉を繰り返した。

「よろしく頼むよ」

 鳴雷は、そう言ってから、思い出したかのように付け足した。

「私は、殆ど科学準備室にいるので、部員が集まったら、顔を出してくれ。……なるべく早めにな」

 そう言って、鳴雷は足早に去っていった。

 啓は入学早々面倒な事態になったと思い、溜め息を一つ、零した。

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