第3話
自宅に着く頃には、きっと幼女も家に辿り着いているだろう、と前向きに考えることができるようになっていた。
さて、啓の実家は、『清和写真館』という達筆な木造の看板が目立つ店である。道沿いのディスプレイには祖父の撮ったこの商店街の人の写真や、父の撮った自然写真――山岳が多いが――、そして、年代物のカメラなどが飾ってある。
啓は鍵を開けて中に入り、灯りを点ける。
慣れた動きである。それもそのはず、彼はここ三年間は、ほとんど一人でこの家で暮らしているのだから。
二階の自室へ上がり、鞄を置くと、パソコンを起動した。
そして、デジタルカメラのデータをパソコンにインストールし、モニタで写真チェックをした。今日撮った中で気に入った写真は印刷した。
啓は、プリントアウトしたそれを眺めながら、なかなか良い写真が撮れたと満悦であった。
しかし、写真を眺めるうちに、つい、独り言を呟いていた。
「そういえば、着物のあの子、やっぱり頼んで写真撮っとけば良かったかなあ……」
と。
そうこうしているうちに御飯時になったので、啓は隣の花屋へ出掛ける事にした。
ここに、両親不在の状態がデフォルトの啓がどうやって生活しているのかの答えが隠されている。
そう、実の所、啓は写真館の隣で花屋を経営する
元々、この祝家は父の幼馴染みの男友達の家である。
彼は家業の花屋を継いだ。その花屋へ嫁いだのは向かいの八百屋の一人娘――こちらも啓の父の幼馴染み――である。この商店街のロミオとジュリエットの話は後日に譲るとして、隣に幼馴染みがいる事を良い事に、父親は自分の息子である啓の事を頼んで仕事に行ってしまうのであった。
――曰く、「山がオレを呼んでいる」。
啓の小さい頃には、一緒に山に行き、キャンプなどのアウトドアも一通りしたのだが、啓が中学に上がる頃から、父母の趣味と実益を兼ねた登山に同行する事を拒否した為、それ以来、特に一緒に行くこともなくなり、逆に父母は啓の物心がついたのを良いことに、啓を置いて二人とも仕事という名目で好きな登山へ出掛けてしまうのであった。
さて、その花屋には啓と同い年の幼馴染みの、小春(こはる)という少女が居る。
啓が花屋の入り口に姿を現すと、直ぐに気付いた小春の母が啓に笑顔で声を掛ける。
「啓くん、おかえりなさい」
「おばさん、おじさん、ただいま」
啓は小春の母と、奥でフラワーアレンジメントをしている小春の父に挨拶した。
「おお、啓、おかえり」
小春の父が啓に気付いて、微笑んだ。
「小春ー、お父ちゃんとお母ちゃんはもう少し仕事が残ってるから、啓君と先に御飯食べててー」
小春の母が店の奥に聞こえるように大きな声で指示をした。
「はーい」
奥から小春の声がする。
「……て訳だから、啓くん、先食べてて」
「わかりました」
啓が暖簾を潜って奥へ進み、右側の部屋へ入る。そこはこの家のダイニングルームである。
その奥がキッチンから、茶碗二つを盆に載せた少女が部屋に入ってきた。
サイドポニーテールが印象的な少女は、エプロン姿である。控えめな胸の凹凸の少ない体をしているので、エプロンを着ていても、どこか可愛らしい風情であった。
「小春、ただいま」
「あ、啓くん、おかえりなさい。クラス、また一緒だったねー」
小春と呼ばれた少女は明るく笑った。笑うと優しげな面立ちが更にふわっとして、とても癒やされる。(ほんと、笑うとおばちゃんそっくりだなー)と啓は何時もながらに思った。
「そうだな。また宜しくな」
「うん。あ、御飯炊けたから、座って座って」
「何か手伝うか?」
「んー、今日は良いよ。もう配膳しちゃったし」
「そうか。じゃ、遠慮無く」
啓が椅子に腰を下ろすと、小春が啓の左手側に茶碗を置いた。そして、自分の所にも茶碗を置き、盆を机の横に据え、自身も椅子に座った。
眴せして、二人で声を揃えて、「いただきます」と宣言し、食べ始めた。
今日の料理は、えんどう豆御飯、菜の花と花麩のお吸い物、卵黄を菜の花に見立てた鯛の菜種焼き、蕨のおひたしである。
「蕨が苦いから、全体の味がサッパリするな」
啓が言うと、
「うん、料理はバランスだからね」
と小春が返した。
「卵って偉大だよなー」
鯛の菜種焼きを食べながら、啓が感心したように言う。
「そうだねー」
マイペースにお吸い物を飲んでいた小春が適当に相鎚を打った。
しばらく二人とも黙々と食事を勧めていた。そして、殆ど食べ終わりつつある頃、小春が啓に話し掛けた。
「そういえば、帰るの遅かったね」
「……ん、写真撮ってたら遅くなった」
啓は何故だかわからないが、あの幼女の事は言わないで小春に返答した。
その啓の答えに小春は笑った。
「相変わらず、写真好きだねえ」
「まあ、な。趣味だし。それに神来高校入ったのも、あの建築が目当てだもん。撮らずにいられますか」
「ほほー建築目当てで入るとは、珍しいですねえ」
からかうようにニヤッとした目で小春は啓を見詰めた。
「アレ? 言ってなかったっけ?」
「いや、聞いてないよー」
「そっか。じゃあ小春は何で神来高校入ったの?」
「近いから」
「その理由よりマシじゃないか、俺の理由の方が」
「どっちもどっちでしょ」
「そうかぁー?」
「あ、部活どうする? わたしはラクロス部にしたんだけど、啓は?」
と、小春は啓を見た。
啓はその視線を受けてから、蕨のおひたしに箸を伸ばした。
「あー。まだ何にも考えてない。必須だっけ?」
「必須だよ。何部でも良いんだけど……写真部とかもあるみたいよ?」
「ふーん。まあ見学してみないことには……」
と啓は言って、
「あ。写真部かー」
と答えた。
「ん? どうかした?」
「いや、写真部か……写真好きだけど、思いつかなかったわ」
と啓は自分の迂闊さに笑った。
「まあ、明日にでも行ってみたら?」
小春の提案に、
「ん、そうする」
と啓は答えた。
そして、食事が終わって、啓は洗い物をしてから実家に帰った。
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