第2話

 そんな事を考えていた啓の目の前に、赤い着物姿でおかっぱの幼女が現れた。

 着物の上に被布を着ているので、服装に余り詳しくない啓でも、彼女の年齢が未だ幼い事に気が付いた。気分の良かった啓は、

「きみ、どうしたの? お兄さんかお姉さんは?」

 と、珍しく、親切心から尋ねた。

 その啓の発言を受けて、幼女は怒ったように言った。

「わしは神様じゃ!」

 その言葉は、きちんと啓に届かなかった。

「あーはいはい」

 啓はそう言って、まともにとりあわなかった。

 なぜなら、啓には女の子がダダをこねているように見えたからである。

「それに、わしはな! あねうえのところで遊んだ帰りに迷子になったのじゃ!」

 それを聞いて啓は(ああ、やっぱり迷子ね……)と心の中で思った。

「道を聞こうにも、誰もわしを見てくれんし!」

 幼女はプリプリと続けた。

 確かに、幼女はとても愛らしい面立ちをしている。

 それを観察してから、啓は言った。

「ああ、最近は物騒ですからねー。幼女と目を合わせただけでも、男子は通報される社会ですから、そりゃあ誰も助けてくれないでしょう」

 幼女に向けては言わなかったが、啓自身も基本的には同じ考えである。

 ただ、今日だけは、なんだか不思議と、特別に面倒事に関わっても良いと思えた。

 啓は自分の中で常に他人と距離がある性格だった。他人と無意識に線を引いて距離をとってしまう。だから、一見友達がいるように見えて、啓には自分で友達と認める人間は、一人もいなかった。

 それに啓は、一人でいることも、そんなに嫌いではなかったのだ。

 傍観者でいるのが信条で、だからこそ、カメラは啓にとって最良の道具であった。

 ――そう、カメラを構えるという事は、最も傍観者たれる正当な権利が得られるからである。

 少なくとも啓は、ずっとそう思って来た。

「嘆かわしい! まったく! 本当に、最近のやつらは!」

 尚もプリプリと意見を述べる幼女の姿は、なんだか、すごく、微笑ましい。

 啓は少しだけ口元を緩めた。

「それに、最近の子供は外で遊ばんのじゃ! わしが一緒に遊べんから、つまらぬ!」

「うーん、そうですね。最近は室内での遊びが多いから……」

「室内? 何するんじゃ?」

「ええと、ゲームとか、ですかね?」

「げぇむとは何じゃ?」

「うーん、テレビを使って遊ぶ箱? みたいな? あーでも、最近は携帯用とかあるしなあ……」

「ファミコンか?」

「おお、よくそんなレトロなもの知ってますね!」

「うむ! わしは物知りだからな!」

「えらいえらい」

 啓が褒めると、幼女は喜んで胸を張った。

「さて、きみのおうちはどこですか?」

 啓が聞くと、幼女は指を指した。

「あっちじゃ! あの山!」

 幼女の指先を視線で辿って、啓は納得した。

「ああ、神来山の方か」

 そう呟いて、

「よしっ。帰る方角と同じだから、送っていってあげましょう」

 啓の発言は微妙に恩着せがましい表現になったが、幼女は気にしていなかった。

「うむ! よろしく頼む」

 そう言うと、幼女はスタッと啓の横に立った。

「じゃあ、行きますか」

「うむ!」

 そうして二人は歩き始めた。


 神来高校の、創建年代が不明な程古い楼閣の門前は、城下町である。

 今も城下町だった歴史を色濃く残した、古い町並みが自慢の神帰町は、武家屋敷や町人の表店の長屋が今でもそのままの景観を残しており、国の重要伝統的建造物群保護地区に丸ごと指定されている。

 つまり、どこを撮っても写真映えするのである。

 啓はウズウズとしだした。

 写真家の血が騒ぐのである。

 それを察して、幼女が声を掛けた。

「おぬし、写真を撮りたいと思っているのであろ?」

「え!」

 なんで分かったんだろう、と啓が聞き直す前に、幼女はニヤッと笑った。

「ぬしの顔に書いてあるぞ」

 啓は照れたように、誤魔化すように笑って言った。

「……あー。やっぱり顔に出ますか」

 よく言われます、と続けて、啓は提案した。

「じゃあ、きみを送る約束はちゃんと果たすので、寄っていっても構いませんか?」

「うむ。構わん」

 幼女が、また笑った。

 それは、すごく可愛らしい笑顔で、啓はすかさず写真を撮りたくなった。

 が、幼女を撮るのはリスキーだと、構えた腕を、しょんぼりと降ろした。

「よし、まずは、腹ごしらえしますか」

 啓はズボンのポケットから財布を取り出し、所持金を確認。

「うーん、一人分しかない……どうしようかなあ……」

 金額を見ながら逡巡する啓に、幼女は声を掛けた。

「ぬしだけ食べろ。わしは腹が減っていない」

「……うーん、ごめんね。いつか埋め合わせはするからさ」

 啓は申し訳なさそうに幼女に向かって手を合わせた。

「いや、久し振りに楽しかったから、そんなものは要らぬのだ」

「そう? まあ、ちゃんと約束は守るよ。あとできみを送っていくからさ」

 そう言いながら啓は今日の計画を決めた。

 まず、有名なお茶屋――これも重要文化財である――を改装した茶店で、建築物を眺めながら、ちょっとリッチに生菓子付きのプランで抹茶を飲む。その後、そこの写真を撮り、幼女を送り、帰宅する、と。

 そんなわけで、啓は注文と同時に、店の人に写真を撮る許可を貰った。

 この市では、観光を財政の収入にしている事もあり、基本的に、許可さえ撮ればどこでも写真が撮れるのである。但し、マナーには厳しく、一度でも違反行為をした場合は二度と撮影許可が下りなくなる。

 しかし、この取り組みは大変好評であり、この為に足繁く通う写真好きな観光客が多い。

 茶の間で注文を待ちながら、啓は建物を見渡す。

 入り口を入って直ぐに二階へ向かう階段があり、階段の上は高い吹き抜けになっている。

 階段の裏に囲炉裏があり、そこが茶の間になっている。そう、啓と幼女が座っている場所である。

運ばれてきた上生菓子を食べていると、次にお薄が運ばれてきた。

 上生菓子を食べ終わってから、お薄を戴く。

 茶碗を右手で取り、左手に載せ、右回りに2回廻し、三口半で飲み、飲み口を右手で拭い、指先を懐紙で拭いた。

「ふう。抹茶の爽やかな苦味が心地好いですね」

 啓が一息吐くと、

「最近の者にしては、抹茶をちゃんと飲めるとは偉いな。褒めてつかわそう」

 幼女が啓を見て感心したように笑った。

「まあ、ちょっと省略しましたけどね。一応、祖父に仕込まれてますから」

 啓はそう返した。

 そして、飲み終わると、一旦デイパックに仕舞っていたカメラを取り出した。

 階段を登って二階が座敷である。天井は高く、紅殻色の壁に、慶塗の違い棚、引き手は七宝製。それだけでなく、釘隠しも動物の意匠を凝らしており、部屋の全てが華やかに造られている。

 床の間を背に座って、向かいの部屋の襖を開ければ、そこが芸妓が芸を披露する舞台である。

 単純だが、洒落た仕掛けだと啓は思う。

 そんな風に啓が気ままにカメラを構えては動く後を、幼女は追った。

 写真を撮り、階下へ。

 啓は、お茶屋の庭を次に撮ろうと考えたのである。

 庭は典型的な庭で、春日燈灯、月見燈灯、槍燈灯が配置よく佇んでいた。

 何ショットか撮って、彼はお茶屋を後にした。

「うーん! いいが撮れたぞ」

 自画自賛する啓に、

「ふむ。それは良かったな」

 と幼女は言祝いでから、少し考えた後、続けて口を開いた。

「でも、おぬし、まだまだ撮り足りない、といった顔をしているぞ」

 図星を指されて、啓は赤くなった。

 確かに、まだまだこの街には撮るべき場所が多いのである。

 幼女は心を見透かすような、じっとりと濡れた目で啓を見た。

 そして、ニヤッと笑って、口を開いた。

「ふうむ、わしもまだ時間がある。おぬしについて観光するのも悪くない、と思うておるが、どうじゃ?」

「……ありがとう。じゃあ、もう少し、一緒に回りましょうか」

「素直でよろしい」

 えへん、と幼女がまた胸を張った。

 胸を張ってもぺったんこな胸は、着物に良く似合っていた。

 が。

 啓はそんなこと口が裂けても言わないのだった――。


 啓と幼女は街を歩き回った。

 その間、啓は自身の琴線に触れる場所を見付けては、夢中でシャッターを切り続けていた。


 ふと、気付くと、夕日が沈み始めていた。

 啓は、隣の幼女を見て、さすがにそろそろ帰らなければと思い、帰途につく事にした。


 城下町を抜けると、神帰(かみき)川という清流として有名な一級河川が悠悠と流れている。

「きみは知らないかもしれないけど、ここ、昔は渡し船で有名だったんだよ」

 啓が川を指してそう言うと、

「ふふふ。知っておる」

 幼女は得意げに返答した。

「あれ? 知ってたの?」

「うむ!」

 啓はそれを聞いて、(そっかーこの子もおじいちゃん子、乃至は、おばあちゃんっ子だったのかな? しゃべり方もなーんか古いし……その影響だったのか)と一人合点していた。

「でも、ほんと――最近は、橋も架かっているから渡し船は観光用とか、祭りがメインになっちゃって、少し寂しいよなあ」

「うむ。そうじゃな。橋も文明の利器、悪くはないが……情緒に欠けるな」

「ほんと、そうなんだよなあ……って、きみ、情緒なんて難しい言葉知ってるとはスゴイね!」

「ふふん! わしにできぬことは少ないのじゃ!」

 謙虚に増長する幼女を見遣って、啓は何だか楽しい気持ちになってきた。

「ほんと、昔は――といっても、曾祖父の時代は渡し船で川を渡って城側へ向かっていたって、なんだかカッコ良くていいよなあ」

 そうやって、とりとめもないことを二人で話しながら、橋を渡る。

「あ、そうそう、この石造りの橋は、明治時代に作られたって知ってる?」

「うむ! しっておる!」

「さすがだな」

「ふふ~ん!」

 幼女がまた、誇らしげに胸を反らした。

 そんなやりとりのまま、石造りのアーチ橋を渡ると、もう其処は、神来(かみき)市であり、町商店街の入り口である。そう、川を境に町名が変わるのだ。

「ここが、神来商店街。俺の家もここにあるんだ」

「ふーむ」

「この商店街は、明治時代に造られたままの姿を残してるんだ。――そう、橋と同じだね」

「うむ」

 幼女が相槌を打つ。

「だから、銀座煉瓦街と酷似しているんだ。やっぱり、時代的にハイカラなものを神来町も求めたみたいだね」

「うむ、うむ」

 幼女は分かっているのかいないのか、聞いているのかいないのか、適当な相槌を続けている。

 そんな二人の遣り取りのところへ、急に声が掛かった。

「おや、啓くん、今日は入学式だったのに随分帰りが遅いね?」

 声のする方を見ると、そこには馴染みの肉屋のおばさんがいた。

「あーおばさん、こんばんは。写真撮ってたら遅くなったんだよ」

 啓がそう答えると、おばさんは笑った。

「そうかい、そうかい。啓くんは本当に写真が好きだねえ。そういうとこは、ホラッ、あんたの、お父さんと良く似てるねぇ」

「あ、おばちゃん、コロッケ一個下さい」

 お腹の空いてきた啓は何時ものように注文した。コロッケ代は最初から別に用意してあったのだ。

「あいよ」

 おばさんは手つきも鮮やかに揚げ物を始める。

 程なくして、とても良い匂いが漂ってくる。

 黄金色に揚げたコロッケを、おばさんは紙に包んで、啓に渡した。

「ほら、啓くん。おばちゃんからの入学祝いだよ」

「え、そんな。お金払いますよ」

「いいからいいから。人からの好意は貰っとくもんだよ」

「……じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとうございます!」

 啓はニッコリとお礼を言った。

 おばさんもニッコリと笑い返した。

 啓は揚げ立てのコロッケを肉屋の前に出してある椅子に座って食べようかとも思ったが、幼女と分けた方がいいような気がして、少し悩んでから、一口だけ食べた。

 そして、

「うーん、おいしい!」

 思わず漏れる声に、おばさんは更にニコニコした。

「おばちゃんお休みなさい!」

 と啓は言って歩き出した。

「ああ、おやすみなさい」

 肉屋のおばさんも返事を返した。この商店街は、皆が家族のような連帯感に溢れていた。

少し歩いて、啓は幼女に、

「食べる?」

 と尋ねた。

「いいのか?」

 幼女はキラキラとした目で啓を見た。

 今にも、“よだれが垂れんばかり”の風情である。

「いいよ」

「では、いただく!」

 嬉しそうに幼女はコロッケを口に運び、はぐはぐと食べている。

 啓は、可愛いなあと、その様子を見ていた。

 (俺に妹がいたら、こんな感じなのかな?)と啓は思って、そんな自分の思考に、また笑った。

 幼女はコロッケをぺロリと平らげると、

「うむ! とてもうまかったぞ。感謝する」

 と言った。

「それは、どういたしまして」

 啓は答えて、少し考えた。

「そういえば、きみのうちはどこ?」

 幼女は、少し考えてから答えた。

「……神来神社の近く……そこまで、行ったら、あとは分かるから一人で帰れる」

「うーうーん? でも、危ないからやっぱり、おうちまで送ってくよ」

 啓の言葉に幼女は少しだけ困ったような顔をして、答えた。

「――わかった」

 そんな幼女の様子を少しだけ訝しんだ啓は、しかし、考えるのを止めた。

「そうそう、この商店街の由来知ってる?」

 啓は幼女に尋ねた。

「いや? 詳しくは知らぬな」

「じゃあ、ついでに説明するよ。この神来商店街は神来月市神来町にあります。ちなみに、古くから賑わっている商店街です」

「うむ」

「そして、この商店街の元々の起こりは、『神来神社への参拝道が商店街になった』と言われています。それを裏付けるように、今でも、その名残の祭りなどが四季を彩っています」

「ふむふむ」

「で、この商店街の一番のミソ、は、先見の明ってヤツです」

「ほう……!」

 幼女の目が楽しそうに輝いた。

「さて、なにを申しますかと言うと、この商店街の住人には先見の明があるって事です」

「ほほう」

「この商店街が今でも栄えている理由は、そこにあって――ちょっと前に次に来るだろうモータリゼーションの波に乗り遅れないように、って事で、駅前に広い駐車場を作ったんだけど」

 と啓は駅の方を見た。

「その甲斐あって、この車社会の現代で、地方都市の衛星都市としては珍しく、とても活気があるんだなー、これが」

「おおお!」

 幼女が嬉しそうに合いの手を入れた。

「なので、未だに大型ショッピングモールに淘汰されることなく――寧ろショッピングモールの計画が話題にすら出ないんだけど――生き残っているってスゴイ商店街なんです! ……というのが商店街自慢でした」

「おー! すごいな! ここの衆は」

 幼女はニコニコとしている。

 なぜだか、少し誇らしそうな表情だ。

 その幼女の様子を見て、啓は少し不思議に思ったけれど、やっぱり、また、それ以上詮索するのを、不思議と脳が拒否したので、それ以上考えることはなかった。

「ちなみに、駅で思い出したけど、ここは電車で三十分程度で大都市に到着するという、誠に立地の良い都市です」

「そうじゃの」

 幼女はそう答えて、「さて、そろそろわしも帰るかの」と小声で言った。

「ん?」

 啓が答えると、幼女は啓を見上げて言った。

「ぬしはヒトなのにヒトに入り込まない。ヒトの輪をハタから見るのが好きなのだな」

「え?」

 啓が聞き返す前に、口早に

「今日は世話になったな……また会おう」

 言い終えると幼女は走り出した。

「ちょ。まっ!」

 という啓の静止も聞かず、振り切って走り去ってしまった。

 幼女は着物姿なので、あんまり早く走れないだろうという啓の予想は大幅に外れ、啓が慌てて走り出した頃には、どこにも幼女の姿は無かったのだった。

 路地に呆然と佇む啓は、少しだけガッカリというか、肩すかしを喰らったというか、なんとも表現しづらい風情で、てくてくと、というか、とぼとぼと、というか、そんな様子で歩き、自宅へ辿り着いたのだった。

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