僕らの雪まつり

深里

第1話

 僕らが暮らす施設に、新しく女の子がやって来た。名前は知香。南の県から来たという。

「寒いの、平気かなあ」

 隣で唯がいった。じきに雪の季節なのだ。南の方でしか暮らしたことがないとなると慣れるまで大変かもしれない、と僕も思った。

「ここ、雪降るんでしょ」

「降るよ、たくさん」

「そっか。私、雪ってあまり見たことなくて。何か神秘的な感じ」

 知香がいうと、僕と同室の昇が微かに笑った。

「雪は神秘なんかじゃない。暴力だ」

「え?」

「降れば、すぐにわかる」

 昇は席を立ち、食堂を出ていく。残った僕らは顔を見合わせた。

「気にすることない。あいつ、口は悪いけどいいやつだから」

 僕は知香にいった。昇は雪が嫌いなのだ。

知香は強張った表情を緩めて頷いた。

「隣町で、雪まつりあるよね」

「うん。年明けに」

「行ってみたいな。前に、お祖母ちゃんが連れてってくれるっていってたの。雪の像とかあるんでしょ。見たいな」

 彼女は祖母を頼ってこの町に来たが、その祖母が倒れたため、ここへ入所したのだ。

「じゃあ、皆で行こう」

 僕と唯がいうと、知香は嬉しげに笑った。


 施設の子供は、これで八人になった。僕と昇、唯と知香。それから高校生の彰兄さんと、まだ小さい潤一と美紅とつかさ。

 知香はすぐに施設に馴染んだ。集団生活に戸惑いつつも、皆で暮らすことを心地よく感じているようだった。聞けば、これまで母親と二人暮らしで、その母親が絶えず家を空けていた(そして今は消息不明らしい)という。ずっと寂しい思いをしてきたのだろう。

 数週間後、町に初雪が降った。

 知香は外に出て、ちらちら舞いおりる雪を物珍しげに見上げていた。

「綺麗。水の底にいるみたい。積もるかな」

 唇を紫色にしながら、楽しそうにいう。けれど夕方になり、雪が大きな塊と化して降り始めたのに気づくと、一転、怯えた顔になった。

「こんなに雪が降ってても、学校へ行くの」

「もちろん。っていうか、これくらい普通」

 唯が笑うと、知香はますます怯えた顔になった。

 雪は翌朝になってもやまず、外に出た知香は溜息をついた。

 どんより曇った空から雪の塊が次々落ちてくるさまには、どことなく鬼気迫るものがある。確かに溜息も出るだろう。

 学校を休むと言い出した知香を、唯と僕で引っ張って登校させる。昇は隣で呆れ顔だ。それでも、滑って転びそうになる知香に雪道の歩き方を指南していたから、それなりに心配してはいたのだろう。

 雪だらけになって学校に着く。僕らにはいつものことだけど、知香は、凍え死ぬとかいって半泣きだった。帰りも一緒に行こうと唯がいうと、知香はすがるような目で頷いた。


 夕方、帰宅した僕は、玄関前の除雪をすることにした。朝、一度されてはいるが、雪は一日中降っていたから、またかなり積もったのだ。

 シャベルで雪を脇に除けていると、何してるの、と声がする。知香が玄関の外に立っていた。

「雪かきだよ」

「朝も職員の人たちがしてたのに」

「何度もしないと、どんどん積もるからさ」

「大変」

 知香の視線が動く。その先に昇がいた。

「おかえり」

 僕の言葉を無視して、昇は知香にいう。

「無事に帰ってこられたみたいだな」

「雪が暴力だっていってたの、ちょっとわかった気がした」

 知香は僕らに背を向け、建物の中に入った。昇は肩を竦める。それから僕の手のシャベルを見た。

「除雪なんて、大人たちにやらせろよ」

「施設長、腰が痛いとかいってたからさ」

「お人よし。なら、バイト代貰え」

「でも、自分の家みたいなものだし」

「普通の家なら、家の手伝いしても小遣い寄越すんじゃないのか」

 昇は玄関へと消えた。僕は閉まった戸を暫く見つめていた。

 『普通の家』がどんなふうか、僕は全然知らない。僕は捨て子で、拾われた後ここに預けられた。僕の家はここなのだ。ここの暮らしは、そんなに悪くないと僕は思っている。

 普通を知らないのは、昇も同様だ。彼は親に虐待されていた。雪の積もったアパートのベランダに裸のまま放置され、死にかけたところを保護された。それでここに来たのだ。

 昇が施設の暮らしをどう思っているのかはわからない。前より少しでも安心した気持ちでいられて、ここが彼の新しい家になればいいと僕は願っている。


 雪は延々降り続く。知香も大分慣れてきたらしいある日、帰宅すると青ざめた顔の唯が目に入った。

「どうかした」

「知香、いなくなっちゃうんだって」

 隣の知香に目をやると、伯母さんの家に行くことになったの、と答えた。

「いつ」

「明後日、迎えに来る。今度は東京。まあ、ここ寒いから丁度よかったかな。雪まつりは行ってみたかったけど」

 泣き笑いのような顔で、知香はいった。


 夕食の後、僕は彰兄さんの部屋へ行った。

 雪まつりに行きたかった、といったときの寂しげな知香の顔が頭を離れなかった。

 本物でなくてもいい。何かそれに代わることをして、短いけれどこの町で過ごした証を知香に残せないか。雪像は無理でも、かまくらを作って皆でそこで過ごすくらいはできる。

 本当は昇に相談したいところだけど、雪が嫌いな彼に無理はいえない。

「いいじゃないか。思い出になるよ」

 彰兄さんはすぐに賛成してくれた。

「昇のことは心配するな。俺がこっちに残る。施設長にも残って貰おう」

 彰兄さんも昇の事情は知っている。昇が雪遊びに参加するとは思えないから、皆で外で騒げば彼は一人になってしまう。僕がそれで迷っていたことも、お見通しだった。

「ありがとう」

 彰兄さんが当直の坂田さんに話を伝える。坂田さんが施設長に連絡し、明日、職員の皆がかまくらを作ってくれることに決まった。

 計画を聞いた知香は、とても喜んだ。本物のかまくらを見たことは、まだないのだという。小さい子供たちも大喜びだ。雪だるまも作る、とはしゃいでいた。

 昇にも、もちろん話した。本当は彼も一緒に楽しめれば一番いい。昇は、ふうん、と素っ気ない返事をしただけだった。

 

 翌日、学校から帰ると、立派なかまくらが二つもできていた。子供たちと雪だるまを作った後、調理員さんたちが作ったお汁粉を運び込んで、僕らの雪まつりが始まった。昇は、寒いから嫌だ、といってやっぱり来なかった。

 知香は楽しそうにしながらも、昇がいないことを気にし続けていた。不意にかまくらを出ると、

「私やっぱり、昇君も呼んでくる」

 そういって、施設に向かった。

「知香ちゃん、待って。昇はさ──」

 うまく説明できないまま、知香の後を追う。食堂にいた施設長と彰兄さんが、驚いて僕らを見た。知香は階段を駆け上がり、僕らの部屋のドアを開けた。

「昇君も一緒にお汁粉食べようよ」

 本を読んでいた昇は、いきなりの知香の言葉に眉をひそめた。

「寒いから嫌だっていったろ」

「私ね」

 知香は必死の面持ちだった。

「今まで一人のときが多くて、家にいても落ち着かなかったの。ここに来て初めて、家で安心できるっていう感じがわかった。家族ってこういうものなのかなって思えたの。だから、最後の夜は皆でいたい。雪は冷たいし暴力的だとも思ったけど、でも、皆で過ごすかまくらの中はあったかいよ」

 暫く無言でいた昇は、つと立ち上がりコートを着た。そのまま外へ向かう。僕はほっと息をついた。追ってきた彰兄さんたちも、安堵の息をついていた。

 かまくらの中で昇はほとんど喋らなかったけど、お汁粉はお代わりして食べていた。運んできた施設長は、嬉しげな顔をしていた。

 子供たちがうとうとし始めたので、雪まつりは終わりになった。かまくらの外はひどく寒かったが、雪はやんでいた。空には冬の星座が瞬いている。

「私、絶対忘れない、今日のこと」

 かまくらを振り返って知香がいう。僕らは皆、頷いた。


 翌日の午後、知香は迎えに来た伯母さんとともに施設を離れた。去り際に、またかまくらを振り返っていた。僕らは手を振って、知香を見送った。

 皆の心をつないだ小さな雪まつり。かまくらが溶けて消えても、想いはきっとずっと消えないんだ。

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