040_1810 紫電の雪降る夜、学舎にて狩人たちはⅥ~キス・オア・キル~
刃物を刃物で防御するのに、普通ならば『受け止める』ことはしない。
「……ッ!」
だが首筋に迫る刃に、
しかし安堵する間もない。
それを肘で防げば瞬後には、逆からの掌底が頬を襲ってくる。
車体が軽く衝突し、反発で距離を
(このままじゃ、冗談抜きで――)
足場にしていた《
完全に力量を見誤っていた。完全に押されていた。
たまたま遭遇したため、《
(ナージャに殺される……!)
彼女は我を失ってる。焦点の合っていない瞳から涙を
特殊作戦要員として派遣されたことのある戦場で、時折見かけた姿だった。十路が強力な《魔法》で攻撃したことで、友軍誤射を起こしていた敵に近い。
敵の組織的反攻を
しかも今のナージャは、それとは少し異なっている。
(どうする……!? ここに来て、これは予定外すぎるぞ……!)
致命傷には程遠いが、決して小さくない傷をあちこちに受けている。段差を越える振動で、血痕を床に残していく。
十路は自分が強いと思っていない。それなりの技量は持っている自信があるが、どんな敵であっても、真正面に戦って勝てると考えない。
《
だから彼はどんな相手でも、最初から対等な条件で戦おうとしない。自分の優位性を確保し、相手の不意を突く奇襲を行い、相手の裏をかくタイミングで闇討ちを考え、相手を上手く罠に
人によれば卑怯と
しかし今、ナージャと対等な条件で戦っている。しかも見せかけの戦いなので、倒すための戦いはできない。
しかし間違いだったと、現在進行形で思い知る。仮に幾度も刃を合わせていたとしても、気づくことはできなかっただろう理由で、後悔と出血と共に危機に
(頼むから正気に戻れ……!)
『敵』である現状、下手に呼びかけることもできない。
だから十路は仕方なく、
それを両手に振り返り、わずかな時間差を置いてレバーを引いた。
先に発射されたのは、十路がよく使う簡易ロケットだった。推進剤にした水の尾を曳いて、赤い金属容器は真正面からナージャへ向かう。
次いで底を吹き飛ばして発射されたのは、ゴミ集積場にあった大量の鉄屑だった。
これもまた炸裂榴弾がなかった時代、艦載砲で行われていた
散弾銃や
金属容器は殴打に。鉄屑は傷創の壁に。二種類の攻撃に対し、ナージャは場所の狭さを活用した。シートを蹴って飛び出し、壁を蹴って金属容器を避け。天井近くの宙にある間に、広がった鉄屑の群れを避ける。
一秒にも満たない浮遊の後、慣性の法則に従い、野獣の身のこなしで直進していたオートバイに再着地した。
(頼むから人間離れするな……!)
走りながらの非常識な回避は、百歩譲ってありだとしても、彼女の状態は普通ではない。
心技一体などと言う通り、心が乱れれば技も乱れるはず。なのに彼女の場合、精神と肉体が
フィクションでは、秘密組織により冷酷な殺人マシンとして教育されるなど、よくある設定だろう。しかし現実には、訓練を繰り返すことで動作を条件反射にまで高め、誰かを傷つけることへの
彼女の年齢で、本能レベルで戦い方が身についているとなれば、数年に一人、数万人に一人と呼ばれる天賦の領域だろう。
つまり裏社会には向かない彼女の性格が、常はブレーキとして働いている。理性の
(俺はつくづく甘いな……!)
ナージャを信用しすぎていたという意味ではなく、見通しという意味で。ハンドルを切ってブレーキを踏み、急角度で屋外に飛び出しながら、十路は己に歯噛みする。
彼女が自分の意思で裏切る可能性は、最悪としてではあるが、ありえると考えていた。無条件に信頼するほど、十路も甘くはない。
しかし、こんな『事故死』の可能性は考えていなかった。
ナージャは優秀な
遺憾なく技量を発揮していれば、『
校舎を飛び中庭に出た途端、追従していたナージャは、打刀を口にくわえてハンドルを切り、立ち木や植え込みを避けて距離を開く。
「乱暴に扱
センサーを遮蔽している《真神》に届いていないだろう。それでも十路は
その意を読み取ったか、ナージャもまた《バーゲスト》の向きを変え、十路に向けて突進してくる。
車両には大したものではない距離は、たちどころに詰められる。魔犬と名づけられたオートバイと、神狼の意を持つオートバイは、ウッドデッキを利用して低く跳び、空中で後部を振りかぶって急速接近し。
相対速度一〇〇キロ以上で車体を激突させた。
重量二〇〇キロ前後の金属塊たちは、小型とはいえ戦闘車両らしい頑丈さを持っている。交通事故の激音を発し、フレームを軋ませながらも、破壊されることなく双方別の方向へ吹き飛んだ。
乗っていた者たちは投げ出され、普段は憩いの場として多くの学生が利用する、レンガが敷き詰められた中庭を転がる。けれどもすぐさま身を起こし、取りこぼさなかった得物を構える。
(あれでもまだ正気に戻らないのかよ……!)
物理的な刺激を受ければ、我に返るかと期待したが、無駄だった。
これだけ戦っても、音や光程度の刺激では無理だった。
大量の水を頭からかけるのが常套手段だが、戦いながらでは無理がある。
締め落とすのが一番確実だが、ナージャが発揮する戦闘能力の前には、残念ながら望み薄い。
ならば方法は、ひとつしかない。最も手早く、最も手堅い方法をもってして、彼女を無力化するしかない。
(ナージャを殺すしかない……!)
さすがにその判断には、十路も迷う。
だが、その余裕すらもない。
ナージャの背後に、校舎の二階から弓を構える敵が見えた。
「どっせーいっ!」
それを小さな人影が横合いから飛びかかり、改造消火器を使って吹き飛ばす。南十星の仕業だった。
「せいっ!」
気合の後、反対側の校舎では、窓を突き破って兵士が落下した。樹里の仕業に違いない。
校舎の狭間にある中庭で戦っているため、他の敵の注意を惹きつけてしまっている。意図か偶然かは不明だが、他の部員たちの援護がなければ、武蔵坊弁慶と似たような最期を遂げることになる。
もしかすれば、ナージャ諸共に。既に十路たちの思惑がばれ、わざと泳がされている可能性だって存在する。
「ぐ――!」
意表を突かれ、
「!?」
咄嗟にシマトネリコを身代わりにし、首筋への振り抜きを細い幹に叩き込ませるが。
「が――!?」
戦闘防弾チョッキに守られていない腰元に蹴りを叩き込まれ、すぐさま細い幹から引き抜いた刃が
目立たぬ場所に移動しようにも難しい。《マナ》の放電を受けて、紫電を放つ血刀を構えるナージャは、全く容赦がない。これならばオートバイで衝突事故など起こすべきではなかったとも思うが、車上戦闘でも正気に戻らなかった末の選択だから、どうしようもない。
このままでは
(
覚悟を決めかけた時、ふと、おとぎ話での
実際に今のナージャにそれを行い、正気に戻るかどうかは非常に怪しい。衝突事故の振動でも無駄だったのに、もっと刺激の弱い方法で我を取り戻すとは思えない。
仮にショック療法が上手くいっても、後が怖い。
しかし確実な斬撃と、あるかもしれないビンタ、どちらがマシかなど考えるまでもない。万一ナージャに泣かれでもしたらという懸念もあるが。
(知るか!)
ヤケクソになって思考を放棄した。
(文句は正気に戻ったら聞いてやる!)
十路の喉元を貫こうと、切っ先が苛烈に迫る。
それを逸らすために、
ナージャの懐に飛び込み体をぶつけ、空いた左手で腰を抱き寄せ顔を寄せて。
唇を重ね合わせた。
「…………」
ようやくナージャが停止した。
「…………」
だから十路も動きを止めて様子を窺う。
「…………」
「…………」
そして。
「~~~~~~~~ッッ!?」
くぐもった悲鳴を口内に吹き込まれたと同時、紫の瞳に理性が灯った。
それを確認してから、十路は顔の横に刃を置いて、一拍溜めを置いて突きを放つ。
「!?」
顔面に迫る切っ先に、ナージャは即座に反応した。仰け反りながらも離れ、戻した刀で打ち払う。
そのまま刃は絡み合い、下から振り上げる
「なに考えてるんですか……!? し、ししし、しししし舌まで入れます……!?」
「まさかナージャ、初めてとか言わないよな……!」
「初めてですよ……!」
「それでいいのか
「ってゆーか十路くん……!? その傷……!?」
「ナージャにキスするために仕方なかったんだよ……!」
「怪我しながらキスとか、どれだけ気合入れてるんですか……!?」
「お前が正気に戻らないから、最後のダメ元だったんだ……!」
「お陰でファーストキスが鼻血味なんですけど……!」
「トチ狂って顔パン入れやがったナージャが悪い……!」
状況をどこまで理解していたのか不明だったが、正気に戻った彼女は、混乱も停滞もなく戦闘を再開する。先ほどまでとは別の涙を浮かべ、顔を赤くしたナージャの動きは、十路が合わせられるレベルまで精細を欠いている。
「頼むから、正気を保て……! でなければ死ぬぞ……!」
得物を合わせながら、四肢をぶつけながら、互いの身と心を案じる。
「後ろから……! 横に動きながら離れて……!」
互いの死角を補い、飛んでくる無粋な矢を、間合いを開いて通過させる。
そして武舞し跳舞し剣舞し乱舞し相舞し。紫電の雪が
けれどもその実、守り合うために刃を振るう。
事前の打ち合わせなしでは、普通こんな事はできない。後日もう一度同じことをしろと言われても、十路は再現できる自信がない。きっとナージャも無理だろう。
戦場の空気と分泌される脳内物質、更には『守るために殺し合う』という矛盾した緊迫感で、異様に高まった集中が、相手の動きを直感的に理解してしまう。それに訓練時間と経験が反応し、考えるより早く反射的に体が最適動作を行う。
「これ、いつまで続ければ……!?」
「そろそろだと思うんだが……!」
再度鍔迫り合いを慣行し、顔を寄せて
相手が攻撃してきたので正当防衛で反撃しているという、社会実験チームとしての名目は充分に成立している。
あとは
そのための罠は、既に起動しているはず。コンマ一秒の厳密なものでなくとも、ある程度はタイミングを合わせなければならない。
そろそろ移動するべきか。十路が考えた矢先、踏み切りと思える足音が、静電気が弾ける音に混じり耳に届いた。
彼女の方が先に反応した。ナージャが足の裏で、ダメージを与えないよう十路の腹を蹴り、その反動で
途端、落下衝撃がレンガタイルを粉砕して着地し、大上段からの振り下ろしが空間を割った。後退が遅れていれば脳天から真っ二つされている予想は、きっと間違いない。
「もうちょっとのん気にしてろよ……!」
『そうもしていられぬからな』
意外ではない。今まで交戦せずに済んだのは偶然で、充分に想定できたことだ。黒い甲冑を身につけ、人外の跳躍力で乱入してきた
しかし今の状況で会敵するのはまずい。
それに手斧とは得物が違う。続けざまに振るわれる太刀を逸らそうにも、腕力が違いすぎて打ち払うことすら難しい。刃をすり合わせただけでも、
下手に受け止めようとすれば、防弾チョッキを含めた防御ごと両断される可能性もある。
更には相手は
(仕方ない……!)
ナージャと目が合う。彼女は展開の変化に判断を迷わせている。
まだ早い。要求した通り、彼女が
「二人がかりかよ……!」
だから言外に、見せかけの殺し合いを続け、
「……
すると顔を引き締め、ナージャは動きを再開させ。
二本の白刃が変幻自在に踊り始めた。
(洒落になってない……!?)
正気を取り戻したナージャも、決して弱いわけではない。手加減しない一流剣士が、手心を加えるようになっただけのこと。
そんな彼女の師匠たる
そして二人は、剣を用いた白兵戦の連携訓練にも時間を割いているに違いない。
普通は多人数で白兵戦を行うと、味方の体が邪魔になる。なのに彼らの動きには遅滞がない。
ナージャの剣風は、的確に斬り裂こうとする柔剣。切っ先が防弾チョッキをかすり、いくつもの
ロシアに身を置く二人の剣士は、互いの
指示を間違えたか。そう後悔した時、人影が十路をかばって出現した。先ほどまで周辺の校舎内にいたはずだが、いつ中庭に下りてきたか、彼女たちが代わりに受け止めた。
「先輩。大丈夫ですか?」
「兄貴ー? ちょっちハリキリ過ぎじゃん?」
ナージャの打刀は、南十星が頭上で交差させたトンファーが止めた。
彼女たちのお陰で助かったが、安堵している暇はない。この機に行動しなければならない。
また新たな判断の必要に、一瞬迷う。
「木次! ナージャを押さえろ!」
「はい!」
だが、すぐさま行動と組み合わせを十路は指示する。
「なとせ!
「いちおー聞いとく。やれるならやるよ」
だから異国の侍の時間稼ぎは、危険性を理解しつつも南十星に期待する。
今から十路自身が行うことを代行させる、という選択肢もありえるが、それは最初から考慮外とした。こちらは《魔法》なしで
この場は彼女たちに任せ、植え込みに突っ込むように倒れていた《真神》を引き起こし飛び乗り、目的の場所にショートカットするため校舎に飛び込む。
飛び込んだ校舎の廊下には、痙攣している半機械兵たちが転がっている。戦闘用スーツを破壊された状況から見るに、樹里の仕業だろう。
無線での連絡が取れない中では、どれほどの敵を行動不能にさせたのか、知る術がない。
(部長の一撃で終われば、それで済むんだけどな……!)
同様の役目を担っているはずのコゼットが無事なのか、あるいはその間に敵に邪魔されないか、気にはなったがどうしようもない。
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