040_1500 嵐の前には凪が来るⅠ~8月のメモワール~


「目標に妙な者がいるようだが、あれはなんだ?」


 ディスプレイでほのかに明るい《ズメイ・ゴルニチ》の運転席にて、衛星無線を通じてオルグ・リガチョフが問うと、落ち着きとまだ若さの感じられる男の声が応じた。


『妙な者というのは、もしかして高校生くらいの女の子のことかい?』

「そうだ。お主から受け取った情報には、木次きすき樹里じゅりとある少女だ」

『用心のために黙っていたが、失敗したな。先に言っておくべきだったか……』


 後悔だけでなく、感慨深さとも取れるため息の後、無線は沈黙した。どうやら離れた場所にいる男は、なにか悩んでいる様子だった。

 意味なくハンドルに手をかけて、指を動かしていると、ややあって再び会話が成立するようになった。


『その少女を無傷で確保することはできそうかい?』


 ただし男が発したのは、問いに対する返答ではなかった。


「不可能だな」


 源水オルグは気にした様子もなく、新たな問いに断言を返す。


『あの子と戦って、《サモセク》が故障でもしたかい?』

「損傷は軽微、継続戦闘可能だ」

『では?』

「その少女は、我が一度殺した」


 確かに首をへし折った。機械の鎧を通じてではあるが、頸椎を破壊した感触は、源水オルグの手にはっきりとフィードバックされた。脊髄に致命的な損傷を受けた受けたことで、彼女はショック状態でほぼ即死したはずだった。


『だが、生き返った?』

「しかもそれだけではなかった……《魔法》にたずさわれば驚くことは色々あったが、あそこまで驚くことはなかった」

『そうか……ということは、やはり自分の能力ちからを引き出せていないのか……?』


 殺したことへの告白には大した興味はないらしい。そして少女が復活したことは、どうやら想定内のことらしい。男はまた黙って考え込んだ。

 今度は男の意識復帰を待たず、源水オルグは命令を受けた者ではなく、友人相手として確認する。


「お主が我らに提示した条件は三つであったな。総合生活支援部の殲滅。貸与された兵器の活用――」


 一つ目はいい。しかし二つ目の条件は、通常はありえない。

 なにしろ真正面から戦闘を行わないと、条件を満たすことができない。真っ向からの火力勝負ではなく、秘密裏に敵を打ち倒す隠密作戦を得意とする特殊部隊には、向いているとは言えない勝負になる。


「そして長久手つばめの確保」


 更には、これが最も厄介となる。目標を殺害するだけでも相応に作戦が必要なのに、捕獲となると何倍も難易度が跳ね上がる。

 結局は失敗に終わったが、学院の襲撃をAI判断に任せた《ズメイ・ゴリニチ》も、どこまで実行できたか怪しい。


「その上で条件を追加されれば、不可能と断言させてもらう。木次樹里の異能をさておいても、我らに直接歯向かい来るのは目に見えておる。不殺程度であれば、もしや可能やもしれぬが、無傷では無理と思ってもらおう」

『そのための装備が君たちには与えられてるはずだけど?』

「優れた得物を手に入れたと胡坐あぐらをかいているようでは、あの者たちは到底狩れぬ」


 源水オルグの脳裏に、一人の青年が思い浮かぶ。

 元陸上自衛隊・独立強襲機甲隊員、つつみ十路とおじ。絶望的状況で《女帝エンプレス》殺しを成し遂げた《騎士ナイト》。

 彼は今日一日使って、修交館学院で対抗策を作り上げていることを、監視からの報告を受けている。

 いくら《神秘の雪ミスティック・スノー》で《魔法》を封じるから。彼らが兵器を入手できる立場ではないとは知っても。そしてまだハイティーンの若造だとしても、《騎士ナイト》相手で容易な作戦遂行に終わるとは思えない。


「しかも正体不明の戦力が、援護をしておる」


 学院北部で監視していた部隊は、どこからか発射されたミサイルにより壊滅的被害を受けた。直撃は避けたために死者こそ出ていないが、戦力にならない怪我人を出した。

 そして甲子園球場で、源水オルグは正体不明の《魔法使いソーサラー》と直接交戦している。

 諜報部門に抗議したほどの、未確認の脅威だ。


「日本政府との協定が破棄されたのか?」


 今作戦は秘密裏に、日本政府と協定が結ばれている。日本国内で秘密裏の作戦に目をつぶるだけの、最低限のものだが。

 その監視役として派遣されたはずの市ヶ谷が、樹里と直接情報を受け渡しようとしたのを確認した。

 日本国内でミサイルを運用できるような組織となれば、在日米軍か自衛隊を真っ先に考える。

 だから協定が破棄され、源水オルグたちは排除対象と見なされたと、彼は考えた。


『違うよ。一応は支援部あちらに所属する戦力だけど、彼女たちが表立って動くのは意外でね……これからどうするか不明だし、仮に介入して来たとしても、とても救援は間に合わない』


 しかし謎の戦力を知っている口ぶりで、男が明確に否定する。

 詳しく知りたいが、答えないだろう。源水オルグはそれを知っているから問わず、必要なことを話す。


「部隊を預かる者としては、これ以上の交戦は避けたい」


 監視部隊の実質上の全滅、更に狙撃部隊を強襲したつつみ南十星なとせの仕業により、損耗率は三割を超えている。

 現代軍事学では、指揮命令系統を再編するために、撤退を考える被害だ。


『僕個人としては無理強いする気はないけど……軍部ではどう判断している?』

「強硬派と中立派が半々といった様子だな」


 無線の向こうの男は、命令系統の中に直接組み込まれている存在ではない。彼からの『頼み』を受け、ロシア軍部が動いたのだ。

 そして源水オルグの意見を取り入れ、積極的な交戦回避を叫ぶ者がいない。中立意見が存在しても、このままでは作戦最終段階は実行命令が下されると予感する。

 無理もない。七〇〇〇キロ以上離れた場所では、様々な思惑が錯綜し、現場とは異なる混乱をしているだろう。

 そして敗北を考える方が難しい。被害は偶発的なものであって、リアクションがないことから、これ以上の被害は軽微で済むと考える方が自然だ。そして源水オルグ自身は《騎士ナイト》と呼ばれる存在だ。

 《魔法》を封じた哀れな《魔法使いソーサラー》たちを、絶大な戦力で追い詰めるだけのウサギ狩り。夕方の襲撃で被害が出たのは、まだ《魔法》という牙が抜かれていなかったため。少なくない兵たちは、一部の上層部は、そう考えているに違いない。

 だから源水オルグは危機感を抱く。


『最終命令次第、ということかな?』

「そうなるであろうな……」


 しかし彼もひとつの駒に過ぎず、命令を受けて動く立場でしかない。


「……。これは興味本位だ」


 ただ、全てを知るであろう者に問いたかった。


『ん? 改めてどうしたんだい、オルグ?』

「我らになにをさせようとしている?」

『気を悪くするから、聞かない方がいいと思うよ』

「今更であろう。お前には何度振り回されたことか」

『それもそうかな……でも、詳しくは教えられないから、たとえ話くらいしかできないけど、それでいいかい?』

「構わぬ」


 まともな回答は期待していなかった。

 だが、無線の向こうで笑ったらしい。声の雰囲気が邪悪に変わり、たとえ話であっても沈黙でも嘘でもない返答があった。


『これは、悪魔同士の賭けだよ』



 △▼△▼△▼△▼



 異形の樹里を見た衝撃は、今はかなり落ち着いている。しかも行動開始には、まだ時間がある。

 黒ずくめの上下に白金髪プラチナブロンドを流し、《バーゲスト》に体重を預けて、ナージャ・クニッペルは飴を転がして不安を誤魔化していた。


【そういえば、目標に情報を漏らしたわね】


 少女の声アナスタシアが話しかけてきた。残虐性と小生意気さを併せ持つAIに、自然体を装って、そ知らぬ顔で返事をする。


「わたし、なにか言いましたっけ?」

【こちら側の人数と装備、教えてたじゃない?】

「あらら? そんなこと言いました? そうだとしたら、ついうっかりでしたね」

【白々しい……】

「それを言うなら、こちらからも文句ありますけどね? 教えてもらったコゼット・ドゥ=シャロンジェの服装、全く違ったようですけど? 変装が一発でバレて当然じゃないですか」

無人偵察機UAVで監視した時は、作業服じゃなかったのよ】

「へぇ~? まさか監視が一時的だったわけじゃないですよね? 服装変わったなら、教えてくれてもよかったんじゃないですかね?」


 少女アナスタシアほどりが合わなかった者は、存在しない。


 学院内でのナージャは交友関係が広く、クラスは元より学年も学部も超えて、親しくしている人物もいる。諜報活動では、直接目標とは関係のない者たちとも仲良くなり、知り抜くのは当然のことだ。そして情報を引き出し、隙があれば利用するために、柔軟な対話のできる『いい人』でなければならない。

 そうして彼女は一年以上の時間をかけて、幅広い人間関係を築いたが、中には反りの合わなかった人物も当然いる。多くは女子で、コケティッシュな魅力を放ち、男女分け隔てなく接する彼女の態度を『媚びている』と捉えたからだ。

 その空気を感じたなら、ナージャも不必要に近づかなかった。ごく稀に、人目のつかない場所への呼び出しを受けて、仕方なく牙をほんの少し見せて『友好的』になった者もいるにはいるが、基本的に人畜無害で通し、トラブルは回避してきた。


 しかし少女アナスタシアの場合は違う。お互い不快になるのがわかっていても、真っ向からぶつかり合わないとならない相手だった。

 対外情報局SVR非合法諜報員イリーガルと潜入していたナージャが、参謀本部情報総局GRUの作戦に参加することになってから、『首輪』がつけられた。そしてその制御は、《ズメイ・ゴリニチ》の火器管制システムである少女アナスタシアが握っている。だからか毎日必要だった任務報告についても、彼女が無線越しに対応することが多かった。

 実際には他のAIや源水オルグが勝手を許さないだろうが、生殺与奪の権を握られている相手に、むき出しの敵意をぶつけられている。

 だからナージャが、人を食ったような態度で言い返すのは、不安を誤魔化すための強がりである部分が大きい。

 そして不機嫌のていで、聞いておかなければならないことを問う。


「それよりわたしの『首輪』、大丈夫なんですか? 《神秘の雪ミスティック・スノー》のせいで誤作動なんてシャレになりませんよ」

【心配なら戦闘に参加しなければいいでしょう?】

「敵前逃亡とか報告されそうな気がするんですけど?」

【あ、わかった?】


 そこで女性ポリーナ少年ルスランも口を挟んでくる。


【大丈夫よ。心配いらないわ】

【特定の信号でないと起動しないってば】


 安心感を与えようとする声と、得意げに知識を披露する声に、そういう事ではないのだとナージャは内心ため息をつく。

 理解はしている。《神秘の雪ミスティック・スノー》の影響で電磁波が発生しても、偶発的に首輪が起動してしまうのは、奇跡と呼べる低確率だ。

 だが、可能性はゼロではない。だからどうしても不安を拭うことができない。


「正式な命令が出た」


 そこでSUVの運転席が開き、どこかと通信していた源水オルグが出てきた。彼はウェットスーツにも見える、厚手の布で織られた黒一色の着衣を身につけている。戦闘用強化パワード外骨格エクソスケルトン《サモセク》を装備するためのセンシング・スーツだ。

 

「ナジェージダ。得物は?」

「支給品のナイフですけど。他の方は今回使わないみたいですし、拝借しても構わないでしょう?」

「ならばこれを使え」


 そして袋に入った棒を放ってきた。

 ナージャが宙で掴み取り、紐を解いて袋から取り出すと、紛れもない日本刀が姿を現わした。

 鞘から抜くと、駐車場の常夜灯に刃が鈍く輝く。刃渡りは二尺一寸――約六四センチと、打刀としては短めで、肉厚幅広の作りだ。鍔にはすかしのない無地丸鍔で、実用一点張りと言ってもいいだろう。

 作法としてはありえないが、兵士としては当然として、サビ止めの丁子ちょうじ油が塗られた刃先を軽く指先で触れる。ぎは万全で、少し動かせば皮膚が裂かれ血が吹き出るのが想像できる。


「いいんですか? これ、なんだか価値がありそうな刀ですけど」

「構わぬ。若い頃、我の師に頂いた無銘の現代刀だ」


 ロシア人であっても伝わる戦国の名残に反し、源水オルグは歴史的価値はないと言う。


「それに、武器は使ってこそであろう」

「伝家の宝刀って言葉も、核抑止って言葉もありますけどね」


 使ってはならない、使わないからこそ意味がある強大な力も、この世には存在する。彼女たちの国は、かつてそのための兵器を大量に作り、今では負の遺産となっている。

 本来ならば武力というものは、そうであるべきだ。もしものための実行力は必要だが、衝突する前に戦意を挫くための力であるべき。

 しかし状況が、世界が、人の意識が、深慮にして安直に力を振るわせてしまう。

 戦わなければならないからだ。欲のために。守るために。生きるために。


「ナジェージダ。お主は自分が《魔法使い》であることを、どう思っておる?」


 だから先天的に、絶大的な武となる力を持つ新人類――《魔法使いソーサラー》は、異様だ。

 考え抜いて戦う意思を自ら抱くより前に、戦う宿命を誰かから押し付けられる。生まれながらの兵士であり、生物学的にはありえない人間兵器。


「難しいところですね。《魔法使いソーサラー》として戦いたくはないですけど、《魔法》がなければ、今もわたしはロシアの……あの居たくなかった家に住んでいるでしょうし」


 とはいえ、運命を呪っていたところで仕方ない。

 そしてナージャは少なからず、《魔法使いソーサラー》であることを甘受している。それがより大きな不幸への呼び水かもしれないが、今は判断はできない。


 人生における選択に、正解はない。一時は正解と思えるかもしれないが、より大きなあやまちを生む結果になるやもしれない。

 仮に《魔法使いソーサラー》であるか否か、運命を自ら選べたとしたら、どうしていたか。


(……わかりませんね。《魔法使いソーサラー》であるから、日本に来て、わたしは皆さんと出会ったわけですし)


 どちらを選んだとしても、過去の選択を後悔するに決まっている。

 ならば振り返らずに、未来をより良いものにするしかない。


御刀おかたな、ありがたくお借りします」


 唐突な源水オルグの問いに、できる限り平素に答え、ナージャは打刀を腰のベルトに通して差す。

 その回答で彼が満足したかは知らない。そもそもこのタイミングで、どういう目的で問いを発したか理解できない。


(バレてたら、まずいですね……)


 危惧を抱いた時、重いディーゼル駆動音と共に、コンテナトレーラーが駐車場に入ってきた。これまでほとんどナージャとは別行動を行なっていた、源水オルグの部下たちが乗り込んでいるはずだ。


「ゆくぞ」


 源水オルグが再びSUVの運転席に乗り込んだ。


「…………怖い」


 オートバイのハンドルにかけていたヘルメットを被る前に、ナージャは気合を入れるために深呼吸したはずなのに、吐き出す息と共に不安が小声で漏れた。


 ――No worries.(大丈夫)


 するとディスプレイの表示が、一部分だけ変わった。タイミングが悪ければ見過ごしていただろう。そうならないようAIが見計らっていたのだろう。文章を小さく隅に一文字ずつ表示して、《使い魔ファミリア》が意思を伝えてくる。


「ありがとうございます、イクセスさん……」


 ヘルメットの中で、気弱な笑みをなんとか浮かべて声をかけると、再び文字列が表示される。


 ――That is wrong. I am――(いいえ、私は――)


「……え?」


 ナージャの動きと思考が止まってしまうほど、意外な事実を伝えてきた。

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