040_1430 影は黄昏に剣舞すⅩⅠ~プリティ・リーグ~


 謎の女性は歩みながら、外野に立つ異形の樹里を見て、ヘルメットの中でため息をこぼす。


「ああなったら、なかなか止まらないのよね……」


 ぼやきながらピッチャーマウンド付近で足を止め、肩に乗せた巨大な金属塊を地面に落とす。離れていても振動が足に伝わるほどで、物体の重量が並外れていると推測できる。

 女性は背中に下から手を回す。到底そんな物を背負っていたとは思えないのに、前に出した手には、事典のような巨大な弾倉マガジンが存在している。

 それを金属塊の上部に押し込み、レバーを操作して薬室チャンバーに初弾を送り込んで、細い側を無造作に樹里に向けて腰に構える。


「そこ、危ないからどいて」


 南十星なとせとナージャに警告する彼女が構える物体は、巨大で古風な対戦車ライフルだった。


 『発砲』など生ぬるい。『爆発』と呼ぶべき発射閃光と銃声が球場を満たす。腰の高さで発射したにも関わらず、飛びのいた二人の間を衝撃波が駆け抜け、盛大な土煙が立ち、反動で女性は立ったまま後退した。


 ほぼ同時に樹里が錐もみし、ハサミと化した右腕が肩口から千切れ飛ぶ。正確に命中しもがれた腕は、地面に落ちてちりのように分解して消えた。


「――ッ!」


 その様を見届けることもなく、樹里は崩れた体勢を立て直す。狂眼を女性に向けて短く吼え、獣のものへと変化させた足で駆け出す。


 二度、三度目の発砲が行われる。しかしジグザグに走る樹里の体を捉えらず、空しく盛大にグラウンドをえぐる。

 その途中で変化が行われる。失った右腕を再生させて四足走行を行い、服を突き破り背中から複数の蛇を生やす。質量が増大しているにも関わらず、樹里の足は鈍ることなく、むしろ加速する。


 反動でホームベース付近まで女性が後退した時、樹里は銃口よりも内側に近接した。長大な銃身を持つライフルは、懐に入り込まれれば無用の長物となる。

 樹里の背中の大蛇は、それぞれに襲いかかろうと体を伸ばす。更に無眼のワニとなった右腕が口を開け、左腕はイソギンチャクかタコを思わせる無顎口と触腕を広げる。


「ワンパターンに攻めるなって――」


 されど女性は冷静に、舞うような軽やかな足取りで回転する。ギリギリの見切りで多種多様の顎に空を噛ませ、バッターボックスに入った。

 そして対戦車ライフルを持ち替えて。焼けた銃身を両手で握り締めて。足を入れ替え踏ん張って。


「――教えたでしょ!」


 脇をすり抜けようとした樹里に、フルスイングした。

 胴体にめり込ませた巨大ライフルを振り切ると、少女は弾丸ライナーとなってスコアボードに激突する。電光掲示板の破片と血肉をばら撒いて跳ね返り、肉体はバックスクリーンに落下し、フェンスに引っ掛かった。


「ぅげっ!?」


 同様の覚悟をつい先ほど南十星も決めたはずだが、それでも女性の行為に絶句を漏らした。

 プロ野球ならば文句のつけようがない、スポンサーから景品が贈られる大ホームランだ。だが普通に考えれば、ボールより遥かに重い人間を、巨大な銃をバットにして打てる距離ではない。

 しかも快音は微塵もなかった。腰の入った一撃は、どう考えても樹里を粉砕した。

 更にひとりごとから察するに、女性は樹里のことを知っている。女子高生としての姿だけでなく、異能力についても。敵としてではなく、むしろ親しい間柄で。


「大丈夫よ。あの程度じゃ死にはしないわ。半殺しにしてガス欠にさせないと、あの子を止められないのよ」


 正体不明の女性は、対戦車ライフルの銃床ストックを地面に突いて、悠然と説明する。

 ベランダの布団のようにフェンスで脱力した樹里は、体のあちこちに《魔法回路EC-Circuit》を灯らせている。また異常な部分変身を行うのではなく、逆に分解されて、少女らしい元の形へと戻る。体の各所に灯るものは傷の修復を行っているらしく、しばらく消えることはなかった。

 しかし樹里は動く様子を見せない。脳内センサーが彼女の生命活動を認識しているため、女性が言う通り気絶しているらしい。南十星は危惧を抱きつつも、一旦は安堵する。


「さーて。ひとまず樹里ちゃんはこれでいいとして……」


 視線を移した女性は、壮絶な重量の対戦車ライフルを肩付けで構え、ライト方向へと向ける。


「ロシアのクマさんはどうする気? 私の目的は片付いたけど、このまま帰ったら樹里ちゃん殺しちゃう?」

『ほぅ? その問いに答える前に問いたいな』


 銃口を向けられても、源水オルグの態度は変わらない。暗号名である『蜂蜜を食らうものメドヴェーチ』――つまり熊――を言い当てられ、感心したような声を漏らして問う。

 南十星が割って入れる雰囲気ではない。彼女たちが始めた戦いのはずだが、次元の違う展開に、別の人間にゆだねるしかない。女性の正体はわからなくとも、どうやら敵ではないと思えるため、その選択ができる。


『お主、何者だ?』

「通りすがりの女性バーテンダーバーテンドレス


 源水オルグは面具の下で、女性はヘルメットの中で、薄く笑っていると思えるやり取りを見守るしかない。


『『ノルスピッシィ』など抱えてよく言いおる』

「さすがロシアさん。元とかなり違うのに一目でわかるなんて、やっぱりラティに思うところあるの?」

『我も老いておるが、冬戦争も継続戦争も直接は知らぬ。そのような気持ちはない』

「それじゃ、さすが特殊部隊スペツナズ隊長ってところかしら」


 第二次世界大戦勃発直後、旧ロシア軍はフィンランドに侵攻したことがある。

 その防衛戦で力を発揮したのが、共和国銃器工廠で開発された名銃・ラティm/39対戦車銃――通称『象撃ち銃ノルスピッシィ』だったと言われている。全長二メートル超、重量五〇キロ近い怪物ライフルは、旧ロシア軍の対地攻撃機や戦車を苦しめ、二〇世紀末まで現役だったという。


 女性が持つものは、骨董品となったそのものではない。先端の銃口制退器マズルブレーキは最新鋭の箱型に交換され、下部からは杭のような刺突スパイク銃剣が飛び出していることから、オリジナルを知らない南十星にも違いは予想できる。

 見た目の差だけではなく、脳内センサーが明確な違いを検知している。


「だけどこれは、《ペイルライダー》って名前の別物よ」


 既に起動している《魔法使いの杖アビスツール》だと。


「それで、クマさん? さっきの私の質問に答えてくれない?」

『是と――あの娘を殺すと答えたならば?』

「こうするわ」


 引金トリガーがまたも無造作に引かれた。殺意を向けることになんら躊躇を持っていない行動だった。

 今度は発射炎マズルフラッシュまたたくだけでなく、射線に青い光が残る。一見ビーム照射のようにも見えるが、断続的な微速度撮影を行う南十星の目ならば、巨大な二〇ミリ弾に付与された《魔法回路EC-Circuit》の残像だと見破れる。


 源水オルグの初動は発砲直前から、後の先で動いていた。一歩踏み込み、腰から刀を抜き放ち、機械の鎧で強化された降り下ろし。

 その瞬間には音はほぼ立たず、発生したのは発射音に負けない、外野席二ヶ所からの爆発音だった。

 正確に銃弾を両断する絶技は、一度では終わらない。セミ・オートマティックで二秒に一発放たれる銃弾を、踏み込みと同時に太刀で切り伏せて、二つにした隙間に体を割り込ませ、破壊を背後へといなす。


 そして弾が尽きる。

 鎧武者が駆ける。太刀は片手持ちにし、左腕を突き出しながら。

 女性ライダーが駆ける。空弾倉を投げ捨て、なのに銃口を向けながら。

 片や科学の恩恵を受けて、片や《魔法》の恩恵を受けて、一〇〇メートル近くあった距離はまたたく間に詰められる。


 途中で源水オルグの突き出した左腕を取り囲むように、円筒形の仮想機器が出現して駆動する。熱力学を応用し、空気成分を固体化させて撃ち出す《氷撃》の多銃身機関銃だ。


 対して女性は進行方向も姿勢も変えない。ただ槍のように腰に構えた銃口の銃剣を、射線上に正確に置く。人体には充分でも鋼鉄の杭には影響を与えられず、氷の弾丸は次々と砕け散る。


 改めて照準を合わせ、引金トリガーが引かれる。

 弾丸が装填されていない巨大ライフルから、レーザー誘導による高圧電流が、ビームのように照射される。


 刀を筆にし、振るう軌跡に《魔法回路EC-Circuit》が描かれる。

 イオン化された電流の通り道を新たに作り、あたかも《魔法》を斬ったかのように紫電が四散する。


 持ち替えて銃床を地面に引きずる。土を固めて作った巨大な斧刃を装着し、蹂躙じゅうりんしようと銃身を柄に振り落とす。


 太刀が両手持ちにされる。はやく、鋭さを叩き込もうと八相の構えから振り下ろす。


 そして、爆音、足音、風斬音が一切消えて、都市の中での静寂を取り戻す。


「子供のケンカに大人が出るのはどうかと思うけど……続けるなら、私が本気で相手になるわよ」


 守りの薄そうな首筋に触れる寸前で石斧を止め、女性が冷たく言い放つ。


『お主がどこの者か知らぬが……本気で相手せねば、痛い目を見そうではあるな』


 肌が露出する首筋に触れる寸前で太刀を止め、源水オルグがかすかに笑う。


 互いに得物を寸毫すんごうで止めたが、引き分けではない。《魔法使いソーサラー》の戦闘に、白兵武器を突きつける行為など意味がない。傍目には絶対絶命の状態でも、仮想の武器を作成して背後を攻撃することも可能であるため、刃を突きつけた降伏勧告など隙でしかない。

 双方が武器を引いて距離を開いたのは、戦闘継続の意思をなくしたから。目的が互いの命ではなく、まだ小手調べの段階だったから。


「ま、安心して。今夜の決闘まで邪魔する気ないから」

【あら? そうなの? それこそ邪魔しそうだけど】

「やだ。私、モンスターペアレントみたいに思われてる?」

【子供のために銃まで持ち出すようじゃ、そう思われても仕方ないでしょう?】

「親代わりはしてるけど、そもそも私、親じゃないのよ。高校生の子供がいる歳じゃないから」


 子供が同じクラスの母親同士のように、なぜか親しげに女性の声ポリーナと語り合い、女性はシールド越しの視線を移した。


「それに、子供たちの意志は、尊重してあげないと」


 視線の先は、呆然とした表情で固まるナージャがいる。


 南十星は直感した。理屈を超えて理解に及んだ。

 女性の目的は源水オルグと樹里の暴走というイレギュラーへの対処であって、特殊部隊スペツナズの対処・殲滅は含まれていない。

 彼女は全て知っているのだ。とおじが立てた作戦の目論見を。

 だからをしない。


(誰……? どゆこと?)


 女性は敵ではない。味方であると判断しても問題はないだろう。

 けれども、なぜか南十星は苛立つ。不信感とも敵意とも違うものが、戦い方が、余裕の態度が、彼女の声が、忘れかけていた記憶を思い出させ、心の奥に届かない引っかき傷を創る。

 理由が全くわからないのに、この女性とは仲良く出来そうにないと確信した。

 だから。


『……アナたちも失敗したことだ。これ以上の戦闘は無意味か』

「おっちゃん」


 きびすを返し、草摺くさずりと大袖を揺らして遠ざかろうとする源水オルグの背中に、南十星は凶暴な笑みを向ける。


「あたしたちは逃げない! 学校で待ってるぜぇ!」


 先ほどまでは手出しできなかった。見ているより他なかった。

 だから張り合うように、この戦いは自分たちのものであると取り戻す。中指を立てた拳を突き出して挑発して。


『ふっ……』


 振り返らないまでも歩みを止めた源水オルグは、再び出入り口に足を動かした。


『ナジェージダ。行くぞ』

「……はい」


 うながしに応じ、ナージャもようやく動きを再開する。


「《バーゲスト》」


 名前を呼ばれ、バックヤードに待機していたのか、球場前に乗りすれた赤黒彩色のオートバイが勢いよく飛び出した。グラウンドの土を撒き散らしてターンを決め、ナージャの前に停車する。

 またがる前に、ナージャは振り返る。南十星をチラリと見て視線を交わし、困惑と心配を浮かべて視線を移す。


「…………」

『…………』


 尻餅をついて肩を押さえ、隠された顔に苦悶を浮かべる市ヶ谷に目を向けた。

 言葉はない。色の入ったABS樹脂を通して視線を交わすだけで、ナージャはシートにまたがって消えた。


「コシュ。来て」


 女性の声に応じて青いスポーツバイクもグラウンドに飛び出してきた。《バーゲスト》とは違い、《コシュタバワー》は安全運転で速度を落として行儀よく停車する。


「なとせちゃん。樹里ちゃんを連れて、コシュで学校に戻りなさい」


 顔も知らない、しかも隠している相手に、親しげに名前を呼ばれ不快感が生まれる。


「おねーさんはどうすんのさ?」


 だから自然と不機嫌さが乗った声になったが、南十星は構うことなく、《魔法》をキャンセルしトンファーを腰に収めながら問う。


「ここの後始末と、彼の手当て。このままにしておけないでしょ」


 女性は斧刃を崩した巨大ライフルを肩に担ぎ、倒れたライダースーツの男へと歩み寄る。


「球場はともかく、そいつ助けるギリあんの?」


 市ヶ谷は敵であるはず。だから南十星は疑問に思ってしまう。


「どうやら今回は敵とも言えないみたいだし、放っておけないでしょ」


 だが女性は構わずに、彼の側で膝を突く。

 そんな彼女に市ヶ谷は、変換されても苦しげな声で問う。


『アンタまさか……《デュラハン》か……?』

「あら。その名前を知ってる人がいるなんて」


 女性は笑ったらしい。市ヶ谷も抵抗する気はないらしい。介助するために彼を地面に寝かせながら、彼女は名乗る。


「だけど、今の私は、ゲイブルズ木次ユーアよ」

「木次って……」


 ひとりを除いて見たことのない苗字に、南十星は思わず振り返り、バックヤードを視界の隅で確認する。

 樹里は相変わらず、フェンスに引っかかったまま動いていない。


 予感はしていたが、その通り家族であると、女性は微笑の声で肯定した。


「そ。木次樹里の、お姉ちゃんよ」

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