040_1000 触れるに困る腫れ者Ⅳ~それぞれの黄昏~


 もう八時近いため、彼らの姿は傍目はためには、部活ででも遅くなり、連れ添って帰る高校生くらいにしか見えないだろう。実際には、連れ立ってコンビニへと足を向けているので、あながち間違いではない。

 しかし真相は、マンション周辺の監視体制の調査という名目がある。


「『明日』『雪』『爆発』……木次きすきが聞いた声は、ロシア語じゃないかと思う」


 夏の陽は沈んだが、明るさを残す夜道を歩きながら、手ぶらの十路とおじは語る。


「ふぇ? 先輩、ロシア語わかるんですか? 前にナージャ先輩の資料見た時、わかってない様子でしたけど?」


 空間制御コンテナアイテムボックスげる樹里は、驚きでやや見開いた目を隣に向ける。


「単語をいくつか知って、なんとか簡単な会話はできる程度。しかも耳で覚えてるから、読み書きは全然だ」


 日本の防衛構想では、長年ロシアは対象国――つまり戦闘の可能性を考慮しないとならない国だった。ただし近年では他国に視線を向けがちであるため、事情が変わりつつある。

 陸上自衛隊非公式特殊隊員だった十路も、ロシアに関する物事を全く勉強しないわけにはいかなかったが、力を入れては学んでいない。だから実質的には理解できないと説明し、確認を取る。


「木次が聞いた声、耳で聞いたのか? 脳内センサーがキャッチしたのか?」

「や。一応は耳に聞こえましたけど……」

「だけど俺となとせは聞こえなかった。だとすれば、理由はひとつしかない。パラメトリック・スピーカーが使われたんだ」

「あ、そっか……」


 高校生らしくない知識と理解を示し、二人は共通認識を作る。


 音は普通、発生源から水面みなもの波紋のように周囲に広がる。

 しかしスポットライトで照らすように、特定地点に立つ者だけに音を届ける音響システムが存在する。お化け屋敷のようなアミューズメント施設や、防災システム、非致傷兵器としても利用されている。

 それを使えば、夕方のような一種の怪奇現象も、人為的に可能になる。


「状況から考えて、源水オルグからナージャに、なにか伝言コンタクトがあったと考えるべきだろ。もっともその仮定で考えても、いくつか疑問は残るけど……」


 隣の樹里を見るようにして、十路は背後を視界の隅で捉える。

 二人を追跡して徐行運転する車は、あの時も今も存在する。


「そもそも、どこからどうやって超指向性音波を照射したかだ。あの坂道は基本的に射線が通っていないから、俺たちは狙撃を警戒せずに通学できるのに」


 樹里が拳ひとつ背が違う十路の顔を見上げてきたが、同じように視界の隅で、尾行する車を確認したのだろう。


「まさか、あの監視の車から?」

「ありえるけど……」


 注意すべき点ではあるが、そもそも十路は、別の可能性を考えている。


「俺は、他に《魔法使い》がいるんじゃないかと思う」


 いわば電子機器の仮想的再現が《魔法》なのだから、充分に可能だろう。通常は考えられない遠距離から、あるいは上空から、あるいは障害物を計算して、指向性音波照射することも。


 しかも気になるのは、昼間の武道館でのこと。十路たちに問い詰められる源水オルグの離脱を援護する攻撃タイミングだ。会話を発信する電波の状態を樹里が確認していないのに、タイミングが良すぎた。

 音そのものは超指向性マイクなどで拾えたとしても、同時に拾う雑音から目的の音を選別するのは、既存の技術では不可能な気がしてならない。

 せめて世界最高のスーパーコンピュータ《魔法使いソーサラー》の脳でもない限り。


「一番の疑問は、ナージャになにを伝えようとしたかだ」

「『明日』『雪』『爆発』……どういう意味でしょう?」

「心当たりはなくもないが……わからない。部外者が盗聴できても理解できないように、符号だらけでも不思議はないしな」

「私たちが一緒なのに、特殊な方法を使ってまで、秘密の伝言を伝えようとするものなんですか?」

「単に他にタイミングがなかっただけだろう。あと、急ぎなのかもしれない」


 学校内での連絡は《使い魔ファミリア》が察知するかもしれない。マンションにいる時を狙っても電波的にも遮蔽しゃへいされてる。

 だから隠れてナージャと連絡取ろうとすれば、登下校しかタイミングがない。

 しかも総合生活支援部の部員たちは、常に《魔法使いの杖アビスツール》を出してるわけではない。


「そういえば最初、電波を感じたんですけど……私が察知したから連絡手段を切り替えて、ナージャ先輩だけに音で伝えようとしたんですかね?」


 一緒にいた樹里が、超音波や電波を感知する異能の持ち主でなければ、その誰かは秘密裏のコンタクトに成功しただろう。

 しかし実際にはそうならず、一部とはいえ情報を漏えいさせてしまった。

 そして十路たちにとっては、謎を残した。


「その電波がまた理解できないんだよな……《魔法使いの杖アビスツール》は起動してなかった。他に無線機のたぐいは持ってない。なのにどうやってナージャが送受信しかけたのか――」


 そこまで口に出して、十路は思い出した。ナージャの裸身を見た時のことを。

 彼女は胸に手術痕と思われるものがあった。蹴り飛ばされて気絶する急転直下があったために忘れていたが、今となっては無関係とは思えない。


「……木次。帰ったら、ナージャの体を徹底的に検査してくれ。X線や核磁気共鳴を使ってまでは調べてないだろ?」

「ふぇ? 体の中までってことですか?」

「アイツの体に、盗聴器かなにか埋め込まれてるかもしれない」

「そんなことまで……でも」

「あぁ。変なことに変わりない。だから調べてくれ」


 不振と不審で眉を動かす樹里が言いたいことは、十路にも理解できる。

 イクセスや樹里が、ナージャが電波を発信していると警告したことが、何度かある。

 しかし常ではなかった。盗聴器は普通、電源をいちいちオンオフする機器ではない。

 しかしこうなると、まるで盗聴器の存在を隠すために電源を切っていたようにも思える。

 しかし体内に埋め込んでいるすると、どうやってスイッチを操作するかが疑問になる。

 考えれば考えるほど、疑問が湧き出る。


「なに指示されたか知らないが……ナージャは結構ヘタレだから、今頃悩んでるんじゃないのか?」


 だから無線については、思索を一時放棄する。


「やっぱりナージャ先輩、裏切りかなにか指示されたんでしょうか?」

「そう考える方が自然だな……今日からアイツも自分の部屋で住むし、泳がせておけば様子がわかるだろう。ナージャを信じていいのかわからない、またハッキリしない状態がしばらく続くことになるけど」


 答えながらも十路が思い出したのは、ナージャの怯えたような顔と、不快の言葉。



 ――もうヤダ……



 あの時のナージャの表情と言葉に、嘘を感じなかったし、嘘の独り言をこぼす必要性もない。


(……まさか?)


 ふと部室の棚に詰め込まれている、映画やアニメ、ゲームのソフトを思い出す。

 その残虐な設定は数々の作品で使われているが、現実は不確実とも聞いた。

 だが、不可能ではない。失敗に終わったが、過去に実際に使われたため、いま最も警戒されているテロ手段でもある。


「木次。急いで帰るぞ」

「ふぇ? どうしたんですか?」


 慌てる樹里に構わず、十路はきびすを返し、足早にマンションへと戻った。



 △▼△▼△▼△▼



「今さらですけど、このマンションの部屋、規格外ですよね……」


 同じ頃、キャリーケースを引きずるナージャが、呆れた息を吐いた。


「最初はこんだけ広くても、住んでりゃそうでもなくなるって」


 後から学生服から着替えていない南十星も入室する。


 部屋には基本的な家具と家電製品は存在するが、住人の趣味を示すような物は置かれていない。

 ここは総合生活支援部関係者が生活するマンションの、四〇一号室。今まで住人がいなかった部屋だったからだ。

 そして今日からここが、ナージャの住居となる。


「わたしが言うことじゃないでしょうけど、いいんですか……?」


 数少ない着替えを、備え付けのクローゼットに納めようと、キャリーケースを開きながらナージャが不安を投げかける。


「誰もナージャ姉を味方だと思ってないのに、なんで個室与えんのかってイミ?」

「ハッキリ言いますね……」

「ゴマカしたってしゃーないっしょ? それにナージャ姉だってわかってっしょ?」

「それは……わかってますけど」

「センサーとかカメラとか、この部屋にいろいろ仕掛けてあるらしーし、その辺は心配しなくていいんじゃない?」

「そりゃわたしの監視体制はあって当然でしょうけど、それを『心配しなくていい』というのは……」


 南十星は壁に寄りかかり、気だるそうな態度で、ナージャの作業を見守る。


(りじちょーもなに考えてんのか……)


 内心では、ため息をついていた。

 今日からナージャに個室が与えられる。反抗の様子をうかがえず、支援部員となるなら、段階的に待遇を改善するのは、理に叶ったことだ。つばめの判断が間違いではない。

 しかし彼女には早急に思えてならない。日中の部室は不在していたので、イクセスやコゼットが言った内容を彼女が知るはずもないが、不信感がまったくぬぐえていないのに、待遇改善は早いと思ってしまう。

 もっとも、個室を与えること自体は、南十星はむしろ賛成しているが。


(兄貴と同居ドーキンも終わりだから、そこはちっと安心だけど)


 ブラコン妹の嫉妬ではない。あの監視生活では、ナージャが反旗をひるがえした際、真っ先に被害を受けるのは十路だった。だから手錠が外され、別々の生活を送ることには、彼女は安堵していた。


「ん?」


 まだナージャを警戒して、樹里と交代の仮眠生活をするべきか。それともひと段落したと考えて、九時寝五時起きの健康生活に戻るべきか。

 そんなことを考えて、ナージャを眺めていたら、南十星は意外な発見に声を漏らした。

 垂れる髪が邪魔だったのだろう、彼女は何気ない仕草で横髪を耳にかけた。その際、右耳の後ろに、一直線の傷跡があるのを見つけた。普段は長い白金髪プラチナブロンドで隠れてしまう位置なので、今まで気づかなかった。


「ん?」


 なんの痕だろうかと考えた時、ポケットのスマートフォンが、メール受信を知らせた。


「ん?」


 内容を確認し、南十星の口から三度、間の抜けた声が漏れる。

 部活動とは関係のない、エリア一斉送信による緊急速報メールだった。ただし地震を知らせる内容でも、もっと時間的猶予のある台風・洪水の警報でもない。見たこともない内容だったので、南十星は新品のテレビを勝手に点けた。

 どの局も速報のテロップが挿入されているが、より詳しい情報を得るために、ニュースを放送している局に合わせると、丁度その内容を放送されるところだった。


『たったいま入った情報ですが……気象庁の緊急会見が行われているということです。それでは中継です』


 折り目正しい女性キャスターの言葉の後、画面は切り替わる。いかにも会見開場らしい、机の上に置かれたマイクに、スーツ姿の中年男性が話していた。


『――活発な太陽活動を観測しました』


 既に始まっていた説明の途中から、放送が開始された。

 黒点異常。Xクラス太陽フレア。太陽風。磁気嵐。

 そんな言葉を使いながら、気象庁職員だろう中年男性は説明する。


 南十星には理解できない。能力の作成に科学的知識が必須の《魔法使いソーサラー》といえど、天文学・気象学はほぼ門外漢だ。

 だから素人考えでは、天文学的な内容で緊急記者会見をするなら、地球に衝突する巨大隕石の接近くらいしか想像ができない。学校の理科では天体は中学三年生の分野で、詳しくは勉強していないが、太陽風など当たり前に降り注いでいると思ってしまう。


『明日、近畿圏にて、《ミスティック・スノー》と呼ばれる現象の発生が推測されます』

「ん?」


 だがその言葉で、緊急会見の本題が遅れて理解できた。

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