040_0840 嬉し恥ずかし逮捕軟禁Ⅵ~孤独な散歩者の夢想~
「――あ……ぅぁ……」
「……?」
声にナージャは目を覚まし、いつの間にか眠っていたことに気づいた。昔話をしていたはずだが、どこまで話をしたか記憶が定かではない。
手錠の鎖を引っ張らないよう気をつけて上体を起こし、音源を探る。
「は……す……ご、め……」
「十路くん……?」
声の主は、すぐ隣で寝ている十路だった。寝ている間に姿勢が変わり、仰向けになっている。
「え……?」
ナージャは驚きの声を漏らした。
完全な暗闇ではない、ほんのわずかな照明の下ならば、彼の顔を確認できる。
十路は眠りながら涙をこぼし、判然としない口調ではあるが、誰かに謝っているようだった。
「兄貴は普段、すぐ起きれるようにって眠りを浅くしてるけど、疲れてる時にはものすごく眠りが深くなって、こうなんのさ」
少女の声に驚いて振り向くと、いつから部屋にいたのか、学生服から着替えていない
「昔、兄貴が殺した人が夢に出てきて、うなされるんだよ……」
ベッドに近づき兄の寝顔を見下ろし、沈痛な面持ちを浮かべて南十星が教えると、樹里が恐る恐る問う。
「それって、
「じゅりちゃん、知ってたんだ?」
「堤先輩から、名前だけは……」
ナージャの脳裏に記憶が浮かぶ。任務として総合生活支援部に接近するために、
その中にあった名前が、半ば無意識に唇からこぼれ落ちる。
「《
声に南十星が眉を動かし、小さな驚きを見せる。
「知ってんだ?」
「名前だけですが……」
その人物の通称だけではない。経歴の概略も覚えている――というより、裏社会では有名な話だ。
「元陸上自衛隊非公式特殊隊員。確認できるだけでも、世界各地で二四人の《
《
《
だから《
そんな戦闘に勝利し、生存し、帰還し。それを何度も繰り返したため、彼女は『騎士』を通り過ぎて『女帝』と呼ばれていた。あくまでも過去の話だが。
「……そして約一年前、死亡」
「そ。羽須美さんは、兄貴が殺した」
過去形になった理由を、南十星があっさりと言ってしまう。
それもナージャは知っている。最強の『女帝』殺しを行ったから、堤十路は《
だが、理解はしてない。衣川羽須美も堤十路も、かつて所属していたのは防衛省陸上自衛隊――いわば仲間内で戦うことになった理由は、ナージャも
そもそも裏社会の出来事を、なぜ軍関係者ではない南十星が知っているのか。しかも衣川羽須美という人物と面識がある口ぶりが、ナージャにとっては驚きだった。
「ほれ。起きなよ」
南十星は遠慮なく、十路の頬をペチペチ叩く。
落とした声での会話では目を覚まさなかったが、さすがに彼も寝ぼけ
「んぁ? なとせ……? どうした……?」
「歯ぎしりとイビキうるさい。ナージャ姉が寝れないってさ」
「あぁ、スマン……」
うなされていたから起こされたことも、事実と違う指摘にも気づいた様子もない。そもそも起こされたことすら覚えているかも怪しいだろう。十路は一言だけ謝って
「どうして……?」
十路が再び深い寝息を立て始めるのを待って、なぜ嘘をつくのかナージャは問う。
「知らんフリしとくのが一番なのさ。兄貴も寝ながら泣いてたなんて、知られたくないだろうし……」
妹としての理解と気遣いを見せて一転、南十星は年頃の少女としての寂しさを垣間見せる。
「……あたしじゃ
そして更に一転し、ナージャを振り見て、戦士の顔を覗かせる。
「あたしさ、ナージャ姉のこと好きだよ? こんなことになっても、今まで通り仲良くできれば、それが一番だと思ってる。それに兄貴は結局ナージャ姉のこと信用してるみたいだし、このままなにもなければ、
ナージャは知らない。それは数時間前、電話越しに十路と話していた内容だった。
その時とは異なる語調と言葉を、南十星はぶつける。
「でも、そうなったとして、あたしが信用するのは半分だけ。残り半分は、生半可なことじゃ信用できない」
信じる信じないの問題ではない。
信用と不信を同時に持つ。
きっと他の部員たちも同じ気持ちを抱くことになるだろうが、口にすることはないだろう。全幅の信頼を置くことができず、裏切る注意が必要な協力者としか見れないと、南十星は明言する。
「あと、兄貴の信用を裏切るなら、あたしは絶対に許さないから」
そして敵意を向けて釘を刺す。
ナージャも過去の情報と合わせ、実際に垣間見ているから知っている。
堤南十星の行動原理は、全て堤十路だ。彼のためならば狂気と呼べる自己犠牲を発揮し、きっといくらでも残忍になる。
だからナージャは、咄嗟には反応できなかった。
無回答をどう受け取ったのか、それとも回答など最初から求めていないのか。彼女に構わず南十星はジャンパースカートを
「…………」
取り残されることになる樹里は、どうしたものか少し迷ったようだが、ややあって口を開いた。
「私は、普通の学生生活を送りたいだけです……でも《魔法使い》だから、時には戦わなきゃいけません……私たちは戦わないと、普通の生活を送れませんから」
ナージャにとって、木次樹里という少女は、異常だった。私生活も部活動時も観察したが、わからない。
彼女になにか秘密があるのは、なんとなく感知している。そして十路もそれを知っていて、守ろうとしている節があるのも感じている。
だからナージャは、つばめの誤送信メールに乗り、掴まってしまった。
「……でも、ナージャ先輩とは、戦いたくはありません」
わからない。
なぜ木次樹里は、戦おうとするのか。
戦わずに普通の学生生活を送るためには、時に命をかけて戦わないとならない、ジレンマに身を投じられる理由が。
きっと直前に、南十星の覚悟を見たせいだろう。
コゼットや野依崎にも、相応の理由はあるだろうが、執念とも呼べるようなハッキリしたものは見受けられないから、疑問を抱く必要性はない。
「もしも……戦いが避けられないとしたら?」
気が付けば、といった風に、ナージャの口から疑問が出た。
「…………戦います」
考えて言葉を選ぶ間を空けたが、樹里は明確な戦意を示す。
「いざその時になっても、私は迷うと思います。だけど……」
言葉を切り、彼女は視線を移す。どこか困惑するような、先ほどの南十星にも通じる沈痛な面持ちで、眠る十路を見下ろした。
「……そうなった時、きっと堤先輩が戦おうとすると思います。また傷だらけになって、血まみれになって、死にそうになって……ナージャ先輩を殺そうとするはずです」
思い出す。
『出来損ない』を自称するように、彼は第一級の兵士にはなりきれない。
自分が非情であることを課して、他人にそれを求めたりはしない。映画やドラマであれば孤高の英雄像として描かれるが、現実に組織の中に居るとすれば、マゾヒストじみて独善的な自分勝手と評する方が正しい。
つまり非情になりきれない。本当に非情な人間は、他人にもそれを求める。
だから戦いが避けられない判断した時、彼は躊躇なくナージャを殺そうとするだろう。
他の誰かが傷つかないために。他の誰かに重荷を背負わせないために。
なんでもないような顔で血に
「だけど、知ってる人たちが殺し合った後に、普通の生活を続けようなんて、無理ですよ……」
思い出す。
正体を隠して彼女たちに接近して過ごした、他愛ない放課後の時間を。
好奇心で押し掛けたフリをして、クラスメイトとしてなんとなく馬が合うようになった和真と共に、毎日のように観察のために近づいていた。
警戒の目を向けていた野依崎は、いつしか一緒の空間にいても無視するようになった。
部内の雑用を全部行っていた樹里は、いつしかお茶汲みは任せるようになった。
プリンセス・モードの仮面で接していたコゼットは、いつしか地を見せるようになり。
《
変化を目の当たりにするほど、いつもガラクタを詰め込んだ秘密基地のような
「だからその時は、私が戦います。私が戦ってでも守りたいのは、今の生活なんです……ナージャ先輩もいる、今の生活を……」
「十路くんの代わりに、木次さんがわたしと戦うことで、なにかが変わるんですか?」
「わかりません……」
ナージャの問いに小さく首を振ることで、樹里は自身の非力を認めた。
しかし彼女は顔を上げて、今度は自信を伝える。
「だけど、私は生半可なことでは死にませんから、ギリギリまで粘れます。戦いながらでも、全部がうまく行く方法を、考え続けることができます」
樹里は《魔法》を医療技術に応用する《
しかし、普通に考えれば実行しない。そして実行したところで意味がない。
どちらか死ななければ決着のつかない死線になるに決まっている。
そうやって実現できない理想を語るから、彼女は《
だが、彼女の弁こそが、総合生活支援部のスタンスだ。普通の学生は殺し合いをせず、部活動で戦っても戦争はしないという、馬鹿げた
「一番いいのは、全然戦わずに済むことですから、私はそうなるように、ナージャ先輩を信じたいです」
自分でも幼稚な理想を語っていると理解しているのだろう。樹里は破顔する。
だからナージャは思う。
彼女たちは強いと。どうしようもないジレンマの沼に足を踏み入れながら、足掻き続けて、自分の道を歩もうとする意思を持つ。
そしてナージャは思う。
彼女たちのように、
(わたしにはそんな選択、最初からありませんでした……)
いつの間にか下げていた顔をあげると、誰もいない。ナージャの回答を求めることなく、樹里までも部屋を出ていたが、気付かなかったらしい。
「う……」
十路は寝返りを打ち、手錠をかけた右腕に下に、体を向けた。また夢を見始めたのかもしれない。眉間に
「…………」
何故そうしたのか、彼女自身もわからない。ただなんとなく、放っておけなかった。
丸まる十路の頭をそっと、かき抱いた。いつも背後から抱きつけば、
彼女の知らない十路の姿だった。いつも
指先に髪質の固い短髪を感じながら、眠る前、彼に言われた言葉を思い出す。
(わたしが守りたいもの……わたしの信念……)
それを考えると、胸がうずく。
△▼△▼△▼△▼
総合生活支援部関係者が暮らすマンションのやや離れた路上に、全体的に黒く中が見えない外国製SUVと、ライダースーツの男が
【あそこに目標の《
車から少年の声が響く。虫取りや魚釣りに行こうとしているような、好奇心とやる気に満ちた声であり、印象年齢に相応しい声ではある。
しかし考えれば異常だろう。狩りへの意欲を《
『連中の寝込みを襲うのはやめとけ』
オートバイ――
彼らが見上げる建物を一見すれば、デザイナーズマンションに印象が近いかもしれない。見上げるような高層ではなく、むしろマンションとしては小さい部類だろう。人二人が並べない入り口には、外部と小さなロビーとを仕切る位置に一枚、そしてセキュリティを解除しないと開かない扉と、二重扉になっている。
小規模の割にはセキュリティが整っているマンションだ。だが見る人間が見れば、異様に感じるか、疑問に抱くだろう。
建物の入り口は制限がない限り、前を走る道に向き、真正面中央に作る。なのにこのマンションは九〇度曲げて、外からは入り口を見えなくしている。そして採光のために使われているガラス窓は全体的に小さく、各階の天井近くという相当に高い位置にある。
更に内部的な異常を、市ヶ谷は説明する。
『使われてるガラスは全て防弾ガラス、一番薄いところでもタイプⅣ以上はあるだろう。やたら壁も分厚いし、装甲版があるんじゃないかと思う。それに各階・各部屋ごとに密閉できる。しかも蓄電設備があって、水道や空気はフィルターを通してるっぽい。この用心じゃ、地下があっても不思議ないな』
狙撃対策も万全。強行突入しようにも足止めされる。仮に内部に侵入できても、各階でも妨害される。ガスを流し込んでも効果がない。部隊運用できる規模ならば、ミサイルの直撃にも耐える。食料品と水を用意してるならば、長期の篭城も可能だろう。
つまり支援部の関係者が暮らすマンションは、むしろ地下核シェルターにしていないのが不思議なくらいの、
【《
車からの声が少女のものに変わり、『なにを今更』といった風に、つまらなさそうな声を出す。
だがそれは、《
【あなたがたの行動を、日本政府が容認できる範囲を超えています。一瞬で壊滅させるような高出力攻撃を実行したり、襲撃に失敗して総合生活支援部との交戦が市街地で開始されれば、我々も敵になります】
彼らは協力者ではない。どちらかと言えば、行き過ぎがあれば止める立場だから。
少女も納得できる弁なのか、不満で鼻を鳴らしたような音を立てたが、それ以上の言葉は出さなかった。
【ちょっと困ったわね……建物の壁が厚くて、中の話が聞けなくなったし】
だから今度は、優しげな女性の声が、ひとりごとに近い言葉を
『どんな作戦が進行してるのか、俺は知らないが……連中にとっ捕まった『
【利用という言い方は正確じゃないわね。既にあの子は、作戦の重要な位置にいるわ】
『ほぉ……』
女性の言葉に市ヶ谷が上げた声は、関心よりもむしろ無関心だった。
そして感心の色などなく、むしろ苦々しさが込められている。
【通達しておかないといけないでしょうし、あなたに教えておくわね】
そんな市ヶ谷の感情に気づいた気配もなく、女性は言う。
【作戦は第三プランまであるの。第一プランは『
『それでも失敗したら?』
一応といった口調で市ヶ谷は確認を取る。
【第三プランは、《雪》を降らせる予定よ】
『!?』
だがその言葉に、ヘルメットの中で顔色を変えた。
今度は驚きの気配を感じたのだろう。薄く笑うような口調で、女性は言葉を続ける。
【第二プランまでで成功すれば、
『そう願いたいぜ……』
本心をこぼしながら、市ヶ谷は内心で舌打ちする。
彼女らの目的――それも表面的な問題ではなく、真相が掴めない。
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