040_0510 捕獲作戦Ⅱ~女学生の友~


 部に届いた依頼メールはコゼットが処理し、人命が関わるほどの緊急性がなく、今日でなくても構わない内容は、日にちをずらすか断る方針を出した。

 つまり今日の部活は、実質的になくなった。事件性と緊急性の高い招集がかからない限りは。

 だから樹里は一人、一〇号館――図書館で構内営業しているカフェテラスで、アイスカフェオレを飲んでいた。


(どうしようかな……)


 夏休みに入る直前に総合生活支援部は有名になったため、期間中も依頼処理で忙しく、完全にオフなのはかなり久しぶりになる。夜に宿題は進めているため、今やろうという気にはなれない。監視の車付きでマンションに帰ってなにかするのもどうかという気分。

 急に空いてしまった時間の潰し方に困り、樹里はテーブルに置いた赤い追加収納パニアケースを相手にボンヤリしていた。


(ナージャ先輩が、スパイかもしれない、か……)


 考えるのはやはり、先ほどの部会で話し合った内容だった。

 朝に連絡を受けて部室に集められ、十路が話した内容は、樹里に少なくない衝撃を与えた。

 樹里から見たナージャ・クニッペルという先輩は、変わり者ではあるが、憎めない人という印象だ。悪く言えばずうずうしく、良く言えば《魔法使いソーサラー》という特殊性を感じずに済む、明るくほがらかで賑やかな性格をしている。また料理研究部に所属しているからか、時折差し入れられる菓子の出来もよく、紅茶を淹れる腕前は周囲の誰よりも確かだ。だから部室では夏にも関わらず、彼女が淹れた温かい紅茶がよく飲まれている。

 電話番号やメールアドレスは交換しているものの、学年が違うために個人的な付き合いはさほどない。しかし仲のいい先輩であることには違いない。


(やっぱり割り切れないなぁ……)


 そんな彼女が、敵対の可能性もある諜報活動員――しかも《魔法使いソーサラー》だと言われも実感がなく、疑うことに心情的なブレーキがかかってしまう。


(もしも本当にナージャ先輩が《魔法使いソーサラー》だとしたら……うわぁ)


 理由は、先月の戦闘ぶかつどうで樹里は謎の介入者に対して、殺すつもりで《魔法》を放ったからだった。

 しかしナージャはその翌日も、何事もなかったかのように――あの時に介入した謎の《魔法使いソーサラー》ではないとしか思えない、ホンワカとした笑顔の挨拶と共に現れた。

 思い出す笑顔はやはり彼女の不審を否定しているように思うし、もしもナージャと戦ったのだとしたら、本気で殺そうとした行為にどう反応していいかわからない。


 部会の場で言っていたように、南十星なとせは割り切っていた。野依崎はナージャの正体の解明に、積極的と言っていい態度だった。コゼットは慎重になっているのか、発言を控える様子があったが、疑う根拠もその対処も納得している様子だった。

 しかし樹里は割り切れない。自身でも《魔法使いソーサラー》らしくないと思っているが、彼女の本質はやはり普通の女子高生だった。

 そして普通の女子高生は、相手を知らずとも誰かを殺そうとは思わないし、知り合いと命のやり取りをする可能性など考えない。


(どうすればいいのかな……)


 だが今は、《魔法使いソーサラー》としてそれを考え、いずれは行動に移さなければならない。

 陰鬱いんうつな気持ちを樹里はため息にして吐き出して、カフェオレを口に含んで。


「ん?」


 『秘密』を持つ彼女は平時から起動している、《魔法使いソーサラー》が標準装備している脳内センサーが、接近する高さ一五〇センチ超の物体を検知したが遅く。


「じゅーりっ!」

「ぷふっ――!?」


 背後からの大声と肩への衝撃で噴きかけ、あまつさえ鼻からも噴出しかけたが、みっともなさすぎる茶色い噴水は乙女の根性で耐えた。

 涙目をせきこみながら振り返ると、樹里には見慣れてはいるが久しぶりに見る、同じ学生服姿の少女たちがいた。


「久しぶりー! こんなところで一人なにしてるのかなー?」


 肩に手を置き、悪びれもせずに笑いかけるのは、樹里よりも短いボブヘアを、カチューシャで押さえた少女だった。

 名前は井澤いさわゆいという。


「おい、結……」


 そんな彼女の行動に、凛々しい顔を非難がましく歪めるのは、ポニーテールの少女だった。

 名前は月居つきおりあきらという。


「だ、大丈夫ですか……?」


 樹里を心配する、背中まで伸びた髪を二つ分けにした、眼鏡をかけた大人しそうな少女がいた。

 名前は佐古川さこがわあいという。


 樹里が友人グループを作っている、高等部一年B組のクラスメイトたちが揃っていた。


「どうしたの? 夏休みなのに、みんな学校に来てるなんて」


 不思議そうに樹里が問うと。


「わたしは、図書館で勉強を……」


 愛は小さくない喧騒の中、消え入りそうな声で、眼鏡の位置を直しながら説明し。


「あたしは部活。家の用事あるから、昼からの練習は休むけどね」


 水泳部所属の結は、水着が入ったバッグを見せて説明し。


「わたしも…………部活だ」


 なぜか晶は凛々しい顔に似合わない顔で、気まずそうに視線をそらす。

 明らかになにか誤魔化している。ラクロス部に所属する彼女ならば、部活の前後にはラケットを持っているはずだが、今は持っていない。

 だから結が推測する。推測と呼ぶほどでもないが。


「晶は御園みその先生目当てで社会科準備室に行ってたんでしょ」

「わざわざ言わなくていい……!」


 月居晶一五歳、背も高くラクロスのラケットよりも竹刀や薙刀の方が似合っているような大和撫子やまとなでしこタイプとは違う純和風少女だが、事実を指摘されて頬を赤らめる、社会科担当御園雅浩みそのまさひろ教諭二五歳妻子なし大人の男に憧れるお年頃だった。


「も、早く告白しちゃったらいいじゃないー?」

「そんなことできるか……!」


 『女三人つどえばかしましい』の言葉通り――いつも静かな愛は困ったような笑顔で、結と晶の言い争いを見守っているだけだが、騒ぎ始めた少女たちを見て、樹里は思う。


(考えてみれば、みんなも……)


 毎日のように部室に押し掛けてくることはないが、彼女たちもまた樹里が《魔法使いソーサラー》と知って尚、友人付き合いをしている。

 ナージャの話を聞いてしまったら、彼女たちもまた、なにか目的があって近づいてきたのではないかと思えてしまう。


「なーに深刻な顔して悩んでるのかなー?」

「……今回はちょっと、《魔法使い》絡みの真面目なこと」

「そっか」


 違うとは思う。問うた結も、好奇心だけでは踏み込んではならない、深刻な話と理解しているのだろう。あっさりと引くのだから。

 しかし疑いそのものは晴れない。そして全く意識していなかった人々への疑念に、自分の心が汚いように思えて、樹里はにごったため息をつく。


「それで樹里。あたしたちこれから、帰りがけにどこかでお昼にしようって話になったんだけど」


 そんな彼女の心情を察したのか、結は明るく提案する。


「樹里も一緒に行かない? それとも部活が忙しい?」

「や、今日は臨時の休みみたいになったから、大丈夫だけど……」

「だったら付き合いなよー。ニュースとか動画とか出ずっぱりで、すっかり有名人なっちゃってから、付き合い悪いし」

「わかった……」


 力ない笑顔を浮かべて、三人に付き合うつもりで樹里は立ち上がる。主には夏休みに入ったせいなのだが、結の言う通り、最近は友達付き合いをしていない。


「ネット掲示板でスレが立つくらい、樹里のパンツが話題になってたから、人付き合い避けてたの?」

「もうその話はしないで!? あと全然関係ないから!?」


 以前の部活動で、彼女が《魔法》で飛ぶところを市民に撮影された際に見せてしまった痴態を持ち出すならば、やっぱりやめようとも思うが。



 △▼△▼△▼△▼



 女子高生四人で中庭を歩いていると、晶がなにかを見つけた。


「なぁ、樹里。あれは確か、支援部の先輩だろ?」


 彼女が指差す先には、男子高校生がいる。服装が取り立てて乱れているわけではないのに、不思議と昼寝中の野良犬のようなだらしなさがただよう青年が、首筋をなでながら辺りを見回していた。


「堤先輩?」


 つぶやきが聞こえたわけではないだろうが、樹里に気づいた十路が、近づいてきた。


木次きすき。三分でいい。ちょっと話せるか?」

「え、と……」


 問いかけられ、樹里は困って友人たちに振り返る。

 彼女たちと十路とは、ろくに会話したことはきっとないだろうが、面識そのものはある。放課後、四人一緒のところへ十路が通りかかり、そのまま部室へ行く場面などは何度かあった。

 しかし樹里を探していた節があり、友人たちに聞かせられない話をしようとしていると察し、どうしたものかと樹里は少し迷う。

 だから結が先に反応し、笑顔のからかい口調で十路に語りかける。


「先輩~? 樹里に告白ですか~?」

「あぁ。よくわかったな」

「…………え?」


 顔色も変えずに十路が即答したため、彼の性格を理解していないだろう結は固まった。他二名も同様に。


「先輩の冗談は真に受けちゃいますから!!」 


 友人たちからなにか言われる前に、十路の背中を押して樹里は距離を取る。部活関係の重要な話をしたいのだろうから、話を聞かないわけにもいかない。

 友人たち三人に注目されているのを自覚し、後でからかわれるのは間違いないとウンザリしながらも、感覚を研ぎ澄まし、盗聴を連想する不審な電波がないのを確認してから、樹里は切り出す。


「それで、なんでしょう?」

「ナージャが非合法諜報員イリーガルかもしれないって話をしてから、ほとんど黙ってただろ。だからちょっと話しておこうと思ってな。友達が一緒のところ悪いとは思ったけど、電話だと盗聴される可能性があるから」


 十路は生き方からすれば、誰が敵かそうでないのか、疑わなければならない事態など日常だっただろうと、話を聞きながら頭の隅でボンヤリと考える。

 それが異常だとは考えない。きっと自分は恵まれているのだろう。『普通』の思考回路を持つ自分の方が、社会の闇に生きる《魔法使いソーサラー》としては異常なのだから

 ただ、なにを言われるかという警戒心が首をもたげる。


「疑心暗鬼になってないか? たとえば、木次の友達まで怪しんでしまうとか」


 離れたクラスメイト三人を親指で示し、十路は問う。


「……まぁ、ちょっと」


 樹里は口ごもりながらも肯定する。

 すると思った通りとでも言うように十路は鼻を鳴らし、いつもの口調で説明する。


「俺はトラブルが嫌いだ。だから問題になりそうなことは、可能な限り早めに芽を摘んでおきたい。今回のナージャの件もそれだ」

「……もしもナージャ先輩が、本当にスパイだったら、どうするんですか?」

「それはわからない」


 昨日、コゼットと十路が話し合っていた場に、樹里はいなかった。


「戦う必要があるなら、戦う。拷問して情報を引き出す必要があるなら、やる。殺す必要があるなら、殺す」


 だからもう一度出された十路の覚悟を聞かされ、息を呑む。

 彼が正しい。自分たちを取り巻く現実は、そうしなければならないと理解できる。

 しかし気が進むはずはない。そして苦々しさなど全く見せず、無表情のまま当たり前のように話す十路に、賛同はしにくい。


「だけど、そうならない可能性もある」

「?」


 だが話は終わらずに、樹里にとっては意外な方向へ進む。

 これが彼女を探してまで、十路が話したかったことなのだろう。


「こんな事したのは俺くらいだろうけど……前の学校の任務で、他国のそういう連中と付き合ったことは何度かある」


 味方ではないのと、敵であるのは、イコールではないという話が。


「損得勘定が働いた単純な役割分担だ。金銀財宝が欲しくても、花咲か爺さんはどこに埋まってるのか知らない。だけどポチが裏の畑で鳴けば、犬が掘るより早くくわで掘り出せるし、持ち運べる。そして出てきた財宝は山分けって寸法」

「はぁ……」


 十路が言いたいことは理解できた。同じ目的のために、その非合法諜報員イリーガルが情報を提供し、非公式特殊隊員だった十路が情報に基づいて実働を受け持つ、一時的で即興的な合同作戦を行ったということだろう。通常は自国組織で掴んだ情報で動くため、他国の非合法諜報員イリーガルとの協力などまずありえない。しかし十路の前職は独立強襲機甲隊員――『隊員』と付いているが、単独任務を行う非公式特殊隊員だったからこそ、そのような裏技の必要があり、可能だったのだろう。

 しかし諜報員ポチが財宝をひとり占めしようとしたり、財宝がたったひとつで山分けできなかったり、そもそもめられてなにもなかった場合を考えると、樹里は曖昧あいまいな反応しかできない。そして花咲か爺さんの話を思い出すと、実際どうしたかは怖くて訊けない。地面を掘るとガラクタが出た隣の爺さんは、犬を撲殺したのだから。


「諜報機関の目的は、国益のために情報や物を確保することなんだ。武力行使をすることもあるが、荒事は基本的に軍の役目だ。だから対外情報局SVRが関わってるとして、俺たちへの敵対行動以外が目的なら、距離を保ったまま付き合い続けることも不可能じゃないし、むしろ潰し合うのは下策だ」


 樹里の内心は無視しているのか、気づいていないのか、十路は構わず話を進める。


「今はナージャが非合法諜報員イリーガルかどうか、ロシア管理下の《魔法使い》なのか、それを見極めるのが先決だ。対処はそれから考えればいいし、正体を確かめないと対処もできない」


 もちろん楽観視することはできない。油断もならない。最悪のことが起こる覚悟も必要だが、しかし最初から最悪になると考える必要はない。


「わかったか?」

「はい、そうですね……」


 樹里は小さく納得の息を吐く。知らずに入っていた体の力が抜け、心が少しだけ楽になる。


「さっき偶然、理事長と会ったから話して、今夜アイツの正体を確かめるって決まった。詳しい段取りは後でメール送信されると思うから、木次もそのつもりでいてくれ」

「ひゃ……」


 いきなり頭に手を乗せられて、樹里は身をすくめる。十路に頭を触られることは時折あるが、急にやられるとやはり驚く。

 そんな彼女の反応に頓着とんちゃくせず、ポフポフと無造作にミディアムボブをなでて、用事は終わったと十路はきびすを返した。


 樹里はなでられた頭を自分でなでながら、驚いた気持ちで十路の背中を見送る。

 彼が無関心なようで、意外と周囲に気を配っている人物なのは知っている。そしてトラブルご免と称しているように、自分の不利益には行動が早い。

 しかし誰かに忠告や教育をするタイプではない。やったとしても『無言実行』『座学より体験』『失敗は体に叩き込め』『手遅れ一歩手前まで助けない』という鬼軍曹ぐんそうスタンスだ。

 だから、こんな行動に少し驚いた。


「木次さん……乙女な顔してた」

「ふぇ?」


 振り返ると、いつの間にか横にいた愛が、眼鏡越しの上目遣いで見ていた。


「頭なでられるの、子犬ワンコみたいに嬉そうだったな」

「ふぇ?」


 逆側を振り返ると、晶が事実の指摘以上の感情はなさそうな顔をしていた。


「ついに男ができたかぁ!?」

「ややややや! 違う違う違う!」


 そして目の前に登場してきた結に、樹里は手を振って全力否定する。


「そこまでムキに否定するのが怪しいですなぁ?」

「怪しいな」

「はい……」


 だがクラスメイト三人は顔を寄せ合い、湿気を含んだ目で樹里を見てくる。


「いやでも意外。樹里の好みがあんな、ちょっと不良っぽい人だとはね」

「第一印象を正直に言えば、あまりお近づきになりたい人ではないな」

「ちょっと、怖いです……」


 そして三人の話は、十路の評価に移った。

 彼の人となりを考えると、高評価になるとは樹里も思わない。目つきは悪く、妙に怠惰たいだな雰囲気を放っている。話せばぶっきらぼうで、積極的に他人と触れ合おうとはせず、トラブルご免だと冷たい態度を取ることもある。ユーモアはなく、冗談は冗談に聞こえず、しかも空気は読まず、デリカシーにも欠けている。


「そう思われても仕方ないとは思うけど……でも、悪い人じゃないよ。困ってたら、本気で助けてくれるし……」


 だが、第一印象だけで低い評価をつけられるのには、なんとなく反論したくなる。


「態度とか見た目なんかより、ずっと優しい人……」


 樹里も数えられるほどしか見たことがない。彼が日頃浮かべる、自嘲めいていたり皮肉めいてたり凶悪めいていたりする笑顔とは違う、存外に優しげな微笑を思い出して。


「――はっ!?」


 今この場の反応にはマズイと樹里は気づいたが、もう遅い。


「やっぱりラブ!? かばうのはラブ!」

「ややややや! 堤先輩にも迷惑だからホントやめて!」


 ガッツリ食いついてきた結を、本気で制止する。


 主に樹里をいじりながら、女子高生四人は移動する。久しぶりに顔を合わせるため、話は尽きないだろう。行く先はファストフードかファミレスになりだろう。長々と席を占領して友達と語る、普通の学生の時間予感を覚えながら、校門を出ようとして。

 そこで樹里は、思わぬ人物を見た。


「あれ? 野依崎のいざきさん?」


 今時珍しくなったエビ茶色のジャージを着て、後ろ姿までぬぼーとした態度で歩く小学生など、見間違えるはずはない。

 呼びかけられ、ノロノロと振り返る野依崎の顔を見て、樹里はひるむ。

 ものすごく嫌そうな顔をしていた。


「えと……外へ?」

イエス……面倒であります……」

「なんというか……日中に野依崎さんが学校の外に出るの、初めて見たんですけど」

「自分だって買い物で出ることくらいあるであります……今日は違うでありますけど」

「じゃあ、どちらへ?」

理事長プレジデントの使いで、ロシアまで行ってくるあります……」

「…………ふぇ?」


 樹里の脳裏に『ロシアなんて名前のコンビニあったっけ?』などという間抜けな疑問が浮かぶ。平坦な声で何気なく外国名を出されたため、野依崎の言葉が理解できなかった。

 そんな彼女に構うことなく、野依崎は校門を出てノソノソと坂道を下り、見えなくなってしまった。


「初めて見る子だけど、あの子も部活関係?」

「うん、まぁ……」


 野依崎はあまり部室にも表にも二号館の外にも出ない。部が有名になってしまっても、結に限った話ではなく、知っている人間はかなり限られている。


「樹里の部活って、変わった人多いよね」

「…………」


 否定はできない。だが肯定するのもどうかと思ったので、樹里は沈黙を守ることにした。



 △▼△▼△▼△▼



 そして、メールが送信された。


「ん?」


 携帯電話の液晶画面に表示された、たった二文字で示された簡潔なタイトルを見て、ナージャは武道館の隅で眉根を寄せる。


「どうしたんだ?」


 胴着をつけて竹刀を持ったままの和真かずまが、不思議そうに覗き込む。


「いえ、総合生活支援部の部活メールが、なぜかわたしに届いて――」


 彼女が説明しようとした矢先に、液晶画面が切り替わり、再度のメール着信を知らせてきた。

 

「……理事長先生の間違いみたいですね」

「理事長とメアド交換してるのかよ」


 普通の学生ならば学校の最高責任者と、そこまで親しくはない。男女の意識差もあるのかもしれないが、和真も総合生活支援部に出入りしているが、顧問である長久手つばめと交換していない。


「えぇ、まぁ……かなり前に理事長先生の方から、交換しようってことになりまして」


 ナージャが曖昧あいまいに笑った時、剣道部の主将が和真を呼んだ。


「もうすぐ合宿で、朝から晩まで練習しようってのに、そんな気合入れなくても……」


 和真は適当にサボるつもりだったのだろう。心底嫌そうな彼に、ナージャは切なげな顔を作り、目線を恥ずかしそうに逸らし、乙女な態度で語りかける。


「和真くんが頑張ってるところ見てたらぁ、キュンとしちゃう……」

「っしゃぁぁぁぁっ! もう一丁!」

「練習が終わらないと、お昼ご飯にありつけそうにないですから、胃がキュンキュンしてるんです」


 平素の声で出された追加説明は聞こえなかったらしい。幸せな和真の背中は、意気込んで遠ざかり、主将相手の打ち込みを再開した。


 武道館の中央に視線を移せば、剣道部と薙刀部の練習風景の狭間に、巨躯の老人と小柄な女子中学生がいる。

 

「娘。お主の技は滅茶苦茶だな?」

「映画用のアクションで、ちゃんとした格闘技じゃないから、そこは目ぇつぶって?」

「とはいえ、足技が多すぎる」

「あたしチビぃしパワーないから、大味な蹴りに頼るしかないんだよね。おっちゃん、なんかいい手ある?」


 剣道部の外部コーチである長瀬ながせ源水げんすい南十星なとせが、話しながら組み手をしていた。技を確認するようなスローテンポで、軽い拳や蹴りをぶつけ、いなしている。


 校内で会った和真と連れ立って、ナージャは総合生活支援部の部室に遊びに行こうとしたところに、部室から出てきた南十星と会った。

 彼女が言うには、十路と樹里は学校に来ておらず、コゼットも所用で出かけたため、部は休業し部室は閉めたとのこと。

 なので稽古へ行くという南十星に同行し、ついでに今日もサボる気満々だった和真も引きずり、武道館にやって来た。


「おっちゃんの剣道はよく知らないけど、当身技はそーとーやってるよね? コレ柔術?」

「ほう。よくわかったな」


 先日の決闘でなにかシンパシーするものを見出したのか、南十星の申し出に源水も嫌な顔をせず、指導に近い形で相手をしている。


 知り合いたちの様子を微笑して眺め、ナージャはもう一度、間違いで送られてきたメールを読む。


 ミガホア細胞セル。ケイ素生命体の性質を併せ持つハイブリッド細胞。

 タブル適合化措置。その細胞を演算素子と用い、各種力学制御を行い、生物に機械的性質を付与する。

 附野つけの式生体演算機理論実証体。人間の身で《魔法使いの杖アビスツール》の機能を付与された被験者。


 彼女が見たことも聞いたこともない言葉が並んでいる。

 そして最後は、こう締めくくられていた。



 ――理解できないと思うけど、言葉は前もって知って欲しい。

 ――ジュリちゃんには秘密がある。簡単に書いたことは、それに関わる。

 ――これが原因で、ウチの部は危険な状態にあるし、冗談抜きで人類存亡に繋がりかねない。

 ――説明しないとならないし、話だけじゃ理解も信用もできないと思うから、実証実験もしたい。

 ――だから今夜一二時、学校に集合して。

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