040_0600 捕獲作戦Ⅲ~NO WAY BACK 逃走遊戯~


 多機能サバイバルウォッチが示す時刻は、まだ一二時になっていないが、公安警察の監視をくぐり、既に部活は開始されている。

 修交館学院は、山の斜面に造成されて建てられた。団地のように立ち並ぶ建物群は、ところどころに常夜灯が灯り、静かなたたずまいを浮かび上がらせている。

 そんな光景を見下ろせる敷地の最上部、削った斜面を規則正しくコンクリートタイルで覆った場所に、十路とおじは学生服姿で立っていた。深夜になっても抜けない蒸し暑さにも構わずジャケットを着込み、今は電源を入れていない無線機ヘッドセットを耳につけている。

 そして左の二の腕には、修交館学院の校章と、Social influence of Sorcerer field demonstration Team――《魔法使いソーサラー》の社会的影響実証実験チームの文字が書かれた、部活時の身分証明である腕章を付けている。


「堤先輩。ここでしたか」


 背後は山だ。振り返ると木々の隙間から、やはり学生服姿の樹里が出てきた。《NEWS》と名づけられた彼女の《魔法使いの杖アビスツール》――コネクタを連想する先端を持つ、電子部品をデタラメに組み合わせたような長杖を手にしているが、空間制御コンテナアイテムボックスは手にしていない。彼らが立つ斜面すぐ下、敷地内の道路に停めたオートバイ後部右横に搭載されている。


「なっちゃん、どうしたんですか?」


 見下ろす樹里の視線の先では、学生服姿にベルトでトンファーをげた南十星が、オートバイの上で器用にうつ伏せに寝そべっていた。シート前のタンク部分に横顔を乗せて、脱力した手足を垂らした姿は、子豚の丸焼きを連想する。


「ぐへへへへ……」


 とても寝られると思えない寝相とベッドだが、南十星は女子中学生が浮かべてはならない笑顔で寝ている。


【ヨダレがぁ……!?】


 そしてオートバイに惨事が起きていた。

 放置するとうるさそうなので、明日の予定に洗車を入れたものの、とりあえず今は無視し、十路は大したことではないと説明する。


「なとせは九時には寝るから、夜更かしに耐えられなくなったらしい。さっき見回りした時、立ったまま寝てるの見つけたから、回収した」

「あはは……」


 合流してしまったが、彼らは一時間ほど前に集合して打ち合わせをし、その後は別れて学院内を警戒していた。

 顧問である長久手ながくてつばめが送信した、偽のメールでおびき出した相手を捕らえるために。


「丁度いいところに来た。話がある」


 きっとこちらを見ているだろうイクセスに、十路は手信号ハンドシグナルでその場での警戒を指示して、樹里を促して木々の間を歩き始める。万が一、南十星の耳に届く可能性も考えて、少し離れてから危惧きぐを語る。


「メールの文面なんだが……」


 具体的なことを言わずとも、樹里には伝わった。


「つばめ先生に直接聞いたら、学生時代に書いた小説の設定って言ってましたけど……」

「想像にしては、事実にかすり過ぎてるだろ……」


 経緯を知っている他の部員は、偽の召集メールを読んでも、与太話にしか思っていないだろう。

 しかし十路は知っているから、考えてしまう。

 金属生命体としての性質を持つ細胞。それを演算素子として用いる措置。《魔法使いの杖アビスツール》の機能をそなえた人間。

 《魔法使いの杖アビスツール》を持たず《魔法》を使える樹里の特異性に、触れているようにも思えてならない。


「理事長は木次きすきの『秘密』を知ってるのか?」

「はい。この事を知ってるのは、私のお姉ちゃんと義兄にいさん、つばめ先生、あとイクセスと堤先輩です」


 責任者であるならば、樹里の『秘密』を知っていて当然かもしれない。

 となると、つばめは思惑があって、こんなメールを発信したと考えた方が自然だろう。


欺騙ぎへんか……?)


 十路は首筋をなでながら考える。

 情報の隠し方は、知る人間を極力少なくして、厳重管理するだけではない。偽の情報をわざと流出させることで、真相を隠す方法もある。それが欺騙ぎへんと呼ばれる諜報作戦行動だ。

 そして、つばめが流したメールの内容が、完全な真実ではないのはハッキリしている。おびき出すエサだと打ち合わせした以外にも、内容に人を馬鹿にした理由が盛り込まれているからだ。


(となると、木次の『秘密』は、本当にどこかにバレかかってる?)


 何故そのような特異性を持っているのか、樹里自身も知らないと言っている。彼女の『秘密』を知る者たちが詳細を知っていたとしても、樹里には教えていないのだろう。


「…………木次、どうする?」


 しばらく考え、十路は問う。


「俺がこの件に直接関わると問題になるから、知らないフリするしかないんだが……」

「先輩がつばめ先生に確認を取ったら、私の『秘密』を知ってるってバラすのと同じですからね……」

「あぁ。俺にバレてるのは、誰にも知られない方がいいだろう」


 最悪を考えると、一応は味方であるはずのつばめやイクセスに、命を狙われる可能性まである。樹里が持つ『秘密』は、それだけ大きい。十路のためにも樹里のためにも、二人の秘密に留めるべきだと言い添えて、もう一度問う。


「だから、どうする気なんだ? 理事長に訊いてみても、ハッキリした答えは返ってこないと思うが、追求する気か?」


 眉間にしわを作ってしばし考え、樹里は迷いながらも答えを出す。


「……しばらく様子見します。自分のことですから、知りたいのは山々ですけど、このタイミングはマズイ気がするので……」

「ま、本当にヤバかったら、理事長からなにかあると思うし……木次がいいなら、俺はこれ以上言わないが」


 スッキリしないが、ここで話していてもせん無い。しかも樹里がひとまずの結論を出したので、話題にふたをする。


「そういや、俺に用事があったのか?」


 そして彼女の第一声を思い出し、十路を探していたのかもしれないと思い立った。


「や、訊き忘れたお話があるので、ちょっとその確認を」


 思案顔を別の思案顔に変えて、樹里は問う。


「ナージャ先輩が『ビスパリレズニィ』っていうロシアの《魔法使い》かもしれない……しかも先月の部活動に介入してきた『幽霊ひと』かもしれない……そういうお話でしたよね?」

「あぁ」

「もしそうだとしたら、とてもかなわないと思うんですけど……」


 樹里は以前、『幽霊』と交戦している。厳密には彼女が一方的に攻めただけで、交戦と呼ぶほどの事態にはなっていないのだが、それでも相手の強さは実感しただろう。

 本気で立ち向かわれたら一瞬で敗北する、常人の常識を超えた《魔法使いソーサラー》にとっても超常の存在であると。


「俺の考え通りだとすれば、多分大丈夫だ」


 しかし十路は高確率で成功の見込みを伝え、日中の部会で話しかけたことを、改めて説明する。


「最凶の《魔法使い》……最も強いの最強でもいいはずなんだが、最も不吉の最凶って呼ばれてるのがミソなんだ」

「というと?」

「まず、『ビスパニレズニィ』ってのはロシア語で、役立たずって意味だ」

「……ふぇ?」

「それで、赤の他人のことで噂になるほどの話は、有名人の偉業か、その真逆くらいだ。『ビスパリレズニィ』にまつわる話は、なぜかその両方がある」

「真逆って……とんでもない失敗談ってことですか?」

「あぁ。《魔法使い》だと考えても次元の違う化け物だけど、同時に素人以下の非合法諜報員イリーガルだって言われてる」

「…………ふぇ?」


 規格外であると同時に論外。最凶の役立たず。

 十路の口から発せられる、相反するとしか思えないキーワードが、頭の中でうまく統合できないのだろう。子犬めいた樹里の顔が困惑にゆがむ。


「そんな意味不明の人物像だから、実在しない眉唾まゆつばモノ扱いされてきたと思うんだが――」


 より詳しく続きの説明しようと、十路が息を吸い込んだ時。

 空き缶が地面に跳ねる音が、勢いを失いながら二度三度続いて、夜空に消えた。

 樹里が顔を緊張に作り変え、十路は小さく息をつく。


「また説明が中途半端になったな……」


 残るコゼットが発した、事態が動いた合図だった。無線電波を感知されれば元も子もないため、わざと原始的な方法を打ち合わせしていた。

 二人はすぐさま元の場所に戻り、シャッターは閉じているが、隙間からわずかに明かりを漏らしているガレージハウスを見守る。



 △▼△▼△▼△▼



 修交館学院は市街地から離れた山中にあるため、夜ともなれば、政令指定都市内とは思えないくらいに静かになる。


「……っ、……っ!」


 だから甲高く響いた空き缶の落下音に『彼女』は身を強張らせ、荒い息と動悸どうきなんとか落ち着かせようとつとめながら、様子をうかがった。

 しかし何も起こらない。夜の学院は数瞬前と同じ、静かなたたずまいを見せている。

 だから、変な場所にポイ捨てされた空き缶が落ちたのだろうと納得し、再び行動を再開する。


 建物の陰に潜み、校舎などの施設からは離れた場所にある、総合生活支援部が部室として使っているガレージを『彼女』は観察し、悩む。

 盗聴器の設置は、ずっと以前から諦めていた。不審な電波を発する物があれば、部の備品である《使い魔ファミリア》が絶対に気づくからだ。

 単純に音源から指向性を持って収集し、小さな音を増幅するには、離れすぎていて内部の会話は収集できない。世の中にはレーザー光線を使い、建物のわずかな振動から盗聴する方法もあるが、そのような手段を持っていない。

 かと言って、内部で行われているであろう会話を盗聴するために、接近するのは二の足を踏む。不可能ではないが、しかし裏手の山中から接近するには、木々や下草など、物音を発生させる要因が多すぎる。表側からならば、土の地面を歩く際の足音に気をつければ大丈夫だが、障害物がほとんどないため、隠れることはできない。

 見つかれば交戦は避けられない。総合生活支援部の関係者ではない者が、こんな時間にこんな場所にいれば、どんな言い訳をしても誤魔化すことは不可能だからだ。


 中でどんな内容が話されているのか、興味を持ちつつも、それを知ることができずに行動に悩んでいると。


「!」


 電磁波発生を感知し、一瞬後に光に照らされた。

 感知した真上を見上げると、なにかが決壊する音と共に、大量の水がかたまりとなって頭上を覆っていた。しかもその水は、淡い青色の《魔法》の輝きを持っている。

 光る天井がまるごと落下するような光景に、対応するには遅かった。

 岩のような固体とは事情が異なるが、そもそも水は重い物質だ。バスタブの容量でも二〇〇キロ近くはある。それより遥かに多い貯水タンクの水量に、しかも高みから一気に降り注いできた衝撃に、『彼女』は地面に押さえつけられる。

 しかも濡れるだけに留まらない。発光する水は乾いた地面に吸い込まれることなく、体にまとわりつく。


「…………!?」


 なにが起こっているか理解していないまま、『彼女』は手足を動かすが、内部では不規則な流れが生み出され、水をいて進むこともできず、木の葉のように成す術なく翻弄ほんろうされるしかない。

 半ばパニックになりながらも、このままでは陸上でおぼれるという、未知の体験をすることになると理解した。



 △▼△▼△▼△▼



「まさか本当におびき出されるとは……」


 破壊した貯水タンクを《魔法》で修理し、コゼットは建物の屋上から飛び降り、落下速度を調整して地面に立った。


 《マナ》で仮想構成したうつわに容れて動かすのが主だが、水流を作り出したり、温度を変えて凍りつかせ、圧力を変えて内部の物を押し潰すことも可能とする。流体制御術式プログラム《ニンフおよび霊的媾合についての書/Fairy scroll - Nymph》で操作された水は、人ひとり閉じ込めて、水の妖精ニンフのように、あるいは無重力空間中のように、直径三メートルほどの球となって浮かんでいた。

 不思議な光景ではあるが、それだけでは人間を閉じ込めることはできない。泳げない者でも手足をバタつかせていれば多少は移動できるし、球状ということは三六〇度全てが水面なのだから、顔を出すことも簡単だ。

 だから水球内を攪拌かくはんさせることで三半規管を狂わせ、上下左右をわからなくさせると同時に、人間の力では水をくことも蹴ることも不可能にさせている。

 それでも反撃を警戒して距離を取ったまま、内部の不審者にコゼットは警告する。


おぼれたくなければ、武装を解除なさい。足掻あがき続けても、こっちは構わねーですけど」


 学院内には専門家である《治癒術士ヒーラー》の樹里がいるのだから、心肺停止しても蘇生できるだろう。さすがにコゼットも、そこまでの危険状態に追い込む気はないが、直前までは手を緩める気はなかった。そもそも水流の中で警告が聞こえているか怪しいが、構わない。


 洗濯中の衣服よりも激しく翻弄ほんろうされている者に、それらしい反応はない。だからコゼットは術式プログラムを維持したまま、その人物をあらためめる。


 全身黒に近い暗色で統一されている。水流越しでは詳細はわからないが、体にフィットする薄手の服に、黒の戦闘装備BDUベストを装着しているらしい。覆面を被った上に、頭部装着型の暗視スコープを着けているため、顔は確認できない。

 夜間作戦中の特殊部隊兵を思わせる格好だった。

 以前の部活動に介入してきた『幽霊』とは、黒一色という点を除いて格好が異なる。もっとも、《魔法》か別の超技術の産物かわからない効果で生み出された、影のような無敵の『鎧』を身にまとっていたため、同一人物か判断はできない。

 ひとまずコゼットは、彼女の《魔法使いの杖アビスツール》である装飾杖――《ヘルメス・トリスメギストス》を手に様子を見守っていると、不審者の動きが不自然になった。


「?」


 水流で像がゆがむために錯覚とも思えたが、コゼットの目には黒ずくめが一瞬制止し、姿がひと周り大きくなったように感じた。

 そして水球が爆発した。


「な……!?」


 コゼットが絶句を漏らした時、更に距離を取るように、人影が音を立てて地面に転がった。

 小さな常夜灯の下に倒れるその人物は、黒ずくめでも立体感までは隠せないはずなのに、全く光を反射しない影のように思える姿をしている。

 コゼットも以前に見た『幽霊』と同一の姿だった。

 しかし一瞬の後には、全身を覆う黒衣は消え去り、黒ずくめだが衣服を着ているとわかる姿に戻る。


「げほ……! ごほっ……!」


 目出し帽とは違って口部分に穴が開いていないため、濡れると呼吸できないからだろう。その人物は顔を覆う覆面の下半分をずらし、体を折り曲げて飲んだ水を吐き出す。

 コゼットが装飾杖を両手で握り警戒する中、『幽霊』は肩を上下させながら、暗視スコープを外して立ち上がる。

 そして左の太腿に装着されたレッグホルスターに触れると、再度漆黒の鎧を身にまとった。

 一層警戒を深めたコゼットが交戦を覚悟すると、小規模の爆発と見まがう第一歩を踏みしめて、『幽霊』は人外の速度で駆け出した。



 △▼△▼△▼△▼



 盛大な水音は当然聞こえたが動かず、十路たちは状況を知るために耳を澄ましていた。


『捕獲失敗ですわ!』


 合図と共に電源を入れた無線機ヘッドセットから、コゼットの声が鼓膜を震わせる。事態に声は大きくなっているが、慌てた様子はない。

 不意打ちで無力化できれば言うことはなかったが、そうはならなかった。そして相手は異次元の能力を持つ者ともくしているのだから、突破された場合の用心は、当然として打ち合わせしている。


『目標は高速で校外へ逃走! 敷地のフェンスを乗り越えて、市街地へ南下中!』

「了解! 作戦第二段階を開始!」


 報告を受けて、十路は号令する。


「先に行きます!」

「あぁ! 打ち合わせ通りに! 民間人の被害に気をつけろ!」


 長杖に横座りし、樹里が《魔法》で飛び立つのを視界の隅で確認して、コンクリートタイルにおおわれた斜面をすべり降りながら、十路はひとりつ。


「逃げたのは市街地あっち側か……」


 ある意味では想像外だった。逃走するならば障害物が多く、隠れ潜む場所の多い北部山中へ入って、追跡を振り切ろうとするのが普通だろうだろう。

 しかし、ある意味では十路の想像通りだった。


「ほげっ!?」


 優しく揺り起こしている暇などない。車上で寝ていた南十星の襟首えりくびを掴んで引き起こし、空いたオートバイのシートにまたがる。

 ヘルメットを被るのは後回しにして、十路はスタンドを蹴り収めてアクセルバーを捻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る