040_0500 捕獲作戦Ⅰ~条理ある疑いの彼方に~
翌日のまだ早い朝の時間、総合生活支援部の部室で、緊急の部会が開かれた。顧問である
《
「えーと……以前の
こめかみの辺りをかきながら、今日はシンプルに黒いTシャツとジーンズのコゼットが問う。女子大生ならばもう少し着飾っていても不思議ない、夏らしい安上がりのラフな格好だ。なのに金髪
「特殊部隊かもしれない連中が襲ってきたって、ロシア軍まで関係してるっつーことですの?」
「なんでロシア軍が出てくるんですか?」
「ハ?」
十路が真顔で疑問を返すと、コゼットだけでなくソファに座る樹里と南十星も、頭の上に疑問符を浮かべた。
彼女たちがなにを理解していないのかが、十路には理解できなかったが。
「スペツナズとは、ロシア語による『特殊任務部隊』の略であります」
離れたOAデスクから、やる気が感じられないアルトボイスで補足説明が入った。
そこにはパソコンを操作する、小学五年生であることを加味しても幼い少女が座っている。いつも偽ブランドのジャージを着て、赤茶けたボサボサ髪が
彼女は自室がある
「例えばアメリカ陸軍特殊部隊の有名どころでは、第一特殊作戦部隊D
「あぁ……そういえば日本でも、特殊部隊って自衛隊だけじゃなくて、警察にもありますわよね」
見た目まるきり子供だが、野依崎も支援部員であり、超最先端科学技術の使い手 《
「ロシア軍の関与なぁ……普通に考えれば
あらゆる可能性を考慮した上に、想定外のことにも即座に対応しないとならない。そういう考え方が染み付いている十路は、現状では否定的ではあるものの否定はしない。
諜報機関と軍事組織、その生い立ちも得意分野もなにもかも違うが、全く違うわけではない。小規模であれば諜報機関も武力を使うことがあるし、軍事組織も独自の情報収集能力を持っている。そういった組織は独立性が高く、縄張り意識も強く、同国とはいえ他の組織と協調して動くとは考えにくい。
もしも二つ以上の国家機関がひとつの目的に動くとすれば、国政の最高権力が指示している可能性が高い。
とはいえ、その想定を進めてみても、やはり違和感は拭えない。強大な力を持っているため危惧するのは当然だろうが、指折り数えられる人数しかいない民間組織相手に、かつて世界を東西に分けた超大国の大統領が、国家戦略として対処するかと考えると、首を傾げたくなる。
十路は慎重に考え、早急な結論を出すことはなく、ただ論点のみを提示する。
「そもそもナージャが
「ナージャ姉が怪しいだなんて、今さらっしょ?」
兄の疑惑に南十星が、当たり前のような顔をして肯定する。
「組み手してて、ぜってー
「システマってのがある。ロシアの合気道なんて呼ばれてるけど、個々の技じゃなくて体の使い方を徹底的に鍛える、スポーツ格闘技とは性質が違う武術なんだ。しかも軍隊格闘術として発達したから、殺傷能力も高い」
「ナージャ姉が使うのは、それかもね」
十路の解説に、妹が納得顔で頷くと、隣でコゼットが呆れ顔を作る。
「貴女、クニッペルさんとかなり仲よさげですわよね? なのにそんな風に疑ってましたの?」
確かに南十星とナージャは馬が合うのか、仲がいい。中学二年生と高校三年生、年齢だけでなく普段使う校舎も使うため、普通の友人と比較すれば距離はあるが、かなり気軽な友達付き合いをしているように思える。
それに南十星は、真顔で説明する。
「怪しい相手でも、仲良くして悪いとは思ってないし、なんかあればそん時ってだけじゃん」
普通、親しい人間を疑うことを良しとはしない。敵を予感させる相手ならば、距離を置く。
そんな標準に当てはまらず、割り切りがいいのが、南十星の長所であり短所でもある。
異次元の思考回路を持つ部員に複雑そうな目を向けて、彼女もひとまず割り切ったのだろう。こめかみの辺りを指先でかいて、コゼットは振り向いて問う。
「フォーさんでしたら、クニッペルさんの経歴、調べてんじゃねーです?」
「本格的に調べるのをどうしようか、迷っている程度でありますが」
一見無防備に身を
「自分の知る限り、少なくとも嘘は言っていないようでありますが……とは言っても、当人が直接口にした情報は、意外と多くないように思うでありますから、判断しずらいところであります」
パソコンを操作し、校内ネットワークのどこかに格納していたデータを転送したらしい。野依崎は座ったまま手を伸ばして、備品のタブレット端末をコゼットに差し出した。
それを受け取り、問題と思われるデータを、四人で顔を寄せて覗き込む。
液晶には話題の人物の写真が載った、入学時に提出された各種書類、ロシア製のパスポート、学生証の写しが表示されていた。そこにカタカナで記載された名前が、見慣れないものだったからだろう。南十星が不思議そうに口に出す。
「クニッペル・ナジェージダ・プラトーノヴナ?」
それはクラスメイトである十路が説明した。以前当人から聞いたことがあるし、海外派遣された時、そういった知識は得ている。
「クラス名簿にはその名前で載ってるんだ。ロシアに限らず中央アジア圏の名前は特殊で、正式には苗字・名前に続いて、父称っていうミドルネームみたいなものがある。だけど普通に自己紹介する時には、名前と苗字って、省略するだけでなく順番も変えることが多い。あと、『ナージャ』は愛称だってのはわかるよな?」
「偽名じゃないわけ?」
「この名前そのものが偽名の可能性もあるんだが……」
南十星に
「部長、読めます?」
「ロシア語はほとんど勉強してねーですから、多分ですけど……出生届じゃないかと思いますわね」
七ヶ国語を操る語学
【本籍地は、学校書類に記載されている住所と同じですね】
充電ケーブルを引きずり、車体を真横にしたまま近づいてきたイクセスが口を挟む。彼女ならばネットと接続して照らし合わせて、すぐさま翻訳できるだろう。
四人と一台でタブレット端末を覗き込み、画面を更にスワイプすると、一〇年以上前の日付が入った写真が表示された。諸外国でそういった習慣があるのか不明だが、卒業アルバムに載せるような、学校行事を撮影したものらしい。
その中にはまだ幼い、特徴的な
ただし写真の少女が、過去の彼女かは判断できない。少女は
「昔の写真だけじゃ、アイツの正体がわからないな……」
自信のなさで首を振った十路は、野依崎に問う。
「ロシアの教育制度って何年制だ?」
「日本と比べてちょっと特殊であります。義務教育は満六歳からの九年間でありますが、一〇年ないし一一年という場合もあるであります」
「学生証の発行日から、ナージャが
「
「そこでの経歴は?」
「昨年来日するまで、ネット上から閲覧できる記録は見つからなかったであります」
「やっぱり判断できないな……」
クニッペル・ナジェージダ・プラトーノヴナという人物の実在は証明されたが、それが十路たちと毎日のように顔を合わせる人物とは限らない。髪と瞳の色はかなり珍しいが、ヘアカラーとコンタクトレンズで誤魔化して、成りすますことも充分に可能だろう。
そして八年前――当人の申告通りならば彼女は一〇歳だ。《
「サンクトペテルブルグ……近くに《塔》と、超心理学研究所がありますわね」
コゼットが口元に手を当てて
第二次世界大戦時、旧ロシア軍は超能力を真剣に研究した。レーダーでは捉えられない敵を、透視とテレパシーで捉える技術を確立しようとしたのは、オカルトじみた話として語り継がれている。
その中心施設があったのが、ロシア北西部にあるレニングラード――現在はサンクトぺテルブルグと呼ばれている、国内第二の都市だった。
三〇年前、そんな歴史が関係あるのか、全世界に二〇本出現した《魔法》の発生源である《塔》の一本が、ロシアの広大な土地にも出現した。更にその近くにある――近いとはいっても、国際連合による協定で一〇〇キロ以上の空白地帯があるが――サンクトペテルブルグには、やはり《魔法》の研究機関が設立されている。
そんな場所に八年前、彼女が移り住んだとすれば、やはり《
疑い出せば
だからコゼットが部長らしく話をまとめ始め、議題を持ち込み、
「それで、堤さんとしては、どうする気ですの? お得意の奇襲・闇討ち・罠ハメですの?」
「俺が先走ってヤブヘビになったかもしれませんし、ここらでナージャが
「どうやって?」
「一晩考えてみましたけど、その方法が思いつかなくて……」
いつもの癖で首筋をなでながら、十路は悩みを素直に口に出す。
すると野依崎が、やはりディスプレイから視線を外さないまま提案する。『面倒であります』が口癖の彼女だが、身の危険が絡む事態には、そんな言葉は使わずに積極的らしい。
「先々は不明でありますが、現状では
「俺もそれは考えたんだが……エサと思う情報を掴んでるかどうか、その辺りが判断できない」
「そんなに難しく考える必要はないと思うであります。情報収集を目的としているならば、自分たちが部活動を行うことを
「俺が疑った昨日の今日で、さすがにアイツも警戒すると思うんだが」
「『ビスパニレズニィ』が実在すると仮定して、更にミス・クニッペルが『ビスパニレズニィ』だと仮定すれば、現状でも食いつく可能性は充分あると推測するであります」
「……試してみる価値はあるか」
首筋をなでながら考えをまとめ、十路はひとまず野依崎の提言に従う方針で考え始める。
そんな彼に、コゼットがおずおずと話しかける。
「あの、お二人は通じ合ってますけど……そもそも『ビスパリレズニィ』っつー《
コゼットが言うと、樹里と南十星も
野依崎は幼いながらも軍事経験者だった節がある。言動からの想像で確認はしていないが、十路は間違いないだろうと考えている。
だから『ビスパリレズニィ』の話を知っていても不思議ないが、軍事に
【トージ】
不意にイクセスが強い口調で呼びかけて、話を止めさせた。
【まだ弱いですが、昨夜、ナージャが発信していた電波を検知しました】
その報告に樹里の顔を見る。《
彼が目で語る意味を悟ったのだろう。樹里は小さく頷いて肯定した。
「部会してたってフンイキ出さない方がいいっしょ。あたしがテキトーに話合わせて引き止めるから、その間に解散したほーがいくない?」
立ち上がりながら南十星が言うと、コゼットも同意し、十路に呼びかける。
「わたくしたちは、堤さんからなにも聞いてねーっつーことにした方がよさそうですわね」
「じゃあ、俺はそもそもサボって学校にも来てないってことで、話を合わせておいてください。あと木次も同じように」
「ふぇ? 私もですか?」
脈絡なく名前を出されて目を丸くする樹里に、十路は指さして平坦に説明する。
「木次は素直すぎる。今の話を聞いてナージャと顔を合わせて、いつも通りの態度でいられるか?」
「や~……自信ないです」
南十星は転入するまで俳優の仕事を行っていたため、相応の演技力を持っており、『仲のいい相手でも敵なら容赦しない』と割り切ってる。コゼットは感情を素直に出すタイプだが、部員以外の人前では、別人のような二面性を発揮している。
二人のように、感情を態度に出さない腹芸が、樹里にできるとは思えない。そして本人も否定しない。
「じゃぁ、細かいことは、理事長と相談してからっつーことで。わかってるとは思いますけど、盗聴を考えて、電話やメールでこの件を出すんじゃねーですわよ」
コゼットの締めくくりで、ひとまず部会は終了した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます