030_2300 彼らが邪術士と呼ばれる理由Ⅷ~【甘味】視線冷却シャーベット~


 海の逆側にいても、緊急車両のサイレンとヘリのエンジン音から、その混乱ぶりはわかる。

 そんな遠い騒音の中でも、コンクリートに跳ね返るたった一発の金属音は、かん高く響いて聞こえた。


「…………ふぅ」


 ヘルメットと身に着けた装備をようやく外し、強制排莢した三重水素トリチウム封入弾を拾い上げ、十路は安堵のため息をつく。

 戦略攻撃術式プログラムを使う羽目にならなくてよかったと。戦闘中は方向を気にしていられなかったが、十路があのまま実行していれば、いま彼が立っている場所がしていた。

 樹里の戦略攻撃術式プログラムについても幸運だった。上方向に放たなければ、淡路島をかすめて四国へ命中していただろう。


 振り返った先には、まるで初春のオホーツク海のように、大阪湾に砕けた氷が浮かんでいる。

 戦闘終了後から十数分後、砕ける戦場から脱出した総合生活支援部の面々は、まだ人目のない大阪港に移動していた。

 混乱の真っ只中である神戸側にいま戻ると、問題がありそうだと判断した移動だが、いずれそのうち大阪湾の異常に、野次馬が集まるに違いない。

 だから準備が終わったら、即座に動かないとならない。


「たいたいたいたいたい! じゅりちゃん痛いって!」

「もぉ~! 大人しくしてるの!」


 その準備のひとつ。暴れる南十星なとせを押さえ込んで、樹里がハンカチで顔についた彼女自身の血を、ガシガシと削る勢いでぬぐう。


「なんでなっちゃんはまた戦いに来てまた自爆技してまた大ケガするかなぁ!?」

「いやだってあたしの《魔法》って基本自爆技だし! それにケガしてもほっときゃ治るし!」


 普通ならば治療できず、切断するしかない状態だった南十星の右足は、元通りになっている。駆動を続けた彼女の脳は、限界を迎えて《魔法》を使える状態ではないが、最後にそれだけは行えた。今や重傷の痕跡は、赤黒くなったバスケットシューズとソックスにしかない。

 一人で市ヶ谷と戦って血まみれになり、一度綺麗にした後にまたも血まみれになった南十星に、樹里はブツブツとこぼす。


「ほんと、無茶するところまでお兄さんと同じなんだから……!」

「兄貴も毎度ガンメン削られてんの?」


 本格的な戦争ぶかつどう初参加の南十星に訊かれたので、まだ《魔法》の使いすぎによる気だるさを込めて十路は答える。


「部活でケガした時の洗礼みたいなもんだ……俺はいっつもやられてる」

「…………」


 不意に樹里が動きを止めて、十路を見た。

 ジト目だった。視線が冷たかった。戦場に突入してきた時の目と一緒だった。

 いつもは人懐こい子犬のような後輩から、らしくない目をまたも向けられ、十路はひるみながらも言い返す。


「いや、木次? 今回は俺、ケガしてないだろ?」

「そーですね」

「前は前、今は今だろ?」

「そーですね」

「……………」


 先人は言った。目は口ほどにものを言うと。

 そして樹里は目で語っている。『今回はデッド・オア・アライブな状況だったから、ミスしてたらケガで済むはずなかったと思うんですけど? 先輩、そんな戦闘を一人で片付けようと無茶してたんですよね? へー、なのにそんな口を叩くんですか?』と。かなり十路の意訳が入っているが、大間違いとは思えない。

 加えて感情のこもっていない彼女の声に、わずかながらもあった気概はしおれた。

 普段は怒らない者こそ、怒らせた時が怖いのだ。だから反論すべきではない。十路にしては珍しく、樹里から発せられる空気を正確に解読した。

 だから固いコンクリートに正座して、『なんで浮気がバレた男みたいなことしないといけないのだろう?』と考えつつも深々と頭を下げる。現代日本人として最大級の謝意を示す必殺技・土下座が炸裂した。


「色々とご迷惑おかけしました……」


 対する樹里の返事は、やはり感情がこもっていなかった。


「先輩。なんで私が怒ってるか、わかってます?」

「え……俺が無茶して突っ走ったから?」

「…………」


 顔だけ上げて、あまり自信のない回答をすると、樹里から無言の否定が返ってくる。


「『すっこんでろ』って言ったから?」

「…………」


 やはり違うらいし。厳密には原因の一部ではあるらしく、樹里は頬をひくつかせたが、正解ではないらしい。

 十路は内心で焦る。となると心当たりがない。

 そして理由を理解せずに謝ると、口先だけの言葉だと思われて、かえって事態をややこしくしてしまう場合がある。樹里はそういうタイプの人間だと、彼女の威圧感が増したことで理解できた。


「ぷくく」


 周囲は真夏の気温ではないにも関わらず、嫌な汗を流す十路を見て、南十星が吹き出した。


「兄貴って、じゅりちゃんにはアタマ上がんないだねー。そんな兄貴はじめて見ちっ……た?」


 すると南十星を取り巻く空気が急激に冷えていく。まだ大阪湾上に膨大な氷が残っているせいではなく、冷気を発する人物が二人に増えたからだ。


「なっちゃん……今回の件、こんな大騒動になった理由わかってる?」


 十路に向けていたジト目をそのまま、樹里は南十星に向ける。


「なとせ……お前が《魔法》を使えることも、《魔法使い》に狙われてることも隠して、一人で行動したからだよな?」


 新たに十路も、南十星に半眼を向ける。


「あい、すいませんでした……」


 冷気を含んだ二対の視線を受けて、南十星もジャパニーズ・ドゲザスタイルを取る。母親の血筋だけとはいえ、彼女の体には確かに日本人の血が流れていた。

 そこで不意に、十路のスラックスが震えた。


「あのね、なっちゃん。わかってる? 笑ってる場合じゃないんだよ?」


 真面目な顔を作って語りかける樹里に、南十星の相手を任せて――ついでに非難の矛先が変わったのを幸いに、十路はポケットから携帯電話を取り出して見ると、メールの着信があった。


「私たちはさっきの戦闘で、人を殺したんだよ?」

「あ……そっか」


 樹里はみずからの意思で『幽霊』を焼いた。

 南十星は市ヶ谷に致命的な打撃を与えた。

 普通の生活を送れない《魔法使いソーサラー》が、普通の学生生活を送るために所属している総合生活支援部の部員としては、最大とも言える禁忌を彼女たちは行った。

 普通の学生は、兵器を用いて人を殺すことなどありえない。

 真面目な二人の会話を耳に通しながら、十路はメールを読み進める。


「……ま、しゃーないよね」

「や、仕方ないって……そんな気軽に言えることじゃないでしょ?」

「あたし強くないし、手加減できる相手じゃなかったし、あれくらいしなきゃ勝てなかった」


 チラリと十路が液晶から視線を動かすと、南十星は後ろ手を突いて空を見上げていた。

 しかしサバサバした様子と言葉とは裏腹に、彼女の顔に浮かんでいるのは真剣な顔だった。

 自覚して人を殺せる人間は少ない。はずみで殺してしまう事がほとんどだ。そして人を殺した人間は、自分のやったことを自覚すると、やはり大なり小なり冷静さを失う。

 それを考えると、南十星は破格の冷静さを持っていた。戦術などは素人以前の問題だが、彼女は部員たちの誰よりも《魔法使いソーサラー》らしい。

 十路にとっては、不本意なことに。


「今はまだたかぶってるし、必死だったら実感ないけど、落ち着いたらすげー後悔すると思う。でも殺さなきゃ、あたしが守りたいものは守れなかったから、しゃーないじゃん」


 南十星は樹里に視線を向ける。無言で『じゅりちゃんもそうじゃない?』と問うている。

 それが図星だからこそ、樹里は口を『へ』の字に曲げて、なにも言わないのだろう。


「二人とも。どうやらその心配は無用みたいだぞ?」


 普通の少女たちがするべできない会話に割り込み、十路は携帯電話を振って見せると、樹里がパタパタと早足に近づいて液晶を覗き込む。


「どなたからのメールですか?」

「さぁな……というか俺たちの携帯電話のメアドなんて、諜報機関が調べ上げてるだろうから、誰から連絡あっても不思議ないだろ」


 送り主のメールアドレスは、使い捨てのフリーメールというレベルを超えて、滅茶苦茶な文字が並んでいた。どう考えても普通の手段で送信されたものではない。

 たとえば《魔法》を使って通常の手順を無視し、直接十路の携帯電話に送りつければ、こんな事になるかもしれない。

 肝心のメール内容は、タイトルも本文もなく、画像が一枚添付されていただけだった。


「これって……」

「後ろ姿だけど、アイツ――市ヶ谷いちがやだろう」


 写っていたのは、水に濡れた背中を向けている、ライダースーツを着た男だった。鎌槍は地面に突き立てられ、足元には二つの追加収納パニアケースと、オートバイのタンク部分と思える部品を足元に置いて、フルフェイスのヘルメットを脱ごうとしていた。そしてデータ名になっている撮影時間は、ほんの数分前だ。


「こんな写真、誰が送ってきたのかね?」


 四つんばいで近づき、液晶画面を覗き込んだ南十星も問うのに、十路は軽く肩をすくめて答える。


市ヶ谷コイツが誰かわかっていて、このタイミングで写真を送りつける人間は限られてるだろ」

「…………え!? うそ!?」


 しばし考えて、樹里も理解したのだろう。小型太陽と呼べるプラズマ砲弾の直撃を受けて生きているなど、いくら《魔法使いソーサラー》でも信じがたいが、他に該当がいとう人物は考えられない。

 その事実に十路は、野良犬のようなため息をこぼした。


「もう一人の『幽霊ヤツ』も生きてるってことだ……俺たちのポリシー上、殺してないのはいいかもしれないが、木次の戦略攻撃術式プログラムを受けて生きてるとなると、相当に厄介な問題だな……」



 △▼△▼△▼△▼



 神戸市内から離れた海岸に、彼らはいた。

 鎌槍を握って《魔法》で水気を乾燥させた市ヶ谷は、塩でベッタリした茶色の髪を気にした風に触りながら、振り向かずに語りかける。変声器が仕込まれたヘルメットは脱いでいるため、地の、まだ若い男の声で。


「それで、どういうつもりだ? 戦闘行動の邪魔をして、今度は俺を助けるだなんて」


 《真神》の車体が隙間を作ったため、崩れた氷塊に挟まれても即死はしなかった。しかし動けなくなったまま、市ヶ谷は戦場は海に没することになった。《魔法》で海水を電気分解して呼吸は確保できるが、戦闘にも使った《魔法使いの杖アビスツール》の電池残量では長続きはしない。しかも普通ならば心停止する水温で脱出しないとならない状況に、市ヶ谷はどうしたものかと考えた矢先、外側から氷塊が砕かれた。

 現れた『幽霊』は、樹里が放った強結合プラズマ砲にも無傷だった。彼女のおかげで市ヶ谷は、破壊された《真神》の中枢ユニットを回収し、脱出して今に至る。

 市ヶ谷の問いに『幽霊』は小さな息を吐き、変換された声で答える。


『……彼らに人殺しをさせたくありませんでしたから』

「そういうことか……ようやくお前の正体がわかった」


 市ヶ谷は納得の息を吐く。その答えでようやく理解できたと。

 《魔法使いソーサラー》たちの間では、ある噂がある。その者は正体不明の、《魔法》だとは思えない強力な《魔法》を使うとされている。

 そして『幽霊』は見せた。《魔法》を使っても不可能なはずの、単体での超音速行動。あらゆる攻撃を受け止めて平然としている、無敵の防御能力。

 眉唾ものの話を証明するものはなにもなく、具体的にある国に所属すると言われながら、実在を疑われていた《魔法使いソーサラー


「本当にいたんだな……ビスパリレズニィ」


 氷壁に強打した背中の具合を確かめて、市ヶ谷は痛そうにうめく。《魔法》による応急処置程度は彼にも可能のようだが、《治癒術士ヒーラー》ほどの本格的な治療は無理らしい。


「『最凶の《魔法使いソーサラー》』まで、神戸に潜入してたのか」


 最凶と呼ばれた『幽霊』に反応はない。のっぺりとした影のような姿のまま、たたずんでいる。

 構わず市ヶ谷は鎌槍を追加収納パニアケースに収め、荷物をまとめて立ち去る用意をし、背中を向けたまま彼は言う。


「お前の目的は、達成できたのかよ」

『…………』


 答えはない。そして返事は期待していないのだろう。


「あーぁ、こりゃ始末書モンだなぁ……何枚書くことになるだろうなぁ……?」


 《使い魔ファミリア》を破壊されただけでなく、作戦予定から大幅に変わった戦闘を行ったことに、憂鬱そうなひとりごとを呟きながら、市ヶ谷はそのまま砂浜を歩き去った。


 彼の姿を見えなくなってから、『幽霊』は動く。太腿をなでると黒鎧が、そんなものなど存在しなかったように一瞬で消滅した。

 肌寒い空気に直接触れて、彼女はカーディガンに包まれた体を、ネコ科の大型動物のように震わせる。

 腰まで伸びた白味が強い金髪と、チェック柄のプリーツスカートを夜風になびかせ、幻想的な立ち姿を作って見せて。


「失敗したぁぁぁぁっ!」


 頭を抱えてしゃがみこんだ。


「わたしはまた命令違反してなにやってんですかぁ……!」


 震わせたソプラノボイスは、彼女の情けない気持ちを如実に表している。

 彼女は自分の望みを叶えるために、その力で人を救った。もしも彼女がいなければ、一般人の死者が確実に出ていた。

 しかし彼女の存在が、事態をややこしくしたことも確かだった。



 △▼△▼△▼△▼



「終わりましたわよ」


 十路たち三人から離れて、破損した《バーゲスト》の応急修理を行っていたコゼットが、装飾杖で肩を叩きながら近づく。


「つっても《使い魔ファミリア》の補修部品なんてねーですから、それっぽい外装を作って付けただけですけど」

【変な部品つけられた……変な部品つけられた……】


 そのコゼットの後ろから、バランサーの性能を遺憾いかんなく発揮し、トボトボといった擬音語が似合う足取りで、支えもなくオートバイがついて来る。無茶な使い方をして吹き飛んだ消音器サイレンサー部は、見た目だけは元通りになっていた。


「イクセス。喜べ」


 だから十路は元気付ける。


「お前に熱烈コールしてきた《使い魔おとこ》、多分生きてるぞ」

【冗談でも喜ぶわけないでしょうがぁぁぁぁっ!?】

「ヒステリックに叫ぶほど嫌なのか……」

【というか、あれでも《真神》は破壊されなかったのですか?】

「機体そのものは海の底だろうけど、市ヶ谷がほぼ原型そのままの中枢ユニットを回収してる。内部の破損がどの程度か、イクセスならどう思う?」

【はぁぁ……】


 携帯に送られた画像を十路が見せると、イクセスがスピーカーからため息のような音を漏らした。人間くさい音波のうんざり加減は、高い確率で修復可能だと言っている。

 コゼットも液晶画面を覗き込んで、厄介だとでも言うように眉を動かしたが、それは先の問題として流して、今の問題を話し始める。


「木次さんのはどうするか、これから考えるとして。堤さんのアイテムボックスから、ひとまず弾薬を抜きましたわよ」

「大丈夫ですか? これから騒ぎになるでしょうし、部長が持ってると面倒ごとになるんじゃ?」

「これからの行動を考えたら、堤さんが持ってる方がリスク高いですわ。こっちはいくらでも隠しようがありますわよ」

「……そうですね。お願いします」


 考えて、確かにコゼットに預けた方がローリスクだろうと納得し、十路は手にしていた小銃と弾丸も手渡す。


「ったく……突撃銃アサルトライフルとか無反動砲リコイレスライフルとか……堤さんも木次さんも、激ヤバなブツいくつ持ってんですわよ……」


 小銃を自分のアタッシェケースに収めながら、把握していなかった火器にコゼットが愚痴をこぼしたので、十路と樹里は真顔で報告する。


「普通弾は残り三〇〇発ほど。特殊な弾薬も相応に。あと〇一式軽対戦車誘導弾マルヒト一発、破片手榴弾パイナップル閃光発音筒スタングレネード〇六式小銃擲弾ライフルグレネード三発ずつ」

「イクセスの事後報告だと、装甲破壊用の砲弾が合計一八発、多目的榴弾が八発、対人用が一〇発、照明弾が三発残ってます」

「恐ろしいことサラッと言いやがるんじゃねーですわよ!?」


 実際に取り出した上に《使い魔ファミリア》をいじっていたのだから、部隊規模の保有弾数を把握しているはずのコゼットに怒鳴られ、十路と樹里は『訊いたの部長なのに……』とでも不満そうに唇をとがらせた。


 部員たちがそんなやりとりをしているところに、車のヘッドライトが近づいて停車した。緊急車両とは確実に違い、港湾管理の関係者とも思えない、小型の右ハンドル外車だった。


「ふぃ~。遅くなってごめんね~? 大阪まで出張でばるのは、ちょっと時間かかっちゃったよ」


 停車してドアを開けて出て来たのは、レディーススーツの長久手ながくてつばめだった。


「…………」


 助手席側から、眠そうな顔を不機嫌そうに歪めた野依崎雫のいざきしずくも、スポーツバッグを抱えて出てくる。


「ん」


 いつものジャージ姿のまま、野依崎はつかつかと十路に近寄って、膨らんだスポーツバッグを差し出す。これが今回の部活動において、ふたつある彼女の役割のひとつだった。


「テキトーに詰めたので、気に入らなくても知らないであります」 

「悪いな。それと、あと頼むぞ」


 そしてもうひとつの役目は、これからだ。体を動かす実働的な役割はないが、それでも大変な役割を十路を頼んだ。


「面倒であります……」


 学校で提案した時も渋々といった風ではあったが、野依崎はその役目を引き受けた。

 身に着けていた装備と共に、スポーツバッグを追加収納パニアケースに詰め込んでいると、南十星が声をかける。


「兄貴。そのバッグは?」

「俺となとせの着替えだ」


 樹里の赤いケースは外しながら十路は答え、ジェットタイプのヘルメットを南十星に投げ渡した。


「これだけの大事おおごとを起こしたんだから、神戸にいられるわけないだろ。だから一刻も早く逃げるぞ」


 最初はまだいい。市街地とはいえ、一般人が避難した無人の場所で戦っていたのだから。

 しかしその後は十路の主導で、大勢の人々を巻き添えにして戦った。


「……ごめん、兄貴」


 ヘルメットを胸に抱きしめて、南十星は神妙な顔で言う。

 誰も巻き込みたくなくて、黙った一人で市ヶ谷と戦ったはずだったのに、結局は十路をはじめとする人々を巻き込んでしまった。

 彼女は守りたいものを守るために戦った。けれども結果は伴わなかったと考えるだろう。


「あたしのせいで、兄貴のガクセーセーカツ、送れなくなっちゃったね……」


 十路が言った通り、誰かのピンチに駆けつけて不思議な力で全てを解決してくれる、フィクションのような『魔法使い』などいない。

 現実はままならない。願いをかなえるためには足掻あがかないとならない。祈るだけではなにも起こらない。

 けれども足掻いたとて、必ず願いが叶えられるわけではない。

 自分のせいだとシュンとする南十星に、十路は小さくため息をついて、近づいて頭に手を載せる。


「兄貴が妹を守るのは当然だ」


 ボサボサになった髪を整えるように軽く撫でて。いつものように平坦な声で。

 言葉になにも疑問を持っていないていで。


「だけどさ、兄貴……」

「それに言ったろ。半分だけは、なとせの願いを叶えてやるって」

「?」


 意味深な言葉に南十星は顔を上げたが、十路は視線を避けるよう手をどけて、制服のジャケットに袖を通した。

 部員たちの様子を見て、顧問つばめが口火を切る。


「それじゃ~まぁ、後片付けが残ってて、そっちの方が大変だけど、ひとまず部活は解散だね」

「「お疲れ様でしたー」」


 号令に部員たちは頭を下げる。ごく普通な光景に、南十星だけはキョトンとしているが。


撤収てっしゅう!」


 そして各自そそくさと動く。つばめと野依崎は来た時と同様に車に乗り込み、コゼットはアタッシェケースを抱えて《魔法》で浮く装飾杖に横座りし、十路はヘルメットを被ってオートバイにまたがる。

 前もって打ち合わせてしていたとしか思えない、夜逃げのようなテキパキとした動きに、なにも知らされていない南十星は泡を食う。


「え? え? え?」

「なとせ。行くぞ」

「え、あ、うん……」


 ワタワタとヘルメットを被る南十星を待つ間、十路は何気なく肘をハンドルに置いて前を向いて。

 長杖を脇に挟み、赤い追加収納パニアケースを抱え直した樹里と目が合った。


「……む」


 すると彼女は『まだ怒ってますよ』とでも言いたげに、眉を寄せて頬を膨らませる。

 そして片手を空けて、スカートのポケットに突っ込み、取り出したものを放り投げた。


 十路が片手で受け取ると、戦闘前に投げ捨てた、部活時に身に着ける腕章だった。それを投げ返すなど、彼女らしくない行動だった。

 結局、樹里が怒っている理由が想像できない。しかしこのまま何も言わずに去るのは、禍根を残すのは想像にかたくない。


「あ~……」


 十路は困って、首筋をなでて。


「……また連絡する」


 時間を置いた方がいいと思い、そして今は時間もないため、それだけ言ってスタンドを蹴り上げる。


「……待ってます」


 樹里も一言だけ答えて、長杖に腰掛けて宙を浮いた。

 短いやり取りだけで、彼と彼女は別れた。



 △▼△▼△▼△▼



 神戸に近づくにつれ、徐々に国道一号線が込み合う気配を見せる中、つばめは愛車のハンドルを握ったまま、ひとりごとのように零す。


「これで世界の考え方は、ほんの少しだけど変わる」


 窓枠で頬杖を突いてボンヤリ流れる夜景を眺めながら、助手席の野依崎が返す。


「《魔法使いソーサラー》に対する一般人の意識を、大きく変えることになるでありますね」


 野依崎は視線を窓の外から、運転席のつばめに向ける。額縁眼鏡がくぶちめがねの奥の瞳は、いつものように眠そうに細められているが、警戒している色をびている。


「修交館学院と総合生活支援部も、確実にその影響を受けるであります」

「まぁ、できるだけみんなの生活に影響を受けないよう、がんばるつもりだけど、そろそろ必要なことだったしね。今回のナトセちゃんの事件は、いいタイミングだった」

理事長プレジデントは、なにを起こそうとしてるでありますか?」


 信号待ちでもないのに、とうとう車は停車した。大事件に家族の安否を心配した人々が、一気に帰宅の途についたせいで起こった渋滞だろう。

 だからつばめは振り向いて、野依崎の顔を見て教える。


「たとえて言うなら――」


 言葉そのままの印象を放つ、無邪気で邪悪な笑みを浮かべて。


「神サマと悪魔の戦争だよ」

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