030_2400 靴履き猫の冒険譚は終わらない


 三日後、昼過ぎ。

 ライダースジャケットにジーンズという姿の十路とおじが、とある田舎町の道路脇に停めたオートバイに体重を預けて、携帯電話を耳につけていた。

 コール音をやや緊張して聞きながら、背後を通る大荷物を抱えて下校する小学生たちの姿で、明日から夏休みであることに思い至っていると。


『堤先輩、大丈夫なんですか!?』

「あぁ、問題ない」


 どうやら心配していたらしい。樹里の強い声が、鼓膜を震わせる。

 別れ際の不機嫌顔を思い出し、反応を不安に思っていた十路は、安堵の息をついた。


『連絡するって言っててなにもないし、こっちから電話しても連絡取れないですし、イクセスの追跡もできないですし……てっきりなにかあったのかと』

「悪い。念のため自動ナンバー読取装置Nシステムを避けて裏道を走ってたし、GPSも封印して携帯電話の電源を切ってたんだ。まぁ、小細工が効いてるみたいだから大丈夫だろうけど、確信がなかったから移動の証拠を残さないようにしてたんだ」

『だったら、この電話もマズいんじゃないですか?』

「盗聴されてるだろうけど非合法だ。この電話を根拠に俺たちを悪者にしようとしたら、逆に世間から猛バッシングされるから、どこも公表なんてしない。それに俺たちは今まででも色んな組織にマークされてるし、ここまで来たら今更だ」


 今の十路は、お尋ね者の身ではない。

 少なくともニュースで、彼のことを報じられたことはない。検索エンジンに名前を入力しても、十路本人の検索結果が検索されることはない。


『こっちでは先輩とつばめ先生の目論見もくろみ通り、大騒ぎになってますよ』

「テレビでも全国ニュースで流れてたな」


 十路たちが行った部活動は、前代未聞で史上初の《魔法》テロとして発表され、世界中が震撼している。三日たってもニュース番組では連日報道が行われ、動画サイトには関連した動画が多数掲載され続けている。


 夜の海浜公園でのデート風景を撮影していたカメラは、ミサイルとしか思えない飛行物体と、その後海上に生まれた巨大水柱を、偶然にも撮影した。

 混雑した道路で行われた《魔法使いソーサラー》と《使い魔ファミリア》たちの非常識な戦闘は、車載カメラが一瞬撮影した直後、回転して暗転した。

 海上でなにがか動いているかと思いきや、大阪湾が凍りついて巨大な氷のドームが生まれる様は、スマートフォンで撮影していた持ち主の驚きを伝えている。

 それらの映像は、《魔法使いソーサラー》が持つ力の大きさを目の当たりにさせて、識者・一般人を問わずに騒然とさせている。


「映画のワンシーンみたいな、絶対ありえないアングルの動画を見たんだが?」

野依崎のいざきさん、頑張ってくれたみたいです……』

「アイツ、そんなものまで捏造ねつぞうしやがったのか……『面倒であります』って渋ってた割に、ノリノリでやってるな」

『あはは……』

「その割に木次がスカートのまま飛んだシーンは、モザイクがかかってるわけでもなく、パンチラが全世界放送されてるけど」

『なんでその一瞬に注目してるんですかぁ!?』


 もちろん真実のほとんどは伏せたまま。野依崎に頼んでネット経由で情報操作したこともあるが、一般人が撮影した事件の切り抜きが動画サイトに多数投稿された上に、防衛省や日本政府の公式発表自体が真実から遠いため、真相は隠されたままだった。


『公式には不発弾処理は、テロリスト潜伏を事前に掴んだ自衛隊の秘密行動ってことになってますけど』

「なとせにケンカふっかけといて、よく言うとは思うけど……市ヶ谷アイツの独断専行が強いみたいだし、防衛省も泡食ったんだろうな」

『潜水艦を使って、市街地にミサイルまで撃ってますからね……』


 そもそもの切っ掛けである、不発弾処理の名を借りた南十星への宣戦布告は、そういう形で発表された。

 そのせいで防衛省は批難にさらされている。半径一キロの避難命令により、圏内での犠牲者はいなかったのは、評価されてもいいかもしれないが、結局被害は圏外まで出ている。

 しかも天変地異レベルの事態が起こりながら、死傷者をゼロにした快挙は、別の組織の手柄になっているため、比較されて防衛省が叩かれる一因になっている。

 十路個人としては、少し痛快に思っている。防衛省が公式な不発弾処理として戦場を確保し、南十星にその場へ呼び寄せ、総合生活支援部に下手に手出しできないようにしていたのだから。その結果、裏腹の判断を世論が下しても真実は明かせない、手痛いしっぺ返しを食らわせたことに愉快に思う。


『学校にも取材の人たちが押しかけてて、部長もつばめ先生も大変そうですよ?』

「悪評じゃなくて、ヒーロー扱いだからマシだろ……面倒ごと丸投げしたから、理事長はともかく、部長に言ったら殴られそうだけど」


 報道の中で総合生活支援部は、人々を救うために働いた存在として扱われている。

 乱射される銃弾から人々を守るために、《魔法》を使い続けた若い外国人女性は、大勢の人々が目撃していた。

 犠牲者たちをあっという間に治療し、すぐさま空へ消えた学生服の少女は、多数の動画に撮られていた。

 今までも秘密にしていたわけではないが、積極的な広告活動をしていたわけでもない。それが今回の一件で、どこの国家にも属さない《魔法使いソーサラー》たちの存在は、広く知られることになる。


『先輩のことは、ものすごく極悪非道に報道されてますけど……』

「俺じゃない。『銃を持った謎のテロリスト』だ。『バイクに乗った総合生活支援部員』は、そいつを追いかけて戦ってたんだからな」


 《魔法》テロを起こした犯人は、大阪湾を凍結させた以後、行方不明ということになっている。真相を知っているのは、総合生活支援部員と市ヶ谷と『幽霊』、限られた人間しかいないのだから、なにも知らない世間の人々は部員の説明を鵜呑みにした。

 しかも十路はコートとヘルメットで正体を隠し、駅前を通過しながら戦闘を行い、一般人を巻き添えにした。一番人目が多い駅前では、十路は《真神》に、市ヶ谷は《バーゲスト》に、それぞれの《使い魔ファミリア》を交代させて乗っていた。

 十路自身は正体不明のテロリストとしてふるまって、市ヶ谷を十路のように思わせた行動で、一般人に誤解させるために。それでコゼットに無関係な人々を守らせていたのだから、完全な自作自演だ。

 市ヶ谷の服装がライダースーツではなく、たとえば迷彩服などであったら、誤解を生ませることはできなかった。もしも死者が出ていたなら、犠牲者と被害がクローズアップされて、総合生活支援部をたたえる論調にならなかったかもしれない。

 なによりも、生き延びることができなければ、全てが水の泡だった。

 幾多の偶然に助けられて成功させることができた、本当に綱渡りの作戦だったと、思い返せば冷たい汗を流す。

 それでも、これからも普通の学生生活を送ることが、一応はできる。


 南十星は涙ながらに願った。もう十路に戦って欲しくない。普通に生きていて欲しいと。

 戦わないわけにはいかなかった。しかし彼女の願いを、半分だけは叶えることはできた。


『だけど先輩が神戸にいなかったら、余計な疑惑を生むんじゃないですか?』

「未成年ってことで、木次も取材には応じてないだろ? 部活直後に逃げたって証拠は残していないし、それで別の部活で神戸を離れてるってていにしておけば、まず大丈夫だ」

『つばめ先生は策略家あんなだから納得できますけど、こんな大掛かりなこと思いつく先輩が怖いですよ……』

「俺の得意技は、奇襲と闇討ちと罠にはめることだぞ……とは言っても、こんな民間人を巻き添えにした、ギリギリでギャンブル要素満載な作戦、もう二度とご免だけどな」


 事後報告らしきものがひと段落したら、電話の向こうが騒がしくなった。樹里が誰かに十路からの連絡だと説明しているのはわかったが、誰に説明しているかまでは聞き取れない。


『十路……』


 電話口が男の声に変わった。十路は昼休憩時間を狙って電話をかけたが、この調子ならば今日は終業式のみで終わり。樹里は部室にいて、今日も和真かずまは遊びに来たらしい。


『僕たち、ずっと友達だよね……』

「……………………」


 ヒロインの誰とも結ばれないエンディングのような言葉の後に、なんとも言えない沈黙が流れて。


「……え?」

『なんだその『和真って俺のこと友達だと思ってたのか?』的な心底意外そうな反応は!?』

「冗談だっての」

『十路の冗談はちっとも笑えねぇんだよ!!』


 自分でも認めている事実を言われ、十路は顔をしかめて問う。


「で、和真? なにを言いたい?」

『一足に先に夏休みしやがってチクショー! しかもナトセちゃんと二人旅だぁ!? アバンチュールにイチャコラしやがってぇ!!』

「そんな下らんことかよ……いいものじゃないぞ?」


 もしそうなら、どんなに気が楽だろうか。詳しい説明を部外者である和真にするわけにもいかず、十路は苦労の事実部分のみを使って説明する。


「家出兄妹きょうだいに思われて泊まる場所にも不自由するし、漫喫のカップル席かラブホぐらいしか寝る場所ないし、一緒に寝てるとなとせが寝ぼけて抱きついてくるし、胸の上に乗られると息苦しくて夢見が悪くなるし」

『お前どんだけうらやましい旅しとんだぁぁぁぁっ!?』

「妹相手でなにが羨ましい……」


 十路が冷淡に思っていると、血涙を流していそうな和真の嗚咽おえつが遠のいた。


『十路くん、大丈夫なんですか!?』


 続いてソプラノボイスに換わった。樹里以上に心配をあらわにしたナージャが、スピーカーに唾を飛ばして訊いてくる。


『昔の彼女さん(小学生)に刺されて入院とか、バイクに欲情して大事なところ挟んで入院とか、クラスでいろんな話が飛び交っててよくわかんないですけど!?』

「俺を歪めるために話を作るな……!?」

『わたしじゃないですよ!? 本当にそういう話が広まってるんですってば!!』


 十路が変態性の持ち主にしたがる当人が違うと言うなら、他にいるか誰かと考えて。

 なんとなく、整備のたびに罵倒ばとうされるオートバイを見た。


【私のはずないでしょう!? ずっとあなたと行動してる上に、GPSと一緒に無線も封印してたんですから!】

「それもそうだな……悪い」


 視線の意味を正確に理解し、心外だと言い返すイクセスでないとすると、和真か、それともつばめ辺りが絡んでいるか。ともかく十路は、夏休み終了後の登校にゲッソリする。


『十路くん』

「ん?」


 打って変わってナージャが真面目な声を出したので、気持ち居住まいを正す。


『また、神戸に帰ってくるんですよね?』

「……?」


 不安が表れた確認に、十路はやや疑問に思う。

 ナージャが誰かから真相を聞いたのだろうかと。部外者でありながら、総合生活支援部に近しい彼女ならば、そういう事もありえるかと思えるが。


「あぁ。詳しいことは《魔法使い》の事情ってことで話せないけど、そっちのゴタゴタが落ち着いた頃には帰る」

『そうですか……』

「ナージャには世話かけるな」

『ほえ? どしてわたしに?』

「夏休みの宿題、いろいろと出てるだろ?」

『あははー。そういうのはわたしに期待しないでくださいねー』


 安堵から一転して、明るい声を出すナージャに、不自然さはない。

 十路は、仲のいいクラスメイトとして接する。


『あ、おみやげ期待してますねー』

「多少のリクエストなら聞いてやる。予算オーバーならナージャの分は請求書付きな。名前はナージャ・シリノフ・オパイスキーとかにして」

『……そんな恥ずかしい名前にされるのは嫌ですけど、それをお店の人に言うの、十路くんですよ?』

「……木次に替わってくれ」


 自分にジョークセンスがないことを改めて確認したので、十路は早々に会話を切り上げた。

 ややあって、最初に連絡した少女は、大きく息を吸い込んでから声を出した。


『――ところで先輩。三日前、なんで私が怒ってたか、わかりました?』


 樹里の声は真面目ではあるが、不機嫌さは感じられない。


「いや……正直わからない。だから今日、木次に連絡するのに躊躇ちゅうちょした」


 だから十路も真面目ではあるが、何気ない声で答えられる。


『先輩って結局のところ、誰も信用してませんよね』


 違うとは言えない。

 だが図星を突かれても、心に小波さざなみひとつ立たない。


『落ち着いて考えたら、私も人のこと言えないから、今ならあの時、先輩に怒るのは筋違いって思いますけど……』


 コゼットにプリンセス・モードの二面性があるように。十路が誰に対しても素っ気ない態度を取るように。

 愛想笑いで本心を隠し、心の内に踏み込ませない悪癖が、樹里にあることも思い出せる。


『だけど、先輩に信用されてないってわかったら、ものすごく腹が立ちました』

「俺が『すっこんでろ』って言ったあれか?」

『はい』

「ウチの部じゃお互いあんまり事情を詮索しないけど、それをわかってて言ってるのか?」

『はい』


 彼女の返事はキッパリしている。つまりそれは、十路の心に踏み込む気があるということ。


『先輩は誰かに頼るのを、恥だと思っていますか?』

「それは思っていない」


 一人でできることなど高が知れている。自分だけでなんでもできると思えるほど、彼は自信家でも傲慢ごうまんでもなく、現実を知っている。


『だけど先輩は、争いに誰かを巻き込むこと、それで自分以外の誰かが傷つくのを、怖がってますよね』

「……それはない、とは言えないな」


 自分の都合で他人を傷つけることに躊躇ちゅうちょはない。そうでなければ今回の部活のように、一般人を巻き添えにする事などできない。

 けれどもそれは最大限配慮した上でのことだった。もちろんコゼットと樹里を衆目にさらすため、必要だったことでもあるが、それだけならば彼は行わなかった。


『そして私たちに、誰も殺させたくない』

「殺す経験なんて、ない方がいいに決まってるだろ」


 人を殺した後の苦しみを、十路は嫌になるほど知っている。

 だからそれを、近しい人たちに経験させたくはない。

 もしも誰かを殺す必要があるならば、既に経験している者が肩代わりすればいい。


『先輩って、くも悪くも根がお人好しですね』


 そんな十路の思いは、きっと微笑しているだろう声で、樹里が評する。


『でも私も、部長もなっちゃんも、野依崎さんも、先輩が思ってるほど弱くありません』


 彼女の言う通りだろうと、十路も思う。

 南十星とコゼットは、閉じた戦場に飛び込んだ。

 樹里は『幽霊』に、殺すつもりの《魔法》を放った。

 野依崎も文句を言いながら、結局は協力を惜しまない。

 その事実が示している。


『私たち全員が、今の生活を必死で守ろうとしてるんです』


 普通の人間ならばなんでもない時間も、《魔法使いソーサラー》は得られない。国家に管理される、絶大な力を持つ人間兵器なのだから。

 だから彼らは学生生活を送るために、総合生活支援部という超法規的準軍事組織に所属している。ごく普通の少年少女のような時間を送るためには、時に《魔法使いソーサラー 》をして戦わないとならないという、ジレンマがあると知っていても。

 『普通』がとうとく、簡単に壊れるものと知っているから。

 命をかけて戦わないと守れないと知っているから。


『だから改めて言います。全部先輩が背負い込む必要はないんです。もっと私たちを信用してください』

「そんなの『しろ』って言われて、できるようになる事じゃない」


 それでも十路は拒否を示す。


「そもそも俺は、お人好しなんかじゃない。単にワガママなだけだ。どうしようもなく臆病なくせに、なんでもかんでも欲しがって……」


 死にたくはない。

 国や組織に縛られたくはない。

 普通の学生生活を送りたい。

 周囲の人々に辛い想いをして欲しくない。

 おとぎ話のように誰かの願いを叶えることもできない二一世紀の《魔法使い》が、反吐へどが出そうなほど幼稚に願いを羅列している。


『臆病なんて言う割には、先輩は死ぬかもしれないような目に、平気で飛び込みますよね?』

「そういう臆病とは違ってな……」


 どう説明したものかと少し悩んで、端的に説明できることを十路は問う。


「俺の術式プログラムの圧縮形式、木次は知ってるか? 知られて困る情報じゃないから、入部記録に書いたはずだけど」

『や、知りませんけど』

「DTCってのが、俺の圧縮形式なんだ」


 普通のコンピュータ・プログラムを圧縮すると、『zip』や『lzh』『exe』などと拡張子が変わるように、《魔法使いソーサラー》が脳内が圧縮保存している術式プログラムにも同じことが起こる。

 南十星の圧縮形式は『scop』――《Sorcerous Close-quarters-battle Overlay Program(次世代軍事学型近接戦闘細分化実行巨大術式)》であるように、それは個人個人で違う。


『なんの略ですか?』

「《Don-Quixote's Ten Commandments》……空想的理想主義者ドン・キホーテの十戒だ」


 妄想と呼ぶべき叶わぬ理想を追った、哀れで愚かな偉大なる男は、せ馬にまたがび槍で風車に突撃する、ゆがんだ蛮勇を持っていた。

 しかし本物の騎士になれない現実を受け入れる勇気を、彼は持っていなかった。

 十路自身も似たようなものだと。それが術式プログラムの拡張子に表れていると、自嘲の笑みを浮かべてしまう。


「ともかく今回の俺、いいところなかったな……」


 話題にふたをするように、思い出せば無様だったと、ため息をつく。

 南十星に迫られてうろたえて。彼女を守るために戦った時には、見栄を切った挙句に部員全員の力を借りてようやく撃退できて。

 こんなところまで、旅行記は笑い話と思われるドン・キホーテのようだと思える。


「カッコ悪い……」


 物語の主人公のように、スタイリッシュに問題を解決できればいいが、現実にそんな事ができるのは、一部の天才が得意な分野に限った話だ。

 そして十路は自分のことを、泥臭く足掻あがくタイプだと思っている。

 しかしそういう姿を誰かに――それも女の子に見せるのは、やはり忌避感を持っている。


『そうですね』


 樹里は否定しない。

 だがその声に非難じみた色などなく、むしろ母性的な優しさが溢れている。


『でも、つばめ先生がよく言ってますよ。『男は自分のカッコ悪さをわかってなければ、カッコよくなんてなれない』って』

「……そうか」

『はい』


 そして会話が途切れる。

 十路は夏の高い空を見上げて、思う。

 願わくば、昨日の自分よりも明日の自分は、ほんの少しだけでも『まし』でありますように。

 


『そういえば先輩。今さらですけど、どこにいらっしゃるんですか?』

「今朝からずっと静岡にいる。親の墓があるんでな」


 十路は目の前の、短い階段を登った先にある、寺の山門を見上げる。


「なとせが日本に帰ってきても墓参りしてないって、気にしててな。長期の旅に出たわけだし、それなら行こうってことになったんだ。で、話したかったら悪いけど、今アイツ、親父たちと長話してるから、電話に換わることはできないからな」


 正確には十路の両親であって、南十星にとっては伯父おじ伯母おばになる。だが彼女は実両親の死後、育ててくれた義父母に変わらぬ愛情を持っている。

 だから墓前に手を合わせ、そのまま動かない雰囲気を見せたので、彼女の好きにさせることにして、十路は一足先にそっと離れて電話していた。


『だったら、ひとまずの目的地に着いたわけですよね? これから先、どうされるんですか?』

「先のことは考えてないけど、とりあえず今日はここで一泊する。なとせはあんまり関係ないけど、もうひとり墓参りしておきたい人がいるんだ……」


 逡巡しゅんじゅんをほんの少し。言う必要ないとわかっていた。迷ったけれども。


「……衣川きぬがわ羽須美はすみって人だ」


 十路は口に出した。理由は判然としないが、彼女に話しておきたかったから。

 『彼女』のことを、彼女は知らないだろう。

 だが記憶にある顔を、まだあどけなさを残すくらいに若返らせたような顔を持つ、この少女には話してもいいだろうと。


『どなたですか?』

「昔、俺が好きだった人で……《騎士ナイト》なんてふざけた名前で呼ばれる切っ掛けになった、俺がこの手で殺した《魔法使い》だ」


 緊張をともなってまたも会話が止まる。電話の向こうで息を呑む気配が届く。

 ややあって、樹里が問う。わずかながら決心が必要だったかのように。


『私に話せるんですね?』


 なぜ無関係の自分に聞かせるのか、ではない。

 彼女はほんの少しだけ、堤十路に踏み込む気概を見せたから。


「あぁ」


 心にある古傷は、自身で思うよりも小さくなっていた。

 彼はほんの少しだけ、木次樹里に甘えることをしとした。


 ただしそれ以上はない。それが遠くはないが近くもない、彼と彼女の距離だから。


「その話は長くなるから、またの機会な」


 彼はそれ以上は言わない。


『わかりました』


 彼女はそれ以上は訊かない。


『それじゃ、先輩たちのお帰り、待ってますね』

「あぁ」


 軽い挨拶を交わし、十路はボタンを押す。

 携帯電話をしばし眺めてから、ジーンズのポケットに収める。

 そこで軽い足音が近づいたので、顔を上げる。

 今日はTシャツにミリタリーベスト、ショートのデニムパンツにカラーストッキングという、彼女が好む中性的な格好をしている南十星が、短い階段を駆け下りた。


「もういいのか?」

「うん。おとーさんたちといっぱい話したし、これから日本にいるんだからまた来れるっしょ」


 ヘルメットを被るために、今日は横で結んでいないショートヘアを揺らして、南十星が下から十路の顔を覗き込む。


「兄貴、なんかいいことあった?」

「別に? どうしてだ?」

「いやさ、電話で話しながら笑ってたから」


 いつ墓参りから戻り、いつから彼女が十路を見ていたのか知らない。

 線香の香りを漂わせる南十星は、その場面を大人びた微笑で教える。


「すっごく優しい笑い方だった」

「そんな顔してたか?」


 ヘルメットを被りながら、十路は同意を求めるようにオートバイに目を向ける。


【はい。無愛想で、笑う時には自虐的なトージには珍しく】


 自覚はないが、彼女たちがそういうのなら、そんな表情をしていたのだろう。

 思い返しても樹里との会話で、無意識にそういう顔を作る内容はなかったと思う。

 もしもあるとするならば、彼女との去り際の言葉だろうかと、オートバイにまたがりながら思い至る。


「……帰りを待ってくれてる人がいるのって、いいな」


 《魔法使いソーサラー》として育成校に通うため、幼い頃から家族と離れて寮生活をしていた。

 危険な任務から帰投すれば、書類を作って報告すれば、いつもと変わらない訓練の日々が再開されるだけの日々だった。

 待つ者などおらず、本当の意味での『帰るべき場所』を持たなかった野良犬には、その言葉は新鮮であり、不思議と自然に受け入れられる言葉だった。


「そっか」


 どこか満足そうにそれだけ言い、南十星もヘルメットを被って、十路の後ろへ飛び乗る。

 腰に手を回し、背中に頬を寄せて、ともすればセミの音で消えてしまう声でポツリとこぼした。


「よかったね……羽須美さん以外にも、そう思える人ができて」


 そんな彼女に、十路は平坦な声をかける。


「なとせ。メットで背中が痛い」

「なんでここでそういうコト言うかなぁ……」

「空気読まなきゃいけないようなことでも言ったか?」

「聞こえてないなら別にいいよ」


 同乗者が身を離し、お手本のような二人乗りタンデムスタイルになったのを確認して、スタンドを蹴り上げて。


「さて、墓参り済ませたら、神戸に帰るまでどうしたもんだか」

【こんな計画性のない旅に付き合わなきゃならないなんて……】

「相変わらずイクセスは文句多いな?」

【要修理状態なのに酷使されてる気持ちがわかりますか?】

「人間にわかるわけないだろ……」

【どこに行くにしても、充電スタンドがある場所にしてくださいよ? 《魔法》実行用のバッテリーは戦闘でほぼ尽きてて、今の私は通常のバッテリーでしか動けないんですから】

「了解」


 オートバイと会話して、十路は発進させる。

 

 長靴を履いた猫は、粉挽きの三男坊を幸せにすることは叶わない。

 だが三男坊は、そんなことは望んでいない。そもそも彼は猫が知恵を振り絞らなければ、なにもできないわけはない。

 猫にはそれが少し不満。だから彼女は三男坊と共にいる。

 たとえお姫様になれなくても、彼が必要としてくれるかもしれないから。

 長靴を履いた猫の冒険譚は、まだこれから。今しばらくは、つかの平和な旅として続く。

 夏休みらしい、七月中旬の晴れた空の下で。

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