030_2200 彼らが邪術士と呼ばれる理由Ⅴ~【口替】焦り蒸し 潜水艦と共に~


 ローファーで凍った海面を蹴り、樹里は『幽霊』に向けて駆け出す。


「《雷撃》――!」


 《魔法》によって身体能力を強化し、陸上短距離世界記録を塗り替える速度で走りながら、射出式スタンガンテイザー術式プログラム《雷撃》を複数実行して五発同時に電流を発射する。更に彼女自身も長杖を振りかぶり、袈裟に叩きつける。

 樹里の攻撃は全て、黒衣に吸い込まれるように命中した。


「なにこれ……!?」


 樹里は驚愕する。

 《雷撃》は効果なかった。紫電は『幽霊』に全弾命中したが、その途端に四散し、足元へと流れていった。

 それはまだいい。『幽霊』がまとう黒いものは、強固な耐電効果を持つ全身鎧ボディアーマーと見なすこともできる。しかし長杖での打撃は、そんな手ごたえではなかった。

 止められた。硬さに跳ね返されたのとは明らかに違う。硬いもの同士が衝突すれば、相応の金属音が立つはずなのに、それもない。なにより感触が全くないにも関わらず、長杖での打撃が止められた。空気の幕に受け止められたと説明するのが一番近いが、それとも違う。感触が全くないのに衝撃が受け止められたような、体験したのことのない感覚だった。


 物理現象を操り、超越したような効果が発揮されるならば、《魔法》しかありえない。そして《魔法》を使えば《魔法回路EC-Circuit》が発生する。いま樹里が行っているように、体内で筋繊維を強化しているような効果でない限り、それは絶対に現れる。

 しかし『幽霊』の防御に《魔法回路EC-Circuit》は発生していない。だから樹里はいぶかしむ。

 確かめるように樹里は長杖を、すねを砕き、鎖骨を折るつもりで更に振るうが、いずれも同様に効果を上げた感触がない。

 『幽霊』は避けるどころか身構えもせず、ただたたずんで打撃を受け止めている。それは身にまとう不思議な鎧を信頼しているのもあるのだろうが。


「困ってる……?」


 根拠はない。なんとなくだが、そう思えた。だから様子を見るために、樹里は跳び下がって距離を取る。

 すると即座に『幽霊』は動こうとする。静止状態から亜音速に、人間の動体視力では捉えられない加速で。


「《雷霆らいてい》!」


 それを樹里は、レーザー誘起による人為的落雷を、威嚇射撃のつもりで氷床に撃ち込んで阻止する。

 直撃させて効果があるか不明だが、行く手の爆破されたことで足を止めた『幽霊』は振り返る。


「堤先輩の邪魔をするなら、私に付き合ってもらいます」

『……どうして彼らを戦わせるんですか?』


 変換された甲高い声の問いに、樹里は戦意を浮かべた無表情で答える。


「必要だからです――」


 直後に樹里は吹き飛んだ。両手持ちで突き出した長杖が軋み、衝撃に体が浮く。

 蹴りを受け止めて、人間が三〇メートル以上も吹き飛ぶことなどありえない。《魔法使いソーサラー》の強化された身体能力でも、そこまではできない。

 けれども残身ざんしんするように一本足で立つ『幽霊』は、それをやってのけた。動体視力を超える加速で接近して放つ、蹴り技の中で最も早い前蹴りは、運動方程式f=maにのっとって、それだけの破壊力を持っている。


「……!」


 滑りながら着地し、樹里は理解した。それが理解できないほど、彼女は戦闘の素人ではなく、盲目的に認められないほど、自身の強さにプライドを持っていない。



 △▼△▼△▼△▼



『堤先輩……意気込んで来て、こういうこと言うのもなんですけど……』

「手短に言え!」


 樹里からの無線に、十路は叫び返すと、思考を音声化したデータでも叫び声になって返って来た。


『まともな手段じゃ勝てません! 押さえ込むだけでも難しいです! この人どうなってるんですか!?』


 十路と、そして市ヶ谷は、ハンドルを《使い魔ファミリア》に任せて、まるでサーカスのオートバイショーのように氷壁を走りながら戦っていた。

 市ヶ谷は槍で《魔法》を放ち、《真神》は自由電子レーザー光線と機関銃を放つ。

 それを避けつつ、十路は小銃の引金トリガーを引き、《バーゲスト》は自由電子レーザー光線と無反動砲を放つ。

 外れた攻撃が氷壁に穴を穿うがち、白煙を突破して、時折接近して鎌槍と銃剣バヨネットを交えながら、二人の《使い魔ファミリア乗りライダーたちは、戦闘機の格闘戦ドグファイトにも似た馬戦を行う。


「木次が考える『まとも』以外なら!?」


 相手の機動予測を行い、最適攻撃を行っているが、その全てが防御される。

 つちかった経験をフルに使って攻防を行うが、互いに凌駕できない。


『最終手段を使うくらいしか思いつかないです!』


 頭痛は絶え間ない。

 口の中に粘つく血の味が広がる。実際に吐血しているわけではなく、口腔内が異様に乾き、味覚をつかさどる神経が異常を伝達している。

 《魔法》の使いすぎで体が危険信号を発している。現役特殊隊員時代にも滅多に経験しなかった感覚に、十路は焦る。


「それしかない! 俺もこのままじゃジリ貧だ!」


 弾薬とバッテリーがまたたく間に減っている。

 手加減できる相手ではない。ありもしない余裕を見せれば、瞬殺されるレベルの相手なのだから。当然のような顔をしながら、十路とイクセスも必死になって攻撃を回避しながら対抗している。

 だが、このままでは負ける。十路は強く確信した。


『だけど先輩、本気で最終手段を使う気ですか……!?』

「ひとまず戦闘を中断させる意味もある……!」


 だから、禁忌を解き放つ。



 △▼△▼△▼△▼



「これは……」


 装飾杖に腰かけて空を飛び、眼下の凍った海にコゼットは絶句する。


「兄貴たち、まだ戦ってる……」


 ほぼ中央に浮かぶ氷のドームを見つめ、後ろで南十星がつぶやく。分厚い氷越しにも音が聞こえるのだから、内部での戦闘の激しさは知ることができる。


 三宮駅前の事態収拾は警察に任せて、彼女たちも戦闘を様子をうかがうために、大阪湾にやって来た。

 コゼットとしては、戦闘行為に加わる可能性も考慮して、南十星を連れて来たくはなかった。兄の様子を確かめたい気持ちはわかるが、もう彼女は戦える状態ではないのは、傍目はために見てもわかる。けれども南十星は強硬にこの場に来ることを主張し、その上コゼットひとりで行動すれば、彼女は勝手に行動することは想像にかたくない。


「このままじゃ……負ける」


 凍りついた海面に降り立って早々、顔を歪めて断言する南十星に、コゼットはやや驚いて振り返る。

 分厚い氷に阻まれて、詳しい様子などわかるはずもない。なのに南十星の言い方は、核心に満ちていた。


「勝てるならとっくに終わってるはず。なのにまだ兄貴は戦ってるってことは、そのうち負ける」

「意味わかんないですわよ……」

「兄貴は強いけど……本当は強くないから」


 以前コゼットだけでなく、他の女性陣たちにも言った言葉。

 南十星はよく知っている。十路の非公式特殊隊員としての生活は、つばめからのメールで窺い知っている。

 彼女の生活を守るために、彼は平然と危険な任務をこなし続けていた。

 時折の電話で話した時には、彼はほんの少しの弱音を見せていた。

 きっと《騎士ナイト》という称号に隠れてしまうだろう、十路の本質は、たったひとりの家族に対してだけ見せる弱い顔だと、彼女はよく承知している。


「それにこれは、あたしが始めたことだから。あたしがケリつけなきゃ」


 中に突入するための理由は、他人が聞けば根拠のない家族の言葉よりも、そう言われた方が理解しやすいだろう。


「さぁて……この壁、どうしたものかしら……」


 つぶやきながら寒さに身震いし、生命維持術式プログラムを実行するコゼットに、南十星ももう隠すことなく《躯砲クホウ》の《魔法回路EC-Siricit》に身を包み、腰にぶらげたトンファーを構えて見せる。


「ぶっ壊す」

「とはいっても、分厚いところなら一〇〇メートル以上ありそうですわね……ちょっと骨ですわよ……」


 《魔法》で簡単に探査しただけでも、その程度はわかる。それ自体も問題はあるが、中の様子が不明なのが問題だった。振動からの解析である程度のことはわかるが、内部のどの位置で十路たちがどういう状況なのか、複数存在する振動の発信源のどれが敵でどれが味方か、知るすべがない。

 下手に外部から一気に氷壁に穴を空ければ、十路たちを巻き添えする可能性が高い。かといって安全を確かめながら穴を空けていれば、時間がかかる。

 まだ多少は心に余裕はあるが、焦りを表すように、コゼットが苛立たしげに頭を掻きむしっていると。


「ね、ぶちょー。あれ使えば、割と簡単に入れるんじゃない?」


 南十星が足元を指差した。

 凍った夜の海に、普通の船舶にはまず見られない、七枚プロペラのスクリューがある。海面の下で氷壁に突き刺さっていると思われる、黒い静音タイルに覆われた巨大な船体も見える。



 △▼△▼△▼△▼



 海上自衛隊新造潜水艦『てんりゅう』内は、一時のパニックが収まり、今は静かな混乱に満ちていた。

 住宅地にミサイルを撃ち込むという、詳細不明の秘密作戦行動を行い、続いて本部の指示に従った直後、かつてない異変に襲われた。

 まずは大爆発による衝撃波だった。それがたった一人の少女によるものなど知るよしもないが、とにかく無傷というわけにはいかなかった。

 それはまだいい。その後、更に対空ミサイルと魚雷を計一二本撃てる状態だったのだから。

 一番の問題は、艦そのものが氷に閉じ込められたこと。それも極海で行動していたのではなく、氷の欠片もない夏の瀬戸内海を航行中に、瞬時に閉じ込められるという想定外の事態だった。当然ミサイルと魚雷を発射したが故に、十路が防御のために《魔法》で海を凍らせ、巻き添えを食らったなどわかるはずもない。

 スクリューは全く動かない。複数あるハッチは全て開かない。潜水艦は直接外の様子を見る手段が限られているため、海が凍りついたと推測するまで、訓練された自衛官たちといえどパニックにおちいった。


 艦内温度の低下により、事態は予想ついたものの、こんな事態に対する備えなどない。潜水艦が事故を起こして航行不能になれば、如何いかに外部からの救助まで酸素をもたせるかが問題になるが、現状はそれどころではない。

 直接ではなくとも、絶対零度に近い冷却で作られた氷に閉じ込められたのだから、あっという間に冷凍庫よりも寒くなる。ありったけの防寒着を着こんでなお震える乗員たちは、誰もが凍死の危機を思い浮かべた。

 更に水圧に耐え、数百メートルの深度に潜行できるよう作られた耐圧殻が、氷の圧力に負けてきしみ、艦の圧壊をカウントダウンする。

 助かると思えるはずはない。それならいっそ、ひと思いに死にたいと望んでしまうような状況に、乗員たちは寒さで震え、顔を引きらせていた。


 恐怖に満ちた艦内に変化が訪れたのは、唐突だった。青白い光の輪が描かれると、前触れなく艦に穴が開いた。

 わずかな暖かさを求めて、つい先ほどまで駆動していた機関部に集まっていた乗員たちの前に現れたのは、潜水艦には不釣合いな二人組だった。


 ヨーロッパ系の若い外国人女性が、精緻せいちな装飾がほどこされた杖で肩を叩きながら、木陰の獅子を連想する憂鬱ゆううつげな態度で宣告する。


「この潜水艦は徴収ちょうしゅうさせて頂きますわ。乗組員の皆さんは、とっとと出てってもらえません? つーか、出てけ」


 近未来的な印象を放つトンファーを両手に握り締めた少女が、歯を見せる獰猛な虎の笑みを浮かべて、冗談じみた台詞を放つ。


「四〇秒で仕度したくしな!」


 それが常人には不可能などと、死に絶望しかけていた乗員たちに、考える余裕はない。ただ人間が外部から入ってきた――逆に脱出できるという事実に、彼らの凍った意識に安堵と希望の火がともる。かじかんで強張こわばりきった手足に、動き出すためにゆるみが生じる。


 史上最強の生体万能戦略兵器 《魔法使いソーサラー》――彼女たちこそが『てんりゅう』の初任務で攻撃した目標であり、就航間もない新造艦をスクラップ同然に変えた者たち。

 だが乗員たちはそれを知らない。しかも彼女たちは生命維持のための《魔法回路EC-Circuit》で身を包んでいる。


「さぁて……前の方に魚雷があるでしょうから、自爆しないようにしとかないといけませんわね」

「ぶちょー。潜水艦とか魚雷のこと、わかんの?」

「理工学科の学生ナメんじゃねーですわよ。構造がわかれば、なんとかしてみせますわ」


 ここには興味ないとばかりに、コゼットと南十星を足早に機関室を去っていく。

 そんな彼女たちの背中は、絶望的な状況に現れた後光が差す天使に見えて、乗員たちは涙を浮かべて見送った

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