030_1510 嘘つきは《魔法使い》のはじまりⅦ~某社のコーンシリアル ヨーグルト味~


「Мастера 《волшебник》 во время движения... (日本政府所属の《魔法使いソーサラー》に新たな動きですか……)」


 ナージャ・クニッペルは、耳元につけた機械に話していた。

 PHSか型落ちした携帯電話にも見えるが、液晶がやたらと大きい、無骨なデザインをしたものだった。


「Есть ли у вас отношения? Хотя я думал, о том, как Натосз Тутуми звук странный? (ナトセ・ツツミの様子が変だとは思いましたけど、その関係でしょうか?)」


 母国語なのだから当然だが、彼女は流暢りゅうちょうなロシア語で話していた。

 海を挟んだ隣国の言葉だというのに、ロシア語を理解できる日本人は、相当に少ない。やはり国際標準語のおもむきがある英語や、大航海時代の名残として残るスペイン語やポルトガル語に比べると、ややマイナーな印象がある。

 だから秘密の話をする時には、うってつけだろう。

 もちろん、聞かれた誰かがロシア語を理解できる可能性も、ナージャは忘れてはいない。彼女が話をしている場所は、人気ひとけの少ない修交館学院の一号館かんりとうの廊下の片隅。コンクリートマイクのような、使えば目立つ特殊な機材がないと盗聴できない場所だった。


「Директива со мной? Белый акцент на научные исследования...Я предупреждал, что он вмешался в случае Козетту.(わたしへの指令は『調査に徹しろ』ですか……コゼット・ドゥ=シャロンジェの件に介入したこと、警戒されてますね)」


 ナージャは口元を歪めて、苦笑らしきものを浮かべる。その顔は普段、総合生活支援部の部員たちや、クラスメイトに見せているものとは随分と印象が違い、冷たい。

 しかし日頃の雰囲気のせいか、氷のような冷たさとは異なる。降り積もって間もない雪のように、どこか柔らかさがにじみ出ている。


「Понял. В любом случае, то другая сторона, потому что это плохо, то остановиться.(了解。どちらにせよ、今回は相手が悪いですから、やめておきますよ)」


 電話の相手に向けて、事務的な口調でそう言って、通話を終え。


「……大事に至らなければ、見てるだけで済ませますけど」


 大型の携帯電話のようなものを、プリーツスカートのポケットに収めながら、ナージャは日本語でひとりごとをこぼした。

 そして歩き出す。彼女が一号館にいる理由は、この時間に人が少ないからだけではない。学院理事長に呼び出されたからだ。

 普通の学生以上に話す機会が多いとはいえ、ナージャとつばめの間に直接の関わりはない。支援部の部室に入り浸っているとはいえ、やはり彼女は部外者で、顧問であるつばめに呼び出されるような用事が思い当たらない。

 だからナージャは若干の緊張を浮かべて、重厚そうな扉をノックした。


「はいよー、どうぞー」


 扉越しでややくぐもった、いつもと同じつばめの声を受けて、ナージャは初めて理事長室に入った。

 不安よりは警戒を浮かべて、ナージャが問う。


「わたしになんの御用でしょうか……?」

「いやね、紅茶もらったから、一緒に飲もうかと思って」


 オーク材のデスクについていたつばめは、そう言いながら立ち上がり、手に乗るほどの小さな木箱を見せる。


「わっ! マカイバリのシルバーニードルズですか!?」


 その小箱の中身がそこらで売っているような品ではない、貴重で高価な茶葉だと一目で理解したナージャは驚きの声を上げる。


「うん。せっかくだから美味しく飲みたいし、だけどわたし、淹れるの上手くないし。だったら紅茶大国出身のナージャちゃんにお願いしようかなと」

「まぁ、支援部の部室でお茶淹れるの、わたしがやってますけど……」


 紅茶といえばイギリスを思い浮かべる人が多いだろうが、ロシアも独自の紅茶文化を持つ国だ。そのためか、ナージャもまた毎日のように紅茶を飲む。そして紅茶を趣味としているコゼットよりも、支援部の雑用をおおよそ行っている樹里よりも、淹れる腕前はナージャの方が確かなため、部室のお茶汲みは彼女が行うことが多い。


「わたしにお茶を淹れさせるために、呼び出したんですか?」


 それだけならば部室に茶葉を持ってくれば済む。だからナージャは、つばめに背中を向けて、理事長室の隅にあるティーセットを使いながら、改めて問う。


「ついでと言ってはなんだけど、ナージャちゃんと、じっくり話してみたかったんだ」

「どんなお話ですか?」


 ナージャが質問した意味は、特にない。手を動かしていると自然と会話が減るだろうから、場を繋げるために何気なく訊いただけだった。


「ナージャちゃんが隠してること、わたしは知ってるよ」

「……っ」


 返ってきたつばめの声に、ナージャは顔を強張こわばらせて、訊いたことを後悔する。


「どうしようか、考えたんだけどね……なにも聞かずこのままなのも、よくないかなって思ったんだ」


 続けられる言葉に、ナージャは恐る恐る振り返ると、つばめは応接セットのソファに移動し、背中を向けていた。

 スマートフォンをいじっているらしい、ややうつむいた彼女が浮かべている表情は、わからない。ただ淡々とした口調で言葉をつむぐ。


「キミが本当のことを話すはずない。だけど、キミが隠していることを訊いて、どう反応するか、それだけでも確かめておこうと思う」


 ナージャも垣間見て知っている。長久手ながくてつばめという人物が、得体の知れないものを持つ、策略家であることを。

 総合生活支援部という、社会実験チームと部活動の看板をぶら下げた、本来存在が許されるはずのない民間の、それも既存軍隊を上回る危険な組織を設立した司令官役なのだ。

 どんな隠し玉や情報網を持っているか、わからない。

 だからなにも感情が表れていないことが、ことを語ろうとしてるよう思えて、ナージャは息を呑む。


「ナージャちゃん」


 息苦しいほど固い空気の中、振り向きもせず、静かな声でつばめは問う。


「キミのおっぱい、作り物だよね?」

「豊胸手術してませんよ!?」

「そっか……誤魔化すところをみると、やっぱりそうなんだ」

「いやそーじゃなくて! 一〇〇パーセント天然ですってば!」


 総合生活支援部の部員たちが、この顧問に対して冷淡な態度を取る理由が、ナージャにもよく理解できた。



 △▼△▼△▼△▼



 現代軍事学においてコンピュータ・ネットワークは、陸・海・空・宇宙に続く、第五の戦場と呼ばれている。

 諜報戦の延長として、情報の奪取とその防御を行うだけではない。対立する国・組織の間で電子戦――相手の兵器を無力化することも行われるため、その重要性は計り知れない。だから公式には否定されているが、ハッカー部隊など大国では当然のように存在している。


 野依崎のいざきしずくと偽名を名乗る少女も、自室でつい先ほどまで、ディスプレイに記号と数字が浮かぶ戦場にいた。キーボードを武器として操り、クラッキングツールを弾丸とする、常人には理解できない戦い。彼女が独自に組んだシステムを積む専用パソコンを動かして、目当ての情報を収集し、痕跡を残さず引き上げるスニーキングを行っていた。

 当然違法行為だが、野依崎は気にしていない。半ば裏社会の存在である《魔法使いソーサラー》の彼女の行動は、法を守るよりも、自分を守ることが上位に来る。興味本位で誰かのプライバシーや機密情報を覗き見する気はないが、必要ならば遠慮はしない。

 そして小学生ながら、彼女はそれを実行できる。生半可なシステムエンジニアでは太刀打ちできない知識と技術、があるのだから、大抵のネットワークに侵入できる。

 今は接続を切り、普通のパソコンを使って、チューブタイプのシャーベットアイスを吸いながら、野依崎は集めた情報の分析を行っていた。


「奇妙でありますね……?」


 キュポンと音を立ててチューブを離し、思わずといった風のひとりごとが、野依崎の口から漏れる。


 最初はただの偶然だった。野依崎はネット巡回を行い、軍事の好事家たちが集まる掲示板を、なんの気なしに流し読んでいた。

 そこでは神戸で作られた新造潜水艦『てんりゅう』の話題になっていたのだが、埋もれるように奇妙な書き込みを見つけた。その『てんりゅう』が深夜、やはり神戸市内にある海上自衛隊阪神基地隊に停泊し、魚雷の積み込みを行っていたという内容だった。

 阪神基地隊は元々、大阪湾や播磨灘はりまなだ、紀伊水道などの警備・監視を主任務として設置された。三〇年前、《魔法》と同時に淡路島に《塔》が出現したことで、立ち入りを取り締まるための重要拠点となっているが、最寄の潜水艦基地となると広島県の呉基地となる。

 野依崎も断言できるほど、海上自衛隊の潜水艦運用について詳しくはないが、やはり妙だと考えた。

 だから彼女は、事が自分の住んでる場所なだけに、防衛省の関連施設にクラッキングを行い、情報を集めた。

 任務内容が記された直接的な情報は、さすがに容易に得ることはできなかった。しかし艦や人員のローテーションなどを調べて、新造艦が既に任務に就いていることはわかった。

 作られたばかりの艦が、急ピッチで装備を詰め込んで、任務のために出航している。素人考えでも急展開だとわかる。


「……ふぅん。もっと詳しく調べるべきでありますか?」


 人間工学に基づいたオフィスチェアの背もたれに体重を預け、目元にかかる長い前髪をいじりつつ、次の行動を考え始めた時、部屋の扉がノックされた。

 彼女がいる二号館サーバーセンターの地下に、侵入者が入ってきたことは、センサーと監視カメラで捉えていたので、ずっと前から知っている。ただ警戒すべき相手ではなかったので、対策も慌てもしない。


「壮絶な有様ですわね……」


 返事も待たず入ってきたのは、今日はブラウスにフレアスカートという格好のコゼットだった。四畳半ほどの部屋を見て、顔をしかめる。

 いま野依崎の部屋は、宅配便で届いたダンボール箱が積み上げられている。ひとつひとつの大きさはさほどではないが、相当数あるため、大して広くもない部屋が一層狭く感じる。

 全て彼女が町工場に発注していた品物だった。


「……作業中でありますから」


 野依崎はうんざりしたように答えながら、モニターの電源を落として作業に戻る。朝からその作業を行っていたのだが、精密作業に嫌気が差して、気分転換を行っていた。

 大量の資料を読み、箱から金属部品を取り出して組み立てながら、野依崎はコゼットの顔を見ないままに問う。


「それで部長ボス。なんの用事でありますか?」

「二件ばかり。なんだか堤さんが、市内の不発弾処理を気にしてますのよ。フォーさんなら、なにか情報を掴んでるかと思いまして」

「不発弾処理……」


 作業の手を止めぬまま、野依崎は考える。

 ネット巡回をしていたから、当然そのことは彼女も知っている。野依崎は携帯電話を持っていないので受信していないが、処理を知らせる一斉送信メールが話題に上っていた。


「潜水艦は海上警備に就いてる……?」

「? どういうことですの?」

「確証のない思いつきでありますから、詳しくは知らないであります」


 だから野依崎は、コゼットに説明せずに話を進めた。


「それより、もう一件の用事は?」

「堤さん経由で、USBメモリーを渡したはずですけど、あれ、どうでしたの?」

「…………」


 コゼットの質問に、野依崎の動きが止まる。

 確かに十路からUSBメモリーは受け取った。南十星が自爆する原因を、システム面から調査して欲しいという内容だったはず。

 視線を動かすと、工具類が転がるデスクの片隅に、USBメモリーも一緒に転がっていた。

 特に期限を設定されたわけでもなかったため、それをパソコンに挿した記憶は、ない。

 だから野依崎は振り返り、いつも通りの無表情と平坦な口調で、コゼットに報告した。その声や顔からは、まったく反省は見られない。


「検証したけど持ってくるのを忘れたであります」

「ここで宿題を忘れたような言い訳しても、通用しませんわよ」


 ちなみにそのセリフを児童から聞く時、先生は多くの場合『宿題をやらなかった』と解釈する。



 △▼△▼△▼△▼



「あーにきー」


 手持ち無沙汰に床に座り込み、部室内のダンボールに詰められた備品ガラクタの整理を十路が進めていたら、南十星なとせに呼びかけられた。


「これで用事なさそうだし、あたし先に上がっていいー?」

「待て」


 振り返りもせず十路は背中で返事すると、南十星の声が続けられる。


「帰りがけに買い物して帰りたいんだけど。お昼のベントー作ったから、レーゾーコの中スッカラカンなんだって。晩ゴハンも作れないし」

「それなら俺も一緒にいた方が、手があっていいだろう」

「あとこれから、ちょいと友達と遊びに行くんだけど」


 ようやく十路が振り返ると、部室の外にダンスの指導を受けていた女子中学生たちがまだいて、兄妹のやり取りを見ていた。彼女たちとこれから遊びに行くつもりなのは、考えるまでもない。


「どこに行く気だ?」

「ショップ関係いろいろ。メインはドラッグストア?」

「……今日は俺たちから離れるな、って言いたいところだが」


 十路はやや困ったように首筋をかく。

 南十星はなにか隠している。その用心のために、目を離さないようにと話していた矢先に、これだった。

 十路としては断らせたいところだが、転入して間もない南十星が、同級生との友達付き合いするのを断らせるのも、気が引ける。

 そして南十星の隠し事について、確証はない。ただ十路はそう感じるで、彼女の私生活について口出しするのも、好むことではない。

 そして少女ばかりの集まりに、男がノコノコとついて行くのもどうかと思う。一般医薬品だけでなく、美容・健康用品も売っているドラッグストアに行くとなれば尚更だ。

 十路はキッチンスペースで洗い物をしていた樹里を見ると、様子を見ていた彼女は視線を受けて、やはり弱ったような顔で提案する。


「私が一緒でもいいなら行きますけど……」

「あたしは別に構わないけどさ、じゅりちゃんがチューガクセーに混じってだいじょーぶなん?」

「や~……確かにそれはちょっと……」


 樹里は特別人見知りではない。だが南十星以外は交流のない中学生たちと一緒というのも、肩身が狭いだろうとは予想できる。中学生たちも見知らぬ先輩がいることに、落ち着かないだろうことも。

 南十星の中学生としての私生活と、ワケあり《魔法使いソーサラー》の危険性の両方を、しばし時を置いて考えて。


「……一時間ごとに連絡を入れろ」


 十路は妥協案を探し出した。


「それから、帰る前にも連絡入れろ。迎えに行く」

「なーにそんな心配してんのさ? ちっとばかし帰りが遅くなるからって、真夜中まで遊ぶつもりないってば」

「いいから。わかったな」


 南十星の不満を無視して、十路が強い口調で言うと、彼女は『わかったってば』と軽く肩をすくめる。


「ほんじゃ、お先にねー」


 一応の了解は得たことで、南十星はスクールバッグを肩にかけて、一足先に部室を出て行った。

 そして他の女子中学生たちと話しながら、斜面を造成した階段を下りていく。


「……堤さんのお兄さんって、シスコン?」

「そうでもないと思ってたけどねー? あたしが兄貴と一緒に暮らすのって、すっごい久しぶりだし、カホゴ発揮しようにもできないっしょ?」

「でも一時間ごとに電話とか、ありえなくない?」

「一緒に暮らすようになってから、兄貴もシスコン発揮しはじめたのかねー?」


 中学生たちの姿が見えなくなり、会話も聞こえなくなってから、十路はやや不安そうに、樹里に振り返る。


「俺、やっぱりシスコン……?」

「や、当然の心配してるだけですし、そんなことはないと思いますけど……でも高校生が言うことじゃないですし、なにも知らない子からすれば、そう思われても仕方ないかも……」


 そんな会話をしているところに、《使い魔ファミリア》の正体を知らない中学生たちの前では、ずっと黙っていたオートバイが、意地の悪そうな声を出した。


【事情を知っていても、シスコンに見えますけどね~?】


 更に、いつの間に南十星と入れ違いに来たのか、いつもの部外者二人が部室のシャッターをくぐりながら、はしゃいだ声を出す。


「やーいやーい、シスコーン」

「お兄ちゃんは妹ちゃんが心配なんでちゅね~」


 小学生のような和真とナージャを見て、十路はもう一度、樹里に振り返る。ただし今度はこめかみに青筋が立っている。


「木次。俺を歪めたがるやかましい連中、殴り倒していいと思うか?」

「や、堤先輩だと冗談じゃ済みそうにないですから、我慢してください……」


 流血沙汰は樹里に止められたので、とりあえず十路は、以前作って部室の隅に転がっている、消火器水鉄砲で水をぶっかけておこうと考えた。

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