030_1520 嘘つきは《魔法使い》のはじまりⅧ~グルコースタブレット~


 ゆるゆるとした、しかし風船が割れる前のような緊張の時間が過ぎ、陽が暮れた。

 野依崎は学校で生活しているから除外、コゼットも用事があるということでいないが、残る高校生の部員と、支援部の部室に戻ってきた部外者で、四人一緒に坂を下る。


「……なぜだ」


 陰が落ちた深刻な顔で和真かずまが問う。


「女の子と一緒の帰り道! なのに何のイベントも起こらないなんて!」

「なんのイベント発生を求めてる?」


 あまりよくない目つきを呆れたように細めた十路の問いに、和真はなぜか茫洋ぼうようとした遠くを見つめる顔で答えた。


「寄り道、買い食い……お互いの物を交換して、間接キスでドキドキ……」

「面倒くさい。とっとと帰るぞ」


 十路は無表情のまま、平坦な声で冷たく返す。

 総合生活支援部の関係者が暮らすマンションは、学校から大して離れておらず、多くの学生たちの通学路上に建っている。買い食いできる場所まで行こうとすれば、十路と樹里は自宅前を通り過ぎることになるため、『寄り道』ではなくなる。

 あと現状のメンバーの場合、男同士で間接キスの可能性もあるのだが、それでドキドキするのかは触れない。


「突然の土砂降り、そして一緒に雨宿り……狭い軒先に身を寄せて、触れてしまう肩や手……」

「や、あの、雨雲の欠片もないですけど……」


 樹里が指し示す夜空は、一片の雲もない晴天だった。

 おまけに仮にずぶ濡れになったとしても、樹里は紺色のスクールベストを、ナージャはピンクのカーディガンを着ているため、和真がきっと期待しているだろう、ブラウスが濡れて下着が透けるような事態にはならない。


「車にかれそうな子犬を助けたことで、明日から俺を見る目が変わる……?」


 なぜか疑問形の和真に、なぜかナージャは悲しげに答えた。


「そうですね、和真くんを見る目が変わるでしょう……教室の机にお花を飾って、お葬式に参列したら、さすがに泣いちゃうかもしれません……」

「俺、犬の代わりにかれ死んでる!?」

「え? もしかして、ワンちゃんも和真くんも無傷のつもりですか?」

「ナージャさん!? ナチュラルにキョトンですか!? 逆になんで俺も犬も無事って思わないわけ!?」


 いつもとは違う展開でナージャにあしらわれた和真は、幽鬼のような顔と声と動作で振り返る。


「……十路よ」

「なんだ、和真よ」

「なぜ、俺たちの周りの女の子は、優しくない……?」

「いや、俺は女性陣が冷たいと思ったことないし。思うところは色々あるけど、結局は親切でお節介な連中がそろってるだろ?」

「こんなところで余裕のセリフがぁぁぁぁっ!? やっぱり女の子たちのリアクション、俺と十路だと違うもんな!?」


 前にも語ったと思えることを叫び、グリンと人形めいた首の動きで振り返った和真は、二人の女子高生たちにも叫ぶ。


「大体いまいないナトセちゃんとお姫様を含めて女性陣の皆様は妙に男あしらいに慣れてる気がいたしますけどどうですか!?」

「慣れてませんよ!?」


 それは心外と樹里が叫び返すと、和真が急接近した。


「じゃあ、俺が迫ったら、頬染めるくらいはしてくれるの?」

「ふぇ!? や、その……」

「ねぇ? どうなの? 樹里ちゃん? ねぇ?」


 劇画調に描きたくなるような壮絶な顔で、和真はずずいと踏み込む。


「樹里ちゃんってさ、けっこー可愛いと思うんだよ」

「あ、ありがとうございます……」


 められているはずなのに、樹里はいつもの愛想笑いとは違う、引きつった笑顔を浮かべて、子犬めいたおびえ方でジリジリと後ずさる。


「色々気にしてるみたいだけどさ? 確かにお姫様とか美人だと思うよ? だけどこう、手の届く華っていうかな? そういうところが樹里ちゃんのチャームポイントだと思うよ?」


 開いた距離を、和真が詰める。


「そう、です、か……?」


 樹里が更に後ずさる。

 下がる。詰められる。下がる。詰められる。


「かはっ――!?」


 いつまで続くかと思われた果てない樹里の窮地を、左右から伸びた二本の手が救った。


「はいはい。あんまり調子乗ってたら、グーパン鼻血ブーで、ほっぺた赤く染まっちゃいますよ?」

「くは、げほ……!」


 右から伸びたのはナージャのもの。手の平を上に向けた貫手ぬきてのどに突き込まれ、いつもの地獄突きが行われた。

 しかし今の和真は、地面でのた打ち回ることすら許されない。


「チと黙レ」

「あがががが!? 割れる!? 割れちゃうぅぅぅぅっ!?」


 左から伸びる十路の手が、顔面を掴んでいた。さほど力を入れているように見えないが、こめかみを締め上げるアイアンクローを、和真は引き剥がすことができない。

 メキョッと危険な音がしたような気がしてから十路が手放すと、ようやく和真はへたり込むことを許された。


「いつも疑問に思うんだが、和真って本気で彼女が欲しいのか?」


 刀の血振りのように、あるいは汚いものでも触った後のように手を振りつつ、半眼のまま十路は問う。

 教室での和真は、毎日のようにナージャに言い寄り、地獄突きで迎撃されている。部室でも女性陣にそれっぽい言葉をかけて、やはりナージャに地獄突きで沈められている。

 浮気性というよりは、本気になって言い寄ってるように思えない。

 問いに和真は、痛む頭を押さえながら答えた。


「……正直なところ、俺にもよくわからん」

「なんだそれ」

「こうやって皆とワイワイやってるの、楽しいからな。彼女ができたら、こんな風に騒がしく一緒に帰るとか、できないだろ?」


 こめかみを押さえた手を外すと、いつも軽薄な雰囲気がただよう和真には珍しく、真剣な顔があった。彼女を作る気もないのに言い寄るという、不誠実な言葉にも聞こえるが、真面目な気配にひとまず十路は耳を貸す。


「十路。《魔法使い》なんてワケわからん連中、そうそう親しくできないだろ?」

「普通はな」


 存在そのものは広く知られているが、普通の生活を送っている人間が、《魔法使いソーサラー》と関わり合うなど、まずありえない。

 基本的に《魔法使いソーサラー》は、秘匿ひとくされた存在としてある。国家に管理され、持つ力を国と民のために――そんな名目によって、保護と同時に半強制的に働かされる。

 人の社会の根底に関わる、技術的な協力を行う。

 生活基盤である国を守るため、軍事的な協力を行う。

 もちろんレストランやコンビニで、《魔法使いソーサラー》と一般人が隣り合うことはあるだろう。しかし相手の身元を知る状況で交わることは、普通はない。


「俺、今スゲー経験してるって思うんだ。他の連中みたいに彼女作ってイチャつくとか、誰でも頑張ればできるようなことじゃないスゲーこと」


 だから和真が言うとおり、総合生活支援部の者たちと、修交館学院の学生たちは、かなり特殊な状況にある。

 《魔法》の研究都市である神戸で、《魔法使いソーサラー》が普通の人間に混じって生活する。フィクションのような夢ある存在と思われたり、必要以上に恐れられたりと、実体があまり周知されていない《魔法使いソーサラー》が、部活動という名目で《魔法》を使用し、どのような反応があるか調べる、な社会実験を行われている。

 こんな事をやっているのは、世界でもここ神戸だけだった。


「だから彼女作るよりも、こんなくだらないこと続ける方が、大切かもしれない」


 日頃見せない真面目さで出された和真の言葉に、十路は樹里と視線を合わせる。

 彼女は小さく苦笑していた。危険で厄介な人間兵器に自ら好んで近づくという、普通に考えれば愚かな、彼女たちにはありがたい好意に、そんな表情を浮かべてしまう。十路自身も同じ表情を浮かべていると、自分で思う。

 それは決して、悪い気分ではない。

 ほんの少しだけの『普通』の享受をかみ締めている《魔法使いソーサラー》たちをさておいて、和真の話は続けられる。


「彼女ができても、今まで通りに遊べたら最高なんだけどな。な! ナージャ!」

「HAHAHA。わたしと和真くんが付き合うなんて、ありえない未来は省いてくださいね」


 ロシア人がアメリカナイズな笑いを発して、断固とした拒否を叩きつける。

 だから和真の視線は、樹里に向いた。


「《魔法使い》の彼女でも最高かも!?」

「ややややや! 高遠先輩には私なんかよりお似合いの人がきっといます!」


 よほど嫌なのか、樹里が猛烈に手を振りながら早口に断る。

 だから懲りない和真は、十路へと振り向く。


「十路! ナトセちゃんくれ!」

「半殺しにするぞ。割とマジに」

「お姫様は!?」

「半殺しにされるぞ。割とマジに」


 総合生活支援部員の年長者二人は、普段は怠惰たいだそうで憂鬱ゆううつそうで人畜無害に見えるが、気質は猛獣に近く危険だ。

 冷淡なやり取りが一巡して、それに気づいた樹里は、できるだけ距離を稼いで十路の陰に隠れたまま、和真に疑問の声を上げる。


「……あれ? 野依崎さんとイクセスは?」

「俺どんな節操なしだと思われてんの!? さすがに小学生とオートバイは守備範囲外だ!?」


 和真の否定に、十路とナージャは顔を見合わせる。


「本人は現状でも節操あるつもりらしいぞ?」

「和真くんの場合、真面目に口説こうとしていないのが、逆の意味で誠意かもしれませんね」


 頑張れ、軟派な三枚目キャラ。

 そんな応援を二人は心の中で行う。

 実害がありそうなら、彼らは容赦なく手を出すが。



 △▼△▼△▼△▼



「じゃなー」

「ばいばーい」


 マンションの前で、和真とナージャは別れる。


「お疲れさまでーす」

「お疲れー」


 去っていく二人の背中を、十路と樹里が見送っていると、スラックスのポケットから、おどろおどろしい映画音楽が鳴り響いた。

 相手を確認もせずに十路が電話に出ると、やや舌足らずの声が鼓膜を震わせる。


『兄貴ー、帰るのがちょっち遅れそー』


 一時間前にもあった、南十星の定時連絡だった。


「なにがあった?」

『いやさ、友だちとご飯食べ行こーって話になっただけ』


 そう話す南十星の声は、いつもの締りない口調だった。

 十路は彼女に不審を抱いている。しかし義妹の演技力と天秤てんびんにかけようにも、十路には判断がつけられず、迷う。

 離れて暮らしていた南十星の生活スタイルなど、わからない。女子中学生の放課後の過ごし方など、わからない。

 どこまで口を出していいのか、わからない。


「……早くに帰ってこいよ」


 だから十路は、どういう意味でも対応できる言葉をかけた。本当に友だちと遊んでるだけなら、遅くならないうちに。

 もしも何か危惧があるなら、なにもせずに帰って来いと。


『あいよー。そんなお金持ってないし、ちょっちファストフード寄る程度だって』


 南十星はそれだけ明るく言って、電話を切った。

 それに十路は、考え込むように携帯電話を眺める。


「今の電話、なっちゃんですよね?」

「あぁ……友だちと飯食って帰るから、遅くなるだと」


 十路は答えながら、視線を樹里に移動させる。

 特に学生鞄と一緒に手にした、赤い追加収納パニアケースに。


「……木次。イクセスと連絡が取れるか?」


 無遠慮な視線を向けられて小首を傾げる樹里に、しばし考えて十路は確認する。


「部室の中ですから、電波が届くか、やってみないとわからないですけど……?」


 相変わらず説明がないため、理解不能ながらも応じて、樹里はアイテムボックスから長杖を取り出す。

 無線連絡のための《魔法回路EC-Circuit》が発生したのを確認してから、十路は左腕の多機能アウトドア・ウォッチを見た。

 時刻はもうすぐ、午後八時だった。



 △▼△▼△▼△▼



 通話を終えた南十星は、スマートフォンの電源そのものを落とす。


「……これで、しばらくは時間が稼げるか」


 そしてそれをポケットではなく、アタッシェケース型のアイテムボックスに入れる。スマートフォンだけではない。財布や家の鍵も身につけず、全て収納した。

 強めの海風に、髪を左横でくくったお下げが揺れ、ジャンパースカートが軽くはためく。彼女の学生服は、転入前につばめに注文した特注品――スカートにスリットが入っているだけはない。使われている布は防弾繊維を編んだもので、標準的な拳銃弾なら通さない性能を持っている。裏側には衝撃吸収材トラウマパッドやセラミックプレートを入れるポケットまである、学生服の形をしたボディーアーマーだった。ただでさえ重い服の上からベルトを巻き、挿した二本のトンファーの重みで、強い風を受けても、スカートは大きくはひるがえらない。


 彼女がいるのは、神戸市中心部からやや西にずれた長田区。在日韓国人が多く住むコリアンタウンがあり、かつては履き倒れとも呼ばれたシューズ産業の盛んな地域だ。

 その地区にある解体中のビルの屋上に、彼女は立っていた。あの不発弾が見つかったという工事現場のものだ。

 既に自衛隊と警察によって封鎖されていたが、彼女は日頃、道なき道を走り、常識を超えるような運動をしている。建物の上を走り、誰も想定していない経路で侵入するのは、わけなかった。

 赤さびの浮いた手すりに肘を置き、サプリメントの小袋から、錠剤をラムネ菓子のように口に運びながら、待つ。


 一緒に遊びに行った女子中学生たちとは、とうの昔に解散している。まだ中学生ならば、門限が八時以前であって当然だろう。懐事情も合わせて考えて、そう外食などできはしない。

 だから南十星はひとり、映画館で時間を潰してから、この場所に来た。


 ドラッグストアに行ったのは真実だが、友人たちがちょっと大人の気分を味わうためのコスメを買っていたのを後目しりめに、南十星はブドウ糖をはじめとするサプリメントを大量に買い込んだ。

 これから常人レベルを遥かに超える活動を行う準備――特に脳のエネルギー補給のために。


(みんなにもだいぶ怪しまれてるし、兄貴にはすぐバレるだろうけど……そうでなくても、コトが始まればりじちょーが動くか)


 戦闘準備を行いながら、南十星は考える。

 事が始まれば、十路はすぐに行動するだろうと想定している。それは仕方ない。ただ、それを一分一秒でも遅らせることができれば、彼女にとって充分だった。


(これはあたしの戦いだから……兄貴には関わってほしくない)


 とはいえ、怖い。決着がつく時は、彼女が殺される時か、彼女が殺す時だろうから。

 殺されるのは当然だが、殺すのも怖い。戦場でも、殺人事件でも、人は殺意を持って誰かを殺すことは、意外と少ない。殺されまいと必死になって、あるいは感情が高ぶりすぎた結果、相手を殺すことがほとんどだから。

 一度、変わるのだろう。しかし南十星は、その領域に踏み込んだことなど当然ない。演じた映画の少女のように、殺せる技術を持っていても、を済ませていない。

 恐怖を制御するために、南十星は武術の呼吸法で息を吸う。そのついでに大気中のマナを取り込み、できるだけ体内に蓄積していく。


『よくわかったな』


 屋上への扉が開いた音などなかったが、ビブラートが効いたような高度に隠蔽いんぺいされた男の声が、彼女の背後から放たれた。


「体育館裏の呼び出し的なことが、まさかあんな大々的にやられるとは思ってなかったけどね」


 南十星は手すりに背中を預けるように、ゆっくりと振り返る。

 今朝、彼女が刃を分解した鎌槍は、既に修復されている。

 『市ヶ谷いちがや』と名乗る、ライダースーツにヘルメットで身を隠した《魔法使いソーサラー》が、そこにいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る