030_0900 堤南十星の秘密Ⅶ~足でひっくり返すかやくご飯~
阪急神戸三宮駅東口北側には、待ち合わせや路上ライブで昼夜にぎわう、神戸市民ならば誰もが知る広場がある。『さんきたアモーレ広場』という正式名称があるのだが、地元民からは長年、特徴的な凹凸から『でこぼこ広場』『パイ山』などと呼ばれている。
日中の暑さがまだ引かない夕方の広場で、待ち合わせる大勢の人々の中に、場違いにも思える人影が立つ。
顔を隠すような
彼女は大きめの
広げている本の内容とタイトルの長さは異様だが、その
彼女は携帯電話で連絡する前から、既にここで待っている。総合学習の会議はすぐに終わったので、どうしようかと迷いはしたが、いい機会だからと実行した。
断られる可能性もあった。無駄足になる可能性もあった。しかし彼が来ないはずはない。そう確信を抱ける程度には、待ち合わせ相手のことを理解している。
だからか、彼女はどこか楽しげに、相手が来るまでの時間を消費していた。
「ちょっといいかな?」
「その帽子、いいね!」
そんな少女に、二人組の若い男が近づく。ひとりは七分丈のデザインTシャツに、タイトカーゴパンツを着た、軽薄そうな雰囲気が漂う男。もうひとりはデニムベストにチノパンを身につけた、スマートだが別段特徴のない男。
二人は精一杯『それ』らしくなく、さわやかな口調で話しかけてはいるが、誰がどう見てもナンパだった。
「待ち合わせをしていますので、私のことはどうぞお構いなく……」
少女はなにか言われるより早く、穏やかな声でやんわりと応じる。
しかし男二人は構わず、にこやかに声をかけ続ける。
「キミ、さっきからずっと一人で待ってるじゃない?」
「ずっと立ってるの、辛いでしょ? どこか店入らない?」
すると帽子のつばが斜めになる。少女が小首を可愛らしく傾げた。
「一人じゃないですよ? ほら、ここに三人も友達がいるじゃないですか」
そして少女は、誰もいない場所を指差す。
思わず男たちは振り向くが、その同行者を発見できる方が異常なので、二人は困惑顔を見合わせる。目で『コイツ、ヤバイ?』と語っている。
「……あー、いや、もしかしてナンパって思われてる?」
「誤解しないで。俺たち普段ナンパなんかしないし。ただ可愛い子がいるから、ちょっと気になって……」
しかし口元を引きつらせながらも男二人、少女に声をかけ続ける。
しかし少女も負けていない。本をバッグに収めて、頬に手を当て、気持ち声を張り上げる。
「ということは、お二人はここにいる他の女性は全員、ブスだとお考えなんですか?」
直後、賑やかな広場から音が消えた。
正確には雑踏ざわめく街中でそんな事はありないが、たまたま通りかかって話を聞いた者が足を止め、待ち合わせで手持ち無沙汰だった者が振り向き、周囲にいた女性が全員、それぞれの行動を止めて視線を向けたのだ。一瞬で敵意のど真ん中に放り込まれた男二人は、時が止まった気がしただろう。
「――ちっ、なんだよ……」
「行こうぜ……」
居心地悪さを
あしらう方法は特殊だが、よくあるナンパ失敗の光景だろう。それで終わるかと思われたが。
「どうせ待ち合わせてる相手も、大したヤツじゃじゃないだろ……」
「よく見ればガキだしな……相手もガキか、そうでなければ
しかし、そんな捨て台詞が聞こえた直後、少女は動いた。
姿勢を低して
身を起こすと同時に残るデニムベストに背後から飛びかかり、肩車の形で飛び乗って、スカートに構わず膝で頭を挟み、
二人の男が
「取り消せ」
「アンタらと比べれれば――いや比べるのも失礼なくらい、あたしの相手はジョートーだ」
たった一言で突破する低すぎる沸点と、不意打ちとはいえ男二人を這わせた
育ちの良さを感じる空気が一変し、小さな体から高濃度の怒気を発し、南十星は仰向けで倒れた男を踏みつける。
「ぐ……!?」
「それで? なんのつもり?」
軽い彼女の体重でも、
「まさか本気で、あたしみたいなガキをナンパしたわけじゃないよね? 誰にちょっかいかけろって言われた?」
誰かの差し金だと、確信ある言い方だった。
デニムベストの男の視線が動いたので、南十星もそちらを見た。
広場の片隅、遠巻きに騒動を見守る人垣の向こう。黒いライダースーツを着て、フルフェイスのヘルメットを被った男が立っていた。
いつか見たのと同じ格好。しかも今日の男は、迷彩柄のケースを提げている。
体格は似ているが、ある夜出会った者と同一人物だと決定付ける証拠はない。
しかしシールド越しに視線が絡んだ時、南十星が確信した。
もちろん表情は隠れて見えるはずない。だが以前と同じように、ライダースーツの男は、獣の匂いがする笑みを浮かべたと直感したから。
(やっぱアイツの差し金か……あたしのジツリョクお手並みハイケンって感じ?)
そのまま数秒、睨み合う。
すると男から先に視線を外して、広場を出て行こうと背中を向ける。
相手の見込みを満足させたかわからない。そして南十星が付き合う必要もない。そもそも
それに、その黒い背中は『まだだ』と語っているように、彼女は感じた。
隠れ潜む優位性を捨て、狙っていることを知らせる。
南十星が感じる男の
(まだその気ないってなら、あたしもありがたいけね……)
思わずバッグに収めたアタッシェケースを確かめるが、ここで声をかける必要もないと南十星は思い直し、ライダースーツの背中を見送っていると。
「およ?」
突然子供のように腰の辺りを抱え上げられ、南十星はどこかへ連れ去られた。
△▼△▼△▼△▼
「アホかお前は……なにあんな場所で騒ぎ起こしてる」
すると南十星は小さな拳を口元に置いて、まるでか弱い乙女のように、わざとらしく身を
「怖かったのぉ……」
「勝利宣言のごとく踏みつけといて、なに言ってる……」
「にはは。関西だったらこーゆーノリじゃん?」
反省の見られないヘラヘラした南十星に、十路は真面目に怒る気も失せた。チョップを頭に落とそうなどと考えたものの、挙げた手に困り首筋にやって呆れる。
オートバイを駐車場に置き、夏に使わないジャケットを着込んだまま、十路が待ち合わせ場所に急いでみれば、人垣に囲まれて男を踏みつけている
十路はなにが起こったか知らないままに、慌てて人波を割って南十星を連れ去った。
「それで、なにがあった?」
「あまりにもナンパがしつこいから、ちょっと転がしただけ。ケーサツざたになるほどのことは、してないって」
だから南十星の弁が、
「チューガクセーに声かけるなんて、あの二人も飢えてんのかね?」
「あー、いや……」
そして南十星の姿がいつもと違うことも、意識が逸れることに拍車をかける。
「……そんな服、持ってたんだな」
十路はまじまじと南十星のワンピース姿を眺め、声音にわずかな感心を乗せる。
彼が知る南十星は、動きやすい少年のような格好を好む。スカート姿など、学生服くらいでしか見た記憶がない。
「それに髪まで……」
「
「なんでそんな気合入れてるんだ……」
普段身に着けない服を着て、それに合う髪型を作り、薄く化粧までしている。
十路の感覚からすると、平日の、もう夜になった時間にわざわざ着替える格好ではない。
「だって、デートなんだから」
特別さを強調させる南十星の言葉に、あからさまにため息を出さないが、十路は更なる精神的疲労を感じた。
重い。
南十星が向ける感情を、重く感じてしまう。
気軽に受け入れるわけにもいかない。無闇にも突っぱねるわけにもいかない。微妙な距離からの愛情を既に持て余していたが、ここに来て新たな重りが加わった感覚を味わう。
きっと南十星は顔色から、十路の心境を察している。
しかし彼女はこほんと、可愛らしい咳払いをする。十路の心境を無視をして、それで意識を向けさせると同時に、スイッチを切り替える。
「でも、あたしがこんな格好をしてるの……やっぱり変かな……?」
「……っ」
上目遣いの眼差しに、
二面性を持つコゼットにも負けない演技力は、普段の南十星を知らない人間が見れば、確実に
普段の天真爛漫さを知っている十路でさえも、
そんな事はない。よく似合っている。
唐突に出された気弱な少女の疑問に、男の
「…………お前は、卑怯だ」
似合っていると、素直に
十路は
いつもの怠惰な野良犬のペースは、乱されっぱなしだった。
「にはは。当たり前じゃん」
腕を絡め、指を絡め、掌を合わせる、俗に言う『恋人つなぎ』にする。
やわらかく滑らかで小さいが、どこか固い少女の手に、虎の牙のような拘束力が作られた。
「ヒキョーじょーと。恋は戦いだよ? スポーツマンシップなんてあるワケないじゃん」
「……そういうものか」
「そーゆーモンですよ」
相手の精神を不安定にさせて、自らの存在価値を高める事が勝利。
『相手の好み』という弱点を徹底的に調べ上げて、そこを突くことが正当。
無関心。自分を出さない。情報不足が武器となるはずの十路のアドバンテージは、南十星相手には無効。
逆に相手の情報は途切れ途切れ。実は家事は完璧、俳優という仕事もやっていた。そんな『新たな一面』を必殺技に、一方的に攻めたててくる。
「……ふぅ」
陥落寸前。
そんな自分の
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