030_1000 堤南十星の秘密Ⅷ~キャラメルポップコーン~


 十路と南十星が連れ立ってやって来たのは、市内のシネマ・コンプレックス。そこで最近封切りしたばかりの洋画が上映されていた。

 話題を作りやすいCGを多用したアクション大作ではないが、テレビでもCMが流れていたらしい。しかしそんな映画に、南十星が出演しているなど、十路は情報の片鱗すら知らなかった。


「リメイク作品だから、そんな新作ほどは大々的にCM流してないからじゃないの?」


 南十星はそのように説明する。


「今は付け毛エクステ付けてるんだし、スクリーンの子役と同じ顔がここにいても、バレやしないって。それにあたし程度の知名度じゃ、バレても大したことないって」


 そして出演した役者が観客に混じっていることを十路が心配すると、小声で笑い飛ばす。


「やっぱ映画館ってったらポップコーンだよね。塩じゃなくてキャラメルで。だけど日本だとちっさいんだよねー。こっちのLサイズがオーストラリアのMだし」


 屈託ない笑顔を見せる妹に、『飯前にバカ食いはヤメロ』と兄として軽い説教をし。

 しかし兄妹らしくなく、肘置きで重ねられた手に、十路は居心地の悪さを感じながら。

 上映される映画を観る。

 こうして十路が南十星と共に映画を観ることは、今までにもあった。まだ自衛隊員として育成校で生活していた折、はるばる日本に会いに来た南十星に、『デート』と称して街に連れ出され、振り回してくれ、映画館に入ることが恒例なっていた。

 しかし今日は全く違う。本当の意味で『デート』で、南十星が出演する映画を見るのだ。一応はネイティブ・スピーカーの南十星は字幕映画を希望し、そこまで英語に自信のない十路は吹き替えを希望し、どちらにするかで揉められるような気軽さは、まるでない。



 △▼△▼△▼△▼



 顔が映らない少女が、どこかに植えられた観葉植物に、愛おしげに触れながら語りかけるシーンが、スクリーンに映し出される。

 都市と呼ぶには充実していない、田舎と呼ぶには建物が立ち並んで過ぎている、そんな街での静かな開幕で、物語は回想として始まった。


 南十星が演じる少女はある日、アパートの隣に住む男と出会う。

 そんな住人がいることは知っていたが、いつも一人でいる寡黙な雰囲気の男と、話したことはない。見かける曜日も時間もまちまちで、きちんとした勤めを行っている雰囲気はない。しかも見かける時はいつも家の前で、友達のように観葉植物に語りかけながら水をやっている。

 男が何者かは、誰も知らない。知られてはいけない。

 彼は一流の殺し屋だった。

 だから彼は積極的に、誰かに話しかけることをするはずはない。

 しかし今回、彼が少女に話しかけたのは、彼女の顔に怪我があったからだった。

 彼女の実の両親は、既にいない。住んでいるのは伯父夫婦と従姉(いとこ)の家で、幼い弟以外の家族に愛されず、伯父からは暴力を振るわれ、息苦しい生活を送っていた。

 男に傷の手当てされながら、少女はそんな身の上話をする。


「あたしも伯父さん夫婦に世話になってたけど、よくしてもらってたし、姉貴も弟もいないし、ちゅーとハンパに設定かぶってて、演じにくいったらなかったよ」


 またも苦笑する南十星演じる少女と、主演である男の出会いは、小さなもの。それで特になにが起こるわけでもない。

 事態が動くのはある日、客が来た時だった。

 少女の伯父は犯罪――麻薬密売に手を染めていた。客は麻薬が足りない、お前がくすねたのだろうと、伯父に詰問する。

 しかし伯父は白を切り通す。疑うだけの材料がないのか、様子を見ることにしたのか、客は『明日の正午までに消えた分を見つけ出せ』と言い残し、帰っていく。

 その翌日、少女が買い物を言いつけられ出かけた時、事件は起こった。

 正午になり、麻薬密売組織のボスが部下を引き連れて、少女たちのアパートを訪れ――手にしたショットガンを発砲し、伯父・叔母・従姉、そして少女の最愛の弟までも、無残に殺していった。

 家族が皆殺しにされ、まだ犯人たちが立ち去っていない頃合、少女は買い物から戻り、そして当然、虐殺に気づく。

 しかし少女は自宅前を通り過ぎ、助けを求めるために、隣の部屋のドアベルを鳴らした。

 ひとまず少女を部屋に上げることになったが、男は迷う。銃を見られ、少女に自分が殺し屋であることを悟られたため、黙って帰すわけにはいかないが、口封じに殺すのは論外だ。

 一流の殺し屋である彼は、女子供を殺さないのが、ポリシーだった。

 逡巡する男に、少女は幼い弟の復讐を望む。

 男に殺しを依頼する金はない。だから、自分を殺し屋に育てて欲しいと。

 紆余曲折あった。しかし結局男は少女を保護し、殺し屋として教育することにした。

 幸いと言うべきか、不幸にしてと言うべきか、少女には殺し屋としての素質があった。一流と呼べる男をもってしても、未来を予想すると舌を巻くほどのものだった。

 アパート出て、さして広くもない部屋で寝食を共にし、廃工場を射撃場に銃器を扱い、平原や森に生きる動物を狩って血肉の感触を覚え、格闘やナイフを使った接近戦を体で覚えこませる。

 毎日ボロボロになる生活だった。

 しかし少女は弟以外は家族と呼べない家庭で生活し、男は話し相手が観葉植物しかいない寂しい生活を送っていた。

 そんな二人が奇妙な同居生活を続けていくうちに、やがて互いに心の安らぎを見出すようになり、肉親に向けるもののような、異性に対するもののような、複雑な感情と信頼を抱いていく。



 △▼△▼△▼△▼



「……兄貴、どう思う?」


 スクリーンから目を離さないまま、南十星は隣は問う。


「なとせがスクリーンの中で動いてるの見てるって、すごく奇妙……」


 十路も隣に振り返らないまま、平坦な小声で感想を述べる。

 普段通り、愛想なく答えたわけではない。自分の知らなかった義妹の一面を、こうして大きく改めて見せ付けられているため、他に言葉が見当たらない。

 映画好きの南十星ほどではないが、彼女に付き合って相応の本数を見ているので、十路も素人なりの論評ができる程度には映画を知っている。

 だから南十星の演技について、素直に関心できる。

 銃をホルスターから抜くところから撃つ所作。十路は自衛隊特殊隊員として、実銃を扱ったことがあるから、それが一朝一夕ではなく、かなりの時間をかけて作った動きだとわかる。

 格闘およびナイフ戦闘術。我流と化しているが、南十星も格闘技を修めている。実用的な技を修める十路からすれば、実戦ではまず使われない動きではあるが、アクションとして見せるためには充分な動きをしている。

 そしてなによりも、どうしても未熟な子役にはある演技臭さが、スクリーンの少女からは感じない。愛する弟を殺された時のよどんだ暗い表情、復讐を誓った時の決死の表情、きっと大人でも難しいであろう感情表現に無理を感じない。

 南十星の俳優としての才能を垣間見て、十路は関心する。


 ただ、改めて考えてみれば、南十星の演技力の高さは、納得できなくもない。

 十路から見た南十星は、捉えどころがない。ハイテンションで奇怪な言動をしたかと思いきや、急に真面目で冷徹な部分を発揮するため、接し方に困るのだ。

 南十星の地は、冷徹な性格だろう。普段見せている明るい性格は、演技だ。

 十路の知る幼い南十星は、お世辞にも活発とはいえない、内気な少女だった。それが五年前――オーストラリアで暮らし始めたのを期に、今のような無節操に明るい性格を見せるようになった。

 五年前のあの日あの時、国までも別れて生活することになった日、十路と南十星は本当の意味で兄妹きょうだいになった。

 十路を心配させないため、南十星は明るく無邪気な妹を演じている。


「ま、それについてはあたしもドーカン……実際に自分が出てる映画観るのって、なんかねぇ……」


 そう苦笑する南十星は、どうやら『どう思う?』という質問は、自分の演技や映画の感想を求めたものではなかったらしい。

 しかし十路は、聞き返すことはない。

 なにが訊きたいか、なにを映画の登場人物たちに重ねているか、わかったから。だから彼は黙って、スクリーンの義妹べつじんを眺める。



 △▼△▼△▼△▼



 少女はある日、ひとり出かけた。

 暴力を振るう叔父もいない。無関心な叔母と従姉もいない。そして当然愛する弟もいない。破壊と殺戮の後が残る家で、弟の復讐を改めて心に誓うため、彼女は家を訪れようとした。

 偶然にも家の近くで、麻薬取締局の刑事を名乗る男が捜査を行っていた。

 その刑事はあの日に覗き見た、少女の家族を皆殺しにした麻薬密売組織のボスだった。

 汚職刑事が、麻薬の密売を行っていたのだった。

 一度隠れ家に戻った少女は、復讐の果たすために銃を持ち出し、男に置き手紙を残して飛び出す。

 少女は刑事を殺すために付け狙う。しかし、いざ目の前に仇が現れた時に、銃の引き金を引くことができず、逆に取り押さえられてしまう。


「……あたしは、違う」


 十路が声に隣を振り返ると、南十星は視線をスクリーンに向けたままだった。その横顔からでは、心中をうかがい知ることはできない。

 ただ、彼女が実際に演じた役に、並みならぬ感情移入をしていることは予想できる。


「あんな思いはもうしたくない……だからあたしは、いざって時には、ためらうつもりはない……」


 『あんな思い』が具体的になんなのか、十路にはわからない。ただ南十星の呟きに危険なものを感じ、どう反応していいものか迷っていると。


「ねぇ」


 不意に彼女が振り向いた。上映中の暗い映画館でも、その顔に感情が浮かんで


「兄貴はやっぱり、あたしを戦わせたくない……? どうしようもないってわかってても」


 南十星が言うように、普通のような学生生活を送るためには、《魔法使いソーサラー》としての力を振るわなければならない時がある。

 そんな総合生活支援部員たちのジレンマを追求され、十路は思う。

 映画のようなフィクションとは違い、彼は

 だから戦いの本質を、人の命を奪う行為を、身に染みて理解している。

 もちろん《魔法使いソーサラー》であることを辞められはしないし、特殊な生活環境で自衛のために必要という理由も理解できる。 

 しかし、それでも彼は嫌なのだ。理屈ではなく、感情で。

 誰かと、なにかと戦わなければならない時、その役割は代わればいい。いや、代わらないとならない。

 迷いながらも少女を殺し屋として育てる、映画の中の殺し屋とは、彼は少しだけ違った。


「……それは、俺の役割だ」


 結論だけを小声に出して、十路は映画に集中する。



 △▼△▼△▼△▼



 スクリーンでは殺し屋の男もまた、事件の調査のために動いていた。

 それは裏社会の人間にとって、最大のタブーだろう。男が殺し屋として動く依頼を統括していた、その元締めの元を訪れて、少女の家族を皆殺しにした黒幕を突き止めていた。

 そうして男は隠れ家に戻り、置き手紙で少女の不在と目的を知り、彼女を救出するために、男も銃を手に隠れ家を飛び出す。

 黒幕の、麻薬取締局の刑事たちがいるビルへ、強行突入した。

 男は少女を救出し、逃走に成功するが、その際に汚職仲間を殺された刑事は怒り狂う。

 裏の顔を利用して、男と少女の隠れ家を突き止め、表向きの刑事としての顔を利用し、何百という警官隊を率いて建物を完全包囲する。

 絶対絶命の状況に、少女は一緒に残ると泣くが、男はそれを許さない。最期に少女は殺し屋に愛を告白し、殺し屋もそれに応じるが、唇を重ねて、少女ひとりを外に逃がした。

 始まる盛大な銃撃戦。傷つきながらも男は戦い、辛くも外に逃れるが、最後には黒幕の刑事に背後から撃たれ、倒れる。

 しかし、それでは終わらなかった。瀕死の男は爆弾を手に、刑事と共に自爆した。

 こうして少女の復讐は、彼女自身は誰ひとり手にかけぬままに終わった。

 そして彼女は、完全にひとりとなった。

 殺し屋として生きることもできずに、彼女は厚生施設に入り、男がただひとつ残した、あの鉢植えの観葉植物を庭に植えて――終わった。



 △▼△▼△▼△▼



 スタッフロールがまだ流れているが、帰り支度をする観客でざわつく中、南十星はニヤニヤした笑顔で訊く。


「で、どうよ? あたしのキスシーンは?」

「……身内のキスシーンなんて見るものじゃない、とだけ言っておく」

「それだけ~? もっとなんかないの~? 嫉妬とかさ~?」


 からかう南十星に、十路は憮然と返し、それ以上は無視した。


「ま、そんなわけだから、兄貴としたのがファーストキスじゃなくて、ゴメンね?」

「…………」


 自分がされた行為について、持ち出される予感がしたから。

 ただでさえ、よく見知った誰かのキスシーンなど見れば、気まずくなるであろうに、それが大画面で大勢の目にさらされ、しかも自分に告白してきた少女が、他人と唇を重ねていたのだ。

 嫉妬はしなかったが、十路はなんとも言いがたい複雑な感情を抱いた。

 十路はため息を吐き出し、そして、気になったことを訊いた。


「それより……もう、俳優はやらない気なのか?」


 話を聞いた限り、南十星の俳優人生にとっては、この作品が役付きのデビュー作になり。 

 そして最後の作品になる。


「やらない。映画は好きだよ。女優やってるのも楽しかった」


 対する南十星の答えは、明確だった。


「だけどそれより大事なことがあるから、あたしは俳優を辞めて、日本に帰ってきた」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る