030_0820 堤南十星の秘密Ⅵ~オレンジスパイスティー~


 繁華街の大通りから一本奥に入った場所にある、二〇席ほどのレストラン・バー『アレゴリー』――樹里の実家は、開店直後のために客はまだいない。


「……ねぇ、お姉ちゃん」


 だから店を手伝うために、白いシャツに黒のフォーマルベストとタイトスカートという、バーテンダースタイルに着替えた樹里は、カウンターの中で料理の下ごしらえをしながら、口を開いた。


「んー?」


 樹里と同じ格好をし、長い黒髪をシュシュでポニーテールにした女性が、カウンターの下にもぐりこんで、ビールサーバーの二〇リットル容器を交換しながら返す。


「やっぱり《魔法使い》は、恋しちゃいけないと思う?」

「あいたっ!?」


 樹里が訊いた直後、ゴンッという鈍い音が発生する。唐突な言葉に、女性がカウンターで頭をぶつけたらしい。

 彼女は頭を抑えながら、カウンターの下から這い出る。

 その女性を『姉』と呼ぶとおり、顔立ちはかなり似ている。平均身長の樹里よりも、拳ひとつ分ほど背が高く、スタイルもワンサイズほど上回る。大人びた格好をしても学生っぽさがただよう樹里と違い、バーデンドレスらしい落ち着いた貫禄もうかがえる。

 二人が並んで立てば、やはり姉妹と思える共通した雰囲気が存在する。女性の外見年齢は樹里とさほど大差なく思えるため、あどけなさの残る樹里があと数年もすれば、こんな女性になるのだろうという未来予想図に思える。

 とても樹里とはひと回り歳が違う、左手の薬指に指輪が光る二七歳には見えない。

 今は結婚して名前が若干変わっているが、かつて木次きすき悠亜ゆうあと名乗っていた女性は、不思議そうに樹里に訊く。


「《魔法使いソーサラー》の恋愛話なんて、急にどうしたの?」

「や、ちょっとね……」


 当然その質問を発したのは、十路と南十星のことがあるからだが、話を広めるように姉に話すのはどうかと考え、樹里は言葉をにごす。

 それを悠亜は、別の意味に取ったらしい。決して大きくはないが、樹里よりはボリュームある胸を支えるように腕を組んで、訳知り顔に小さくうなずく。


「うんうん、そっかー。とうとう樹里ちゃんも、男の子が気になるお年頃になったのね」

「や! そういうのじゃないから!」

「ややややや。いいのよ、お姉ちゃんはわかってるから。そういう気持ちって隠したいから、つい否定しちゃうのよね」

「ややややや! お姉ちゃんなにもわかってないから! 早合点してるだけだから!」

「や~? でもほら、堤って男の子の話が、時々樹里ちゃんの口から出てくるけど?」

「や~……堤先輩が気にならないってったらウソになるけど、なんでみんなそういう風に思うかなぁ……?」


 同じ口癖を姉妹で交わし、樹里は複雑な気持ちを表すように目をそらす。

 樹里が気にしているのは、彼女の異能を十路が知っていることであって、悠亜が言うような感情とは関係がない。

 顔色を見て、そんな妹の気持ちを理解したのか、悠亜はからかうのを止めて真面目に答える。


「《魔法使いソーサラー》の恋愛ね……上手くいかないってのが相場だけど、そもそも『上手くいく恋愛』なんてものは、ないわよ?」

「ふぇ?」

「恋に恋する中高生の年頃じゃ、理解するのが難しいと思うけどね。でも、片思いとか、実らない初恋とか、上手くいかない恋愛なんて、誰にでも起こることでしょ?」

「えーと……? つまり?」

「《魔法》が使えなくても、危険な仕事に就いてる人と付き合うには覚悟が必要。国家に管理されてなくても、ドラマみたいに家の格とか気にする人はごまんといる」


 悠亜は言葉を切って、要領を得ていない樹里に左手を見せる。薬指を飾る、恋愛の結果とも呼べるマリッジリングを。


「《魔法使いソーサラー》だけが特別じゃないの。恋愛してれば、誰にでもトラブルは起こるの。結局は当人たちが、それをどう解決して、関係を続けるかどうかよ」


 姉の言葉というよりは、年上の女性としての言葉を聞いて、樹里は既に止まっていたキッチンナイフを手離し、天井に向けて嘆息つく。


「どっちにしろ、お節介しちゃったかなぁ……?」

「なにしたの?」

「やー……」


 樹里が危惧しているのは、十路の好みに南十星が当てはまってると指摘したこと。

 それを説明しようと思ったら、ある程度は話さないとならない。問題の二人が義兄妹ということは端折り、十路は告白されて悩んでいること、先ほどまで気分転換に付き合っていたことなどを、悠亜に簡単に説明して後悔の色濃い息を吐く。


「堤先輩、ただでさえ精神的に参ってるのに、余計なこと言っちゃったかな……?」

「や~? 他人の視点でないと気づかないこともあるから、その指摘は大事だと思うわよ」

「や、だけどね? 恋愛経験ゼロの私が、恋愛相談に乗ろうなんておこがましいって、今さら思うんだよ……」


 悠亜は、樹里が使っていたキッチンナイフと、置いていたオレンジを手にする。

 そして宙に放り、ナイフをひらめかせる。

 落下してきた果実を、いつの間にか用意した皿でキャッチすると、オレンジは綺麗に皮ごと八等分され、花のように広がった。


「それにしても樹里ちゃん。やっぱり堤って男の子のこと、相当気にしてるのね」

「や、だからね、お姉ちゃん? 私と堤先輩は、そういうのじゃないから」


 マンガのような非常識な妙技が繰り出されたが、樹里は驚きもしない。悠亜の言葉に呆れを返しながら、平然と差し出された皿から一切れ手に取る。

 


「でも、どうでもいい相手に気を遣う? 気分転換に誘って、二人乗りタンデムして一緒に走る? しかもずーっと悩んで後悔してる? それでなにもない? ややややや。それはない。ありえない」


 自己完結して、どうあっても恋愛感情を肯定したいらしい姉に、樹里は改めてため息をついて否定する。


「私の場合は《魔法使いソーサラー》ってだけじゃないんだよ……? 《魔法使いの杖アビスツール》なしで《魔法》を使える化物わたしが、普通の女の子みたいに恋なんてできるはずないよ……」


 家族である悠亜は当然、樹里の異能を知っている。

 だから彼女は、それに言及して否定する妹に、保護者としての優しい表情を浮かべる。我が子のわがままに困っているような、しかしたしなめることなく見守るように、目で語っている。

 ひと回りも歳が違えば、姉とはいえ半ば親のような意識が芽生える。そして悠亜は樹里に対し、時折そういう目を向ける。

 悠亜は頭ごなしに叱ることをしない、理解ある保護者だった。しかし同時に向けるその優しげな視線は、言外に樹里が間違っていると指摘し、自分で理解させようとうながしている。


(わかってるよ……《魔法使い》である以前に女の子だって、お姉ちゃんはいつも言ってるし……)


 言葉にしない言葉が理解できないほど、樹里は子供ではない。しかし正論を素直に納得できるほど、樹里は大人でもない。

 学校で披露する素直な少女とは違う、家族に対してはどこか反抗してしまう、微妙な年頃の高校生だった。


(だけど、仮にそうだとしても、堤先輩は、普通の女の子みたいに恋ができる相手じゃないってば……)


 女性陣たちと夜を過ごし、十路と一番親しいと言われて感じたのは、ただの困惑。

 海に落ちそうになって、抱き止められた時に感じたのは、ただの気恥ずかしさ。

 彼女は十路に対して、特別な感情など持ち合わせていない。

 十路に対して樹里が持っている感情は、部員としての信頼と、秘密を知られた故のわずかばかりの不信感。

 そして幾分かの

 彼に原因があるのではなく、発展した関係など考えられない関係にしてしまったのは、全て樹里自身が原因だと考えている。


(堤先輩が大ケガした時、私がからなぁ……)


 結論のない取り留めない雑談になったが、ともあれ、この話については終わったと思い、小さく息をついて。

 樹里はふと気づく。

 こういう話題が彼女の口から出れば、絶対と言っていいほど、なにか言う男の声がないことに。


「……そういえば、義兄にいさんは?」


 出入り口を隠すカーテンの隙間から、厨房を確認しながら樹里は訊く。

 開店時間なのだから、そこにいなければならないはずの人物――オーナーシェフがいない。


「あと、いつの間にか、私のアイテムボックスがなくなってるけど……?」


 目の届く店の片隅に置いていた、赤い追加収納パニアケースも姿を消している。

 盗まれれば厄介なことになる、貴重で高価で危険な電子機器がなくなっていても、樹里に慌てた様子はない。

 彼女の装備もまた総合生活支援部の備品であるため、《付与術士エンチャンター》であるコゼットが管理しているが、製作者は違う。

 樹里の義兄が作ったものだ。だから実家でアイテムボックスが消えていても、彼が持ち出したと予想できるため、心配する必要がない。

 ただ、それを樹里が疑問としていることに、悠亜が不思議そうに訊く。


「なに言ってるのよ? 今あの人が急いで改造してるに決まってるでしょ」

「ふぇ? 改造って?」


 こちらもまた不思議な顔をする樹里に、話がかみ合ってことに気づいたように悠亜は眉根を寄せ、混乱の元凶について問う。


「あの人、樹里ちゃんになんて連絡したの?」

「や、よくわかんないメールだったけど……とりあえず『帰ってこい』って内容なのはわかったから、いつも通りお店のお手伝いして、晩ご飯一緒に食べるつもりなのかと……」

「違うわよ。樹里ちゃんの装備の拡張部品が、またひとつ完成したから、それで帰って来てもらったんだけど……」

義兄にいさんのメール、すごいハイテンションな文章だった……」

「樹里ちゃんが帰ってくるのが嬉しくて、肝心なこと書き忘れたのね……」


 悠亜は自分の夫、樹里は義兄の性格を思い出し、二人そろってため息をつく。

 その男は、妻の妹を、実の娘のように溺愛している。姉妹が辟易へきえきするほどに。

 とまれ、連絡の行き違いは大した問題ではなく、アイテムボックスが消えた理由も納得できる。

 だから樹里は、オレンジをもう一切れつまみ食いしながら、別の質問をする。


今度こんろの部品、改造かいろーがいるの?」


 樹里が使っている《魔法使いの杖アビスツール》――《NEWS》は、中枢機能を持つ長杖のコネクタに拡張部品を接続することで、特化した機能を発揮する設計思想の元に作られている。

 つまり機能面だけで考えれば、パソコンに外部出力端子が標準装備されているのと大差ない。接続すればいいだけなので、改装する必要はないはずなのだ。

 問われたその理由を、悠亜はなんでもないように明かす。実はかなりとんでもない内容なのだが。


「改造するのは本体じゃなくて、アイテムボックスの方。RWSとALSを追加してるのよ」

「ぷふっ――!?」


 普通の生活を送っている者は、その略語を聞いても理解できないだろう。しかし樹里はそれを理解したために、果肉と果汁を噴射しかけたが、乙女の根性で耐えた。

 それは《魔法》に代表される超科学の産物ではない。通常の科学力で充分に作成可能で、既に広く使われている。

 しかし、兵器に分類されるものだ。


「けほ……!? なに作ったの!?」


 少し涙目になって慌てる樹里に、悠亜はヒラヒラと手を振りながら笑顔で答えた。


「や~、ちょっとヤバイのを……だから使う時は気をつけてね?」

「ややややや! そんな危険そうなもの、最初から作らないでよ!?」


 レストラン・バー『アレゴリー』

 大通りから一本奥に入った場所にある、数多くの酒を取り揃え、静かな雰囲気と味が楽しめる店。

 そこで主に働いているのは、たおやかで既婚者と思えない女性バーテンダーと、店にはあまり姿を見せないオーナーシェフ。

 その若夫婦は、《魔法》にたずさわった元・軍事経験者である。

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