030_0810 堤南十星の秘密Ⅴ~渋みの強いミルクティー~


 下着が見えていると指摘されて、樹里は慌てて海風ではためくスカートを抑えた。


「とぉ!? とぉ、とぉ、とぉ……!?」


 しかし彼女が立っているのはワイヤーの上。そこで急に動いたために、樹里がバランスを崩し、海へ落ちかける。

 十路は素早く、だが落ち着いた挙動で手を伸ばし、樹里の腕を掴んで引っぱる。


「ひゃん!?」

「お」


 そして軽い衝撃と共に、細身の体を受け止めた。十路は樹里の体重の軽さに改めて驚き、樹里は十路の膂力りょりょくの強さに驚いたのだろう。


「あ、ありがとうございます……」


 樹里が十路の腕の中で、身を固くしながらも声を出す。


「…………」


 十路はそのままの体勢で、腕の中の樹里を確かめる。

 ここは海のため、潮にまぎれてわかりにくいが、樹里の体から薄いミルクの匂いを感じた。

 女性平均並みの身長はあるので、十路の肩は超えているが、それでも男からすれば小柄に感じてしまう体格だった。《魔法》による身体能力強化を使っているとはいえ、長さ二メートル、しかも外装は金属製のため男でも重い長杖を、日頃軽々と振り回している体ではない。

 細身だから骨ばっているわけでもなく、筋肉質に固いわけでもない。確かに肉感的ではないが、それでも男の体にはない柔らかさがある。

 見下ろす顔は、彼女が日頃コゼットやナージャと比べて劣等感を抱くように、確かに『綺麗』と言われる顔立ちではない。どちらかと言えば『可愛い』と呼ばれる。主演ドラマで話題をさらう女優にはなれないが、アイドルグループの一員として舞台に立つには充分。そういう顔だ。

 卵型の輪郭は子供と見るには無理があるが、大人として扱うには黒目がちの瞳に幼さが目立つ。薄めの唇から大きめの犬歯が覗いていても、妖艶な魔物の危うさには思えず、子犬のような愛らしさに感じる。

 樹里の体に触れること自体も珍しくはない。十路がオートバイで二人乗りする時は、樹里が乗る事が一番多いから、意識はせずとも体が触れる。なんとなく樹里の頭をなでてしまう事も、彼は自覚している。そして《魔法》の治療を受ければ、おのずと体を触れられる。

 樹里を意識することもない。『同性のように付き合える仲』と言うと語弊があるが、性別の違いを強く意識する間柄でもない。

 だからなんとなく、樹里の体を軽く抱きしめて。

 ここ数日、どこにいても得ることができない、安堵が感じた。


「えぇと……? 先輩……?」


 動かない十路の腕の中で、樹里が困惑した声をかける。上目遣いの彼女の頬に朱が差しているのは、夕暮れの日差しだけではないだろう。


「……あぁ、悪い。気をつけろよ」


 言われ、十路は思い出したように樹里を離した。

 この程度で気まずくなるような精神構造を、彼は持っていない。手放すことに未練に感じるほどの好意もまた、彼女に対して持っていない。

 樹里は所在なさげに空き缶をいじる。十路はなんとなくいつもの癖で首筋に手をやる。

 気まずいわけではないが、なんとも表現しがたい空気が、海風と一緒に二人の間に流れた時、十路のスラックスのポケットで、携帯電話が映画音楽を鳴らす。

 

「…………」

「先輩?」


 電話の着信にも固まって動かない十路に、樹里が不思議そうにミディアムボブを揺らすと、彼はノロノロと電話に出る。未来の世界の殺人ロボットが出現しそうなその曲は、当人が設定した専用着信音だった。誰が電話をかけてきたかなど、液晶を見るまでもない。


『兄貴ー、まだ部活でガッコーにいる?』

「いや……もう終わったから、外に出てる」


 スピーカーから聞こえてくるのは、いつもの南十星の声。十路の複雑な心境など、知ったことでないと笑い飛ばすような気楽さに、彼は精神的疲労を感じる。

 しかし一言返しただけ、考え込むような間をおいて、南十星の声が別の感情を帯びる。


『……もしかして、デートの邪魔しちゃった?』

「なんでそういう話になる?」

『兄貴の声、今朝の死にかけとは違うし。じゅりちゃん辺りが世話焼き発揮して、兄貴に気分転換させたのかなーと』

「………なぜ、木次だと?」

『ぶちょーもナージャ姉もこういう時はまず静観するタイプだろうし、フォーちんがジシュテキに行動するとは思えない。和っちセンパイと男の話し合いしてるってのも考えたけど、七三くらいでじゅりちゃんの出番って感じがする』

「…………………………………………」


 南十星は鋭いところがある。こと十路に関係することは、どこかで見ているのではないかと思える的中をすることがままある。十路はそれを当てずっぽうの勘だと思っていたが、それなりに推論に基づいたものだった。

 今の心境では、呆れを通り越して恐怖が生まれる。

 このまま電話を切ってしまいたい欲求にかられるが、《魔法使いソーサラー》として、非公式特殊隊員として鍛えられた鋼の意思で、十路は懸命に抑える。傍から見れば『妹の電話に気張る必要あるのか?』と思われるだろうが、十路にとっては怖いのだ。

 ここ数日で身内が底知れない人物になってしまっているのだ。相手は敵というわけでもない。そして逃げるわけにもいかない。しかも相手は自分のことを見透かしている。

 そんな相手から連絡があれば、『今度はなにが起こる?』と警戒し、十路は泣きたい気分なのだ。


「それで、電話してきた用事はなんだ……?」


 ただでさえ南十星と接していると、精神が磨耗するのを自覚しているので、早く終わらせようと、十路は弱々しい声を出した。


『今日の晩ご飯だけどさ、外で食べないかなーと思ったけど、じゅりちゃんがいるなら別の日の方がいいかな?』

「またどうして……?」

『映画のチケットもらったのさ。使わないともったいないし、兄貴と一緒にどーかなーと。ご飯はそのついで。で、ど?』


 南十星の言葉に、十路が目をやると、その視線に気づいた樹里は小さく手を振る。《魔法使いアビスツール》なしで《魔法》を使える異能と関係しているのか、樹里の五感はかなり鋭い。その聴覚を使って南十星との電話を聞いていたのだろう。


「あ、や、さっきメールが入って実家に帰らなきゃいけなくなったので、私のことは気にしないでください」

「用事? また急だな?」

「お店のヘルプで呼び出される時は、そんなものですよ」


 彼女の実家であるレストラン・バーは、中心地の外れに建ち、ここからなら一〇分も歩けば行ける。

 仮に樹里の配慮であっても、彼女がそう言うなら、送って帰らずとも大丈夫だろうと判断する。樹里を連れてオートバイを置くために学校に帰り、また市内中心部の映画館に戻ってくるよりは、今いる沿岸からじかに足を向けた方が早い。


「なとせが俳優やってたって話と、関係あるのか……?」

『まぁね』


 隠していた指摘されても、全く悪びれていない。


『じゅりちゃん辺りから話は聞いてると思うけど、そろそろちゃんと、あたしから話してスジ通さないいけないと思うし』

「……わかった。どうすればいい?」


 少し迷いはしたものの、十路は承諾した。

 ここでキッパリ断る方がいいのだろう。告白に対してなにも返事をせずに付き合うと、なぁなぁになって、なにも決心ができなくて、よくない傾向だと理解しつつも。


『外で待ち合わせしよ。場所はメールで送るから』

「あぁ……」


 電話を切って、十路は深いため息をつく。

 これから南十星と二人で行動とすることを考えると、気が重くなる。

 待ち合わせをして、映画を見て、食事をして。

 そんなことは以前にも行っていた。寮生活を行っている十路の下に、はるばるオーストラリアからやって来た時は、街に繰り出し付き合わされた。

 しかし南十星が告白した今、完全にデートではないか。


「どうしたもんだか……」


 重い気分を抱えながら、十路はヘルメットをかぶる。

 そんな彼に、イクセスが不思議そうに声をかけた。


【……ジュリと一緒だったのに、ナトセは嫉妬はしないのでしょうか?】

「そういう心理は俺よりも、お前の方が詳しいんじゃないのか……? 曲りなりにも女性設定だろ?」

【わかるはずないでしょう? 私は『人のようなもの』であって、人間ではありません。実質は機械で、兵器の運用をつかさどるソフトウェアの一部です】

「それを言ったら、《魔法使いおれたち》だって似たようなものだろ……」

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