030_0800 堤南十星の秘密Ⅳ~ほろ苦く懐かしいココア~


 その頃の十路とおじは、海沿いの場所にいた。

 神戸港の一角、神戸ハーバーランド。工場や倉庫など港湾施設が並んでいた地区を、小さなテーマパークや複合商業施設に再開発された地区だ。

 ただし十路はそんな賑やかな場所に用事はなく、その南の外れにオートバイを駐車し、一〇〇メートルほどの海を挟んだ岸壁に停泊している船を眺めていた。

 それは一般的な船舶とは全く異なり、葉巻型で、全身は黒い吸音タイルに覆われている。決定的に違うのは、停泊中でも半分水没していて、完全に水没して航行することも可能な、隠密性を最大重視した艦艇であること。


(16SS――そうりゅう型か……)


 海上自衛隊が保有する最新型潜水艦だった。陸上自衛隊員だった十路では、タイプの分類が限界で、ひと目で艦名が判別できるほど詳しくはない。

 潜水艦など普通に生活していれば、滅多に見れるものではないが、神戸ではそう珍しくない。国産潜水艦は、神戸にある重工業企業のドックで作られているため、海沿いに行けば結構な頻度で見ることができる。

 目の前に停泊しているのは、まだ重要部分がシートに覆われた艦なので、もしかすれば新造艦だろうかと、十路は見当をつけて。

 通話を終えても手にしたままだった携帯電話を、スラックスのポケットに納めた。


「先輩、どうでした?」


 どこで買ってきたのか、電話をしていた間に席を外していた樹里が戻り、缶を渡す。十路がいつも部室で飲むのは、ストレートティーかブラックコーヒーなのだが、今は甘いものの方がいいだろうという判断からか、ココアだった。


「なとせが映画に出たってのは、本当らしい……」


 十路が電話をかけた相手は、オーストラリア在住の南十星なとせの伯父――従妹いとこの伯父に当たるため、十路の伯父ではない――だった。

 三時間の時差があるため、寝る直前だった伯父に夜更かしをさせることを申し訳なく思いながら、十路が詳しい話を聞くと、南十星は以前から俳優として活動をしていた事実を確認できた。

 始めたきっかけは、撮影コーディネーターである伯父の伝手つてを使って、スタントマンの養成所スクールに所属した時。

 オーストラリアでのスタントマンは、一種の免許性になっているため、未成年の南十星では本格的な活動はできない。しかし危険度の低い仕事はこなすことはできたらしく、アクロバティックな代役ができる子役スタントとして、オーストラリアの映像関係者の間では、それなりに知られた存在だったらしい。

 そして今回の映画では、本来ならばアクションシーンの代役だけの予定だったが、監督の気まぐれで演技をさせてみたところ、これが中々であったため、そのまま南十星がヒロイン役として起用されたらしい。

 どうやら南十星は、子供ながらに親戚の家に厄介になることを、心苦しく思っていたらしい。だから恩返しのために活動した給料は、全て伯父たちに渡していた。伯父夫婦は気にしなくていいと言っても。

 そして新作映画でヒロイン役に抜擢され、これからという時に廃業を決意し、日本に帰国したことに、伯父は残念そうではあるが、潔さが見られる声で説明していた。

 ちなみに十路にそれを知らせていなかったのは、南十星当人がいつか驚かせたいからと、秘密にしたいと言っていたためだった。

 しかし今回、廃業して日本に帰ってきたことで隠すことも無意味になり、機会があったために樹里に話したのだろう。


「……そうだったんですか」


 ここには最大限景観を損ねないよう、しかし転落防止のために、防護柵が設置されている。腰ほどの高さを持つ人工大理石の支柱に、横に渡わされる鉄棒の替わりに、ワイヤーが張られている。

 樹里はその低い柱に座り、オートバイに寄りかかる十路と向かい合う。

 しかしそれ以上の言葉は出さない。今の樹里は、話の聞き役に徹するつもりなのかもしれない。

 だから話は途切れる。ここ数日、予想だにしかなった南十星の新たな面を知り続け、今また新たな一面を知って、十路は混乱の極みにある。

 そして精神的に疲弊しきった彼は、今はそれを考えないことにした。ココアの缶を傾けて、懐かしさを覚える甘みを喉に落として、別の話題を口にする。


「……木次きすき、ありがとうな。連れ出してくれて」

「少しは気が晴れました?」

「まぁな……」

「やっぱり先輩もバイク乗りなんですね」

「俺は必要性で乗るから、趣味で乗ったことはないけどな……」


 それが彼らがここにいる理由だった。

 部室での話を終えたら、樹里が突然『バイクに乗せて欲しい』と言い出し、目的もなく二人乗りで走り、ここに一度停めた。

 気晴らしに飛ばしたわけではない。さほど遠出をしたわけでもない。樹里も本当にオートバイに乗りたかったわけではないだろう。

 イクセスも黙ったまま付き合い、ただ十路の気の向くままに走っているうちに気分も落ち着いて、多少は余裕を取り戻すことができた。

 都市部の隣人よりは節介を焼き、家族やずうずうしい友人ほどは出しゃばらない。そんな樹里の絶妙な距離感と心遣いが、今の十路にはありがたかった。


「先輩。どうしましょう? ちょっと踏み込んだ方がいいですか?」


 ミルクティーの缶を両手に持ち、樹里は微笑を浮かべる。海風でミディアムボブを揺らす彼女の笑みは、子犬めいた印象を放つ常とは違い、やや大人びて見える。


「誰かに話しながらの方が、考えがまとまるかもしれませんよ?」

「そうだな……悪いけど、付き合ってくれ」


 総合生活支援部の部員たちには、互いのことを詮索しないという、暗黙の了解がある。

 そして十路は、内心をあまり見せない。見せたとしても家族の南十星くらいだが、今は彼女のことで悩んでいる。

 だから樹里の厚意を素直に甘んじた。そして彼女が心の中に踏み込んで来たことを、十路は意外なほど自然に受け入れることができた。


「じゃあ、先輩の好みのタイプって、どんな女の子ですか? 《魔法使い》は恋ができないからとか、ごまかしはナシですよ?」

「俺が恋愛する気ないってのは?」

「もちろんそれも」

「逃げはなしか……」

「当然です」


 そんな話をしたことはない。男同士、女同士ならばまだしも、部活仲間程度の間柄で、男女間でこんな話までそもそもしないだろう。樹里は十路に改めて問う。


「やっぱり髪は黒髪サラサラロングヘアですか?」

「どうでもいい」

「ナチュラルメイクで清楚系ですか?」

「どうでもいい」

「ちょっと痩せてた方がいいですか?」

「どうでもいい」


 よく言われる理想の女性像を列挙し、樹里にとってはあまり触れたくない『それ』に言及する。


「…………胸、大きい方がいいですか?」

「どうでもいい」


 しかし十路は全ての条件に、平坦で無愛想な返事を返すだけ。

 樹里の人懐こい顔が、不満そうな感情を帯びる。


「先輩……ちゃんと答えてください」

「そうじゃなくて、俺の場合、下手に見てくれがいい相手が近づいてきたら、反射的に警戒するんだ」

「ふぇ? 警戒?」

「前の学校で俺に近づいてくる美人って、色仕掛けハニートラップしようとするスパイか暗殺者しか考えられなかったからな……」

「先輩の経歴は特殊すぎます……」

「だから、見た目がいいに越したことはないけど、中身が一番の優先だ」


 呆れているのか困惑しているのか、吐息をついてミルクティーを飲む樹里の様子から、彼女のクラスメイトの男子と考え方が違うとわかる。そしてそれは十路も自覚している。

 樹里が評したように、十路の経歴は普通ではない。国家所属の《魔法使いソーサラー》として、非公式特殊隊員として生きてきた。

 だから『綺麗なバラにはトゲがある』の言葉通り、知らない美人が近づいてきたら、任務を邪魔しようとする敵か、情報を手に入れる目的の相手だった。人生経験の少ない中高生ならば当然だろう、異性の見た目の美しさだけで人を判断し、目を奪われていたら、彼は今頃こうしてココアを飲んではいない。

 そのような理由により、樹里の追及は精神面におよんで行く。


「家庭的で料理ができる女の子は、ポイント高いって聞きますけど?」

「できればプラスになるけど、できないからマイナスになるわけじゃない」

「優しくて思いやりがある人」

「そりゃ誰だってその方がいいだろ」

「明るい性格で話が合う人」

「暗くて話が合わない相手は誰も選ばない」

「気が利く人」

「利かない相手よりは利く相手の方が当然いい」


 樹里は思いつく限りの条件を列挙したようだが、一般論の域を出ない。現実には程度の差はあれど、場合によっては無視できる部分があったとしても、理想としては誰もが異性に求める条件だろう。


「……先輩が女の子に求めることって、なんです?」


 だから困った様子で、直接十路に条件を問うた。


「俺は普通じゃない」


 対する十路の返事は、簡潔だった。

 普通に生きることを目標とする彼にとっては難しいこと。

 《魔法使いソーサラー》にとっては至極当然のこと。

 普通の高校生のように悩んでいても、やはり『普通』にはなりきれない。


「だから、その部分を受け入れられるってのが、相手に求める絶対条件だろうな……」

「うーん……」


 樹里がミルクティーを飲み干す。

 そしてなにを考えたか、腰の高さほどの石の柱に飛び乗った。


「じゃあ、なっちゃんはピッタリじゃないですか?」


 幼い子供が無意味で危険な挑戦をするように、樹里は手を広げてバランスを取り、太さ一センチにも満たないワイヤーに立つ。親の言うことは素直に聞くような印象がある樹里が、突然子供じみたことを始めたのも軽い驚きだが、その言葉は意味不明というレベルで驚きだったため、十路は反応は遅れた。


「…………は?」

「だって先輩のこと、充分受け入れてません?」


 具体的なことは話していなくても、十路が陸上自衛隊の非公式特殊隊員として、大義の名の下に人には言えない任務を行っていたことを、南十星は知っている。

 知って尚、彼女は十路を兄と慕ってくれていた。そして今、好意まで向けている。

 十路の普通ではない部分を、受け入れているとしか言い様がない。


「しかも料理できて明るくて優しくて話が合って気が利いて。先輩の希望は全部クリアしてますよ?」

「……言われてみれば?」

「しかも本当は妹さんじゃなくて、従妹いとこさんですよね?」

「…………」

「あとオマケに、なっちゃん、私から見てもかなり可愛いですよ?」


 並べられた樹里の言葉に、十路は二の句が告げられなくなる。

 確かに南十星は、樹里が言う通りだった。

 つい最近ではあるが、家事は人並み以上にできることは判明した。

 天真爛漫でしかも空気が読めて気遣いもできる。だから今まで、十路を唯一甘えさせることができる相手だった。

 中性的でボーイッシュな顔つきだから、少年に見間違えることもできるが、それは南十星が並以上の容貌を持っているとも言える。『男と見間違う』ではなく『中性的な印象』は、見た目よくなければ絶対にありえない。

 そしてなにより、兄妹で恋愛という倫理的な、法的な問題が存在しない。


「こうして考えたら、先輩がなっちゃんの告白をつっぱねる理由、ないように思えますけど?」

「俺も改めて考えて意外だった……」

「嫌いだから悩んでるわけじゃないですよね?」

「そりゃ当然……」


 樹里が言うように、堤南十星が理想的と言っていい異性だったことに、十路は頭痛に耐えるようなポーズで考え込む。

 なぜ自分が南十星の想いに戸惑い、悩んでいるのかがわからなくなる。

 考えれば考えるほどに、思考のみぞにはまり込んでいく。

 ただひとつ、言えるとすれば。

 簡単に好意を受け取ることができない。


「……やっぱり、俺が《魔法使い》で、けがれ仕事してたってのが、自分でブレーキかけているんだろうな」


 十路は自分の右手を見る。

 ゴツゴツと骨ばった、奇妙な位置に胼胝たこのある、男の手。

 堤十路は、人を殺したことがある。無関係な民間人を手にかけた事はなくとも、必要だったり敵だったりしたら、男も女も子供も年寄りも関係なく殺した。

 何人手にかけたか正確には覚えていないほど、この手は血塗られている。

 普通に生きるために神戸に来ても、過去は塗り替えることができず、心におりのように染み付いている。

 だから普通に生きようとしても、無意識に、意識的に、自分は人と違うと一歩離れて見てしまう。

 そして普通の高校生のように、恋に積極的になろうなど、考えることすら逃げている。


(気にしないようにはしてるけど、やっぱりの事が、トラウマになってるのかもな……)


 血に塗れた手で誰かに触れることを、誰より自分が恐れているから。


「それとも、他に先輩が気になる女の子がいるんですか?」


 問われ、十路は視線を手から外し、見上げた。

 脳裏に浮かんだ面影が、夕暮れ空を背景に欄干から見下ろす少女と重なる。彼女に『気になる女の子』と問われ、反射的に思い出してしまった姿が。


(そういえばも、一応はなとせと同じように、条件を満たしてるってことになるのか……)


 ミディアムボブよりも、ずっと髪が長かった。

 人懐こさよりも、凛々しさが現れた顔つきだった。

 控えめではなく、むしろ強引でたじろぐことも多かった。

 今時の女子高生ではなく、歳の割に古風な考え方をしていた。

 未熟な猟犬の子犬ではなく、勇猛で優秀な番犬だった。

 年下ではなく、年上だった。

 『彼女』とは違うことばかりのようでいて、共通点を見出してしまう。。

 今でない時、ここでない場所で、樹里と同じように十路を見下ろしていたことも。

 思い出にしか存在しない人影に、十路はブラックコーヒーのような小さな笑みを浮かべる。


「そんなの――」


 そして見上げる樹里に、『気になる相手などいるわけがない』と否定しようとして。


「……は?」


 十路は固まった。

 南十星同様に条件を全てクリアする相手が、不意にもう一人いることに思い至った。

 毎日エーカゲンな同居人のために料理を作る家庭的な性格で、ある程度はお互いを理解し信頼もし仲も決して悪くなく、優しく思いやりがあり気が利くからこうして彼を連れ出して、十路の特殊な経歴を知ってなお自然に接して話す、充分に可愛らしい少女が目の前にいた。

 今の今まで意識しなかった、余計なことに気づいてしまった。


「先輩?」


 自分の顔を見て固まった十路に、樹里は小首を傾げるが、彼は混乱で答えることができない。


「……木次。パンツ見えてるぞ」

「ふぇ!?」


 だから風に揺れるミニスカートから覗く白い布を指摘して、とっさに返事をごまかした。

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