030_0520 やる気ない彼とキスがしたいⅣ~ノーパンしゃぶしゃぶ~


 樹里の部屋は、畳換算で八畳の洋室だった。

 女子高生の部屋とすれば質素な方だろう。人形やヌイグルミもなく、白い壁紙にはポスターの一枚もなく、雑誌の類も一切ない。机の上はペン立てひとつがあるだけで、ともすれば『生活観がない』とも評されかねない。

 しかし本棚だけは充実している。少女マンガや小説だけでなく、《治癒術士ヒーラー》らしく医学や生物関係の学術書が詰め込まれている。

 そんな部屋のラグが敷かれているだけのフローリングに、布団が四組敷かれて雑魚寝の用意が整い、どの布団で誰が寝るか決めたように、その上で思い思いにくつろいでいた。


「あれ?」


 風呂あがりのホットミルクのマグカップを持ったまま、ルームウェア風ハーフボトムのパジャマに着替えた樹里が入り、いつもと違う自室の様子に意外そうな声を上げた。


「どうかしまして?」

「や、いえ、なんでもないです……」


 目を向けるコゼットに、樹里はあいまいに返す。日頃ハイテンションなナージャや南十星なとせが、修学旅行気分で枕投げしてるなどという想像をしてたとは言えないので、心の中でだけ二人に謝る。

 実際の部屋では、先ほどの食事時を思えば意外なほど静かな、しかしある意味では当然の、就寝前の女性の光景が展開されていた。

 いつも静かな風呂あがりの野依崎のいざきは、やはりエビ茶色のジャージのままで、コゼットのノートパソコンを開いてデイトレードを行っていた。


「ったく、フォーさん。髪くらい乾かしなさいな……」


 そんな彼女の背後に回り、コゼットが濡れ髪をブラシでかしながら、ドライヤーを当てていた。野依崎は時折うっとおしそうに首を動かすが、妹を世話する姉のごとく、構わず髪に触れている。


「よしっ」


 ナージャは小さく声を上げて、二つに分けて作ったゆるい三つ編みの具合を確かめる。彼女の白金髪プラチナブロンドは長いので、そのまま寝たら髪が痛むどころか、寝返りすら自由にできない。

 そして南十星は本棚の前に陣取り、樹里の所有する本を読んでいた。マンガではなく、一般人には理解できない内容だろう、細胞生物学の学術書を。


「なっちゃん?」

「……あ、そっか……脳のエネルギー源ってブドウ糖だけなんだ……」

「なっちゃん」

「へ?」


 しかも樹里に呼びかけられても、すぐには気づかないほど集中して読んでいた。

 

「あぁ、おフロから上がってたんだ」


 女性陣全員がそろったことで、南十星はいそいそと本を棚に戻す。暇つぶしに本を開いていたような風情だが、それにしては表情が真剣すぎた。しかも気軽に開く内容の本ではない。

 それに樹里はやや不思議に思ったものの、他のことが気になったため、別方向へと視線を向ける。


「ところで、ナージャ先輩が着てるのって、いつも部長が着てたスウェットですよね?」


 ネズミ色のスウェットは樹里にも見覚えがある。以前コゼットが部屋着に使っていたもので、彼女が着ると吊り目がちの美貌と金髪が相まって、あまりお近づきになりたくない雰囲気を放つ服だった。

 しかし今コゼットが着ているのは、清潔感あるが飾り気ないシルクのネグリジェだった。それを彼女は金髪を指に巻きながら、眉根を寄せて説明する。


「いえ、その……それ着て平然としてるのも、女としてどうかと思いまして、最近は使ってませんのよ……」

「やぁーもぉー、部長さんったら色気づいちゃってー」


 隣の奥様のような調子で口元に手を置いて、ナージャがいつもの軽口でからかうが。


「…………」


 コゼットはなにか言いたげに口をモゴモゴ動かしたが、結局開かず唇は真一文字に結ばれ、青色の瞳をあらぬ方向へ向け、うつむいてしまった。

 乙女の反応だった。


「…………あの。リアクションに困るんですけど」


 マジ反応されるとは思わなかっただろう、ナージャは困惑する。普段のコゼットならば、冷淡に流すか、反射的に否定する場面だ。

 当然そこを突っ込んで追求する命知らずではない樹里は、ホットミルクをすすりながら、南十星へ話を振って話題を変える。


「なっちゃん、いつもそれで寝てるの?」

「そだよ? 日本人ならコレっしょ」


 南十星が着ているのは、無地かすり浴衣ゆかただった。肌けないよう着慣れた様子がうかがえる。


「夏場は涼しくていいし、帯も慣れれば気になんないし、ノーブラノーパンの理由になるし」

「「ぷふ――ッ!?」」


 最後の言葉に野依崎以外の三人が噴き出した。樹里に至ってはホットミルクを放水しかけたが、暴発は乙女の根性で耐えた。


「けほ……! パンツはいてないの!?」

「浴衣着る時、はかないって言うっしょ?」

「それは普通の下着だと線が浮き出るから! ちゃんと専用の下着があるの!」

「だけどノーパンで寝るの楽だよ?」

「ややややや!」


 南十星が十路の部屋で寝泊りしていることを、樹里は聞いている。だから思う。


(堤先輩と一緒の部屋で、下着つけずに寝てるって、いくらなんでもどうなのかな……?)


 更に兄妹が一緒のベッドで寝ていることを知ったら、樹里はどう反応するだろうか。しかしそれは仮定の話のために結論は出ない。


「まーまー女だけなんだし、いーじゃんいーじゃん。それにどーせナージャ姉もノーブラなんだろうし」

「わひゃぁ!?」

「……なにコレ? スイカ? メロン?」

「やぁ……! 揉まないでくださいってば……!」


 そして南十星がナージャの胸を揉み始めたので、ツッコむのもいいやという気分になる。あと色気の欠片もないネズミ色のスウェット越しでも、その下にある物体の大きさは南十星の小さな手でなくても余るとわかるので、樹里は思わず自分の胸と比較したのでどうでもよくなる。


「あ゛ー……パンツはけとかセクハラすんなとか、言いたいことは色々ありますけど、とにかくそろそろ寝る用意しますわよ」

「ほいほーい」


 時間はまだ一〇時前。今時の学生ならば早すぎる消灯時間だが、《付与術士エンチャンター》の作業で睡眠時間を削っているコゼットの言葉に、誰も異論を挟まない。


「明かり消しますよー」

「あ。夜中に起きて誰か踏んじゃわないように、真っ暗にしないでくださいね」


 ナージャの望み通りに、樹里が部屋の明かりの照度を落とす。

 大家族ならありえる組み合わせだが、彼女たちはそうではない。そして合宿や旅行などでは、こんな幅広い年代がひとつの部屋に集まることなどない。まだ野依崎が使っているノートパソコンの光で明るい中、小中高大と揃った五人がひとつの部屋で寝る用意を進める。

 それぞれ布団に寝転び、タオルケットに身を包んだところで。


「「天・井・トーーーーク・ターーーーイムッ!」」


 打ち合わせもなく南十星とナージャの声が、テレビ番組のMCのごとく重なった。


「さぁさぁさぁ、やって来ましたこの時間」

「司会のナトセさん? 今日のお題はなんでしょー?」

「ナージャ姉さん、こんな時のお題なんて決まってるじゃないですかー?」

「いやー、わたしロシア人ですから、ハズしたらヤですし~」

「いやいやいや、この手の話題は万国共通っすよー」

「やっぱりアレですか?」

「やっぱりアレですよ」

「「オ・ト・コ・の・は・な・し!」」

「……貴女たち、ホント息ピッタリですわよね」


 ひとりは欧風長身グラマラス、もうひとりはアジア風ちびっ子発育不良と、見た目は真逆と言ってもいいが、実は同じ血が流れてるのではないかと思える二人に、コゼットは枕をあごに入れて小さくため息をつく。


「てかさ」


 ハイテンションだった南十星が真顔になり、茶色の瞳で、国籍も年齢もバラバラの顔を見渡す。


「みんなオトコっなさそうなの、あたしの気のせい?」

「「…………」」


 全員が無言になって否定できない。


「理工学科在籍ですから、大学内ではかなり男っありますけど、特別親しくしてる方は……」


 コゼットは大学内で顔が広い方であるが、例によってプリンセス・モードで分けへだてなく、しかし深くはない人付き合いをしている。加えて、理工学科の男は草食系が多く、しかも王女様相手に親密な関係を結ぼうという勇者はいない。


「クラスじゃそんなに話さないかなぁ……」


 教室での樹里は、多くの女子高生はそうであるように、用事がある以外では男子生徒とは話さない。それに樹里はさほど人付き合いが広いほうではなく、親しいクラスメイト以外では話すことも少ない。


「お友達としてならけっこー話しますけどねー。でも、それ以上の仲がいい人となると、まぁ、あんまりいませんね」


 ナージャは人見知りしない性格で、誰彼構わずに話し、人付き合いは広い方ではあるが、男女間の線はやはり引いている部分がある。そういう意味では平気でベタベタする十路だけが特別と言える。


「…………」


 無視しているか聞いているのか不明だが、野依崎は無言でパソコンから視線をはずさない。そしてこの場にいる面々にとってはいつもの反応なので、そんなことを気にはしない。


「ってことは、みんな一番親しいのは、和っちセンパイなんだ」

「「それはない」」


 南十星の指摘は一斉に否定された。和真が下の階で強烈なくしゃみをして十路が飛び起きそうなくらいに。

 そして訊いた南十星すらも、本心から言ったわけではないらしい。すぐさま別の言葉を重ねる。


「じゃあ、やっぱ兄貴が一番親しいんだ」

「「…………」」


 一同は無言になって考える。野依崎すらも、パソコンの操作を止めて考える様子があった。


「……やっぱり、堤さんが一番親しいって事になりますかしら?」


 部屋の沈黙から口火を切るように、コゼットが中途半端な肯定をすると、ナージャがニヤついた顔で言葉を吐いた。


「部長さんの場合は、この前のことがありますから、十路くんのことは特別ですよね~?」

「それは関係ないですわよ!?」


 『この前のこと』が、コゼットがワケあり《魔法使いソーサラー》であったことに起因する騒動で、十路が中心的な働きをしたことだと理解したので、慌てて――というより反射的に彼女が否定する中、野依崎がディスプレイから視線を外さぬままに余計な言葉を重ねた。


部長ボスはミスタ・トージに裸を見せるほど親密でありますから」

「なんでわたくしの恥をフォーさんが知ってますのよ!?」


 あの頃の野依崎は今のように地下室から出ることのない、完全ヒキコモリ生活を送っていたので、そのことを知らないはずだとコゼットは叫ぶ。

 しかし樹里やナージャはその事を知っている。十路からの電話で南十星も知っている。つばめや和真までも知っている。今このマンションにいる全員が、彼女の恥を知っている。だから野依崎が知っていても不思議はない。


「や、まぁ、その時のことは事故だって聞いてますから……あまり気にしない方がいいんじゃ?」

「気軽に言ってくれますわねぇ!?」


 取り成すような樹里の言葉に、他人事だと思って簡単に言うんじゃないと、コゼットは噛みつく。

 しかし樹里は、瞳からコントラストが消えた笑みを浮かべ、あまり思い出したくない記憶を掘り起こし、はかなげな声で反論した。


「だって、私も事故で堤先輩にハダカ見られたことありますし……だけどもうその事、気にしないようにしてますから……」

「…………失礼しましたわ」


 まさか同じ経験をしている者がいたとは知るはずもなく、そして樹里にそんな顔をさせてしまったことに、コゼットは怒声を飲みこんだ。彼女が言葉とは裏腹に、少なからず引きずっているのは想像できただろう。

 そんなコゼットに、南十星は明るく言ってのける。


「まー気にしない気にしなーい。兄貴に全裸マッパ見られたからって、なにか減るモンじゃないし」

「だから他人事ひとごとだと思って気楽に言うんじゃねーですわよ!」

「この前突撃して兄貴と一緒にフロ入ったけど、気にするほどでもなかったから言ってんだけど」

「「…………」」


 あっけらかんとした南十星の暴露に、一瞬なにを言われたか理解できないとばかりに場が静寂し、野依崎が使うマウスのクリック音が空しく響き。

 再起動した樹里が叫ぶ。


「いくら兄妹きょうだいだからって、一緒にお風呂はやめよーよ!?」

「兄妹だから、恥ずかしがるような仲でもないっしょ?」

「なっちゃんがよくても堤先輩がシスコン扱いされちゃうってば!」


 『あー、それもそーか』と今さら納得する南十星に、樹里は頭痛を感じ、半身の姿勢で額を抑えた。そして十路の苦労も少し理解できた。


「ここにいる三人までが、堤さんに全部見られてるんですわね……」


 改めて確認するようにコゼットが言うと。

 意味はない。

 深い意味はないのだが、なぜか十路に裸を見られた三人が野依崎を見て、彼女がデイトレードに集中しているのを確認し。

 そして特に意味はないのだが視線が移動し、今度はナージャへと向かった。


「……え? え? え? わたしも十路くんに裸見せるべきですか……?」

「や、そーゆー意味ではないですけど……なんとなく?」


 樹里の否定を聞きつつも、ナージャはなぜかスウェットの首元を引っ張って、自身の胸元を不安そうに確認し始めた。ポテンシャル的にはこの部屋にいるメンバー中、ナージャが最高クラスの破壊力を秘めている。十路の趣味はミニサイズという可能性もあるがそれはさておき、その仕草に『心構えがあったら見せる気か?』と捉えられなくもない。

 だからなのか、頬杖をついて浴衣のすそを乱し、足をパタパタ動かしながら南十星は問う。


「ナージャ姉ってさぁ、兄貴のこと、ホントのところどー思ってんのさ?」

「ふふっ。あえてノーコメントで」


 じゃれつく猫のような十路への態度から出た問いの答えは、アルカイック・スマイルと共に保留された。


「好きか嫌いかと訊かれれば、好きって答えますよ? だけどそれ以上ってなると、どうなんでしょうね?」

「わぉ。なんだかイミシン」

「ふふっ。それ以上は内緒です」


 ナージャがそんな笑顔で人差し指を内緒の形に口元へ当てると、白金髪プラチナブロンド紫瞳ヴァイオレット・アイが相まって、イタズラ好きの妖精のように見える。

 そんな彼女の態度に思うところあったのか、南十星はしばし考える雰囲気を見せたが、すぐに視線を動かした。


「ぶちょーは兄貴のこと、どー思ってんの?」

「……わたくしもノーコメントで」


 コゼットは憮然とした顔つきで黙秘するが。


「ふーん。まー、ぶちょーの気持ちは、前に話した時におーよそわかってっからいーか」

「なにがですのよ!?」


 以前、十路の身内とは知らないままに電話で話した時のことを持ち出され、コゼットは薄暗い中でも頬を染める。

 そして南十星の視線は、ベッドの樹里にも向かう。


「じゅりちゃんは兄貴のこと、どー思ってんの?」

「や~……いまだに堤先輩って、よくわかんないんだよね……」


 十路の身内にこんな話をするのもどうかと思うため、言いにくそうに頬をかきつつ樹里は言う。


「や、先輩が悪い人じゃないのは理解してるよ? むしろいい人なんだとも思ってる。だけど他はどう思ったらいいのか……」

「だけどさー、兄貴と一番距離近いのって、多分じゅりちゃんだと思うんだよね」

「ふぇ? 私?」

「だって頭なでられてるじゃん。兄貴、あたしにもそーゆーコトあんましないよ」


 南十星に言われて樹里は思い出す。頻繁ひんぱんではないが、確かに十路に頭を触られている。

 女性の髪に触れるのは推奨すいしょうされる事ではないだろうが、十路は他人の心の機微に頓着とんちゃくしない。しかも彼が頭をなでる時は、大抵は樹里がヘコんでいる時なので、なぐさめる意味だと思って文句を言ったこともない。

 だからその行為に特別な感情があると、感じたことはない。


「あれで特別親しいとかってことになるの……?」


 湿り気が残るミディアムボブを揺らし、樹里が首を傾げると、視線を動かさないまま野依崎がポツリと反論した。


「ミス・キスキは既にミスタ・トージとキスした仲でありますが?」

「なんでそのことを野依崎さんが知ってるんですか!?」

「シークレットであります」

「や、だけど――」


 野依崎がどうやってその情報を入手したのか突っ込もうとして、樹里は気づく。薄暗い中、ジーッと見つめる青・紫・茶の三色の瞳に。

 他の三人が視線で『状況を詳しく話せ』と言っているのに、樹里は手を振って慌てる。


「ややややや! あれはキスじゃない! キスではないです!」

「キスではない」


 微妙なニュアンスの違いを、コゼットが強調する。


「でも、接触的なことがあったんですね」


 更にナージャが深く掘り進める。


「あぅ……」


 あったと認める気弱な声が漏れる。

 だから南十星になぜかオヤっさん調に問われるままに、樹里は観念して口を開いた。


「オウオウオウ、いつやったんだ? ゲロしちまいな」

「先輩と初めて会った日……」

「なんの味がしやがった? やっぱレモンちっくな初恋の味かぁ? アァン?」

「むせそうなくらい血の味が……」

「「…………」」


 色恋話ではなく、赤黒の色濃い話に発展しそうな予感を覚えて、意気込んでいた面々は無言になった。どう考えても医療行為的ななにかで、樹里が否定するようにキスだと思えるはずはない。

 同時に別の意味で大事だと、南十星とコゼットがハッとする。


「……てか、初めて聞いたけど。兄貴ってば、そんな大ケガしたの?」

「わたくしもあの日にそんな事があったなんて、初耳ですわよ?」

「…………」


 二人の指摘に、樹里は固まって。


(しまったぁぁぁぁっっ!!)


 内心で大絶叫し、自分の迂闊うかつさを遅まきながら猛反省する。


(なんで私はポロッとこぼしちゃうかなぁ……! あの時のことは先輩との秘密なのに……!)


 その時の記憶が、樹里の脳裏に連鎖的に再生される。

 あれは十路の転入と入部の直前だった。市内である事件が起こり、警察からの依頼により、総合生活支援部に緊急の部活が発生し、たまたま神戸を訪れていた彼も巻き込まれた。

 その時、十路は死にかけた。一度死んだと言っても過言ではない。

 彼は致命傷を負い、樹里の《魔法》で危うく命を救われた。


「詳しくは、話せません……」


 そしてそれは、なにも知らない誰かに話せることではない。彼女の性格ではとっさの嘘で誤魔化すのも難しいから、申し訳なくてもそう言うしかない。

 あの事が原因で、樹里の異能――《魔法使いの杖アビスツール》なしで《魔法》が使える能力のことを、十路に知られてしまったから。

 結果、秘密を明かすことになったが、十路を助けたことを樹里は後悔していない。


 しかし彼を完全に信用している、全く懸念していないと言えば、嘘になるのも事実だった。

 彼女の異能を誰かに明かしたり、利用しようとしたり、彼がそんな事をしない人間だと断言できるまで、樹里は堤十路を理解しているとは言えない。

 異能の持ち主に対しても、普通の少女のように接する彼でも――いや、だからこそ、十路との関係には慎重になる。単純に印象に基づく感情論だけで、片付けることはできない。


「ありがと」


 そんな樹里の思いが伝わったのか、南十星はそれ以上は聞かない。


「じゅりちゃんが、ケガした兄貴を助けてくれたんだね」


 それだけ言って話を締めくくった。子供っぽさの目立つ彼女には少々意外な、目を細め大人びた、優しげな微笑を浮かべて。

 目つきが悪く感情も出さない無愛想な兄に、色素がやや薄く天真爛漫で表情がコロコロ変わる妹と、十路と南十星はあまり似ていない。しかし。


(……こういう笑い方は、先輩もなっちゃんもそっくり)


 その笑顔には、共通する雰囲気があると樹里は感じる。二人ともそんな表情はあまり見せないだろうという意味も含めて。


「そっかー。みんな兄貴のこと、好きとか嫌いとかハッキリした気持ちはないんだ」


 希望も失望も感じられない調子で、南十星は話をまとめる。

 

「お兄さんとどなたかを、くっつけたいワケですの?」

「そーじゃないけど。ただ兄貴のコトどう思ってるのか、聞きたかっただけ」


 コゼットに答えながら寝る体勢を整えつつ、南十星は言う。なんでもない口調で、しかしその実、そうではないような調子で。


「身内びいきもあるけどさ、オトコとして悪くないと思うんだよ。やる気なさそーに無関心なフリして、実際のところ周りのことスゲー気にしてるし。ぶっきらぼうだけどイザって時には頼りになるし、ふつーンなことできるかってコトでも平気でやっちゃうし」


 自分たちが知らない部分を知っているであろう、十路の身内の言葉を、彼女たちは聞き入る。

 確かに彼は頼りになる。軍事的な意味で面倒ごとを巻き込まれるワケあり《魔法使いソーサラー》にとって、《騎士ナイト》と呼ばれた彼は、個人戦力としては最高の味方だろう。

 これまでの部活動で、この場にいる者たちは、その強さを垣間見ている。


「……だけどさ」


 しかし南十星は寂しげな声で否定する。


「ホントはそんな強くないんだよね」


 それはどういう意味かと誰かが問う前に、南十星は顔を隠すようにタオルケットを引き上げた。


「じゃ、そろそろ寝るねー。あたし九時には寝ちゃうから、もう眠いや……」


 あくび交じりに言い、まぶたを閉じると、すぐに息が穏やかなものになる。

 一分もせず寝入った南十星を見守っていた面々は、誰からというわけでもなく顔を見合わせる。やはり野依崎はディスプレイから視線を外さないが。


「……で、実際のところ、木次さんはどう思ってるんですか? 十路くんのこと」

「ふぇ? や、あの、その……」

「部長さんの場合、『ふつーンなことできるかってコト』を十路くんがやっちゃったので、惚れちゃっても不思議ないんじゃ?」

「あの、クニッペルさん……? 変に意識させないでくださいな……」

「あらら~? もう意識しちゃってるんじゃないですかー? そういえば最近、十路くんに『嫌い』って言葉、使わなくなりましたよね~?」

「…………」

「また部長さんは反応に困る乙女なリアクションを……! ノーパンにして十路くんの部屋に放り込みますよ!?」

「なんでわたくしを脱がすんですわよ!?」

「いやー、乙女な部長さんは、それくらいの度胸をつけた方がいいんじゃないかと。しかも全部剥かずに下着だけとはなんと親切な」

「あのー……いま堤先輩の部屋には、高遠先輩もいるんですけど……」


 年頃の女性が集まった夜、話は尽きないようだった。

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