020_2420 チェスゲームⅨ~#endif FLAG_New comer_4_~


 更に逃げようと、ふたりは立ち上がり、物陰から飛び出そうとしたが。


「危ない!」


 いち早く気づいた十路が、コゼットの腕を掴んで、再び物陰に引っ張り込む。

 直後に二〇ミリ機関砲が、横手から粗い狙いで発砲されて、砲弾が通過する。

 いつの間にか、迫撃砲を塔載した装甲車も接近していた。


「くそ……!」


 十路が切歯する。


 ここは建設機械を展示している広大な敷地なため、装甲車でも障害物で動きが封じられたり、悪路で足回りが取られることもない。

 このまま隠れ続けても、迫撃砲やカノン砲の破壊力ならば、ブルドーザーごと破壊されるだろう。隠れ続けようにもエンジン音は近づいているから、近づかれると逃げ場は一切なくなる。

 しかし次の物陰まで逃げようとしたら、横手から機関砲の掃射にさらされながら、一〇メートルほど遮蔽物しゃへいぶつのない空間を駆け抜けないとならない。


 そんな絶対絶命の状況にどうやって切り抜けるか。考えていたら、コゼットが提案してきた。


「堤さん……一分でいいですわ。時間を稼げません?」

「どうする気ですか?」

「《付与術師エンチャンター》の底力を見せてやりますわ」


 ゲームや物語の中での付与術師エンチャンターとは、戦闘補助能力に特化した魔法使いだ。ごく普通の物質に魔力を込めることで、一時的には剣の切れ味を増し、敵の鎧をもろくさせ、永続的には魔法の効果を放つ物品を作る。

 ただし、魔法が使えるのが前提だろう。同じ通称を持つコゼットにも同じことが言えるから、十路は問う。


「部長の《魔法使いの杖アビスツール》は壊れたでしょう? なのにどうやって?」


 理事長室で最後の挨拶をした時、彼女は《魔法》の行使に必須の装備を自壊させた。あの場にいた全員が目にしている。

 そもそも《魔法使いの杖アビスツール》があれば、こんな危機におちいっていない。


 だから十路の疑問に、コゼットは肯定する。しかし策があると否定する。


「わたくしは、《魔法使いの杖アビスツール》をふたつ持ってるじゃないですの」

「…………は?」

「え……? ご存知ありませんでしたの?」


 実際のところ、彼はそれを見たことがある。しかし彼女が使う前後だったため、《魔法使いの杖アビスツール》だと認識できなかった。


 だがコゼットが予備を持っているのは当然の話だ。

 彼女は部の備品の管理責任者として、《魔法》の行使に必要な電子機器を整備するのに、《魔法》を使っている。


 ならば、自身の《魔法使いの杖アビスツール》を整備する時は、どうしているのか?


 手伝う野依崎も完全代行できるほどではない。軍事機密の塊のような《魔法使いの杖アビスツール》の整備をおいそれと外部に依頼することはできない。

 ならば予備を用意して、彼女自身が整備している以外にない。


「もうひとつは《付与術師エンチャンター》の作業用に特化してますから、戦闘には使えませんけど……時間を稼いでくれるなら、状況を変えられますわ」


 地面に叩き付けられても手放さなかった棒を握り締め、アタッシェケースを胸に抱いて、コゼットは瞳に力を込める。


 説明不足は重々承知している。それで納得しろというのも乱暴と自覚ある。

 しかし今は時間がなく、そして彼女の考えに乗らなければ、ふたりとも確実に死ぬ。


「今までで最大の理不尽ですよ……!」


 野良犬の不敵な笑顔でそれだけ言って、十路は躊躇ちゅうちょなく物陰から飛び出した。


 もちろん途端に発砲されるが、彼は辛くも餌食になることから逃れ、向こう側のショベルカーの隙間に飛び込んだ。

 十路を先回りをしようと、迫撃砲を積んだEMC装甲車も移動する。つかの間で仮初かりそめのものだが、コゼットの安全はひとまず確保された。


 カップめんも作れない短時間だが、無手で銃火に追われ、しかも振り切らずに注意を引き付けるのは、十路であっても絶望的な長時間に違いあるまい。


(辛抱してくださいな……!)


 だからコゼットは、一秒でも早く終わらせようと、急いで作業に入る。


 地面にアタッシェケースを立てると、機械動作音を立ててふたつに割れる。圧縮されていた空間から、機械の腕が中の物を差し出した。


 A4サイズの辞典のような、皮で装飾された表紙がやたら分厚い、奇妙な本だった。背表紙にはシールが貼られ、『備品番号 05-10-001 Zosimos of Panopolis』と書かれている。


 それは古代エジプトで二八巻の術書を著作し、後世の者たちに多大な影響を与え、『哲学者たちの王冠』と呼ばれた錬金術師の名であり。

 影響範囲が極端に狭い代わりに、数億数兆にも及ぶ物品と装備の図面データを納めた、コゼットのもうひとつの《魔法使いの杖アビスツール》だった。


 実用性理工学分野機能特化型デバイス――《パノポリスのゾシモス》。


 コゼットは杖ではない異形の《杖》を手にし、そして手にした《杖》を放り投げる。


「《哲学者の神聖かつ神的な術知/Για μια θεια και ιερη τεχνη του φιλοσοφου》!」


 そのゾシモスの影響を受けた女性錬金術師、コプト婦人クレオパトラの著作を叫ぶと、本からページが外れて、意思を持って宙を舞う。それは紙ではなく、しるされているのは文字でも絵でもない。プラスチックシートに回路が刷り込まれ、電子情報を収めた、超極薄の集積回路だった。


 ページごとに別の《魔法回路EC-Circuit》を浮かび上がらせ、試作の《魔法使いの杖アビスツール》を筒状に取り囲み、空中に固定させて姿を隠してしまう。

 千枚に及ぶページの内部は、《魔法》による工作機械をそなえた、《魔法使いの杖アビスツール》の製造加工工場となった。


(早く早く早く早く……!)


 発砲音や爆発音が気になったが、コゼットは作業に集中する。《魔法使いソーサラー》たらしめる脳機能野をフル使用し、《付与術師エンチャンター》の能力を最大限度で発揮した。


 普段はそれなりに時間をかけて、安全確実を期して作業しているが、今はそんな余裕はない。いつもならば工場のラインのように、一連の作業を順に行うのをすっ飛ばして、工程を同時並行で、確認もせずに超高速で行う。

 いくら《魔法》があるからとはいえ、そして荒業を使ったとしても、本来ならば短時間では不可能な作業だ。


 しかし今回、それが可能な理由がふたつある。

 つばめに頼まれて作った試作品が、コゼットの装備と仕様が大差ないコピー品であること。

 そして作り変えるのは、他のなによりも詳しい、彼女自身の装備であること。


(理事長……まさか予期してたわけじゃないですわよね?)


 生体コンピュータ部を酷使する限界処理に、頭痛と吐き気を感じながら、ヒト大脳部分でコゼットはふと思う。


 顔も知らない誰かの装備を作っていたから。

 その装備がコピー品だったから。

 謎の紙袋少女が来たから。

 彼女から試作品を返されたから。

 そんな『から』が重なって、今の状況がある。

 

 しかもその全てが、長久手ながくてつばめの指示が起因だった。

 もしも全て彼女の意図だとしたら、どれほど未来を先読みしてるのか、想像しただけで恐ろしくなる。


(でも――)


 気にすることではない。


 偶然の積み重ねであろうと。つばめのてのひらで踊らされていようと。

 神の気まぐれだろうと。悪魔の策略だろうと。


(仲間と居場所を守れるなら……なんだっていいんですわよ!)


 名もない《魔法使いの杖アビスツール》を一度分解し、中の部品を入れ替えて位置を修正し、回路を再接続する。仮登録されていたマザーボードの情報を書き換えて、外装を変形加工し組み立て直す。


 全工程終了と同時におおい隠していたページが本へと帰ると、宗教儀礼的なものを連想する精緻せいちな装飾がほどこされた、伝説の錬金術師の名を冠した杖が現れた。


 落下するそれを、宙で掴み取る。


「これで――!」


 生体認証確認。機能接続確立。『ABIS-OS Ver.8.312』起動。

 《魔法》と呼ばれる科学を発現させる、《魔法使いの杖》と呼ばれる電子機器が本格駆動を開始する。


「戦えますわ!!」


 コゼット・ドゥ=シャロンジェ専用装備――《ヘルメス・トリスメギストス》戦闘準備完了。

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