020_2100 チェスゲームⅣ~Hyper threading C&T=1 E&N&K=2 T&C=3~


 将棋の違いは、まずは第一手に違いあるまい。


「キミの国の人たちは、皆そうなのかな?」


 白く曇ったガラス製のポーンを、つばめが前に出す。


「《魔法使いソーサラー》のことをなにも理解しようとせずに悪魔だって思って、不必要に恐れたり、敵意を抱いたり、あなどったりする」

「わたくしの、コゼットへの感情を含めてですか?」


 応じてクロエも黒いポーンを動かした。

 インテリアとしても存在感を放つチェスセットを挟み、ふたりの対局は始まった。


「それも含めて」

「人はそんなものでしょう? 差別意識なんて簡単にはくつがえりません」


 まだまだ序盤だから、つばめもクロエも考え込むことなく、テンポよく駒を動かしていく。

 共に微笑を浮かべて、盤上の戦いと平行し、舌戦を繰り広げていく。


「ましてや《魔法使いソーサラー》は、本当に人智を超える能力を持っているのですから、尚更なおさらですよ。悪魔だろうと、生きた軍事兵器だろうと、恐るべき存在に違いありません。そしてそれを忌避するのは、人として当然の感情です」

「じゃあ、か弱い悪魔と、武器を持つ人間、隣にいるとしたら、どちらが恐ろしい存在なのかな?」

「それでも多くの者は悪魔と答えるでしょう。人間は正体を知っている。けれども悪魔は正体を知らない。人は未知を恐れるものです」

「未知を既知だと勘違いすれば、とんでもない間違いをするよ? 隣にいる人間が安全と誰か保障してる? 屈強な悪魔が化けていないと確かめた?」

「…………」


 クロエは手を止めぬまま口を閉ざし、唇の隙間から小さく息を漏らした。


 つばめの意見は正しい。

 しかし、こういったことで大事なのは、真相ではない。

 受け取る側の感情問題、衆人がどう思うかだ。

 だから妥協点が見つけられない。


「先生。そのお話はやめましょう。時間の無駄です」

「……それがクロエちゃんたちの正義なら、わたしが口出せることじゃないか」


 その言葉で、クロエは確信した。

 つばめは、自分の目的を知っているのだと。


『――』

『――――』


 耳につけた無線機から、現状の報告と指示を求める苦しげな男の声が聞こえた。そのすぐ後に、冷静な女性の声によるフランス語が響く。現場の指揮を行っているロジェの声だ。


「どうしたの、クロエちゃん?」

「空港に向かっていた車が襲撃されて、コゼットは連れ去られたそうです」

「わー、大変だー」


 つばめの無責任な言い方と微笑に、クロエは白々しいと内心舌打ちをする。微笑を浮かべたままで、顔には全く出さないが。


「まぁ、追手も差し向けたようですし、すぐに掴まると思いますが」

「大変だね、キミんとこのSPさんも」

「本来の職務とは異なりますが、欧州陸軍連合戦闘団として派遣された精鋭ですから、この程度はすぐに片付けるでしょう」



 △▼△▼△▼△▼


 

 ふたり乗りのオートバイが、疾走している。ハンドルを握るのは、フルフェイスのヘルメットを被り、蛍光色のジャケットを着た青年。後部に乗るのは、金髪と白いワンピースをなびかせる女性。

 その後を、黒のベンツが猛スピードで追従している。


 人工島内を縦横無尽に走り回り、島と本土を繋ぐ唯一の橋・神戸大橋を越えて、カーチェイスの舞台は本土側へ移動していた。


「しつこいな……」


 まだ明るい夜の街を猛スピードで駆け抜けつつ、ハンドルを握る青年のぼやきに、イクセスは律儀に反応する。


【向こうは仕事ですし、諦めるわけにもいかないでしょう】


 ろくに減速せずにビルの隙間に突入し。


【あれ?】


 オートバイが頓狂とんきょうな音声を上げて、自身に急ブレーキをかけた。


 車一台がやっと通れる細い通りの向こう側には、道をふさぐように、白い乗用車が停車していた。


 入ってきた入り口は、ずっと追いかけていた黒のベンツが停車してふさいだ。


【すみません……センサーが弱ってるせいで、応援を見逃したみたいです】


 二台の車が連携して、この場所にオートバイを追い込み、カーチェイスを強制的に終了させた。


 前後双方の車のドアが開き、男がふたりずつ降りてくる。


 四人とも夜目にも明らかなヨーロッパ系の容貌で、鍛え上げられた体が共通している。全員着崩したスーツ姿だが、あまり着慣れた感じはしない。むしろ野戦服の方が似合いそうな風体だった。


 ヘルメットを被った青年と、後部の金髪の女性が視線を交わし、オートバイから降りた。その呆気なさは逃亡した者の態度とは思えないが、とうとう観念したかという見方もできる。


「そろそろ働くとするかぁ」


 しかしハンドルを握っていた青年が、不遜ふそんな言葉と共にヘルメットを脱ぐと、話が変わる。押さえられていた髪をかき上げると、彼を知る者が見慣れたウルフヘアに落ち着く。

 追跡していた男たちは知るよしもないが、出てきたのは高遠たかとお和真かずまの顔だった。


「やれやれ。やっと脱げます」


 女性が無造作に頭に触れると、金髪の束がずれた。

 まとめられていたのを解き、首を振ってなびかせる長い髪は、王女のものとは違い、夜の明かりに反射して白く輝いて見える。

 オートバイに乗っていたのはコゼットではなく、パーティグッズのカツラと量販店の服で変装したナージャだった。


「安物のヅラってれるんですよねー」

「ヅラ! ロシア人が言うと新機軸な感じ!」


 緊張感ないふたりの日本語は理解できなくても、追手たちは状況だけで充分に驚嘆に値する。捕獲――否、保護するべき追いかけていた王女が、いつの間にか別人に変わっていたのだから。


 十路が連絡橋でコゼットを奪還して人工島に戻った時、追手をくように走りながら、打ち合わせの場所で部外者ふたりと合流した。

 そして目をきやすいジャケットを着た和真にヘルメットを渡し、変装したナージャをオートバイに乗せて、わずかな時間で替え玉に仕上げた。

 タネを明かせば単純なことでしかない。


「アンタらご苦労さん。俺たちはおとりだ」


 和真は腰の後ろから三段伸縮の警棒を取り出し、腕を振って伸ばす。


「しかーし。ただの囮ではないのですよー」


 ナージャは手を組んで指を鳴らし、一転して体から力を抜く。


【え? ちょっと……?】


 ふたりの行動に、思わずイクセスが戸惑う。

 事前の打ち合わせでは、彼らは適当な場所で追手に正体を明かし、そのまま逃走する段取りだった。人目のある本土側に逃げ込めば、追手もそう手荒な手段を訴えるわけにもいかないだろうし、これ以上部外者を危険にさらすのを十路が避けた。


 しかし和真とナージャは無視し、前後に分かれて追手を撃退しようと動いた。


「へっ」


 和真は先手を取って動く。剣道部員の踏み込みで間合いを詰めて、真正面から振り下ろす。偽者の対応に迷っていた男は、硬いジュラルミンの棒で肩口を打たれ、鎖骨を叩き折られた。


 ついでに体当たりを食らわせて、その男が倒れるより早く、和真は二番手の男へも強襲する。なにかしようと動いた右手に先じて小手を、更に警棒を一閃させ胴に叩き込んで横手に吹き飛ばした。


「ふふっ」


 ナージャは後の後で動き、彼女らしくゆったりと歩み寄る。


 偽者たちの反抗に、先発の男が胸倉を掴もうと伸ばす腕に触れ、手首を、肘を、肩をと、順に畳むように極めて、足を払って地面に引き倒す。

 次鋒の男は放つストレートパンチは、手を添えてベクトルを逸らし、回転しながら軽く拳で脇腹に触れる。

 彼女の動作は流れるようだが、誰の目にも留まる程度の速さだった。だからこそ事態が理解できない。

 男たちは地面に転がされ、悶絶していた。先発は腕を破壊されて。次鋒は胃液を吐きながら。


「おっそろしいなぁ、ナージャ? まだ地獄突きのほうがマシじゃないか?」


 和真が浮かべる歯を見せた笑みは、完全に肉食獣の凄みを放っている。


「和真くんこそ。それだけ強いのに、部活サボっちゃダメですよ」


 ナージャの笑顔は普段と変わらないが、まとう雰囲気は獣のもの。


【ふたりとも……何者ですか?】


 鍛えた男たちが呆気なく地面に沈んだ展開に、唖然とするイクセスに、ふたりは同時にサムズアップした。


「サボりがちな剣道部員!」

「通信空手初段の料理研究部員!」

【…………】


 無駄に力の入った台詞に、イクセスは思う。百歩譲って剣道部員はまだしも、カウンターで関節を破壊する料理研究部員がどこにいると。

 しかし今はそれどころではないので追及はせずに、いくらか余分な時間を稼げたと判断し、彼女は指示を出す。


【……身代わりはもういいですから、合流地点に行きましょう】



 △▼△▼△▼△▼



 十路はその頃、人工島内ポートアイランドで、コゼットを引っ張るようにして走っていた。


「ちょっと……! 待って、くださいな……!」


 大学でも体育の授業はあるが、体力に自身あるタイプとは思えない。

 コゼットが足をもつれさせ始めたので、十路は一時、新交通システムポートライナーの高架を支える柱の陰に隠れることにした。


(静か過ぎないか……?)


 つばめの仕業により、ポートアイランドの住民が避難されているなど知るはずもないが、なにがあろうと民間人を巻き込まなくて済むため、好都合と安堵する。

 同時に、人気ひとけのない場所で行動すると目立つため、動きにくさも感じる。


 物陰から周囲を警戒しつつ、十路はこれからの行動を考えていると。


「……そい」


 はずんだ息が整ったのか、背後のコゼットが言葉をこぼした。


「は?」

「遅いっつったんですわよ! 助けに来るのが! あんな直前ってどういうことですの!? しかもなんですのアレは!? わたくしの首までねる気でしたの!?」

「仕方ないでしょうが……色々ギリギリでやってるんですから――」


 爆発したコゼットに、十路は振り返りながら、いつもの調子で返そうとしたが。


「すごく不安でしたわよ……見捨てられたのではないかと思って……」


 振り返った先にあったのは、地面にへたりこみ、泣き出す子供のような顔だったので、怒声を飲み込んだ。

 彼女にはどのタイミングで仕掛けるか、全く知らせていない。しかも飛行機が飛び立てば絶対に取り戻せない、空港のギリギリ手前で仕掛けたのだから、不安も一入ひとしおだったろう。


「……すみません。お待たせしました」


 代わりに十路が手を差し伸べる。掴み返されたのを確かめて、引っ張り上げた。


「っと?」


 強い力を込めて引いたつもりはないのに、彼女の顔が急接近して来たので、十路は驚いて固まった。

 ほのかな紅茶の匂いが強く香る。波打つ金髪の幾筋かが顔に触れる。男とは全く違う、女性の体特有の柔らかさが押し付けられる。

 コゼットが立ち上がり様、首に抱きついてきた。


「部長?」

「黙りなさい……」


 戸惑ったものの、彼女の強引さは今に始まったことではない。十路は好きにさせ、耳元でささやかれる言葉を黙って聞く。


「貴方は相変わらずムチャクチャなんですから……」

「…………」

「こんな無茶して、これからどうしますのよ……余計に問題を複雑にして……」

「…………」

「……なんとか言いなさいよ」

「『黙れ』っったの部長でしょうが」


 理不尽さは失われていないようでなによりだ。


 心をしずめるように、十路の匂いを確かめるように、コゼットを大きく息を吸い、押しつけていた体を離した。


「……来てくださって、ありがとうございますわ」


 そして視線を合わせた時には、いつもの彼女に戻っている。

 十路も普段のように相談できる。


「だけど問題はこれからです。部長を取り戻しただけでは、なにも変わりません」

「そうですわね……」


 コゼットを取り戻したとしても、これで終わりではない。世間的には十路たちは王女の誘拐犯で、クロエたちに法的な正当性を持たせてしまっている。

 その結果がどうであれ、コゼットは許されざる存在のままになる。最低限、今までどおりの生活を送らせるためには、足りない。


 口元に拳を当てて黙っていたが、やがて彼女はガリガリを金髪頭をかく。


「王位継承権を破棄、王族からの除籍、国籍の抹消……わたくしが王女であることを捨て、国を離れれば、この騒動の根本はなくなるはず……」

「やっぱり、それしかないですか……」


 その方法は十路も考えた。

 簡易的な情報収集で、彼女を救うにはその道しかないと結論付けて、今回の作戦にのぞんだ。


 しかし事前に樹里たちには説明しなかった。

 コゼット本人が囚われた状態では意味のないことであるのが一番の理由だが、いくら部員たちの前で王女らしさを出していなくても、彼女が王女の身分をどう考えているか不明だった。

 彼女に、国を、家族を、全てを捨てさせることになる。だから他に方法ないのかと迷った。


「わたくしは身分にこだわっていませんし、居場所のない母国よりも、暮らしていける異国を選びますわよ。家族とはずっと縁切り状態ですし、そっちも気にすることはねーですわよ」


 そんな十路の気持ちが伝わったのか、コゼットは微笑む。


「ま、そうは言っても簡単な手段じゃねーですからね……クロエと交渉してダメなら、そのまま国まで飛んで行って、暴れてやりましょうかしら?」

「部長ひとりで戦争起こす気ですか?」

「ハ? なに他人事ひとごとみたいに言ってますのよ?」

「は!? 俺まで巻き込む気ですか!?」

「この騒動は貴方が発端ほったんでしょうが。最後まで責任持ってっつーの」

「それで戦争しに行くとか、勘弁してくださいよ……」


 今以上のトラブルなどご免だと、いつものようにやる気なしに首筋をかく十路に、コゼットが不満そうに顔を覗き込んでくる。


「じゃあ、他にどんな方法で責任取ってくださるのかしら?」

「そうですね……」


 コゼットを姉のところに連れて行って、その提案をしても、勝ちにはならない。飲ませなければならないので、決裂した場合も考慮しないとならないのは確かだ。ただでさえ物理的にも倫理的にも法的にもギリギリの作戦なのだから、考慮する必要は充分ある。


「ワールブルグの王位継承を定めた法律を読んだ限り、平和的な解決方法はなくもないんですよ?」

「あるならそれ使やぁいいでしょうが。なに渋ってますのよ?」

「まず、国での部長の扱われ方がイマイチわからないですけど、それはそれで別方面の大騒動になると思いますよ? 部長は王位継承権を持つ女王候補なわけですし、国を出て王女じゃなくなるとなれば、国民にとっては一大事でしょう?」

「まぁ……そりゃそうでしょうけど、この際どーでもいいことですわ」

「で。一番の問題は、部長の頑張りなんですけど? 大丈夫です?」

「今の状況をひっくり返せるなら、なんだってやってやりますわよ」

「いや、別次元の頑張りだと思うんですけど……王位継承法じゃなくて、日本の国籍法の問題ですし。もっと言えば法律以外の問題ですし」


 前置きが長かったか、コゼットのイライラがつのってきた。

 仕方なく首筋をなでながら、十路はハッキリ伝えた。


「一番平和的な解決方法は……部外者の外国人でもそう呼ぶのか知らないですけど、部長をコウカさせるんです」

「コーカ?」


 伝わらなかった。漢字も書けるコゼットだが、さすがに日本人でも目にするのもまれで日常生活で使わない言葉は対象外だった。『降下? 硬化? 請うか?』と悩んでるのが丸わかりの思案顔だ。


「さっきから散々部長が言ってる『責任を取る』ですよ」

「……!?」


 今度は夜でもわかるほど白い顔が赤面した。

 男女の間で『責任』という言葉が出れば、別の意味を持つことは、理解できたらしい。


「今のはナシ! 決裂には絶対にさせませんわ! 脅してでもブン捕る!」

「頑張ってください」

「……他人事ひとごとですわね」

「交渉が失敗しても、俺は無関係ですから。コウカの相手が俺である必要ゼロですし。というかもっと社会的立場ある相手じゃないと上手く行かないんじゃ?」

「テメェも一蓮托生に決まってんだろうがア゛ァン!? そんなに嫌かぁ!?」

「嫌ですよ。まだ高校生なのに……」

「あ、そっち……」


 血色を戻そうと頬を叩いて緊張を取り戻し、コゼットは視線で目的地を告げる。


「さ、クロエのところに押しかけましょう。話はそれからですわ」


 何度か訪れてるから、離れた場所からでも見分けはつく。

 人工島中心付近に建つビルのひとつ、ポートホテル・テティス。

 そこにクロエは待ち構えているはず。

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