020_1810 塔を出たラプンツェルはⅣ~#ifndef FLAG_4_~


 昨日の今日でのことだ。当然時間などない。引越しの準備など当然。退学の書類手続きも全然できていない。最小限の引継ぎは終えたので、あとは最小限の荷物をまとめるのが精一杯。手続きも部屋の整理もなにもかも、残りはつばめに全部任せるしかない。


 コゼットはそんな半分諦めたことを考えつつ、目をこすりながら支援部部室にやって来た。充血した目は、野依崎に渡した試作の《魔法使いの杖アビスツール》を、徹夜で完成させたせいだ。


【…………】

「なにか言いたいならハッキリ言いやがれ」

【いえ? コゼットがなにしに来たのかと思っただけですよ】

「私物を片付けに来ただけですわよ……」


 オートバイとのやり取りは、いつもよりも険がある。しかしそれ以上のことはなく、コゼットは部室を見回した。


 置いている私物は、少なくはない。イメージトレーニングの材料ではない専門書籍の多く、自費で買って置いているもの。部員も部外者も勝手に使っているが、ティーポットや茶葉は彼女の私物。コゼットだけでなく時折誰かが暇つぶしに使っているチェスボードも。


 だが、このまま残してもいいかと思い直す。

 持って帰ると大荷物になるという自分の都合もある。

 ないと部員たちが困るだろうという思慮もある。

 だけどそれだけでなく。


(わたくしがここにいたあかしを、残しておきたいんでしょうね……)


 感傷をにじませ、自嘲めいた笑みを浮かべてしまう。


 そんな感情も、テーブルの上にある黒いガラパゴス携帯を見て、すぐ消えた。


「また堤さん、部室に携帯電話を忘れていきましたの……?」

【今回は忘れたのではなく、今朝早くにトージがわざと置いていきました】

「……ハ?」


 『オートバイが変なこと言い出した』と振り返るが、当然そこには充電中の機体があるだけ。読み取れる感情は心理といったものはない。


【『なとせ』という人物があなたと話したがってるから、電話をかけさせろ、とトージに言われました】

「それってこの前、わたくしたちが電話に出てしまって、ちょっと話した方ですわよね?」


 どうやら十路とかなり関わりが深いらしい、底抜けに明るい少女の声が蘇る。

 コゼットとなんの関係もないのに、話そうとしている『なとせ』にも、そして話をさせようとする十路にも、全く理解できない。金色の柳眉りゅうびを寄せてしまう。


【トージは肝心な時に説明をはぶくので、意味不明なことをやるのは、今に始まったことではないでしょう?】

「それはそうですけど……」

【しかし結果として、トージの行動に意味がなかったことは、ないですよ】

「…………」


 言葉に背中を押され、コゼットは携帯電話を手に取った。


 以前は見なかったリダイヤルや着信履歴を確かめると、『なとせ』の名前が並んでいる。そのひとつにカーソルを合わせて、ボタンを押して耳につける。全く知らない、しかもこちらからは用事のない相手に電話することに、心理的な抵抗感を覚える。


(そういえば……この『なとせ』さんは、結局堤さんとどういう関係なのか、聞いてませんでしたわね? どうやら頻繁に連絡しあっているみたいですから、相当深い仲なのは間違いないでしょうけど……)


 恋愛関係は十路が否定していたが、それ以上のことを聞いていない。


 やがてコール音が途切れ、相手との通話がつながった。全く知らない相手に恐る恐る話しかける。


「もしもし……?」

『一番最初にエロい声出してた人だ』


 聞き覚えある少女の声が言っているのは、以前イクセスが声真似して官能セリフを吐いた件だと理解するのに、少し時間がかかった。


「……あれはわたくしじゃありませんわよ!?」

『違うん? 声同じに聞こえっけど?』

「同じですけど違いますわ! そこらは説明すると長くなるから省きますけど! 堤さんとそーゆー関係じゃねーですわよ!」

『にはは。なーんだ』

「……ったく」


 悪びれもせずに、電話向こうの少女は明るく笑う。

 それに軽く舌打ちをし、コゼットはふと思う。


(今の、わざと?)


 根拠はない。しかし抵抗感も不安も消えたために、わざと変なことを言ったのかと、ふと考えた。


『それで、あたしに電話してきたってことは、ぶちょーさんでいいんだよね?』

「えぇ……コゼット・ドゥ=シャロンジェ。堤さんが参加してる部活の部長ですわ」

『わぉ? 日本語フツーだけど、外国の人だったんだ?』

「それで、貴女はどちら様?」

『あたしはつつみ南十星なとせつつみ十路とおじの妹だよん』

「妹さん……? 初耳ですけど……」

『ちょっち複雑なカテーカンキョーなもんでね? ずーっと離れて暮らしてるし、兄貴はそういう話しないと思うよ。だけど、あたしのほうは、ぶちょーさんがどんな人かは、兄貴から聞かせてもらってるよ』


 互いに自己紹介したことで、相手の身元はわかった。十路と深い仲なのも否応なく納得した。


 なのでコゼットは本題に入る。


「わたくしのことをご存知みたいですけど……なぜ貴女に電話をしろと?」

『あたしさ、兄貴のこと大好きだよ』

「…………ハ?」

兄妹きょうだいってっても義理だから、その気になれば結婚もできるし、問題ないからね?』

「…………」


 なんの脈絡もなく、当然のように南十星が放った言葉に、コゼットの思考が止まった。


『あたしは兄貴の誕生日も、趣味も、好きな食べ物も、子供の頃の夢も、昔の思い出も、最近のこと以外なら全部知ってる。離れて暮らしてるけど、少なくともぶちょーさんよりはずっと詳しい。だから今はただの妹だって思われてても、告白して落とす自信あるよ』


 理解できない。恋愛感情を語り、義兄妹であることを教え、しかもそれを聞かせる理由が。


 更に理解できないのが、意識とは関係なく、体が言葉に反応したこと。

 動悸どうきがやや早まる感覚は不安に、産毛うぶげが逆立つ感覚は焦燥しょうそうに近い。


『兄貴とぶちょーさんって、付き合ってないんしょ? しかもさ、いっつも兄貴に『嫌い』って言ってるらしいじゃん? だったらあたしが取っちゃっても、なんの問題もないよね?』


 黙ってしまったコゼットに構わず、南十星は言葉を連射する。それは当てずっぽうの機銃掃射ではなく、痛いところを引っかく全弾必中の連続狙撃だった。

 コゼットを苛立いらだたせるには、充分過ぎる。


「ナトセ、さん……? ケンカ売ってやがりますのね……?」


 敵対心に声が低くなる。


『へぇ? ぶちょーさんはそういう意味に取るんだ?』


 挑発的に声が低くなる。


「他にどう思えっつーんだコラ」

『解釈はいろいろできると思うけど?』

「堤さんもまぁド失礼な方ですけど……妹は比べ物にならないクソ生意気な小娘ですわね……?」

『こっちも兄貴に聞いてたけど、想像以上でドン引いてんだけど? ネコ何匹かぶってんの?」

「…………」

『…………』


 目を細め、視線の鋭さを電波に乗せて、顔を知らないままにらみ合う。


 コゼットは、南十星の話し方や声の明るさから、マスコットキャラのような少女像を想像していたが、とんでもない誤解だった。


 まだ幼く愛らしい姿のため、愛玩あいがん動物と勘違いしてしまうが、鋭い牙と爪を持っていて、その本性は好戦的で凶暴凶悪。迂闊うかつに手を出せばひどい目を見る。

 動物にたとえるなら、既に自力で獲物を狩るすべを知る子虎か。


『――なーんてね』


 いつまで続くかと思われた緊張は、一転した明るい声で破られた。


『そんなワケないじゃーん。そりゃ兄貴のコト好きだけど、血のつながった家族相手にありえないっての』

「貴女、なんのつもりですの……?」


 裏表のある性格を持ちながら、コゼットは腹芸をさほど得意としていない。無難ぶなんに乗り切るだけなら問題ないが、二枚舌を使いこなせない。

 コゼットは素直過ぎる。だからクロエにいつも舌戦で負ける。

 そして今はあっけらかんと話す南十星は、腹黒いクロエもかくやという生き物に思える。先ほど見せた本気は嘘のように霧散している演技力を、コゼットは不気味に感じた。


『失礼なコト言っちゃったのはゴメンね? ぶちょーさんの気持ち確かめたかったのさ』


 声は明るいままだが、語調にやや真剣味を乗せて、南十星は忠告する。


『さっきのをケンカ売ってると思うんだったら、ちゃんと素直になって。そしたら兄貴は、絶対に力になってくれる』


 またも言葉が突き刺さった。先ほどは表面を削って苛立たせるだけだったが、今度は深いところまで届いた。


 先ほどの意図は、確かめただけということは、話す以前にある程度、コゼットの心理について推論立っていたということになる。

 それも兄経由の話で聞いただけで。どれだけ察しがいいのか。そういえば彼女は、以前もイクセスの声真似を見破っていた。


『その時は、あたしも力を貸す』

「貴女が……? 見ず知らずのわたくしに……?」


 南十星はきっと十路と似ていない。いつも気の抜けた無表情を浮かべる兄とは違い、妹はコロコロと表情が変わる少女だろう。

 そして今の彼女はきっと電波の向こうで、幼くない優しい顔をしていると、コゼットは脳裏の片隅で想像する。


『あたしが一番大事なのは、もちろん兄貴だよ。だけど今の兄貴の幸せは、多分ぶちょーさんを守ることに繋がると思うから』

「…………」


 コゼットは唇を噛む。


(なにが起こったか、知らないくせに……)


 だけどその言葉は、彼女の口からは出なかった。

 全く見知らぬ少女が、自分を気にかけてくれる。十路を経由したものでも、その好意まで否定できなかった。


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