020_1900 塔を出たラプンツェルはⅤ~Event driven "Help me"~


 大人になって社会に出れば、覚えた知識のほとんどは使い道がない。けれども逆に、その程度の知識は基礎の基礎だったと思い知る。

 《魔法使いソーサラー》たちも三十数名のクラスメイトと共に、そんな知識を詰め込まれる授業を全て受けた。


 放課後になると十路とおじと樹里は、つばめの連絡で理事長室に呼び出された。一応は野依崎にも連絡したらしいが、いつも通りに地下室から出ていないらしく、姿はない。


 樹里はソファに座っているが、どうにも落ちつかず、何度も座り直している。表情筋を自覚すれば、不安が顔に出ている。


 十路は壁に背中を預けて立ったまま動かない。ただ口元を『へ』の字に曲げていて、どう見ても愉快ゆかいな気分には見えない。


 つばめはメールの返事でも書いているのか、口笛でも吹きそうな調子で、スマートフォンを操作している。


 そんな、そこはかとない緊張と無言の空気が流れる室内に、ノックの音が響いた。三人とも顔を上げ、来客を出迎えるために立ち上がる。


「失礼いたします」


 まず扉を開いて入って来たのは、白のワンピースの上から空色のカーディガンを重ね着したコゼットだった。いつものようにアタッシェケース型空間制御コンテナアイテムボックスを提げている。

 浮かんでいるのは王女の優雅な微笑で、うれいなど欠片も見当たらない。


「失礼します、先生」


 続いてどこかで合流したのか、地味なレディーススーツを来たクロエが入ってきた。油断を誘うふざけた口調ではなく、今日は最初から燦然さんぜんとした王女の顔を見せている。


 メイド服姿のロジェも続けて入ってきた。昨日のこともあり、十路と鋭い視線が一瞬交錯したが、それ以上はない。


 つばめはふたりの王女と従者を見渡し、最後にコゼットに目を留める。


「もういいの?」

「えぇ……と申し上げても、なにぶん急なことで、片付けや手続きはほぼ手付かずです。理事長にご迷惑をおかけすることになりますが……」


 やや目を伏せて、プリンセス・モードのコゼットが申し訳なさそう

 今この場にいる全員が、彼女の地の性格を知っているから、普段はそんな接し方をしない。

 それが樹里は不思議さで、十路は不機嫌そうに、わずかに顔を歪める。


 気づかないはずはないだろうから、無視しているのか。変わらぬ王女の微笑を浮かべたまま、コゼットは樹里に向き直る。


「木次さん。短い間でしたけど、一緒の時間を過ごせて、楽しかったですよ」

「部長……これでいいんですか?」

「仕方ありませんよ。《魔法使いソーサラー》はこういう人種ですし」


 悟った。

 状況が許さないというより、コゼットが望んでいない。変える気がない。

 当人がそれでは、他人がなにをしたところで、無駄にしかならない。


 肩を落とした樹里を心地満足そうに見て、続けてコゼットは十路に向き直る。


「堤さん。押し付けるようで申し訳ありませんけど、今後部のことは貴方にお願いします」

「…………」


 彼は軽く鼻を鳴らしただけ。腕を組んだままで、握手のために差し出された手も無視した。


 冷淡さにやや困ったような顔をしたが、手を引っ込めたコゼットは、つばめにまた向き直る。


「それから理事長。これをお返しします」


 手にした空間制御コンテナアイテムボックスを両手で差し出した。 中身は勿論、彼女の《魔法使いの杖アビスツール》だ。彼女以外に使うことができない代物だが、手続き上は学校の備品であり、持ったまま帰国するわけにはいかない。

 アタッシェケースの上にカードケースと腕章が載せられる。防衛省・警察庁・消防庁から発行された身分証明書と、部活時に身につける簡易身分証明だ。退部するならこれも返却しないとならない。


「先生。コゼットの《魔法使いの杖アビスツール》ですけど――」


 返却品の受け渡しを押し留めるように、クロエの手が乗った。

 買い取るという提案か、引き渡しの指図か。それとも別の話か。


 なんの話か明らかになる前にコゼットの手が動き、つばめにアタッシェケースを持たせたまま、圧縮空間内から装飾杖を取り出し、機能接続を行った。

 ロジェと十路が身構えた。樹里の体は動かなかったが、ここで《魔法》を使ってなにをする気かと思った。


 だが違った。彼女が手にした装飾杖が、音を立てて小さく破裂した。外装が細かく分断されて、内部に納められていた部品が飛び散り、飛行機の空中分解のようにバラバラになる。そして最も重要なCPU部分を収めたマザーボードユニットが、薄く煙を上げて焦げた匂いを振りまく。


 コゼットは、自分の装備を自壊させた。


「クロエ。この件に関しては、口を出さないでくださいな」


 にこやかな王女の仮面のままだが、手の中に残った部品を床に投げ捨てるさまに、不快さが現れている。

 これ以上、人生をもてあそばれるかという、せめてもの抵抗か。

 《魔法使いの杖アビスツール》を《魔法使いソーサラー》が持てば、先進的な開発室にも、最強の兵器にもなりうるのだから、クロエの提案は国政に関わるものとして、間違いではない。

 しかしコゼットは、そうなることへの拒絶の意思を示した。


「……そう」


 妹のこの反応は、クロエの想定内だったのかもしれない。肩をすくめるようにわずかに動かしただけ。


(本当に部長は……)


 ショックを受けたとは違う。落胆や失望とも少し異なる。

 彼女が支援部に対して完全に決別したことに、無力感とないぜとなって複雑な感情が心に満ちる。


「…………」


 十路はただ、眉間のしわを更に深めた。『悪い目つき』どころではなく、もはや凶悪と称していい顔つきだ。


 なにが彼の気に入らないのか、樹里には見当つかない。

 コゼットの退部に関して、彼は冷淡だった。誰よりも《魔法使いソーサラー》の現実を知る彼ならば、納得できないことでもないが、ここに来てその顔はなんなのかと不審に思う。


 そんな彼に対し、なぜかクロエが挑戦的な目を向けた。話しかける相手は彼ではないにも関わらず。


「先生。コゼットは今夜一〇時の、神戸空港発のチャーター機で帰らせます」

「あれ? その言い方だと、クロエちゃんは一緒に帰国しないの?」

「少々仕事が残っていますもので。あぁあと、帰国するまでは、わたくしが泊まる部屋にコゼットもいてもらいます」


 樹里も変な会話、とは思ったが、それ以上は思わなかった。


「それでは皆さん、ありがとうございました」


 コゼットが一例し。


「では、失礼します」


 クロエとロジェと共に出ていき、静かに扉が閉められた。


 それだけ。なんとも呆気ない。

 樹里は二ヶ月少々、十路は一ヶ月ほど。大した長くない時間を共有した者と考えれば、十分かもしれない別れの言葉だった。


(見捨てるしかないってわかってても……)


 樹里は歯噛みする。


(どうして《魔法使い》なんて呼ばれてるのに、こんな時にはなにもできないんだろ……)


 彼女の大して長くない人生においても、幾度となく打ちのめされた無力感をかみ締めてると。


 不意に盛大な舌打ちと共に、十路が言葉をこぼした。


「――らないなぁ……」

「ふぇ?」


 野良犬が後肢でやるように、彼は首筋をかきながら歩み寄り。


「気に入らない」


 苛立いらだちを後ろ回し蹴りに変えて、扉に叩き込んだ。


 樹里は唖然と固まっていたが、彼が大股で出て行ったのに、慌ててついて行く。


 自分たちが出てきた扉が爆発したように開かれたことに、王女たち三人は驚き顔で振り返っていた。

 知ったことではないと、十路は困惑するコゼットにつかつかと歩み寄る。


「クロエ王女。この人と話があるので、先に行ってもらえないですか」


 一応なれど言葉は丁寧だが、語調は命令に近い。しかもそちらの方向は見もしない。

 ロジェがなにか言おうとしたが、クロエが制する。


「コゼット。車で待っています」


 学院全体の管理部署が入っている一号館は、普段ならばそれなりに人の行きいがある。しかし放課後になってから少々時間が経ち、職員の定時も近いため、今は人気ひとけはない。せいぜい十路を追った樹里がいる程度だった。


 そんな静かな廊下で、ひるんでいるのをどこか強がっているように、王女の仮面を被ったコゼットは顔を上げた。


「まだなにか、わたくしにご用が?」

「胸クソ悪いんですよ。最後までそんな態度で乗り切ろうなんて……イクセスが部長をボロクソに言うの、よくわかりますよ」


 樹里は知らないこと。以前イクセスは、コゼットに喧嘩を売る理由を十路に問われ答えた。


――王女サマ~なまし顔を見ると、ゆがませたくなるからです。

――お行儀よくしてるのが、あの女の本性なわけないでしょう?

――ギャーギャーわめくのがお似合いなんですよ。

――ま、それすらも仮面かぶってるんでしょうけど……


 同じことを十路も感じているから、ずっと苛立っているなど、知るはずもない。


「ぐっ――!?」

「先輩!?」


 だからワンピースの胸倉を掴み上げ、コゼットを爪先立ちにさせたのも、ただの暴挙にしか映らず、樹里は慌てて止めようとした。


「すっこんでろッッ!!」

「――!!」


 しかし野良犬の威嚇に、子犬のようにすくんでしまう。

 十路のしゃべりは普段ボソボソしているが、砲火の中でも命令伝達できる声に鍛えられている。本気の怒声をぶつけられると、身の危険すら感じる。


「裏表激しいし、意地っ張りだし、ケンカっ早いし、理不尽なことでも平気で言うし、可愛げないし……」


 樹里の邪魔が入らないのを見届けてから、十路はコゼットに顔を近づけ、怒りで燃える瞳で見据え、一言一言ゆっくり切るように低い声で語りかける。

 女性相手にやることではない。しかし彼は容赦ようしゃしない。


「だけどさ、俺、結構アンタのこと、気に入ってるんだよ……?」


 コゼットの仮面は二枚重ねになっているから。

 一枚目は常日頃着脱されているが、二枚目は普通の手段では外すことができない。そして今を逃せば次はない。


「でも今のアンタ、なんだ?」


 彼女の口から本音を引き出すために、十路は叫ぶ。


「泣きそうなクセして必死に我慢して! いつまで王女サマやってんだ!?」

「……っさいですわねぇ……! 好き勝手言いやがるんじゃねーですわよ……!」


 胸倉を掴まれたまま、コゼットは顔を怒りに染めて、十路の胸倉を掴み返す。

 一枚目の仮面はかなぐり捨てられた。誰もがあこがれる、優雅でしとやかな完璧な王女の顔が。


「空気読まないし平然とアンタ呼ばわりしやがるし人の心ン中にズカズカ入ってきやがるデリカシーない貴方は何様のつもりだっつーの……!」


 コゼットは、大きく息を吸って吐き捨てる。


「――だから貴方は嫌いなんですわよ!」


 いつも使っていたそのセリフを。

 ここ数日、事態が加速的に過ぎたために、しばらく使っていないようも感じられる、その言葉を。


「嫌いで結構! アンタに好かれようと思ってないんでな!」

「貴方はいつもそう……! 開き直って自分の悪いところ改めようともしない……!」

「都合が悪くなれば『うっさい黙れ』か『貴方嫌い』で話ぶった切るクセになに言ってる!?」

「~~~~ッ!!」


 それはいつかの喧嘩の続きを思わせる、幼稚な言葉の投げ付け合いだった。

 しかし違う。


「貴方はなにしたいんですのよ……!?」

「俺は今の生活を続けたいだけだ。やかましいし、コキ使われるし、時々命を狙われたりするけど、結構気に入ってるんだよ」

「だったらわたくしを止めようとすんじゃねーですわよ……! いなくなった後に好きにすればいいでしょうが……!」

「アンタがこんな形でいなくなって続けられるか!」


 言葉を投げ返すたびに、コゼットの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。


「トラブルご免なら放っておきなさいよ……! 他人ひとのことに首突っ込むんじゃねーですわよ……!」


 二枚目の仮面が外れた。意地っ張りで喧嘩っ早い、部員たちが見慣れた、素の彼女が。


 その下にある真の顔は、希望を抱いて、だけど臆病で一歩が踏み出せなくて、後悔して絶望して、そして望まぬ道を歩くことになる。

 まるでか弱い、内気な少女だった。


「中途半端に優しくしないで……! 中途半端にまもろうとしないで……!」


 ゆっくりと倒れかかるように、すぐりつくように、コゼットが額を十路の肩に押し付ける。胸元を掴みあげていた彼の手は、いつの間にか力を抜いていた。


「わたくしが《魔法使いソーサラー》なのが全ての原因ですわよ……!? こんなこと、貴方でもどうしようもできないでしょう……!」


 彼に顔を見られない姿勢で、コゼットは唇と肩を震わせて、しぼり出すように全力で否定する。


「なのに期待してしまうじゃないですの……!」


 都合のいい時に助けてくれる、白馬に乗った王子など、現実にはいないと。


 現実とは、冷たく固く巨大で変えがたく一部しか見る事ができない、氷山のようなものだと、彼ら、彼女たちはよく知っている。


 そしてこの世界にある《魔法》は科学技術で、おとぎ話に出てくる『魔法使い』のように、願えばなんでも叶えられる不思議な力など存在しない。

 しかし、そして、だからこそ、十路は告げる。


「俺は、出来損ないでも《魔法使い》だ」


 願いを叶える『魔法使い』になると。


「アンタの望みを言ってみろ」

「…………」

「一〇年間、死に物狂いで努力して手に入れた生活ものを、こんな簡単に手放していいのか?」

「……ぃゃ……」

「だったら言えよ! !!」


 白馬に乗った童話の王子が、ラプンツェルを助けようとしたのは、彼女が閉じ込められた身をなげき、外の世界に想いをせ、おのれなぐさめるために歌っていたのが発端だった。


「……けて……」


 しかし努力を重ねて自由を得た現実の娘は、そんな言葉うたなど口にしていない。

 実在の有無が問題ではない。白馬に乗った王子がいたとしても、求めなければ絶対に現れるはずがない。


「たす、けて……!」


 だから今、再び閉じ込められようとする娘は、葛藤の末に口にする。


「もう閉じ込められるのは嫌……! わたくしはただ……普通に生きたいだけなのに……! 誰もがそれを許してくれない……!」


 みじめで不格好な涙と共に絞り出された、唯一の願いを。


「だから……! 助けて……!!」

「……よく言ってくれました」


 荒い態度が嘘のように、十路は薄い背中に手を廻し、子供をあやすように軽く叩く。


(あぁ、そうだったんだ……)


 夕暮れが近くなり、長く伸びたふたりの影が重なるのを見て、樹里はようやく得心した。


 十路はずっと待っていた。たった一言を。求めが彼女の口から発せられるのを。


 彼らの部活動の名前は、総合生活支援部という。可能な依頼がなければ部室で駄弁だべっているだけの、学内のなんでも屋。

 そしておとぎ話の『魔法使い』たちは、誰かの願いを叶える存在だから。

 誰も願いを口にしなければ、その存在価値を発揮できはしない。



 △▼△▼△▼△▼



 かくして物語は加速する。



 野依崎雫は地下の自室で、仕事を押し付けられた。


「なんでありますか、理事長プレジデント……」

「まずコレの管理よろしくー」

「ミス・キスキと部長ボスのアイテムボックスまで……?」

「それから、わたし今から、お偉いさんと交渉しに外出するんだよー」

「面倒であります」

「だけどメル友が神戸に来るから、代わりにお迎えして? これ資料」

「お断りであります」

「一四歳女子中学生JC! 若いっていいねー!」

「……ッ! 無視するんじゃないで――!」

「そんでその子、新入部員候補なのだよ」

「……え?」


 木次樹里は急いで実家に戻り、釈明しようとした。


「お姉ちゃん……」

「あら。樹里ちゃん、お帰り」

「私の周りでなにが起こってるか、知ってると思うけど――」

「うん。だからこれ渡したくて、つばめに伝言頼んだんだけど」

「……ふぇ? 止めないの?」

「私は止める気ないわよ? どうして止める話になってるのよ?」

「ってゆーか、なにこれ!?」

「遅れてた部品のひとつが、やっと完成したのよ」


 ナージャ・クニッペルと高遠和真は、買い物に出かけていた。


「じゃーん! 和真くん、この服どうです?」

「…………!」

「なに肩と拳を震わせて感動してんですか」

「やっと……やっと、ナージャとデートっぽい事ができてる……!」

「いえいえ、これ、デートじゃないですよ」

「わかってます! それでも俺は嬉しいのです! できれば次――」

「ふふっ。次の機会なんてあるわけないじゃないですかー」

「なぜ!? 誘う前から断られた!?」


 クロエ・エレアノール・ブリアン=シャロンジェは、ロジェ・カリエール相手に、お茶していた。


「『あの方』との連絡は取れました?」

「はい。殿下が要求されたものは、全て準備万端とのことです」

「そう……指揮は、ロジェに任せます」

「……かしこまりました」

「なにか言いたそうですね?」

「殿下。『あの方』とは、これっきりにした方がよろしいのでは?」

「理由は?」

「『あの方』が持つ影響力は、大きすぎます」

「欧州首脳陣を脅迫して、兵力を我々に貸すような方ですからね……」

「しかも『あの方』の目的は、理解できません」

「だから、後でなにを要求されるか、怖い?」

「ありていに申し上げれば、そういうことです」

「必要以上の馴れ合いはしません。今回は目的のために必要ですけど」


 堤十路はオートバイに体重を預けていた。


【またトージの無謀な作戦に、私も付き合わされるのですね……】

「あのな、イクセス? 仮でも俺の《使い魔》なら、いいかげんあきらめろ」

【私はトージの《使い魔ファミリア》というより、どちらというとジュリのなんですけどね……】

「そう言うな。俺はお前がいなければ、なにもできない出来損ないだ」



 役者はそろった。舞台は整った。

 あとは緞帳どんちょうを上げればいい。

 童話とは違う塔の娘ラプンツェルの物語。その最終幕が開演する。

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