020_1600 つまりこれは遠まわしな宣戦布告Ⅲ~Decompress file -Arrogance Lion & Military Falcon-~
またも黒のポーンが、陣地の奥深くに入った。
「プロモーション、クイーン」
クロエの手で、ただの丸棒にも見える駒が交換される。
「……ッ」
ハンデがあっても『やはり』という気持ちが強いが、それでも十路は舌を打ってしまう。
駒の数が違うのだから、序盤はもちろん十路が押していた。しかし意識を一方のサイドに引き寄せられ、反対側で
クロエが強すぎるのか。十路が弱すぎるのか。そのどちらもか。
「わたくしとコゼットとの対戦成績は、ニ一七戦〇勝〇敗ニ一七引き分けです」
いつしかクロエの口調が変わっている。
結局は彼女も、コゼットと同じことをやっているのだろう。意図があって仮面を
ただしクロエのそれは、コゼットとは違う。
勝負に熱くなって取り
「もともとチェスは、引き分けになりやすいゲームですけど、コゼットと対戦した場合は、それとは違うのですよ」
「はぁ」
クロエが駒を動かし、
キングを逃がすことで回避すると、当然クィーンを取られる。もう逆転の目がないのは明らかなので、話に集中することにした。
「コゼットはわたくしに言い負かされそうになったら、すぐに投げ出してしまいます」
「あの人、そういうトコありますね。俺が正論ふっかけたら、『嫌い』って言って議論を逃げますし」
「チェスの時でもそう。
「あぁ、部長ならやりそう」
「……大事な局面では、いつも逃げますのよ、あの子」
ずっと微笑を浮かべた余裕の態度だったクロエだが、最後の言葉だけは、嫌悪感を
しかし十路には、その声のほうが、自然な家族らしさが出てるように感じた。妹の出来の悪さを
「チェックメイト」
そんな空気を叩き割るように、クロエがクィーンの駒を叩きつけるように置く。
黒のキングに逃げ場はない。
「……参りました」
「では、わたくしの質問に、正直に答えてください」
それが勝者のご褒美であり、敗者の罰。どんな質問がくるかと、十路はやや身を固くした。
「貴方は、コゼットのなんですか?」
「は?」
《
「なに、と言われても……部活仲間。同じクラブの
隠す必要も内容もないので、やや早口で返すと、クロエは困惑顔を向けてくる。
「……本当に?」
「なんなら妹さん当人に聞いてもらえばわかります」
「……コゼットに訊いたら、別の答えが返ってくるようにも感じましたけど」
クロエが期待した答えなど、十路には推測できない。
私的会談でホテルに同行したのは、早く帰るための理由として強制連行された。
パーティ会場で彼女の前に引きずられたのは、一応は顔見知りだからという理由で。
姉妹の口論を止めようと動いたのは、不利益を感じて空気を読む必要性を覚えなかったから。
それだけでしかない。
特別な関係にあり、彼女が十路を頼りにして、彼はコゼットを守ろうとしてたからなど、見当違いもはなはだしい。
「……では、質問の仕方を変えさせてもらいます」
出鼻をくじかれたようだが、クロエは立ち直り微笑を消した。もしも勝てば十路もそのつもりだったが、賞品の質問はひとつではないらしい。
「コゼットはわたくしのことを、敵だと話しませんでしたか?」
「えぇ。言ってました」
クロエに会う直前、そして後に、姉のことを『生涯の敵』と評していた。
「その理由は?」
「詳しくは聞いてません」
単にクロエのふざけた言動と婦女子趣味を嫌っているとも考えるが、今の王女然とした彼女を見る限り、違うと十路は予想する。
姉がこんな本性を持っていることを、妹が知らないとは思えない。
「わたくしも同じですよ。敵というか、コゼットのことが大嫌い」
口が裂けたような笑みを浮かべる。ニンマリとした
「クロエ王女の妹でしょう?」
「それ以前に、《
十路も自然と目を細め、声が低くなる。
「パーティの時、部長が言ってたとおり、『都合のいい解釈』ですね」
チェスに勝った折り、十路が質問したかった内容のひとつが、思いもよらない形で知ることができた。
「ムッシュ・ツツミ。貴方はご自分が人間だと思っていますか?」
「いいえ。思っていません」
十路ひとりの話であっても、異能で何人もの人命を奪った過去を持つ、軍事兵器なのだから。
《
しかし大事な
「だけど、人間でありたいとは思っています」
そんなことはクロエにとって、どうでもいいらしい。
「ナイフやも銃を持たず、考えるだけで人を殺せる化け物を、我が国では人間だとは思われていないのですよ。というより、ヨーロッパ圏ではそういう国がほとんどですけど」
世界史の教科書に必ず記載されている、ヨーロッパ圏での大事件がある。一三世紀から一八世紀にかけて発生した異端迫害。
俗に言う、魔女狩りだ。
しかし告発を受けて処刑された『魔女』に、果たして本物が存在したかと訊けば、オカルトを本気で信じる者でなければ首を振るだろう。
『魔女』の正体は、デマやまやかしに踊らされた、ごく普通の人々でしかない。無知が原因で起こった狂乱の
だが、真実本物の『魔女』が存在したならば?
そして現代、オカルトを科学技術で再現する《
《魔法》を持たない普通の人々は、異能の持ち主を、隣人として受け入れるだろうか?
答えはほとんどNOだろう。
「そりゃそうでしょうね。俺たちがこの学校で、民間人に混じって生活してるのが異常なんですから」
刑期を終えた元犯罪者や、悲惨な戦争に従軍した元兵士を、社会の異物として危険視する者もいる。
それは差別と呼ばれる。過去は血にまみれていても、現在は違うことも充分ありえる。誰かの命を奪う罪は重いが、自分は違うと妄信して
同時に無理もない警戒心でもある。
地中の不発弾みたいなものだ。昨日までその上で笑っていられたのに、存在を知ってしまったがために安心できない。それまでの日常生活を取り戻すためには、誰もが排除を望む。
そのようにひとつの国内だけでも、人々の考え方は様々なのに、更に他国と比較すると文化の違いもある。
特に日本の場合、宗教的価値観は相容れない。
人間はサルから進化した生き物で、聖書に書かれているように神の造形物など考えない。
損得勘定ならばまだしも、信仰心に命をかける者の気など知れない。
《
「えぇ……本当に不思議な学校ですね。
だが、よくあることだ。世界的にはそのような理由で《
「そこは理事長の学校運営方針だと思いますけどね。俺たちも小中学生に、《魔法使い》がどういう存在か、
「『悪魔」と仲良くしましょうって理想のことは、昔、先生から聞かされましたけど……いろいろ教わり尊敬してる方ですけど、そこだけは
「魔法が当たり前にフィクションの中に出てくるのは、むしろそちらの欧米圏の文化だと思いますけど?」
「現実と一緒のものさしで計らないでください。あんな力に
クロエが《
歴史や文化や宗教観によるもの。つまりお国柄だ。
未知に対する恐怖もある。《魔法》はオカルトではなく科学技術だと説明しても納得することない、もっと根本的で原始的な、
他人が説得しても意見を変え
しかし《
「《
百歩譲って、《
だが《
常人と超人という枠組みだけで考えれば、常人の振舞いはあまりにも身勝手だ。《
「だから?」
笑顔のクロエに通じるとも思っていない。通じるなら世界から、あらゆる戦争や対立が存在していない。
これでは姉妹で
理屈でもなければ、《
彼女たちにとって存在すら許容できない。
『悪魔』のように。
「ムッシュ・ツツミは、ラプンツェルという童話をご存知です?」
「確かグリム童話でしたか?」
母親が魔女の庭の
「コゼットは、それなのですよ」
「……なるほど。それでネット辞典で部長の項目に、『病気がち』なんて書かれてたわけですか」
クロエの
コゼットは《
それが国家に管理されるべき《
「それで? 妹さんをどうしたいわけですか? 昨日の襲撃、クロエ王女の差し金でしょう?」
クロエにチェスに勝った折り、質問したかった内容のふたつめが、思わぬ形で確認することができそうだった。
彼女も一時、軍関係者であったこと。彼女たちの国には多国籍部隊司令部が置かれていることの関連だ。
「あら? なぜわたくしが?」
言葉とは裏腹に、クロエに驚いた様子はない。白々しいとは思うが、十路がどこまで理解しているかというカマかけでもあるだろう。隠す必要もないので、遠慮なしに説明する。
「疑う理由のひとつは、レセプションの時、俺たちが連れてた部外者まで襲われたからです」
その後に路上で本物と銃撃戦を繰り広げたが、パーティ会場には支援部員たちを腕試しするデモンストレーションとして、特殊部隊風の集団がモデルガンを手にして突入してきた。
あの時、部外者のナージャまでも襲われた。
支援部員は国家に所属していないワケあり《
だがナージャは違う。一応つばめに依頼されてだが、タダ飯目的でついてきただけの女子高生だ。部員のパーティ参加自体が唐突だったが、彼女の参加はもっと突然だ。
なのに襲撃の標的に、ナージャが含まれていたのはおかしい。
一連の作戦行動を命じた者が、十路も知らなかった彼女の戦闘能力を承知していた。
あるいは支援部員が重要人物と仲間、どちらを優先するか天秤にかける真似を行った。
そんな可能性もなくはないが、低いと判断した。
十路が想定する、ナージャも襲撃された理由は。
支援部にとっての弱みになると考えたから。
そして
「そしてもうひとつ。昨日、会場で銃を持った連中がなだれこんで来た時、クロエ王女もそこのメイドも、驚いた様子がなかったからです」
襲撃の後にそれとなく確かめても、彼女たちの立ち位置が変わっていなかった。
特に奇妙なのは、
「会場の他の皆様と同じように、恐怖で棒立ちになってただけかもしれませんよ?」
「クロエ王女がそういう返しをしなければ……あと、そこのメイドが殺意マンマンの目をしてなければ、まだ信じることができたんですけどね」
視界の隅で確かめると、何気なく黙って
弓が引き絞られ、放たれるのを待つ矢のように、体に適度に力を入れて。しかし
だから十路も、座った姿勢を少し調整しただけで、過度な反応はしない。
「ムッシュ・ツツミ。ついでにお訊きしますけど、なぜわたくしが、どういう目的で襲撃を
「パーティ会場でも、その後で追ってきたバイクも、仕留めることができればラッキーくらいの気持ちで、本気になって殺そうとしたわけじゃない。俺たちの力試しと警告だろう思ってます」
「では、本当の目的は?」
「あの会場にいた社会的影響力を持つ人物に、
殺すつもりでも本気度が足りなすぎる襲撃。
なぜか
仲の悪い姉妹。
クロエと話していて、ようやく点は線に
「支援部――いや、クロエ王女の妹さんが所属する組織は、かなり特殊なんですよ」
十路はわざわざ言い直し、コゼットのことだと協調する。
「本来国家事業として管理される《魔法使い》が、民間の主導により、一般人との関わりを調査する社会実験を行っているチーム。その運営は、技術提供や街の治安維持などを条件に、資金提供を受けて行われています。あのパーティにいた政治家や企業の
十路が話していても、クロエの顔は全く変化がない。優美な微笑から変わらない。
立場ある人物となれば、腹で物を考える二面性が必要なのかもしれないが。あれでいてコゼットも感情を隠すのは上手い。
「だからあの会場で、あるいは街中での戦闘で、俺たちの失態を作ることで、その協力関係にヒビ入れようとしたんじゃないかと、ふと考えたわけです」
害するための物理的なものではなく、社会的な支援部への攻撃。
それが十路が思い描いた、一連の目的だ。
そこに至るまでの不審も小さなものでしかない。つい先ほど携帯電話で調べた、あてにならない情報を元に組み上げた推論。
確証を得る情報の入手を、
しかも案内途中の気まぐれで、不審な当人たちから情報を得ることできた。
「俺にはこれ以上の腹芸は無理なので、ハッキリ訊きます」
結局のところ、質問をかけたチェスの対局は意味がなかった。クロエが知りたいこととは、十路が知りたいことをどう考えているかなので、どちらが口火を切るかの問題でしかなかった。
「《魔法》や《魔法使い》に
ならば連れ戻そうとするか。
あるいは殺そうとするか。
「だとしたら? どうします?」
クロエは
「わたくしはそれを問いたい。貴方はその時、コゼットの味方をします?」
「さぁ? 状況による、としか言えませんけど――」
十路は
「クロエ王女の味方になる事は、ありえないですね」
刹那、
銀閃が
一秒後には、座っていた十路はソファから離れ、獣じみた低い姿勢で、ガレージの外に転がり出るように距離を開いていた。遅れてソファが背もたれを下に倒れる。彼が後ろに倒れこむようにして、その場を飛び退ざったために。
「その
刃に頬をなでられ、冷たい汗と流した一筋の流血に、十路は
「
クロエの前に出たロジェは、表情を変えずに答える。感情がわからない鷹の観察眼を向けて。
彼女の手には、『く』の字に曲がった大型ナイフ――ネパールやインドの部族たちが使用していた短刀、ククリナイフが握られている。それを抜き打ちで振るわれたのを、十路は避けた。
彼女のスカートのポケットには、穴が空いていたのだろう。そこから手を入れ、皮の
ロジェ・カリエールという女性が、軍事関係者であったことを見抜いていても。
「アンタの出身は、フランスの外国人部隊かと予想してたけど、イギリスのグルカ旅団だったか?」
「
返事は期待していなかったが、意外にもロジェは律儀に答えた。
「なぜ私の経歴がわかったのですか?」
「
これも彼の前の学校――自衛隊育成機関で得た知識だ。
世界的にも名が知られるフランスの外国人部隊員の多くは、偽名で活動する。
「ムッシュ・ツツミ。貴方は殿下の敵になるのですね」
「状況によるって言っただろ?」
「味方をしないというだけで、十分です」
ロジェは感情を感じない声と共に、改めてククリナイフを片手で構える。日本の刀とは逆、湾曲した内側を向けて。
「《魔法》が使えない『出来損ない』とはいえ、《
「……?」
言葉の違和感に、十路の表情が動く。
それをクロエは、
「意外ですか? わたくしたちが
「……いや」
「俺を《
ともかく話を打ち切る。これ以上続けると、十路ではボロが出る予感を覚えた。
それを援護するように、ロジェの胸元に光の点が照射された。
「!」
即座に彼女は反応し、言葉を切って身を
直後、彼女が立っていた空間を小規模の落雷が外から横切って、部室の壁に小さな焦げを作った。
《魔法》による非実体射出型スタンガン。クロエとロジェは顔しか知らないであろう、ある《
「……忘れていました。ムッシュ・ツツミとコゼット殿下の他に、ここにはもうひたり《
「地味ですから、存在感薄いですけどね」
不意の狙撃にも動揺しないロジェの言葉に、長杖に乗って飛んで来た樹里が応じる。いつもの
「授業サボらせて悪いな、
「つばめ先生から部活のメールが入って、堤先輩の援護を頼まれましたけど……こういう事だったんですね」
だから十路は、クロエの案内を頼まれた時、つばめに『部活か?』と念押しした。
危険が予想されるのか、という意味で。
彼女は肯定したから、十路は樹里にも協力を求めた。一緒にではなく遠くから。《魔法》で会話を聞ける範囲、狙撃距離からの警戒を。
樹里が長杖を改めて構えたと同時、誰も触れていないのに、オートバイに接続されていた充電ケーブルがコンセントから外れた。
【トージ、そろそろやっちゃっていいですか? 私の
「ここには《
オートバイが女性の声を発したのにも、全くロジェは表情を動かさない。
曲がりなりにも三対ニだ。十路は素手、樹里は半人前、最後はオートバイという混成だが、さすがに分が悪いと踏んだのか、ロジェは積極的に攻めるのを止めた。
クロエはというと、態度を変えることなく悠然とソファに座ったまま。
「
「
「そう……コゼットも来ないようですし……仕方ないので、そろそろお
涼しい顔で冷めた紅茶を飲み干し、彼女は静かにカップを置いた。
「ムッシュ・ツツミ。これをコゼットにお渡しください」
その隣に、小さなケースに入ったSDカードが置かれた。
「クロエ王女からだって知ったら、部長は中身を確認もせずに捨てそうな気がしなくもないですけど?」
「『両親から』とお伝えください」
十路は素直に頷いて、彼女の意に沿うことを伝えた。
クロエはソファから立ち上がる。
何気ない挙動に、
「お話にお付き合い頂き、ありがとうございました。なかなか有意義な時間でした」
「なんの持て成しもしてませんが、楽しんでいただけたらよかったです」
十路の素っ気ない返事に軽く
ふたりが完全に見えなくなって、ようやく緊迫した空気が
【トージ、いいのですか?】
親指でなでて頬の血を拭いながら、王女たちに手出ししないよう、十路はイクセスに説明する。
「いま俺たちが手を出したら、ややこしくなる。それに今回の目的は、俺たちへの宣戦布告って程度だろ。なにか知らんが、部長に」
「王女様が、私たちの敵、ってことですか……」
「さぁな……」
対し十路は、いつものやる気なさげな態度で返す。
「ふぇ? まさか違うんですか?」
「そうじゃなくて、さっきメイド相手に言ったろ? 状況次第だって」
十路は倒したソファを起こし、体を投げ出す。
そして、野良犬のようにため息をついた。
「まぁ、どっちにしろ……面倒事になってきた」
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