020_1600 つまりこれは遠まわしな宣戦布告Ⅲ~Decompress file -Arrogance Lion & Military Falcon-~


 またも黒のポーンが、陣地の奥深くに入った。


「プロモーション、クイーン」


 クロエの手で、ただの丸棒にも見える駒が交換される。


 昇格プロモーションとは、将棋で言うりだ。ポーンが相手陣地最奥に入った時、キング以外の駒へ変化させることができる。チェスの基本ルールだが、将棋のほうが競技人口が多い日本では、意外と知らない者も多い。


「……ッ」


 ハンデがあっても『やはり』という気持ちが強いが、それでも十路は舌を打ってしまう。


 駒の数が違うのだから、序盤はもちろん十路が押していた。しかし意識を一方のサイドに引き寄せられ、反対側で昇格プロモーションが行われてしまった。


 クロエが強すぎるのか。十路が弱すぎるのか。そのどちらもか。

 

「わたくしとコゼットとの対戦成績は、ニ一七戦〇勝〇敗ニ一七引き分けです」


 いつしかクロエの口調が変わっている。

 結局は彼女も、コゼットと同じことをやっているのだろう。意図があって仮面をかぶり、言葉づかいを変えて、本性を隠す。


 ただしクロエのそれは、コゼットとは違う。

 妹姫コゼットは王女の顔が仮面。姉姫クロエは王女の顔が本性。気品あるオーラを放ち、周囲に畏怖いふいだかせる存在感の出し方が、姉妹で真逆だった。


 勝負に熱くなって取りつくろうのを忘れたなどとは思わない。クロエが本性を出して接してきたことに、十路は意図をつかめない。ただ顔に出さないよう対局を続ける。


「もともとチェスは、引き分けになりやすいゲームですけど、コゼットと対戦した場合は、それとは違うのですよ」

「はぁ」


 クロエが駒を動かし、王手チェックをかけてきた。しかもクィーンを同時に取れる位置に。

 キングを逃がすことで回避すると、当然クィーンを取られる。もう逆転の目がないのは明らかなので、話に集中することにした。


「コゼットはわたくしに言い負かされそうになったら、すぐに投げ出してしまいます」

「あの人、そういうトコありますね。俺が正論ふっかけたら、『嫌い』って言って議論を逃げますし」

「チェスの時でもそう。ボードをひっくり返して、勝負をあやふやにしてしまうんですよ」

「あぁ、部長ならやりそう」

「……大事な局面では、いつも逃げますのよ、あの子」


 ずっと微笑を浮かべた余裕の態度だったクロエだが、最後の言葉だけは、嫌悪感をあらわに吐き捨てた。普通に考えるならば、姉が妹を評しての感情ではない。


 しかし十路には、その声のほうが、自然な家族らしさが出てるように感じた。妹の出来の悪さを愚痴ぐちるような、そんな雰囲気。


「チェックメイト」


 そんな空気を叩き割るように、クロエがクィーンの駒を叩きつけるように置く。

 黒のキングに逃げ場はない。


「……参りました」

「では、わたくしの質問に、正直に答えてください」


 それが勝者のご褒美であり、敗者の罰。どんな質問がくるかと、十路はやや身を固くした。


「貴方は、コゼットのなんですか?」

「は?」


 《魔法使いソーサラー》は秘密が多い。そういった表沙汰にできない質問が来るかと警戒していたが、拍子抜けする質問だった。


「なに、と言われても……部活仲間。同じクラブの部長リーダー部員メンバー。それ以上でもそれ以下でもないですけど?」


 隠す必要も内容もないので、やや早口で返すと、クロエは困惑顔を向けてくる。


「……本当に?」

「なんなら妹さん当人に聞いてもらえばわかります」

「……コゼットに訊いたら、別の答えが返ってくるようにも感じましたけど」


 クロエが期待した答えなど、十路には推測できない。


 私的会談でホテルに同行したのは、早く帰るための理由として強制連行された。

 パーティ会場で彼女の前に引きずられたのは、一応は顔見知りだからという理由で。

 姉妹の口論を止めようと動いたのは、不利益を感じて空気を読む必要性を覚えなかったから。

 それだけでしかない。


 特別な関係にあり、彼女が十路を頼りにして、彼はコゼットを守ろうとしてたからなど、見当違いもはなはだしい。


「……では、質問の仕方を変えさせてもらいます」


 出鼻をくじかれたようだが、クロエは立ち直り微笑を消した。もしも勝てば十路もそのつもりだったが、賞品の質問はひとつではないらしい。


「コゼットはわたくしのことを、敵だと話しませんでしたか?」

「えぇ。言ってました」


 クロエに会う直前、そして後に、姉のことを『生涯の敵』と評していた。


「その理由は?」

「詳しくは聞いてません」


 単にクロエのふざけた言動と婦女子趣味を嫌っているとも考えるが、今の王女然とした彼女を見る限り、違うと十路は予想する。

 姉がこんな本性を持っていることを、妹が知らないとは思えない。


「わたくしも同じですよ。敵というか、コゼットのことが大嫌い」


 口が裂けたような笑みを浮かべる。ニンマリとしたいやらしい、戦闘的で意欲的で前衛的で積極的で挑発的な笑み。


「クロエ王女の妹でしょう?」

「それ以前に、《魔法使いソーサラー》などという、けがれた悪魔ですよ?」


 十路も自然と目を細め、声が低くなる。


「パーティの時、部長が言ってたとおり、『都合のいい解釈』ですね」


 チェスに勝った折り、十路が質問したかった内容のひとつが、思いもよらない形で知ることができた。


「ムッシュ・ツツミ。貴方はご自分が人間だと思っていますか?」

「いいえ。思っていません」


 十路ひとりの話であっても、異能で何人もの人命を奪った過去を持つ、軍事兵器なのだから。

 《魔法使いソーサラー》と呼ばれる者は、史上最強の生体万能戦略兵器だ。実際その力を行使したか否かはケースバイケースだが、潜在的にそれだけの力を持つ現実は、どうやってもくつがえすことはできない。


 しかし大事な意思ことばを付け加える。


「だけど、人間でありたいとは思っています」


 そんなことはクロエにとって、どうでもいいらしい。


「ナイフやも銃を持たず、考えるだけで人を殺せる化け物を、我が国では人間だとは思われていないのですよ。というより、ヨーロッパ圏ではそういう国がほとんどですけど」


 世界史の教科書に必ず記載されている、ヨーロッパ圏での大事件がある。一三世紀から一八世紀にかけて発生した異端迫害。


 俗に言う、魔女狩りだ。

 しかし告発を受けて処刑された『魔女』に、果たして本物が存在したかと訊けば、オカルトを本気で信じる者でなければ首を振るだろう。


 『魔女』の正体は、デマやまやかしに踊らされた、ごく普通の人々でしかない。無知が原因で起こった狂乱のあわれな犠牲者でしかないと、科学がオカルトを駆逐している現代では簡単に想像ができる。


 だが、真実本物の『魔女』が存在したならば?

 そして現代、オカルトを科学技術で再現する《魔法使いソーサラー》の場合は?

 《魔法》を持たない普通の人々は、異能の持ち主を、隣人として受け入れるだろうか?

 答えはほとんどNOだろう。


「そりゃそうでしょうね。俺たちがこの学校で、民間人に混じって生活してるのが異常なんですから」


 刑期を終えた元犯罪者や、悲惨な戦争に従軍した元兵士を、社会の異物として危険視する者もいる。

 それは差別と呼ばれる。過去は血にまみれていても、現在は違うことも充分ありえる。誰かの命を奪う罪は重いが、自分は違うと妄信してなじるのは違う。日常生活の中で自動車通勤しているだけで、誰でも殺人を犯す可能性はあるというのに。


 同時に無理もない警戒心でもある。

 地中の不発弾みたいなものだ。昨日までその上で笑っていられたのに、存在を知ってしまったがために安心できない。それまでの日常生活を取り戻すためには、誰もが排除を望む。


 そのようにひとつの国内だけでも、人々の考え方は様々なのに、更に他国と比較すると文化の違いもある。

 特に日本の場合、宗教的価値観は相容れない。八百やおよろずの神がいて、人も死ねば神仏になり、初詣で神社におもむき結婚式は教会で葬式は寺で手を合わせハロウィンとクリスマスでバカ騒ぎ。信心深い他国民から見れば完全なクレイジーだ。


 人間はサルから進化した生き物で、聖書に書かれているように神の造形物など考えない。

 損得勘定ならばまだしも、信仰心に命をかける者の気など知れない。


 《魔法使いソーサラー》を本物の悪魔と同義に見る思考回路そのものが、日本人には理解できない。


「えぇ……本当に不思議な学校ですね。反吐へどが出るほどに」


 だが、よくあることだ。世界的にはそのような理由で《魔法使いソーサラー》を否定するなど枚挙にいとまがない。十路も任務先でクロエのような言葉を投げかけられたのは何度も経験ある。


「そこは理事長の学校運営方針だと思いますけどね。俺たちも小中学生に、《魔法使い》がどういう存在か、認識を教えたことがありますし」

「『悪魔」と仲良くしましょうって理想のことは、昔、先生から聞かされましたけど……いろいろ教わり尊敬してる方ですけど、そこだけは相容あいいれません」

「魔法が当たり前にフィクションの中に出てくるのは、むしろそちらの欧米圏の文化だと思いますけど?」

「現実と一緒のものさしで計らないでください。あんな力にあこがれることができるのは、空想の世界だからですよ」


 クロエが《魔法使いソーサラー》を『悪魔』と評するのも、ワールブルグの人々が《魔法》を嫌うのも、理屈ではない。

 歴史や文化や宗教観によるもの。つまりお国柄だ。


 未知に対する恐怖もある。《魔法》はオカルトではなく科学技術だと説明しても納得することない、もっと根本的で原始的な、一般人じぶんとは相容れない存在だという認識だ。

 他人が説得しても意見を変えがたい、先天的で決定的な意識差だろう。


 しかし《魔法使いソーサラー》の十路からすれば、理解はできても、許容まではできない。


「《魔法使いおれたち》は《杖》を持たなければ、普通の人間と変わらない。なのに無理矢理 《杖》を持たせるのは、《魔法》を使えもしない連中なんだけどな」


 百歩譲って、《魔法使いソーサラー》を恐れるなら、まだいい。

 だが《魔法使いソーサラー》を管理し、利用する仕組みを作ったのは、常人の為政者たちだ。四〇代・五〇代でも若手となる政治の世界に、たった三〇年前に生まれた新人類はいないから、自然そうなる。


 常人と超人という枠組みだけで考えれば、常人の振舞いはあまりにも身勝手だ。《魔法使いソーサラー》からしてみれば、くさいとなじりながら能力だけは利用される、家畜や奴隷のような扱いを許容しなければならない理由など、なにひとつない。


「だから?」


 笑顔のクロエに通じるとも思っていない。通じるなら世界から、あらゆる戦争や対立が存在していない。


 これでは姉妹でりが合うはずないだろうと、十路は思う。

 理屈でもなければ、《魔法使いソーサラー》の在り方が問題なのではない。

 彼女たちにとって存在すら許容できない。

 『悪魔』のように。


「ムッシュ・ツツミは、ラプンツェルという童話をご存知です?」

「確かグリム童話でしたか?」


 母親が魔女の庭の野苣レタスを食べたために、魔女に引き取られ、高い塔に閉じ込められて育った娘の物語。


「コゼットは、それなのですよ」

「……なるほど。それでネット辞典で部長の項目に、『病気がち』なんて書かれてたわけですか」


 クロエのたとえに、ようやくに落ちた。


 コゼットは《魔法使いソーサラー》であるために、人前に出さないよう、幽閉されて育ったのだろう。《魔法使いソーサラー》を嫌う国において、国の象徴である王族に《魔法使いソーサラー》が生まれたなど、外聞が悪いために。

 それが国家に管理されるべき《魔法使いソーサラー》のコゼットが、管理されていない理由に違いあるまい。


「それで? 妹さんをどうしたいわけですか? 昨日の襲撃、クロエ王女の差し金でしょう?」


 クロエにチェスに勝った折り、質問したかった内容のふたつめが、思わぬ形で確認することができそうだった。

 彼女も一時、軍関係者であったこと。彼女たちの国には多国籍部隊司令部が置かれていることの関連だ。


「あら? なぜわたくしが?」


 言葉とは裏腹に、クロエに驚いた様子はない。白々しいとは思うが、十路がどこまで理解しているかというカマかけでもあるだろう。隠す必要もないので、遠慮なしに説明する。


「疑う理由のひとつは、レセプションの時、俺たちが連れてた部外者まで襲われたからです」


 その後に路上で本物と銃撃戦を繰り広げたが、パーティ会場には支援部員たちを腕試しするデモンストレーションとして、特殊部隊風の集団がモデルガンを手にして突入してきた。


 あの時、部外者のナージャまでも襲われた。


 支援部員は国家に所属していないワケあり《魔法使いソーサラー》であるため、あらゆる情報機関が調査し、命か身柄が狙われる予想ができる。

 だがナージャは違う。一応つばめに依頼されてだが、タダ飯目的でついてきただけの女子高生だ。部員のパーティ参加自体が唐突だったが、彼女の参加はもっと突然だ。

 なのに襲撃の標的に、ナージャが含まれていたのはおかしい。特殊工作員とおじの常識ならば、不確定事項の出現に、襲撃そのものを見送る。


 一連の作戦行動を命じた者が、十路も知らなかった彼女の戦闘能力を承知していた。

 あるいは支援部員が重要人物と仲間、どちらを優先するか天秤にかける真似を行った。

 そんな可能性もなくはないが、低いと判断した。


 十路が想定する、ナージャも襲撃された理由は。


 支援部にとっての弱みになると考えたから。

 そして不確定事項ナージャがいたとしても、あの場で『デモンストレーション』が行われなければならない理由が存在した。


「そしてもうひとつ。昨日、会場で銃を持った連中がなだれこんで来た時、クロエ王女もそこのメイドも、驚いた様子がなかったからです」


 襲撃の後にそれとなく確かめても、彼女たちの立ち位置が変わっていなかった。

 特に奇妙なのは、そばに控えていたロジェが、王女を守ろうともしなかった。


「会場の他の皆様と同じように、恐怖で棒立ちになってただけかもしれませんよ?」

「クロエ王女がそういう返しをしなければ……あと、そこのメイドが殺意マンマンの目をしてなければ、まだ信じることができたんですけどね」


 視界の隅で確かめると、何気なく黙ってひかえていたはずのロジャは、一歩近づいていた。

 弓が引き絞られ、放たれるのを待つ矢のように、体に適度に力を入れて。しかしつるはまだ限界まで引かれていない。


 だから十路も、座った姿勢を少し調整しただけで、過度な反応はしない。


「ムッシュ・ツツミ。ついでにお訊きしますけど、なぜわたくしが、どういう目的で襲撃をくわだてたとお思いですか?」

「パーティ会場でも、その後で追ってきたバイクも、仕留めることができればラッキーくらいの気持ちで、本気になって殺そうとしたわけじゃない。俺たちの力試しと警告だろう思ってます」

「では、本当の目的は?」

「あの会場にいた社会的影響力を持つ人物に、支援部おれたちの有用性に疑問を持たせるっていうのはどうでしょう?」


 殺すつもりでも本気度が足りなすぎる襲撃。

 なぜかに落ちない、ネット辞典に記載されていた情報。

 仲の悪い姉妹。


 クロエと話していて、ようやく点は線につながった。


「支援部――いや、クロエ王女の妹さんが所属する組織は、かなり特殊なんですよ」


 十路はわざわざ言い直し、コゼットのことだと協調する。


「本来国家事業として管理される《魔法使い》が、民間の主導により、一般人との関わりを調査する社会実験を行っているチーム。その運営は、技術提供や街の治安維持などを条件に、資金提供を受けて行われています。あのパーティにいた政治家や企業の重鎮じゅうちんとも当然関係あります」


 十路が話していても、クロエの顔は全く変化がない。優美な微笑から変わらない。

 立場ある人物となれば、腹で物を考える二面性が必要なのかもしれないが。あれでいてコゼットも感情を隠すのは上手い。


「だからあの会場で、あるいは街中での戦闘で、俺たちの失態を作ることで、その協力関係にヒビ入れようとしたんじゃないかと、ふと考えたわけです」


 害するための物理的なものではなく、社会的な支援部への攻撃。

 それが十路が思い描いた、一連の目的だ。


 そこに至るまでの不審も小さなものでしかない。つい先ほど携帯電話で調べた、あてにならない情報を元に組み上げた推論。

 確証を得る情報の入手を、野依崎のいざきにでも頼もうかと考えた矢先に、クロエたちがこの学校に来た。

 しかも案内途中の気まぐれで、不審な当人たちから情報を得ることできた。


「俺にはこれ以上の腹芸は無理なので、ハッキリ訊きます」


 結局のところ、質問をかけたチェスの対局は意味がなかった。クロエが知りたいこととは、十路が知りたいことをどう考えているかなので、どちらが口火を切るかの問題でしかなかった。


「《魔法》や《魔法使い》に寛大かんだいなわけでもないワールブルグ公国は、部長が表立たれると困る。だからあの人の生活を、ブチ壊したいんじゃないです?」


 塔の娘ラプンツェルは自由であってはならない。

 ならば連れ戻そうとするか。

 あるいは殺そうとするか。


「だとしたら? どうします?」


 クロエは倣岸ごうがんな獅子の笑みを返す。否応なく話の終わりを予感させられ、場の空気が固くなっていくのが肌でわかる。


「わたくしはそれを問いたい。貴方はその時、コゼットの味方をします?」

「さぁ? 状況による、としか言えませんけど――」


 十路は怠惰たいだな野良犬の、風船のようにふくらむ緊張感を無視した態度で、話をぶった切る。


「クロエ王女の味方になる事は、ありえないですね」


 刹那、はじけた。

 銀閃がきらめいたのと、体が動いたのは、どちらが先だったか。


 一秒後には、座っていた十路はソファから離れ、獣じみた低い姿勢で、ガレージの外に転がり出るように距離を開いていた。遅れてソファが背もたれを下に倒れる。彼が後ろに倒れこむようにして、その場を飛び退ざったために。


「その得物えものの抜き方、女としてどうなんだ?」


 刃に頬をなでられ、冷たい汗と流した一筋の流血に、十路は不遜ふそんな苦笑を浮かべる。


悠長ゆうちょうにスカートをたくし上げろと? そんな時間を与えてくれましたか?」


 クロエの前に出たロジェは、表情を変えずに答える。感情がわからない鷹の観察眼を向けて。


 彼女の手には、『く』の字に曲がった大型ナイフ――ネパールやインドの部族たちが使用していた短刀、ククリナイフが握られている。それを抜き打ちで振るわれたのを、十路は避けた。


 彼女のスカートのポケットには、穴が空いていたのだろう。そこから手を入れ、皮のさやに入った太腿ふともものナイフを抜き、抜く間も惜しんでスカートを引き裂きながら振るった。抜き打ちには十路も、頬の皮一枚斬られる程度に反応が遅れた。


 ロジェ・カリエールという女性が、軍事関係者であったことを見抜いていても。


「アンタの出身は、フランスの外国人部隊かと予想してたけど、イギリスのグルカ旅団だったか?」

ネパール人グルカですが、二年前までフランス陸軍外国人部隊に所属してました」


 返事は期待していなかったが、意外にもロジェは律儀に答えた。


「なぜ私の経歴がわかったのですか?」

ROGERロジェって名前は、英語読みだとロジャー。男の名前だ。だから部隊名アノニマじゃないかと疑った」


 これも彼の前の学校――自衛隊育成機関で得た知識だ。

 世界的にも名が知られるフランスの外国人部隊員の多くは、偽名で活動する。


「ムッシュ・ツツミ。貴方は殿下の敵になるのですね」

「状況によるって言っただろ?」

「味方をしないというだけで、十分です」


 ロジェは感情を感じない声と共に、改めてククリナイフを片手で構える。日本の刀とは逆、湾曲した内側を向けて。


「《魔法》が使えない『出来損ない』とはいえ、《騎士ナイト》となれば、貴方は危険すぎる」

「……?」


 言葉の違和感に、十路の表情が動く。

 それをクロエは、とらえたらしい。


「意外ですか? わたくしたちが貴方方あなたがたのことを調べてることが」

「……いや」


 に落ちないながらも追及はした。たとえ勘違いがあったとしても、彼女たちに説明する義務も必要も十路にはない。


「俺を《騎士ナイト》って呼ぶな。そう呼ばれるの、嫌いなんでな」


 ともかく話を打ち切る。これ以上続けると、十路ではボロが出る予感を覚えた。


 それを援護するように、ロジェの胸元に光の点が照射された。


「!」


 即座に彼女は反応し、言葉を切って身をひるがえす。

 直後、彼女が立っていた空間を小規模の落雷が外から横切って、部室の壁に小さな焦げを作った。

 《魔法》による非実体射出型スタンガン。クロエとロジェは顔しか知らないであろう、ある《魔法使いソーサラー》の得意技だ。


「……忘れていました。ムッシュ・ツツミとコゼット殿下の他に、ここにはもうひたり《魔法使いソーサラー》がいたのでしたね」

「地味ですから、存在感薄いですけどね」


 不意の狙撃にも動揺しないロジェの言葉に、長杖に乗って飛んで来た樹里が応じる。いつもの自虐じぎゃくのこもった台詞せりふだが、彼女の顔にはいつもと違う猟犬の気迫が浮かんでいる。


「授業サボらせて悪いな、木次きすき

「つばめ先生から部活のメールが入って、堤先輩の援護を頼まれましたけど……こういう事だったんですね」


 だから十路は、クロエの案内を頼まれた時、つばめに『部活か?』と念押しした。

 危険が予想されるのか、という意味で。

 彼女は肯定したから、十路は樹里にも協力を求めた。一緒にではなく遠くから。《魔法》で会話を聞ける範囲、狙撃距離からの警戒を。


 樹里が長杖を改めて構えたと同時、誰も触れていないのに、オートバイに接続されていた充電ケーブルがコンセントから外れた。


【トージ、そろそろやっちゃっていいですか? 私のねぐらで好き勝手されるの、困るんですけど?】

「ここには《使い魔ファミリア》も配備されていましたね……」


 オートバイが女性の声を発したのにも、全くロジェは表情を動かさない。

 曲がりなりにも三対ニだ。十路は素手、樹里は半人前、最後はオートバイという混成だが、さすがに分が悪いと踏んだのか、ロジェは積極的に攻めるのを止めた。


 クロエはというと、態度を変えることなく悠然とソファに座ったまま。


白金髪プラチナブロンドの方は、今日はいらっしゃらないのですか?」

ナージャアイツは部外者ですから、授業を受けてます」

「そう……コゼットも来ないようですし……仕方ないので、そろそろおいとまいたしましょう」


 涼しい顔で冷めた紅茶を飲み干し、彼女は静かにカップを置いた。


「ムッシュ・ツツミ。これをコゼットにお渡しください」


 その隣に、小さなケースに入ったSDカードが置かれた。


「クロエ王女からだって知ったら、部長は中身を確認もせずに捨てそうな気がしなくもないですけど?」

「『両親から』とお伝えください」


 十路は素直に頷いて、彼女の意に沿うことを伝えた。


 クロエはソファから立ち上がる。

 何気ない挙動に、かえって樹里は緊張したらしく、一歩前に出ようとしたが、十路が腕で制した。


「お話にお付き合い頂き、ありがとうございました。なかなか有意義な時間でした」

「なんの持て成しもしてませんが、楽しんでいただけたらよかったです」


 十路の素っ気ない返事に軽くうなずき、クロエは部室を出て行く。目の前で命のやり取りが行われたことなど、全く関心がないような足取りで。そんな主の足運びに合わせ、ククリナイフを構え警戒しながらロジェも続く。


 ふたりが完全に見えなくなって、ようやく緊迫した空気がゆるんだ。


【トージ、いいのですか?】


 親指でなでて頬の血を拭いながら、王女たちに手出ししないよう、十路はイクセスに説明する。


「いま俺たちが手を出したら、ややこしくなる。それに今回の目的は、俺たちへの宣戦布告って程度だろ。なにか知らんが、部長に」


 空間制御コンテナアイテムボックスに長杖を収納しながら、樹里はまだ緊張の残る硬い声で、誰へでもなくつぶやいた。


「王女様が、私たちの敵、ってことですか……」

「さぁな……」


 対し十路は、いつものやる気なさげな態度で返す。


「ふぇ? まさか違うんですか?」

「そうじゃなくて、さっきメイド相手に言ったろ? 状況次第だって」


 十路は倒したソファを起こし、体を投げ出す。

 そして、野良犬のようにため息をついた。


「まぁ、どっちにしろ……面倒事になってきた」

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