010_2300 そして事は終わらない


 翌日の月曜、総合生活支援部部室では。


【どこ広げて見てるんですか!? 変態! 強姦魔!】


 夕暮れ近いガレージハウスに、女性の悲鳴ばせいが響いた。


「うるさいな……ほら、挿入れるぞ」

【本当に私の中に変なモノを入れてかき回すつもりなんですか……!?】

「変なモノとか言うな。それに誰もがやることなんだし、大人しくしろ」

【あ、あぁ、中に入ってる……! 壊れちゃうから無理矢理入れないで……!】

「だったらもっと広げろ。狭いんだって」

【いやああぁぁぁぁ!? 変なところまで入ってきたぁぁぁぁ!?】

「痛だだだだ!? 締めつけるな!」


 声だけ聞けばアレな場面を想像するかもしれないが、実情はなんのことはない。ただの整備だ。暴れるオートバイを横倒しにし、シート下のマフラー配管――に偽装したアームの根元に十路とおじが腕を突っ込んで、稼動部をグリスアップしようとしていた。


「ったく……! これじゃ本格的に整備できないな……物が届いたらブレーキパッドもタイヤも交換したいのに」


 挟まれた腕をさすりながら、十路は毒づき睨みつけるが。


【う、うぅぅ……私だって女なんですよ……! もっと丁寧に扱ってください……!】

「お前を女扱いするのは、外見的に無理なんだが……」


 そこには哀愁漂う乙女オートバイの寝姿。しかもスピーカーからの涙声。ただの整備のはずだが、ものすごく悪いことをした気になる。


【大体いつもいつも私にまたがって股間をこすりつけるエロいマネしてぇ……!】

「だからイクセス? バイクの自覚あるか?」


 これでは整備もままならないと、十路はため息をついて、車体を起こしていつもの駐車体勢を取らせた。


「次からお前の電源落として整備することにしよう……」

【絶対に嫌です! あの気が遠くなる嫌な感覚! トージには理解できないですよぉぉぉぉ!】

「確かに人間には理解できないけど、泣くほど嫌なのか……?」


 あまり人間臭いAIだと、こういう時に困ると思うが、実際イクセスが塔載されている以上どうしようもない。


 十路は隅のシステムキッチンで手を洗いつつ、疑問に思う。


(この先バイクを女扱いして、気を遣わないとならないのか……?)


 その『気の遣い方』も想像して、ひとり頷く。


(……うん。ありえない)


 なんと言われようと、股間を押しつける変態行為は、どう考えても止めることはできない。


 そんな事を考えていたら、部室が賑やかになる。


「お疲れ様でーす!」

「ういーッス!」


 やって来たのは、ナージャと和真のハイテンション・コンビだった。

 普段ならばこの部室にやって来ると、和真は最初に本棚を物色し、ナージャはまずキッチンに立ってお茶を淹れるのだが、今日は違う様子だった。ナージャはスカートの下にレギンスをはいているのだし。


「十路! バイク貸してくれ!」

「今日は和真が乗る気か? お前、免許持ってたか?」

「いいや。って、勝手に動くバイクに乗るのに免許いるのか?」

【当たり前です。道路交通法での私の扱いは、普通の自動二輪車と同じです】


 オートバイ本人が和真に免許の必要性を切々と説明を始めたので、そちらは任せておき、手を洗いながら十路はもうひとりに声をかける。


「そういやナージャ、今日は初めて顔を合わすよな?」

「寝坊して重役出勤しましたし、授業の都合で、十路くんとはお会いしませんでしたね」


 留学生なので、文系科目のカリキュラムが一部違う。共通して受ける授業を欠席していれば、クラスメイトとはいえ、この学校ではこんな事もある。


「なので、言ってませんでしたね」


 なにを考えたか、ナージャが十路の背中にピトッとくっついた。


「おい――」


 『胸押しつけて遊ぶな』と不機嫌な声を出そうとしたが、意図が違った。和真に聞かれないために、ナージャは耳元でささやく。


「昨日は頑張ったようですね? 最強の《騎士》さま?」

「誰かから聞いたのかよ……」


 部外者とはいえ、この部室に出入りしていれば、いずれ知られても不思議はないと思っていた。しかし面と向かって呼ばれると、やはり不機嫌になる。


 あれだけの大事だったのだから、昨夜の事件は世間に隠すことなどできない。二〇人もの外国人が行ったシージャックした事件は、全国ニュースで大きく取り上げられた。十路が登校前に見たテレビでも、神戸港と中継したキャスターが大仰に語っていた。


 しかし公的には、事件は海上保安庁が解決したことになっている。総合生活支援部の名前は、一切表に出ていない。


 昨日会ったので、詳細はともかく事件への関与は、ナージャは知っている。しかし和真や他のクラスメイトは知らないこと。野次馬根性を発揮する者がいなかった、平穏な一日の終わりに、こんな話を持ち出されるとは思っていなかった。


「はい。理事長先生から聞いちゃいました」

「その呼び名、嫌いなんだって……しかも『最強』とか頭悪い言葉つけるな」

「HAHAHA。嫌がるってわかってるから言うんじゃないですかー」

「ナージャ? いつか泣カス」


 無表情に青筋を立てる十路から、ナージャは離れる。色素の薄い容姿と相まって、妖精めいたイタズラな笑みを浮かべていた。


 いつもどおりな彼女に、十路は内心安堵した。


(俺が軍関係者って聞いても、この程度か……)


 つばめがどう話したか知らないが、関連施設に出入りしている業者扱いはしていないだろう。

 《騎士ナイト》というあざなは、殺戮兵器と同義なのだから。そう呼ばれるには最低でも一人は殺さないとならない。しかもその一人を殺す技量を得るには、果たして何人殺さなければならないのか。


 そんな存在、日常社会では忌避されるだろうが、ナージャはこの通りだった。


「それはそれとして、十路くん。イクセスさんとメット、借りますね」

「またかよ? 和真とデートか?」

「ちょっと話題のお店まで、お菓子買いに大阪まで行ってきます。和真くんは……二人乗りタンデムを泣いて土下座で頼まれましたので、一緒に連れて行くことに」

「……うん、まぁ、変なところ触られたとしても、大阪に捨てて帰るなよ」


 放課後に往復八〇キロの遠出をすることと、和真のプライドに一考の余地があるが、十路は問わないことにした。トラブル回避本能が掘り下げをはばんだ。


【トージ、外出しますけど、文句はないですね……?】

「はいはい……できるだけ早く帰って来いよ。また緊急の部活入ったら困るし」


 先ほど泣かれた事もあるので『出るな』とは言いづらい。まだ不機嫌なイクセスに注意だけ与えて、十路は自由行動を許した。


「男が後ろってのもな……」

「はいはい。カッコ悪いと思うなら、わたしと二人乗りタンデムしないでください」

「ちくしょー! この夏絶対に免許取る!」


 ナージャがハンドルを握り、予備のヘルメットを被った和真が後部に乗り。


「あでゅ~!」


 クラスメイトたちとオートバイが、けたたましく出て行った。


「今日はあの部外者ども、バイク持ち出しましたのね……」


 入れ違いにコゼットがやって来た。昨夜は道路を盛大に耕したことに激怒していたが、さすがに今日まで引きずっていない。


 彼女は入った途端、部室を見渡す。


「まだ堤さんおひとり?」

「えぇ。木次は来てないですけど、なにか用事が?」

「大したことじゃねーですわよ。伝えておいてくださいな」


 アタッシェケース型のアイテムボックスも、トートバックも手にしたまま、コゼットは立ったまま伝える。


「海上保安庁から依頼が入ったので、わたくしはこれから直行直帰しますから」

「部活の連絡なんて、なかったですけど?」

「昨日の無人戦闘機ラジコンの引き上げですわよ。わたくしだけで十分ですし、おふたりは無理な分野でしょう? だから当事者のわたくし以外には、連絡してねーだけじゃねーです?」

「あぁ、そういうこと。じゃ、頑張ってください」

「……そーゆーイラつく言い方するから、貴方のこと嫌いなんですわよ」


 栓を捻って、濡れた手を振って水を切りながら、十路は納得の返事をする。


 昨日の簡単な聞き取りの時点で、無人戦闘機UCAVのことを『フルンティング』の者は誰も承知していなかったのは、総合生活支援部の面々も知っている。


 つまり実行犯たちは、トカゲの尻尾切りに遭った。


「堤さんはどう考えています? 昨日の件、本当にイギリス軍の暴走?」


 コゼットは、彼の前歴を既知として問うてくる。


「そんな単純な話じゃないでしょう」


 元特殊隊員として、おおやけにされない社会の暗部を覗き見た経験と照らし合わせて、彼は答える。


「ま、起こるべくして起こったってだけです。部活動なんてていのいい看板ぶらげてますけど、支援部の実体は超絶的に危険な軍事組織です。方々ほうぼうからちょっかい掛けられて当然ですよ」


 レーザー砲を搭載した超高速戦車。

 攻撃も可能な汎用型医療ヘリ。

 ロボット兵士を操り、交戦能力を持つ超小型輸送機。


 部員たちを兵器に例えれば、フィクションの中にしか登場しえない超兵器だ。たったひとりでも生半可な軍隊など歯が立たない。

 しかもそんな存在が国家の管理を離れているなら、あらゆる機関が警戒して、対策を講じないほうがおかしい。


 自分たちの力として抱え込もうとするか。

 それとも危険視して叩き潰そうとするか。


「わたくしたちの敵は、誰それと名指しできない、不明確な相手ですものね」

「《魔法使い》がいても、ここはファンタジーの世界じゃありません。魔王とか邪神なんてのみたいな、勧善懲悪が成り立つ絶対悪は存在しません」


 例えば社会。例えば世論。例えば世界。

 当事者たちもその一部で、敵味方などと切り離せない、超巨大な怪物が敵に回る。

 

 今回の事件に片がついても、支援部員たちにとっては終わりではない。

前哨戦に過ぎないかもしれない。

 そんな緊張を保ったまま、普通の学生生活を送る。


「それはそうと。日本政府は無人航空機UAVを引き上げて調べて、イギリス軍と政府に抗議するんですか? 連中がイギリス軍の正規兵って知ってるの、まだ一部にしか知られてないじゃないですか。抗議してもしらばくれると思いますけど」

「本音と建前というか。内政と外交の兼ね合いというか。学生わたくしたちにはどうしようもできない、政治的な判断でしょう。賠償金として電気代は最低限もぎ取ってもらうとか、理事長は言ってましたけど」

「電気代?」

「《魔法》に電気使ったでしょうが」

「……誰かの口から聞くと、《魔法》で電気代って、すごい響きに聞こえる」


 学生らしくない話を区切りをつけると、波打つ金髪を揺らして、コゼットはきびすを返す。


「そんなわけで、わたくしはいませんから、後のことは頼みましたわ」

「了解」


 背中で言葉を残し、彼女は部室を出て行った。

 

 すると再び部室は静かになる。今度はオートバイもいない、正真正銘十路ひとりだ。こんなことは珍しい。


 パソコンを起動する。ハードディスクが音を立てるのを待つ間、なんとなしにガレージハウスの中を見渡す。


 古びた家具が並んだ半屋内。マンガやDVDのトールケースやゲームのパッケージが棚に立ち並び、ガラクタが大量に詰め込まれたダンボール。

 物が溢れた部室で、部員と備品と部外者がやってる事は、《魔法使いソーサラー》として動くよりも、菓子を持ち寄り茶を飲んで駄弁だべる時間のほうが遙かに長い。


(生体万能戦略兵器 《魔法使い》が、これでいいのかね……)


 危機感や焦燥に似た感想を抱くものの、同時にこれでいいとも納得する。


(ま、普通の学生なんて、ダラダラ過ごすものなのかもしれないけど……)


 納得し、起動し終えたパソコンのメーラーソフトを立ち上げる。


「お疲れ様でーす……」


 そのタイミングで、元気のない樹里がやって来た。手にしているのは学生鞄だけで、アタッシェケースは持っていない。

 今日はタイミングの悪い日らしい。各人がバラバラに部室にやって来て、顔を合わせずいなくなる。


「本当にお疲れだな?」

「あはは……昨日色々ありましたからね……」


 渇いた笑いをこぼし、体を投げ出すようにソファに座り、樹里は暗い顔で深いため息をつく。


「ケータイ壊しちゃったし……無茶したから《魔法使いの杖アビスツール》は整備メンテ入りですし……レポート山ほど書かなきゃならなかったし……道路に正座して足がまだ痛いですし……」

「部長に怒られたしなぁ……ま、あれだけ道路を派手に壊したなら、仕方ないけど」

「も~……車を安全に止める方法があるなら、なんで教えてくれないんですか?」

「そのほうが正攻法を叩き込むより、間違いを犯さないし、臨機応変な対応ができる。取り返しのつく状況なら、失敗してどうなるか思い知っとけ」

「…………」


 樹里が絶句した。コゼットが修理できるとはいえ、失敗前提で車も道路も破壊させるのは、どう考えても普通ではないだろう。


 ちなみに昨夜の彼も連帯責任で、路肩で樹里が正座させられている横で、腕立て千回をコゼットに言い付けられた。しかしその程度は前の学校で慣れているから、筋肉痛もない。いつもの飄々ひょうひょうとした態度だからか、樹里に恨めしそうな目を向けられる。


「俺が木次を鍛えようかとも思ったけど、こういうやり方しかできないしな……どうしたもんだか」

「先輩が私を鍛えるって……自衛隊式に、ですか?」

「もっとハードに特殊隊員レンジャー式。ロープ降下に完全装備二〇キロ走、塹壕ざんごうスコップの戦闘法となんでもござれ。返事は全部『レンジャー』で。共同風呂と戦闘靴の履きっぱなしで水虫に。カレー粉は人類史上最高の発明だって実感。そんな訓練やるか?」

「ややややや! 遠慮させてください! ……でもカレー粉が気になります」

「サバイバって食料現地調達する時、カレー粉があればなんでも食える。狩ったばかりで血抜きが半端な野ウサギなんて硬くて臭いし、ヘビとかカエルとかネズミ――」

「あー! あー! その先は結構です! 言わないでください!」


 ドン引きする樹里に、自身の普通ではない経験を改めて実感しつつ、十路はメールを処理していく。


 いつものごとく《魔法》でも無理であり、コゼットなら『アホか』の一言で切り捨てる依頼は、お決まりの返事を書いて断りを送信して。


 あるメールにたどり着いた時、手が止まった。


「またメールが来てるな」

「はい? 『また』?」


 樹里が近寄る。椅子に座る十路の脇にしゃがみ、デスクの縁を掴み、ディスプレイを下から覗き込む。


「ヴィゴさんと、レオくんからのメールですか?」

「一応連中の協力者って形だけど、子供が絡んだ事情で利用されてたってことだし、行政的には事情聴取だけで、罰則はしてないみたいだな」


 LLP社のメールアドレスから送られた文章が二通、部に届いていた。


 まずは一通目。ヴィゴからのもの。


――先日は大変失礼した。私の車が何事もなく返ってきてなによりだ。

――文章にすれば、今の複雑な心境を伝えることができるかと思ったが、それもできないようだ。

――だから最低限、伝えなければならない言葉を伝えよう。

――ありがとう。

――そして、すまなかった


 食事会の誘いは別の人間が送り、今回は本人が書いたのかもしれない。以前の丁重な日本語の文章とは違い、簡潔でぶっきらぼうな謝罪と感謝だった。


「実際には車は、何事もあったんだけどな。部長が完璧に修復しただけで」

「や、あの、先輩……『言わぬが華』って日本語もありますから……」


 続いてのメールは、レオのもの。


――こんにちは。僕は元気です。皆さんがお元気なことをお祈りします。

――僕は急にアメリカに帰らなきゃいけなくなりました。

――あんな事件があったので、病気を悪くしないために、仕方ないかもしれません。

――父さんも、今回のことで、なにか僕に話したいようです。

――色々と大変みたいで、時間が取れた時に、ゆっくりと話すことにしたようです』


 しっかりしているようで、まだ幼さを感じさせる、そんな文章だった。


「結局、レオくんの体は、私じゃどうすることもできませんでしたけど……」

「《魔法使い》でもできないことは山ほどある。本人と、その周囲で解決することだ」


 それよりも、と十路はディスプレイを示す。


「『P.S. 落ち着いたら、また日本に来たいと思っています。その時にはジュリお姉さんと、今度こそ一緒に食事したいと思います』……どうするんだ?」

「あはは……」


 『まさかまだ初恋話は続いてる?』と、樹里は軽く口元を引きつらせて、困った同意を十路に向けてきた。

 だが顎に手を当てて、真面目に考えていたから、彼女は意表を突かれたような顔に作りかえる。


「先輩? どうかしました?」

「木次、あの子の前でキレただろ? それを誤魔化せたと思うか?」

「う゛」


 十路の苦言に、樹里は気まずげな顔をする。


「私ひとりなら、どうにでもできましたけど、あの時、予想外にレオくんがついてきちゃって……仕方なく」

「人間離れした部分を見せても、《魔法使い》って免罪符があるし、俺みたいな化物もいるってところを見せたから、誤魔化せたと思いたいけど……」

「あ、レオくんに先輩の戦闘を観戦させたの、そういう理由だったんですね?」


 それを昨夜、説明してなかったと思い出し、十路は真面目に忠告した。


「今回みたいな荒事は、きっとまたある」


 OAチェアの背もたれに十路が体重をかけると、きしんだ音を立てた。


「だからこの部活にいたら、いつか木次の『秘密』は間違いなくバレるぞ」


 その音が、痛い指摘をされた心境であるように、樹里が顔を歪める。


「……先輩は、私が部員としてここにいるの、どう思ってます?」


 『それを俺に訊くのか』と思わなくもない。十路は空気を読まない。中途半端なことを言わない。

 彼女がそれを望んでいるならと、ハッキリ言ってしまう。


「ハッキリ言って、向いてない」


 兵器はなんであれ、確実に動作しなければならず、その追及に徹底した試作と試験が行われて、完成度を高めるのが普通だ。

 しかし木次樹里という生体万能戦略兵器は、未熟で完成度が低すぎる。


「人目を忍んで隠遁いんとん生活したほうが、秘密を守りやすいし、性に合ってるだろう」

「そんなの、もう充分です……」


 寂しげな伏せ目でこぼした、その言葉が意味するところは。

 彼女はこの春、ここに入学するまで、そんな生活を送っていたということ。


 樹里は指で長さを測るように、広げた親指と人差し指を、顔前に持ってくる。


「自衛隊の秘密だった先輩が、普通の生活を送るために、ここにいるように――」


 小さな《魔法回路EC-Circuit》が作られ、指の間で電流が弾けた。


「こんな事ができる私も、普通の生活を送りたいから、ここにいるんです」


 《魔法使い》が《魔法》を使う。事実のみを言えば、ごく当然のこと。

 しかし彼女の《魔法使いの杖アビスツール》は、整備のためにコゼットに預けて、ここにない。行使に不可欠なはずのデバイスを持たず、彼女は《魔法》を使用していた。それは昨夜の船内でもだ。


 だから彼女は、携帯電話を『スタンガン』といつわって使っていた。

 だから彼女は、脚を撃たれたにも関わらず、平然と走っていた。

 だから彼女は、大の男を片手で投げる怪力を発揮した。


 それが樹里の秘密。しかし十路は、たまたま知ってしまった。


 だから彼は、『キレた』彼女を恐れずに近寄ることができた。

 だから彼は、その秘密に対して無視することができない。

 だから彼は、経験的にも精神的にも未熟な彼女を心配する。


 《魔法》という常識があるこの世界でも、そんな現象が起こせる存在は非常識だ。

 もしも彼女の『秘密』が明らかになれば、貴重な実験サンプルとして扱われるのは、想像にかたくない。


 なのに樹里は、ここにいる。


「それに私は、自分が何者なのかを知りたいから、ここにいるって理由もあります。だからいろいろ覚悟してるつもりです」

「…………そうか」


 彼女の特異さと、部活動がどう結びつくのか、十路には理解できない。

 しかし問わない。訊いてはならない。ワケありの《魔法使いソーサラー》たちが集まるこの部活動の、暗黙の了解だから。


「私、やっぱりワガママですか?」


 寂しげに笑い、樹里は訊く。


「それを言えば、俺だってワガママ言ってる」


 平坦な無表情で、十路は応える。


「《魔法使い》なんて呼ばれていても、俺たちが使ってるのは科学技術。おとぎ話に出てくるような『魔法』は使えない」


 ラプンツェルと王子を会わせることなど叶わない。

 靴履き猫のように主を幸せになどできない。

 シンデレラにドレスと馬車を贈れはしない。

 ピノキオを人間になどできはしない。


「だけど俺たちの願いは、それこそ『魔法』でも使わないと、叶えられない」

「普通の人にはなんでもないような、私たちにはとても大きい願い事……」

「叶うはずのない願いを叶えようと、俺たちはこの場所で悪あがきしている」

「この部活動はそのためのもの……普通に生きられない人間兵器が、普通の生活を送るための交換条件……」

「俺たちは、ただ静かに、普通に暮らしたいだけなんだがな……どうしても戦わなきゃならないらしい」

「どうして私たちを放っておいてくれないんですかね……」

「それが《魔法使い》だからだ。大きな力と引き換えに、義務と制約が課せられる」


 禅問答のようなふたりの言葉は、他に誰もいないガレージに響き、遠くのグラウンドから聞こえる運動部員たちの掛け声にかき消される。

 そして、これからひと雨振ることを予感させる、湿り気を含んだ風が、どこかに流していった。


 普通以上特殊未満な自分たちの境遇に、しばし二人とも思いをせて黙り。

 気分を変えるように、十路は話をまとめる。


「ま、今の生活を続けたいなら、もう少し強くなったほうがいいぞ」

「ひゃんっ!?」


 突然頭に手が置かれたことに、樹里は飛び上がる。髪を触られるのを嫌がる者もいるだろうが、そんな心遣いができる彼ではない。


「あと、それはそれとして、今回、木次なりに頑張ったな」

「…………」

「どうした?」

「え、や……」


 軽く頭を撫でる手を見上げた先、十路の顔を見上げて、樹里は軽く固まっていた。


「先輩の笑い方って……すごく優しいんですね」

「?」


 自覚はない。頬に触れてみたが、触覚で自分の表情などわかるはずもない。


「堤先輩、ありがとうございます」


 樹里は子犬のように、目を細めてはにかんだ。


 彼女の笑顔を鏡にすれば、普段の、みずからへのあざけりもなければ、苦い感情も含んでいない。ごく自然で穏やかな微笑を浮かべていたのだろう。


 気まずさと言うか照れ隠しに、十路は忠告を追加する。


「……あ。もうひとつ。部活中、パンツ全開はどうかと思うぞ」

「見えてました!?」

「車の屋根に飛び移った時、スカートめくれて丸見えだった。あの調子じゃ船の中で暴れた時にも、誰かに見せてたんじゃないか?」

「あぅ~……見なかったフリしてくださいよぉ……」


 いつもの雰囲気とは違う、今日はふたりだけの放課後の部室。


 そこでの彼らは、普通の学生に見えるだろうか?

 そこでの彼らは、普通に学生生活を送っているだろうか?


 未来に不安を持ち悩み、過去に翻弄ほんろうされ、それでも今を必死に生きようとしている、どこかの誰かと変わらないだろうか?


 普通に生きることはできず、それでも普通であろうとする、現実リアルに生きる二一世紀の《魔法使い》たちの日記帳には、普通とはかけ離れた出来事ジレンマつづられている。

 物語としては不細工極まりない。

 自分勝手で共感を得ることはない。

 しかし三日坊主で終われない。


 だから、これからも続いていく。

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