《魔法使い》の世界事情/コゼット編

020_0000 ラプンツェル


 ラプンツェルという童話をご存知でしょうか?

 母親が魔女の畑の野苣レタスを食べたために引き取られ、高い塔に閉じ込められて育った娘のお話。

 その塔には階段もハシゴもなく、小さな窓があるだけ。だから出入りには、娘の長く伸びた髪をれ下げてもらい、それを使って上るしかない。

 そして自身の髪を使うのだから、娘が塔の外に出ることはできない。


 童話に整合性を求めてはならないと、理解しています。

 ですけど、その童話を聞いて、幼いわたくしは疑問に思いました。

 なぜ娘は自分で髪を切り、それをロープとして使って、外に出ようとしなかったのでしょう?

 わたくしはそれを、ある人にたずねたことがあります。


――やっぱり外に出るのは怖いと思うよ?

――自分の知らない世界なんだから。

――知らないものって、怖いよね?


 けれども、娘の歌に聞き惚れた王子が来ただけで、彼女は外に出る気になった。

 つまりそれはシンデレラ・コンプレックス。自分で努力もせずに、いつか白馬の王子様が助けてくれるなんて夢想する、都合のいい願望。

 その娘はくだらない女なのだと、昔から可愛げのなかったわたくしは、納得しました。


 自分は違うと思っていました。髪を切るだけで自由になれるのなら、ハサミを動かすことに躊躇ちゅうちょしません。

 その時はまだ、たどたどしかった日本語でそれも言うと、その人は少し困ったようでした。


――ラプンツェルの塔は、居心地がよかったのかもしれない。

――だけどキミにとってここは、そこはそうじゃないだろうね。


 だからわたくしは、外の世界に出たかった。

 だからわたくしは、その人に強く願いました。


――今のキミには無理。

――地面まで届くほど、髪が長くないんだよ。

――だから髪を伸ばす努力をするんだ。

――そうすれば絶対に外に出れる。


 そう言われて、わたくしは学びました。

 数語の言語を話せるようになり。

 数十の論文を書いて発表し。

 数百の設計図を見て回路を作り。

 数千の数式を学んで理解して。

 数万の本を読んで知識を蓄え。


 そして一〇年余が過ぎ、童話の娘と違ったわたくしは、自分の意思と力と、そして外の人間の助けで、外の世界に出ることができました。


 でも実は、魔女は呪いをかけていて、自由にはなれませんでした。

 それを知った時、白馬の王子様を待つ気持ちが、少しだけ理解できました。

 そんなの、現実にいるはずありませんのに。



 △▼△▼△▼△▼



 チャーター機のファーストクラス席で、レディーススーツ姿の『彼女』は、頬杖をつく。

 歳の頃は二〇歳を越えている。きつい印象を与える釣り目を細め、どこか憂鬱ゆううつげに漂白されているのは、金髪碧眼白皙の凛々しい顔立ちの美貌。そして非対称アシンメトリーに揃えたストレートのロングヘア。

 髪型が違う。左目の近くに印象に残る泣き黒子ほくろがあるのが違う。

 しかし知っている者が見れば、『彼女』の色彩と顔立ちは、『誰か』を連想するだろう。


 ブルーアイを向ける先は窓の外。雲よりも高い上空一万メートルの晴天を、『彼女』たちを乗せた飛行機は、一二時間あまりも飛んでいた。

 しかし旅路たびじは、そろそろ終わりに差し掛かっている。

 雲海の隙間から、海と陸がのぞき見える。地球の裏側と言ってもいい位置にある、極東の島国。

 それを見つめる『彼女』の表情は、倣岸ごうがんな獅子。岩の上に立ち、眼下に広がる平原に生きる動物たちを、無意識ながらも見下しているような、そんな印象。


「Altesse.(殿下)」


 声に『彼女』は振り返る。

 カーペットを敷いた通路に、うやうやしく片膝を突いていたのは、その声の持ち主である女性。


「Puis-je vous etre utile en quelque chose?(ご気分が優れませんか?)」


 エプロンドレス姿の女性。黒のシックなロング丈のワンピースに、機能的な白いエプロンを重ねた、いわゆるヴィクトリアン・タイプのメイド服を着ていた。

 なにも知らずに見れば、航空会社の新しいサービスという可能性もあるが、この飛行機はチャーター機。そして他の座席に座っている者たちは、その女性に一瞥いちべつ以上の関心を向けない。

 つまり、そんな服装を見慣れることができる、『彼女』たちの関係者ということ。


 『彼女』も女性としては比較的身長は高いが、そのエプロンドレスの女性はなお高い。一七〇センチは優に超えているだろう。髪は暗褐色ブルネット、瞳は灰色、肌はやや浅黒い。

 服装を除けば、目立つ容姿ではない。日本の中では外国人が目立つとはいえ、この程度の色彩差では該当しないだろう。


 しかし感受性の豊かな者なら、この女性を一目でも見たら、きっと忘れない。

 その瞳に弱肉強食の野性を感じるが、どこか違う。もっと人工的で、もっと純粋で、もっと危険で。

 動物に例えるならば、たくみに飼われている鷹。

 鳥には表情がなく、目からも感情が読めない。そして翼を支える筋肉や、猛禽もうきんらしい鋭いくちばし鉤爪かぎつめには威圧感がある。

 だから彼女を見た第一印象で、恐怖を抱くかもしれない。

 しかし『彼女』は恐怖など抱かない。エプロンドレスの女性に、微笑を向けて問いに応える。


「S'etait perdue dans ses pensees.(少々考え事をしてただけです)」


 向けられた誰もが安心感を抱く笑み。普通の人間には真似のできない、血統が関わる高貴な作られた表情。

 それに女性はなんの感慨かんがいも抱かない。平坦な声で確認をする。


「Vous haine le travail?(今回の名代みょうだいは、気が進みませんか?)」


 『彼女』は微笑を返した。


「Non. Nous sommes impatients de la voir.(いいえ。あの娘に会えるの、すごく楽しみですよ)」


 しかし今度の笑みは、種類が違う。

 薄く暗い三日月のような口元の歪み。それはなんとも残忍で、矜持プライドの塊とされる獅子とはかけ離れた、狡猾な残忍さを印象付けるもの。

 『彼女』はもう一度、窓の外に目を向け、またも笑みの種類を変える。


(ふふっ……)


 今度の笑みは、どこか納得できる。

 好敵手と認めた者に邂逅かいこうした時、あふれる内心の喜びがにじみ出たもの。戦闘的で意欲的で前衛的で積極的で挑発的な笑み。


(あの子はわたくしを楽しませてくれるかしら?)


 傲岸ごうがんな獅子は、もう一頭の獅子を心中で想い、の地を見下ろした。

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