010_2210 部活動Ⅹ~深夜の交通違反取締・リベンジ~


(クソ……!)


 ローデリック・セリグマンは歯がみをしながら、ハンドルを握っていた。AT車のため、手錠がはめられたままでも運転はできる。


 超高級スポーツカー、ブカッティ・ヴェイロンが最高時速四〇七キロを出すためには、条件が整わないとならない。なによりも必要なのは、他の車など走ってはいない、安全なストレートだ。

 日本の国道で期待できない条件だが、それでも時速三〇〇キロ近い速度で駆け抜けていた。

 夜の暗い道を、一般車を凄まじい速度で追い抜いているので、一瞬でも気は抜けない運転だが、それでも彼の思考は別の方向へと流れる。


(どうしてこうなった……!)


 LLPというコンサルティング会社代表とし、日本政府に管理されていない《魔法使いソーサラー》を拉致するという今作戦は、彼自身も不審を持っていた。

 しかし異を挟めなかった。ただでさえ組織はそういうものだが、軍規というものが徹底された場所ならば、より強くなる。

 

 なにが変だったかは、思い出すまでもない。徹頭徹尾、全て変だった。

 指令が出たのはほんの一週間ほど前で、既にお膳立てがされていて、実行すればいいだけという状況であった。事実確認などの準備にほとんど時間が取れない、あまりにも性急な作戦だった。


 しかも事前に知らされていた情報には大きな、致命的と言えるほころびがあった。


 情報では目標は、日本人の少女と西欧国の女性だけだった。なので彼は、予定外に存在する日本人青年が何者なのか、作戦をどうするのか、本国に問い合わせた。


 しかし帰って来たのは、『正体不明Unknown』と『作戦決行Go ahead』だった。


 こんな不確定要素がある状態で、普通ならば作戦続行などしない。

 しかし事態は進行され、当初の作戦通りに『外部協力者』ヴィゴ・ラクルス、その息子レオナルド・ラクルスにより、目標はレストランシップで食事会に招かれることになった。


 この機を逃せば、同じ手段は使えない。次のチャンスがあるかわからない。

 だから強行し――結果、このざまだ。


 失敗の原因は、ひとつ

 ひとつは言うまでもない。予定外に存在した日本人青年が、《騎士ナイト》と呼ばれる《魔法使いソーサラー殺しキラーだったこと。


 もう半分は。


(なぜ無人戦闘機UCAVが……?)


 そんな戦力の投入予定は、全く聞いていなかった。


 失敗に直接関わるというものではない。しかし自分たちが乗る船に、ミサイルで攻撃したきたのだ。証拠隠滅のためか、それとも別の目的か、上層部の思惑が自分に知らないところで動いている事は理解できる。


 だから彼は逃げた。

 他の同僚たちと違い、《魔法使いソーサラー》であるが故に特殊な立場である彼は、今後どのような処置が取られるかを考えると、とても大人しく連行されるわけにはいかなかったからだ。

 機密を知った者は死。失敗すれば死。一般人が知らない《魔法使いソーサラー》が生きる世界は、そんな常識がまかり通っている。


「!?」


 不意に車が軽く揺れ、屋根になにか乗ったような音が響いた。


 ローデリックが怪訝に思う間もなく、直後に助手席側の窓ガラスが割れ、車内にトランシーバーほどの無線機が放り込まれてすぐに消える。


 どうやら何者かが走行中の車の屋根に飛び乗り、飛び降りたらしい。時速三〇〇キロで走る車に、そんな真似ができる存在が、果たして『人間』かは怪しいが。


 シートに投げ込まれた無線機は、手も触れていないのに、一方的に声を吐き出す。


『キミは中々楽しませてくれるね』


 落ち着きは感じられるが、まだ若いと言えそうな男の日本語だった。楽しんでいるような口調は、力を持っている者特有の、悪意のないおごりが感じられる。

 連想するのは悪魔。それも伝説に語られる魔神と呼ばれるもの。無邪気に人に害しゲームのように命をもてあそぶ、そんな存在。


『不満は残る結果ではあるけれど、試金石として、それなりにはいい働きをしてくれた』


 『シキンセキ』という単語が理解できるほど、ローデリックは日本語に精通していないが、それでも自分が他人の思惑で捨て駒にされたことは理解できる。


 しかし怒りは芽生えない。怨恨や憎悪もない。


(誰だ……!?)


 感じたのは、三割の恐怖と七割の恐怖だけ。

 ローデリックの内心がわかったように、無線機の声は応える。


『あぁ。一方的に言っても、僕が誰かわからないだろうね? 今回の作戦でキミの上層部に働きかけた者、とでも言っておこうかな?』


 つまり今回の作戦の黒幕。無人戦闘機UCAVを使ったのもこの男かもしれない。


 誰だか知らない、しかし絶対的な権力を有する相手。しかもそんな人物に目をつけられ、てのひらからまだ転がり落ちていない。


 次はなにが起こる? なにをさせられる? そんな正体不明の恐怖が、ローデリックの心に根を張る。


『ほら、彼らが来るよ? 頑張って逃げたまえ』


 無意味で幼稚で残虐な興味を示し、無線機は沈黙してしまった。

 子供がありの巣に水を流し込み、もがく様を見ているような。


(なんとしても逃げ延びる……!)


 当事者ローデリックにとっては死活問題だった。より一層必死になって、自由にならない両手でハンドルを握り締める。


 だがその時、二人乗りのオートバイが追い抜いて行った。衝撃とスキール音をまき散らし、進行方向に対し真横に滑りながら。


 聞き間違えだろう。空耳だろう。そう思うべきだ。しかし。


【のろま】


 ローデリックは、オートバイの罵声を聞いた。



 △▼△▼△▼△▼



【こっちは部品単価換算で四五〇億円。《魔法》使用時の理論最高出力は八〇〇〇馬力。安物低スペックで逃げられると思わないことですね】


 目的のスポーツカーを認識した瞬間、仮想のジェットエンジンを停止させた《バーゲスト》は、減速と半回転しながら追い抜いた。

 そして普通のオートバイならば不可能な後進を、新幹線並みの速度で行いつつ、車間距離を置いてスポーツカーと正面から睨み合う。


 後ろの後輩が振り落とされずに掴まってることを確認し、十路とおじは声を張り上げる。


木次きすき、大丈夫か!?」

『時速一〇〇〇キロなんて正気じゃないですよぉぉぉぉ……!』


 気絶はしていなかったが、亜音速走行に半泣きだった。


「この前、スピード違反の車を追いかけた時と同じだろ?」

『どこが同じですかぁ!? あの時はせいぜい時速一五〇キロですよ!?』

「だって相手は民間人じゃないのに、ロケット弾も《魔法》も飛んで来る様子ないぞ?」

『世間一般の常識で考えてください……!』


 まだ一週間も経っていない過去を材料にした、どこかズレた会話は無視し、形式にのっとってイクセスは宣言する。


【修交館学院、総合生活支援部です。そこの盛大にスピード違反してるスポーツカー、停車しなさい】


 しかし相手に減速する様子はない。当然といえば当然だが。


『先輩、どうするんですか?』

「少しだけ実力行使」


 十路は即座に次の行動に移る。イクセスに指示を出しながら、固定を解除して両のハンドルバーを


「砲撃用意! 射撃指揮FDC半自動モード! 近接照準!」


 ケーブルで接続されたそれを銃のように構え、レバーを引金トリガーとして指を添える。

 それはミサイル誘導にも使われる、照準線ビームライディング誘導システムだ。左右二種類のレーザー光線で目標に照射し、反射波を受けて、それぞれのマフラーが砲撃手の意図に沿って動く。


 電動オートバイに不要なマフラーが存在するのは、偽装のためだけではない。

 それがこの戦車の主砲だから。


 破壊力の大きい砲は、どうやっても相応の大きさが必要となる。しかし人間と大差ない小さな車体に取り付けるには限界がある。

 ならば状況に応じて作ればいい。


「一番砲、二番砲、THELセル装填そうてん! 出力落とせ!」

【EC-program 《Quantum-electrodynamics THEL》 decompress. (術式 《量子電磁力学レーザー砲》解凍)】


 十路の命令に従い、イクセスは消音器サイレンサー部に《魔法》を上書きする。そこを起点にエネルギー伝達された《マナ》により、ワイヤーフレームで描かれた仮想の砲身が二門伸びる。


 THELセルとは、アメリカとイスラエルで共同開発された、対空迎撃防御に使われる戦術高エネルギーレーザー兵器のことだ。遠い未来のものと思われがちなレーザー兵器は既に実用化され、戦場に投入された経歴もある。

 ただし既存の科学力では自由電子レーザーの照射は、巨大な施設が必要で、わずか一〇メートル余りの長さで行うことはできない。


 万一外れた時を考え、周囲の家並みが途切れた瞬間を狙って、レバーを強く引いた。


ぇっ!」


 通常の条件では、レーザー光線の軌跡は目に見えない。なんの前触れのなく、ブカッティ・ヴェイロンの両サイドミラーが吹き飛んだ。

 普通の相手ならば攻撃方法は理解できずとも、なんらかのアクションを起こすものだが、アクションはない。


【今のは警告です。停車しなければ破壊します】


 再度行われたイクセスの警告も、スポーツカーは無視して止まらない。法定速度など遥か彼方な現状から更にアクセルを踏み込んで、オートバイに正面突破を仕掛けた。


「――っと!」


 イクセスが体当たりを緊急回避する。その場で回転するように、オートバイの前後を入れ替えて進行方向を戻した。


 ハンドルバーを固定し直し、荒々しく動いた車体の挙動に耐えて、十路は忌々いまいましげに舌打ちする。


「やっぱり脅しだと承知してるか」

【本当に端微塵ぱみじんに破壊しますか?】

「あのなイクセス? 俺たちは学生。これは部活動。殺すわけにもいかないだろ?」

【トージたちの立場は面倒ですね……】


 街中でレース並のカーチェイスをしているのだ。ひとつ間違えば大惨事になることは、想像にかたくなく、下手な手出しできない。


 しかしこんな展開は予想の内。十路はどうやって強制的に止めるか、いくつか思い浮かべて考えて。

 その中で一番、確実性のを採用した。


「ここは木次の出番だな」

『ふぇ!? 私ですか!?』

「前に暴走車止めるの失敗しただろ? だからリベンジ」

『どーやってあの車を止めろと!?』

「……創意工夫?」

『まさかのノープランですか!?』

「そうじゃないけど――」


 十路はしばし口ごもって迷い、珍しく言葉を選んだ。


「……この程度できないようじゃ、この先この部活はやってられないぞ」


 以前つばめに話した心配を、遠まわしに伝える。


(少しでも経験積ませないと、今日みたいな荒事繰り返してたら、そのうち木次、死ぬぞ……)


 いくら思ったままを口に出す十路といえど、こんな本音は言えない。


『あぅ……確かに』

「俺がフォローするから、思う通りにやってみろ」



 △▼△▼△▼△▼



 限界までアクセルを踏むローデリックは、バックミラーの中に、猛烈な勢いで接近してくるライトを見る。

 その正体はもちろん、車体各所に《魔法回路EC-Circuit》を貼り付けて加速するオートバイ型 《使い魔ファミリア》だ。


【警告はしました。実力行使に移ります】


 拡声された女性イクセスの声を残し、またもオートバイは脇を抜き、車の前に出て等速まで減速する。


 しかも今度は、リアシートに少女じゅりを乗せていない。


 ローデリックが疑問を抱いであろう瞬間、つい先ほど――無線機が放り込まれた時と同じような音と不自然な振動が発生した。


 誰かが車の屋根に乗った。誰が、など決まっている。オートバイが追い抜く瞬間、樹里が飛び移ったに決まっている。

 秒速八〇メートルの暴風の中、掴まる場所のない屋根の上では、普通は吹き飛ばされて落ちるだけ。彼女は《魔法》で磁力を操作して耐えていた。


『ふんっ!』


 そして気合一閃し、長杖を振り下ろす。


 硬く重い金属の衝撃に、強化ガラスと言えど耐えられず、フロントガラス全面が細かい破片となって粉砕した。


「くっ……!」


 ローデリックは顔に飛ぶ破片を腕でかばったために、一瞬だけ視界が塞がれる。


 彼が次に見るのは、後輪を跳ね上げたオートバイの後ろ姿だ。


「風力砲装填そうてん!」


 オートバイの後輪が、ボンネットに向けて振り落とされ、車を揺らす。


 その状態のまま、跨る青年とおじは、分離した右ハンドルバーを手にして振り返り、レーザーポインターを発射する。


【EC-program 《Aerodynamics riotgun》 decompress.(術式 《空力学暴徒鎮圧銃》解凍)】


 その原理は第二次世界大戦中、ドイツ軍が実際に試作した対空兵器だ。酸素と水素を爆発させた高圧力の『空気の砲弾』で、連合軍の戦闘機を撃墜しようと考えられたが、実用的な性能に届かず失敗に終わった。


 しかし近距離なら、対人用なら、十分に有用だ。不必要に破壊することもない。


「寝てろ!」


 引金レバーを引くと同時に、右の消音器サイレンサーから衝撃を発射される。

 爆音を共にローデリックはけ反り、悲鳴を上げる間もなく意識を刈り取られた。足がアクセルペダルから離れたか、暴力的な加速が止む。


「押さえ込めっ!!」


 《バーゲスト》は再度 《魔法》を書き換え、仮想のジェットエンジンが点火する。しかし今度はその向きを上下にして、凄まじい推力を発揮した。


 スポーツカーはただでさえ軽量化されているのに、ボンネットを変形させてエンジンルームを破壊するかのような力を、前部の一点にかけられたため、シーソーのように後輪が浮く。フロントバンパーが路面と接触し火花が散る。


 更には斜めになった屋根に立つ樹里も、新たに動く。


『《雷斧らいふ》実行!』


 それは天から落ちてきた雷神の武器の意。そう名づけられた樹里の《魔法》は、アーク放電の原理を利用した超高温の刃。

 プラズマアークの槍と化した長杖で車体に突き、薄い屋根を易々やすやすと破り、シャーシも溶融させて貫通し、更に地面にまで届く。


 走行中に串刺しにされた車は、いやが応でも減速させられる。車体が真っ二つになるのが先か。長杖がへし折れるのが先か。それとも車が完全停止するのが先か。そんな我慢比べが金属の火花を散らし、アスファルトを破壊しながら行われる。


 しかし長続きしなかった。すぐに決着がつく。

 ブガッティ・ヴェイロンは地面に縫い止められ、頭を押さえ込まれて完全に停止した。


「ふぅ……」


 屋根の上で樹里が振り返ると、アスファルトがめくれ上がった一本の線が出来上がっている。


 彼女が強制停車させるために提案したのは、こんな強引な方法だった。

 決して被害は無視できないが、道路と車が大破した他は、大惨事を起こすことなく止められたことに安堵した。


「木次」


 そんな彼女に、オートバイにまたがったまま、十路は静かに告げる。


「エンジン車なんだから、マフラー詰まらせれば、こんな苦労しなくても勝手に止まるのに」

「それ先に教えてくださいよぉ!?」


 樹里の叫びが夜の国道に響き、長かった一日は、ようやく終息をしらせた。

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