010_1500 それが彼らの宿命Ⅶ~強行~


 樹里とコゼットは手続きをし、案内役の男に導かれて、レストランシップ『曙光しょこう』に乗り込んだ。


 実は乗船手続きの際、少し揉め事が起こった。原因は樹里とコゼットが持つ空間制御コンテナアイテムボックスだ。

 近年空港に限らず人の多い施設に入る際には、テロを警戒して手荷物検査やボディチェックを行うことがある。この船でも、そこまで厳重ではなくても、不審な荷物の注意くらいはする。

 そして空間制御コンテナアイテムボックスは不審物と見なされた。


 遊覧船なのだから、コインロッカーに預ければいいと言われたが、《魔法使いの杖アビスツール》を手放すことはコゼットとしても避けたかった。

 なので修交館学院の学生証と共に、警察庁・消防庁・防衛省が発行する身分証明書を見せたが、一般人の感覚では、《魔法使いソーサラー》の存在が誇張して広まっていることも珍しくないため、逆に揉め事を大きくさせてしまった。

 そこで船長に相談し、《魔法使いの杖アビスツール》を預けることで一応の決着をつけて、船に乗り込むことができた。


(装備が手元にねーと、どうも落ち着きませんわね……)


 貴重品類を入れたバッグだけでは、いつも手にしている重みには届かない。なんとも言えない違和感を抱きつつ、コゼットたちは通路を歩く。


 レストランシップは洋上の眺望を見ながら、食事やティータイムを楽しむ目的に特化した、小型のクルーズ客船だ。フロアごとに装飾や雰囲気の違うレストランスペースや売店などはあるが、客室キャビンと呼べる場所はない。しかし少人数のパーティや、特別な席に使える個室がある。

 食事会の場として用意されたのは、その一室だ。クラシカルで上品なインテリアにまとめられた、嫌味にならない程度に豪華な貴賓きひん室だった。


 出航前の船内を歩き、最上階のA甲板デッキに案内された樹里とコゼットが部屋に入ると、先に来ていたふたりは立ち上がって迎える。大人は悠然と、子供は機敏に。


「ジュリおねーさん! よく来てくださいました!」

「あ、や、うん、来た、よ……?」


 紺のジャケットにチノパンツ、ネクタイまで締めた、キッズフォーマルに着替えたレオナルド・ラクスル(十一歳)、学生服姿の少女を見ての喜色満面に、樹里はなぜか半笑いの疑問形で答える。


(いえ、まぁ、うん、いいんですけどね……わたくしは完全に目に入ってませんわね……)


 無視されたくないわけではない。ただ『社交術的にその態度どーなのよ?』と思うものの、子供にまでは求めづらい。だからコゼットは構わず、もうひとりの招待主に向き直る。


 息子同様ジャケットを羽織り、しかしネクタイを締めず、ビジネス用と違って薄いストライプ柄のスーツを着ていることで、仕事ではなく私的プライベートと示している。


「ようこそ。ヴィゴ・ラクルスだ」


 紳士的な笑顔を浮かべる様は、悠然とした態度に見える。しかしコゼットは、隠そうとされている別の感情が垣間見えた。


(……? 緊張してる……?)


 内心で眉をひそめ、しかし落ち着いた高貴な微笑を返し、コゼットは右手を差し出した。


「本日はお招きいただきまして、ありがとうございます」


 ヴィゴも骨ばった男の手を差し出し、女性らしい細く繊細な手と軽い握手が交される。

 汗に濡れている。手の温度が低い気がする。多汗症なのかもしれないし、常時体温が低いとも考えられるが。


(やっぱかなり緊張してますわね? なに? わたくしたちをそんな怖がってますの? 接触求めてきたのはそっちでしょうが?)


 《魔法使いソーサラー》は常人には持ち得ない力を持つ。しかも相手がそれを知るかは不明だが、コゼットは王女などという普通ではない肩書き持っている。

 緊張していてもなんら不思議はないが、それでも内心コゼットは不思議に思いつつ、王女に恥じぬ礼節を取る。


「初めまして。修交館学院総合生活支援部部長、コゼット・ドゥ=シャロンジェです。それと、部員の――」

「えぇと……改めまして、部員の木次樹里です」


 うながされて樹里は、オドオドと頭を下げる。


「その節はご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした……」

「あぁ……あれは、お互いの行き違いというか、気にすることでもないだろう」


 暴力沙汰になった行き違いは鷹揚おうようとして流し、ヴィゴは招待客たちに手で着席を勧める。


 ここに案内した男、そしてラクルス親子と共にいた男が、クッションの効いた椅子が引いた。

 自分の椅子を引いた男を、コゼットは横目で見やる。

 あの長いケースはどこにもないが、今日もサングラスをかけたスーツ姿の、理事長室にも来た男だった。


(堤さんが不審を抱いていたの、この方ですわね……)


 そんな警戒をするコゼットと、やはりオドオドとした樹里が、腰を落ち着かせたところで口火が切られた。


「……今日はよく来て頂いた」


 六月のこの時期、屋内といえどさほど暑くもないのに、やたら手で顔を拭きながらヴィゴは口火を切った。

 彼の体型は『太っている』とは言えない。腹周りや足腰の太さがやや目立つので、暑がりという可能性もあるが、やはりコゼットには不審に思う。

 なので、膝に置いたバッグに手を差し入れて、見もせずにスマートフォンを操作して、ヴィゴと話しつつ電話をかけた。


「事前に連絡はいただいていたが、ふたりだけとは……」

「他の部員と、顧問であるツバメ・ナガクテは、本日は他用で来れませんでした。『折角の招待を断り申しわけありません』と言葉を預かっています」

「そうか……残念だが、忙しいなら仕方がない……」

「そちらにも興味がお有りでしたか?」

「興味?」

「我々は《魔法使いソーサラー》と呼ばれる者。一般の方にとっては珍しいでしょうし、それを管理する立場の人間とも、対話してみたい話などがお在りかと思いまして」

「……実はミズ・ナガクテとは、一度は話をしている」

「あら? そうだったのですか?」

「知らなかったのか?」

「あの方は、特殊な立場であるわたくしたちを管理する立場です。多方面と色々な折衝せっしょうが行われるのはいつもの事ですので、直接私たちに関係なければ、いつどこで誰と会ったかなんて話しませんし、こちらも訊きません」


 樹里はなにも言わずコゼットに場を任せている。レオ少年は大人ヴィゴの話に割って入る気はないらしい。そして客ではないスーツ男ふたりは、元より口を開く様子はない。


 コゼットは、なかなか本題に入らないことに痺れを切らし、イニシアティブを取ることにした。


「ミスター・ラクルス。世間話は無駄な時間だと判断しますので、手短におたずねします」


 顔こそ微笑を浮かべたままだが、瞳には爛々らんらんとした獅子の光を宿す。

 もしも首輪をつけて飼い慣らそうとするなら、容赦なく食い千切ると。


「我々をどう利用しようと考えて、接触なさったのですか?」

「…………」


 先ほどからぬぐっている汗――冷や汗の量が増える。

 意を決したようにヴィゴは、壁際に控える男たちに口を開く。


「Would you excuse us a moment?(しばらく席を外してくれないか)」

「No.(しかし――)」

「a little while. Please.(少しでいい。頼む)」

「…………」


 意外にも男たちはヴィゴの言葉に従って、貴賓室の扉を開いて出て行った。


 部屋の中は四人だけになり、少しだけ沈黙が場を支配する。


「…………頼みがある」


 やはりと思いながらも、樹里もコゼットもヴィゴの言葉をさえぎらない。

 欲を剥き出しにして意気込むならば、一顧だせずに断ることができ、話は簡単なのだがその声にそんな覇気は感じない。


「……息子の体を治して欲しい」

「え?」


 自分の話が出たことに、レオは少し驚いたように父親に振り返る。


「息子はなにかと寝込むことが多く、体が弱い……もっと小さい頃はひどかったが」

「虚弱体質とはお聞きしていますが、具体的には?」

「今でもよく体調を崩し、寝込むと回復まで一週間くらいはかかる。その都度医者に相談するが……なかなか普通の子供たちと同じように生活できない」


 なにか先天的な難病を患っている可能性も考えた。レオ少年には明かしていないから、この場ではそういう扱いになっているのかとも。

 ただハッキリしていないと、大いに生活のさまたげになるものだが、ただの体調不良や生活不順ともとらえられがちで、病気とは呼びにくく、周囲の理解も得られにくい。

 親としては、やきもきする事になるに違いあるまい。


「だから《魔法》で、せめて人並みの子供たちと同じようにして欲しい」


 普通の親なら当然の願いだろう。ヴィゴの望みは。コゼットは母親になった経験もないし、そうでなくても理解できないから、想像でしか判断できない。


 出された『依頼』に、コゼットは毅然として、樹里は痛ましく、《魔法使いソーサラー》たちが顔を見合わせる。


「木次さん。わたくしから説明しましょうか?」

「……いいえ。私の分野ですから、私から言います」


 意を汲んでコゼットが頷き、ここは《治癒術士ヒーラー》である樹里に任せる。

 言いよどみそうな事を口にすることに、彼女は決心するために、大きな息を吸い。


「――結論から言いますと、できません」


 そして意図したものだろう、無感情な声で断言した。


「ひとつには、私は医師免許を持っていません。そんな本格的な治療をほどこすことは、法律上問題があります」

「――っ」

「それにできない理由は、他にあります」


 ヴィゴはなにか言おうとしたが、あまり普段の樹里らしくない態度で、相手の言葉を聞かずに話を続ける。

 聞かずとも想像はつく。親の立場からすれば、必要なのは免許ではなく、子を助けてくれる技術なのだから、そういった事を言おうとしたのだろう。


「外科的なアプローチなら治療できますが、内科の領分、しかも細分化される臨床医学分野なら、お手上げです」

「しかし、前に発作を簡単に収めていただろう!?」

「対処療法だけです。根治となれば話は変わりますし、私では無理です」

「『私では』ということは、他の《魔法使いソーサラー》ならば――」

「いえ。存在しないでしょう」


 体質や遺伝子疾患ともなれば、いわば呪いだ。ゲームで考えてみればいい。治癒の魔法と呪い解く魔法、果たしてどちらが習得難易度が高く扱われているだろうか。

 あるいは限界とも言える。蘇生魔法が当たり前にあるファンタジー世界でも、死や病やおとろえまで存在しない舞台などまずない。


「《魔法使い》なんて呼ばれていても、私たちはこんな時、なにもできないんです」


 親の願いを完全拒否する樹里の言葉に、室内は気まずい沈黙が宿る。


「……ごめんなさい」


 言ってもせん無いことだと理解しているだろう。しかしそれでも樹里は頭を下げた。


 《治癒術士ヒーラー》ともなれば 入部以来、こういう事は以前にもあった。死病をわずらった人々の家族が、《魔法使いソーサラー》に最後の望みをかける。

 しかし医師免許の問題ではなく、不可能な場合がほとんどだから、同じように言って彼女は断る。

 そのたびに樹里は、人を傷つけるにがい思いをしている。それをコゼットも垣間見ている。


 『魔法』という空想に頼る人々に、現実を突きつけるのだから。しかも《を持つ《魔法使い》が。

 希望を根こそぎえぐって絶望を植えつける。こんな言葉の拷問をしなければならない時、心優しい彼女が《魔法使い》であることに、コゼットは哀れみを覚える。


「……ご子息の健康に対して、こういう言い方は失礼と存じていますが」


 コゼットは健康体で、そういった苦しみを知らない。それに樹里ほど優しい性格もしていない。


のために日本に来て、我々に接触を?」

「…………いや、違う」


 否定は返したものの、それ以上はない。ヴィゴは目をつぶって額の汗をぬぐう。

 レオは不安そうに父親の顔をうかがっている。

 部員たちにはヴィゴの様子が迷いに見えたので、なにも言わずに次の言葉を待つ。

 そんな貴賓室の沈黙を破るように、汽笛が三度鳴り響いた。そして座っているからわかる程度の、わずかな加速度を感じる。


(船が出港しましたわね。これでしばらく帰れねーですから、トコトン付き合うしかねーっつーことですわね……めんどっち……)


 コゼットは小さくため息をもらした時、小さくノックされてドアが開かれた。

 外から様子をうかがい、話は終わったと思ったのか。

 先ほどヴィゴが追いやった男の片割れが、ワゴンを押して飲み物を持って入ってきた。

 部屋の中の重い雰囲気に構わず、シャンパングラスに冷やしたボトルの水を注ぎ、それを各人の前に置く。

 重い空気に耐えられなかったのか、レオが所在なさげにグラスに手を伸ばそうとした。しかし。


「……? お姉さん?」


 向かいの席に座る樹里が、身を乗り出して止めた。


「それ、飲んじゃダメだよ」


 レオ少年が知っている木次樹里という少女は、気弱げな部分があるが、頼りになり、きっと優しい年上のお姉さんといった存在だろう。


 しかし今の彼女は違う。目を細めて、静かながら獣じみた空気を放っている。


「薬が混じってる。それも全員分。入れてあるのが睡眠薬か、筋弛緩剤か、それとも毒か……そこまでは、わかんないけど」


 コゼットもグラスを鼻に寄せたが、なんの匂いも感じない。

 さすがに驚いた。《魔法》を使わずに樹里がどうやって知り得たのか、方法が全くわからない。

 当てずっぽうを疑おうにも、やけに確信を持った言い方であるし。


「Why did you try to make everyone take medicine, not just for us?(私と部長だけなら、まだ想像できます。でも全員に飲ませようとするのは、どういうつもりですか?)」


 まるで出入り口をふさぐよう立つ、ミネラルウォーターを注いで回った男は、樹里の英語に顔色を変えた。

 しかも男は質問に答えることはなく、脇に右手を突っ込み、引き抜いた。


(銃!?)


 グロック17。プラステック部品が多用され、デザインも相まって一見モデルガンのような印象を持つ、各国の公的機関で制式採用されているベストセラー銃。

 瞬時に見分けがつくほどコゼットは詳しくないが、銃か否かくらいは理解できるし、ここにきてモデルガンの可能性を考えるほど楽観もしていない。


「ふんっ!」


 だが、認識直後に視界から消えた。銃だけでなく持つ男ごと。代わりに天板の底を見せて立つテーブルが、轟音を立てて交代するように出現した。ついでに一緒に飛んだグラスも壁にぶつかって砕ける。


「…………え?」


 振り向くと、いつ席から離れたのか、片足立ちでミニスカートを揺らす樹里の姿があった。


 重さ一〇〇キロ以上あるだろうテーブルを、彼女が下から蹴り飛ばし、男にぶつけて部屋から叩き出した。大きなテーブルは入り口を通れず、塞ぐように残った。


 状況は推測できても、常識で考えれば不可能な荒業を、どうやって行ったかは理解できない。


「……?」

「いま……なにが?」


 コゼットだけでなく親子も固まっている。


 それだけでも充分驚くべきことなのに、樹里はまだ驚異を続ける。

 助走なしで天井スレスレまで跳び、テーブルの脚を掴むと同時に蹴りでへし折る。更には着地の勢いも乗せて床に突き刺して、テーブルが向こう側から動かされぬよう固定してしまう。即席ながらバリケードが作られた。


「ひとまずこれで……!」


 日頃の女子高生らしさを全力で裏切る、馬鹿力と非常識さだった。


「部長。どうしますか?」

「え、あ、えと……」


 落ち着き払った樹里の声に、コゼットはなんとか我を取り戻す。

 バリケードはほんのわずかな時間稼ぎに過ぎない。銃弾が撃ちこまれ、天板にわずかな穴が空けられた。向こう側から体当たりを仕掛けているのだろう、テーブルが遅いテンポで軋む。

 いつ破られ、雪崩こんで来てもおかしくはない。それまでに誰かが気づいて解決してくれるなど、期待できない。


「ミスター・ラグルス……彼らは護衛ではありませんでしたのね」


 とはいえ、今のコゼットができることは限られる。加納なのは情報収集――それも質問ではなく確認する。


「彼らはイギリス軍の者だ……護衛ではなく、監視役だ」


 ようやく事態を把握したようではあるが、まだ驚きの色に染まった声でヴィゴが肯定する。


「どういう経緯いきさつか知りませんけど、脅されていたんでしょう? 連中の目的は、どこの国家にも所属していない、民間の《魔法使いソーサラー》たちの確保……それに協力させられてた」


 父親は、なんとか支援部と接触しようとしていた。

 彼は、この船に支援部員を誘い込んだ。


貴方あなたがたが神戸で拠点にしてるの、メリケンパークのオリエンタルホテルですわよね?」


 あの晩、十路と樹里が訪れたデートスポットの、すぐ間近に建っている。

 ふたりがあの場所は訪れたのはただの偶然でしかないが、支援部員たちの動向を把握していたら、機会を利用しない手はないだろう。


「具体的には不明ですけど……レオナルドあなたはあの晩、支援部わたしたちへの接触に利用されたんでしょうね」


 なぜ体が強くない子供をわざわざ日本に連れてきたのか。

 なぜ子供が夜中にひとりで出歩いていたのか。

 なぜ捜索中だったはずの男たちが、四人も固まって喧嘩を売ってきたのか。もしかしたらあの場所での拉致も視野に入れていたのだろうか。


 レオ少年が愕然として父親に振り返る。

 ヴィゴは後ろめたさをあらわにして視線から逃れる。

 無言でも雄弁にコゼットの――十路の言葉が事実だと語っている。


「あくまで可能性の話でしたけど、今日来なかった部員が予測してましたわ。『もしそうなら、子供の命をネタに揺すってる』ともね。治療のことで利害が一致している部分もあったんでしょう。曲がりなりにも子供を想った父親の行動なんですから、言いたいことがあったとしても、貴方は責めないことですわね」


 本当に、十路は何者なのかと思う。

 いや、何者かは、ある程度は把握している。


(前にもマトモじゃねぇーと思いましたけど、ホント、どういう思考回路アタマしてやがりますのよ……)


 ただその実力が、コゼットの想像の埒外で、理解ができない。

 そして彼の存在が、現状では最も頼りになる。


 そのためにコゼットは、バッグの中からずっと通話状態だったスマートフォンを取り出す。


「そんな感じで、わたくしたちの命はまだしも、巻き添えでこの親子が始末される可能性が出てきましたわ。絶賛ピンチ中なので、理事長。とっとと応援を寄越してくださいな」

『あいよー。しばらく持ちこたえてて』


 スピーカーから、場にそぐわないのん気なつばめの声が届く。


「部長!」


 直後に樹里が鋭い声を上げる。


 鈍い音と共に、テーブルの天板から金属の塊が飛び出す。青白い光を帯びたそれは、いとも簡単に動き、分厚い木版を豆腐のように切り裂いた。真っ二つに切断されたテーブルが左右に分かれ、重い音を立てて入り口を開ける。


「まさか薬に気づかれるとはな……」


 感情があまり感じられない声。十路も感情の起伏がない平坦な口調だが、それとは怠惰なせいであって、それとは異なる。

 呟きながら入ってきたのは、彼が一番警戒していた、ワニを連想する男だった。その後ろには、きっと樹里がテーブルを蹴り飛ばしたせいだろう、押さえる顔から血を拭いている、銃を持ったもう一人の男もいる。


 バリケードで時間が稼げたことから、その装備は乗船時にはどこか別の場所に保管されていたのだろう。慌てて取りに行き、ずっと片手にしていたままに違いあるまい、鞘とケースが投げ捨てられる。


「おかげで予定が狂ってしまった」


 彼が手にしている剣の刀身は、一.二ートルほどの長さだ。つばは刃に向かって傾斜し、柄の先端には飾りの輪がついた、独特の形状をしている。

 現在の西欧連合国イギリス――スコットランドの高地人ハイランダーたちが使っていた両手持ちの剣。


 この場に不似合いな中世の武器だが、骨董品でもレプリカでもない。次世代の科学技術で作られた、別の機能を持つ実用品だ。


大剣クレイモアの《魔法使いの杖アビスツール》とは……歴史深いイギリスの《魔法使いソーサラー》らしい装備ですわね……」


 コゼットが顔を引きつらせながらも、精一杯の虚勢で苦笑する。

 『魔法使いの杖』とは呼ばれているが、杖の形状である必要はない。ある程度の大きさと携行性が成立していれば、どんな形にでも作ることはできるのだから、《魔法使いソーサラー》それぞれが扱いやすい形に開発される。

 それを《付与術士エンチャンター》の目で、コゼットは観察する。


(保有電力や通信速度は、きっとわたくしたちの装備の方が上でしょうけど……)


 常人以上の力を発揮する《魔法使いソーサラー》にも、いくつか弱点がある。


 その最大の弱点は、《魔法使いの杖アビスツール》を持っていなければ《魔法》を行使できず、普通の人間と変わらないことだ。

 コゼットと樹里の装備はこの船に乗り込む際、船員に注意されたために預けたために、手元にはない。いくら装備の性能が上回っていても、今の彼女たちの状況では、無防備に機関銃の前に立たされているのと大差ない。

 

(クッソ……やっぱ《魔法使いの杖アビスツール》手放さなければ船に乗れなかった時点で、帰るべきでしたわね。船員もどれだけアテにできるか、わかったもんじゃねーですし)


 白昼に、しかも銃だけでなく《魔法使いの杖アビスツール》を持ち出すとは考えていなかった。また何事かあっても、船内に自分の装備があれば大丈夫と、軽く考えていた節があった。


(ここは大人しく、彼らに従うしかありませんわね……)


 コゼットは歯噛みする。


「…………」

「?」


 不意に険しい顔つきの樹里と目が合った。なにかを無言で訴えているようだが、意図まではコゼットには読めない。

 そして止める間もなく、恐れもせず、樹里が動いた。


「木次さん!?」


 彼女は身を低くして駆け、大剣クレイモアの間合いの内側に飛び込もうとする。

 後方の男が拳銃の引き金を引き、銃声が響く。樹里の右太ももを銃弾が貫き血が飛沫しぶくが、それでも彼女は止まらない。


 だから大剣クレイモアが振るわれた。樹里を殺すためではなく行動不能にさせるために、剣の腹で打とうと、下から振り上げられる。


「ここっ!」

「なっ!?」


 それに樹里は対応し、剣の腹に足を乗せ、振り上げられる勢いのままに飛び下がった。

 天井近くで身を小さくして体を入れ替え、足から窓へと突っ込んで、ガラスの破片と共に外へと飛び出す。


 大人しく拘束されることなく、彼女は脱出――ひいては外からの反撃を目で訴えていたのだと、コゼットは遅れて理解できた。


 しかしはたから見れば無謀。破れかぶれに突進して、返り討ちにされたようにしか見えない。


 だから少年は、動いてしまった。


「お姉――!」


 窓枠に掴んだ樹里の手に飛びついて、両手で掴んだ。奇跡的に


「!? ダメ!」


 いくら細身の少女とはいえ、子供とは比べるまでもなく重い。樹里を引っ張り上げることなどできず、逆に引きずられて一緒に落ちる。



 △▼△▼△▼△▼



「くっ!」


 そのまま海に落下する途中、窓枠に指をかけて、落下運動を振り子運動に変え、窓ガラスを叩き割り、階下の甲板デッキから船内に戻る。


「きゃっ!?」

「なんだ!?」


 カップル客のムードをぶち壊して、テーブルの上を転げ落ちた。


「――がっ……!」


 内臓がはみ出そうな痛みに息を詰まらせる。建物三階分の落下ダメージをまともに食らったわけではないが、レオを抱いてかばったため、あまり流せなかった。


「っく……!」


 それでも樹里は歯を食いしばり、足をかばいながら立ち上がる。その際にテーブルクロスを引き抜き、脚に巻きつけて、床に血痕を残さないようにする。


(あの部屋から出れたのは、予定通りだけど……レオくんまでついて来たのは予定外だった……)


 ついでにセッティングされていたテーブルナイフと、突然の闖入者に固まるスタッフが持っていたワインをボトルごと持って行く。

 なにが起こったかわかっていない、大勢の客の注目を浴びながら、足を引きずる樹里はレストランを出ようとする。


「……レオくんはここにいて」

「え……?」

「私について来たら危ない……他の人と一緒のほうがいいから……」


 子供を気遣う余裕もない。痛みに耐える声と厳しい口調で、顔も見ずに言い残す。


(まずは――)


 身を潜める場所を探しながら、樹里は携帯電話を取り出し、登録している番号にかけた。



 △▼△▼△▼△▼



 その直後。レストランシップ『曙光しょこう』の船橋ブリッジに、銃を持った男たちが侵入した。

 機関室にも同様に、客にまぎれた不審人物が強行突入し、船の機関士たちを銃で脅し、占拠した。

 更に食事を楽しもうとしていた甲板の乗客たち、そして船内で働くスタッフたちに対しても、威嚇発砲で大人しくさせ、各甲板デッキそれぞれに一ヶ所に集めて監視した。


 彼らは事前に武器を船に搬入していた。貨物船ではないとはいえ倉庫はある。前もって侵入し、そこに隠していたのだ。テロ対策がまだ未熟なこの国では、そういった事も容易だった。


 乗客乗員合わせて八二三名を人質にとったシージャック。

 たどたどしい日本語でシージャック犯が船員たち命じたのは、船をこのまま外洋に出すこと。


 本来ならばこの作戦はもっと沖に出てから、そしてもっと穏便に実行されるはずであった。


 しかし確保目標の無力化が完全失敗したために、強引に、予定を前倒して決行された。

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